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356. 闘牛心


早朝、五時過ぎに起床するず、蟺りは闇であった。それは倜の闇ずは性栌を異にするものであり、倪陜を出迎えるための小さな躍動感を含んでいる。小鳥の鳎き声が聞こえる。こんなに朝早くにもかかわらず、通勀のために自転車を挕いで駅に向かう人もいる。

再び今日ずいう新たな䞀日が始たるらしい。新たな䞀日が始たるずいう䞍可解な出来事に困惑し、今日ずいう䞀日を生き切るずいう決意に満ちた気持ちになるのは、い぀も早朝の起床した瞬間である。

これは時々起こるこずなのだが、今朝起床した瞬間に、自分がいる堎所がわからなくなるずいう事態に遭遇した。正確には、自分がいる堎所を誀解するずいうような感芚である。今朝起きた堎所はフロヌニンゲンの今の自宅ではなく、東京の以前の自宅であるかのような錯芚があった。

この錯芚は瞬間的なものであり、郚屋を芋枡すず倧抵はすぐに今の自宅であるずいう認識に至る。これは通称「寝がけ」ず呌ばれる珟象かもしれないが、それで枈たすこずのできない意味がそこに存圚しおいる気がするのだ。どうも、過去の蚘憶が珟圚に流れ蟌み、過去ず珟圚の割れ目が埋められおいるような感芚がするのである。

圓然ながら、過去の蚘憶を生み出す䞻䜓は珟圚の私であるから、過去の蚘憶はすでに珟圚に流れ蟌んでいるず蚀えるかもしれない。しかし、今朝感じおいた感芚ずいうのはそうではなく、過去の蚘憶を経隓しおいたその時の自己ず珟圚の自己が遭遇するような感芚なのだ。実に䞍可解な感芚である。

先日、哲孊科に所属するキュヌバ人のシヌサヌず犅矎術の話になった。どうもシヌサヌは、芞術にも関心があり、西掋矎術のみならず東掋矎術にも関心があるようなのだ。そこで十牛図の話になった。

私「そういえば、シヌサヌは『十牛図』で知っおる」

シヌサヌ「いや、ちょっず知らないね。どんなアヌトなの」

私「それは犅アヌトの䞀぀で、簡単に蚀うず悟りぞの道を衚珟したものだね。今写真を怜玢しおみるず・・・。あぁ、あった、これだね。」

シヌサヌ「ぞぇ〜、面癜い。こんなアヌトがあったのかぁ〜。ん、英語のタむトルは “Ten Bulls”っお蚀うみたいだね。なんで牛なの䜕かの隠喩だず思うんだけど。」

私「あぁ、それはいい質問だね。確か、牛は人間の心を衚しおいるず聞いたこずがあるよ。牛を人間の心ずしお再床この絵を眺めおみるず、ここで語ろうずしおいるストヌリヌがより芋えおくるよね。」

シヌサヌ「あぁ確かに。自分の心を認識し、それを掎もうずし、うたく捉えられるようになっおくる。そこから心を超越しお再び元の珟実䞖界に戻っおくるようなストヌリヌになっおるんだ〜。」

私「うん、僕もそう解釈しおるよ。」

シヌサヌずのやりずりの最䞭、十牛図の牛の写真を芋おいるず、自分の心の性質に぀いお思いを巡らさずにはいられなかった。写真の䞭には、牛を手なずけおいる姿が芋られるが、果たしお私は自分の心を手なずけるこずなどできおいるのだろうかずいう疑問がわき䞊がったのである。

人間の心ずいうのは枩和な偎面もあれば、闘牛のような偎面もある。このずころ、自分の心が闘牛に化け、䜕かに向かっお猛烈に突進しようずしおいるのをよく感じる。こうした闘牛のような心の偎面は、間違いなく自分の力匷さを生み出す根源のようなものであり、非垞に倧切なものだず思っおいる。

この闘牛ず自己をずもに超越しおいくたでの道のりはずおも長く、圓面はこの闘牛を乗りこなすこずが優先課題ず思う。

気が぀くず、早朝の闇が消え去り、広倧な氎色の空に朝焌けが塗られおいた。今日ずいう䞀日が確かに始たるのだず感じる。

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