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272. 初日からのハプニングの嵐:その2(欧州到着編)


少しばかり肌寒いフランクフルトに降り立ち、私はアムステルダムへの乗り継ぎを急いだ。フランクフルトは、ドイツ国内のみならず国際的に見ても経済・金融の中心地であるが、この日のフランクフルト国際空港は閑散としていた。

欧州ではこのところテロが頻発しており、乗り継ぎの際の手荷物・身体検査が厳重であった——その一方で、入国審査では何も質問されることなく、嘘のようにすんなりと欧州入国ができた。

前述の通り、手荷物・身体検査が面倒で、機内持ち込み用のスーツケースを開けられて中身を色々と確認された。無事に検査を終え、KLM航空のフライトを待つことにした。出発1時間前にもかかわらず、まだ搭乗ゲートが確定しておらず、ゲート番号の「D」という表示だけが電光掲示板に記されている。

「Dのどこで待てばいいのだろうか?」そのようなことを思いながら、辺りを彷徨っていると、搭乗開始時刻の30分前にうっかり搭乗ゲートから外に出てしまった・・・。つまり、もう一度あの面倒な手荷物・身体検査を受けなければならなくなったのだ。

「再びこんにちは(笑)。うっかりゲートから出てしまって・・・」

係員「あぁ、さっきの方ですね。覚えてますよ。」

「さっき検査を通ったから今回は素通りできますか?」

係員「いえ、残念ながらできません。もう一度受けていただく必要があります。」

「そうですか、仕方ないですね。アムステルダム行きのフライトの搭乗口がまだ確定しておらず、掲示板上でゲート番号が未表示なのですが・・・」

係員「もう一度チケットを見せていただけますか?ええっと、ちょっと待ってくださいね。今コンピュータで確認してみます。あぁ、ありましたよ、 “D23”ですね。」

「 “D23”ですか、ありがとうございます!」

という言葉の裏に、「私的に “D23”という番号をこっそり教えないでくれ!広く万民にその情報を電光掲示板で公開しないでどうする!」と微笑を浮かべながら心の中でつぶやいていた。

そうこうして無事にアムステルダム行きのフライトに搭乗し、定刻通りにフランクフルトを出発した。フランクフルトからアムステルダムまでは飛行機で1時間で着けるので、成田からフランクフルトまでの快適な空間と180度違う機内環境でもそれほど苦にはならなかった。

飛行機がアムステルダムへの着陸準備を始めた。窓からオランダを象徴する風車が見えてくる。今年の初頭にアムステルダムを訪れていたため、どこか懐かしい景色が広がっていた。

しかし、私が二年半ほど過ごしたサンフランシスコという街を機内から眺める時にいつも感じるあの安堵感、つまり自分の街に帰ってきたという感覚は、まだアムステルダムという街に対しては抱いていない。どこかの国からアムステルダムに向かう際に、「アムステルダムに行く」という表現から「アムステルダムに帰る」という表現になる日がいつか来るのだろうか。そのようなことを窓から景色を見下ろしながら思った。

さて、アムステルダム到着後のここからが大変であった。まずは日本から送ったスーツケースを二つ受け取らなければならない。先ほどの入国審査同様、これらのスーツケースを無事に、そしてとても速やかに受け取ることができた。

「さぁ、ここから新居に向かうぞ」と大型のスーツケース、中型のスーツケース、機内持ち込み用のスーツケースを携えて、新居までの3時間の小旅行に向けて気合を入れ直した。さもなければ、待ち時間を除いて、成田からフランクフルトまでの11時間半のフライト、フランクフルトからアムステルダムまでの1時間のフライトの後の、この3時間の移動に耐えられないと思ったのだ。

アムステルダムからフローニンゲンまでは、合計2回ほど電車を乗り換えなければならない。事前に電車のスケジュールをPDF化しており、それを携帯で確認すると、2回の乗り換え時間がやたらと短く、三つのスーツケースを運びながら時間通りに乗り換えができるか懸念していた。

アムステルダムから最初の乗り換え駅までの車中、チューリッヒから来たという小柄の中年男性から声をかけられた。

男性「どちらまで行くのですか?」

「フローニンゲンまでです。あなたは?」

男性「奇遇ですね!私もフローニンゲンまでです。それにしても、そのスーツはかっこいいですね。どちらのものですか?」

「いや〜、本当に奇遇ですね、フローニンゲンですか。スーツ?あぁ、ありがとうございます。このスーツはゼニアの生地で仕立てたものです。」

男性:「ゼニアですか。どおりでかっこよく見えたわけだ。」

そうなのだ。今回、日本からダンボールを送る際、そしてスーツケース2個を送る際に、このスーツとビジネスシューズ一足がどうしても入りきらなかったのだ。そのため、このスーツとシューズを身にまとって日本からオランダへ向かうことになったのだ。

いずれにせよ、今日は偶然が重なる珍しい日だなと思いながら、お互いにしばらく雑談をしていた。雑談がしばらく落ち着いた後、その男性は手軽な荷物とともに電車の二階席に姿を消した。

懸念していた一回目の乗り換えの時が来た。重たいスーツケースを一つ一つ急いで電車から降ろし、足早に乗り換えのプラットホームに向かおうとしていた矢先、次に乗るべき電車の案内が同じプラットホーム上に表示されていた。

「どういうこと?携帯では乗り換えの表示が出ているんだけど・・・。同じプラットホームで次の電車を待っておけばいいのかな?荷物を移動させる必要がなく、なんてラッキーなんだ!今日は本当についてるぞ!!」と思った。だが、先ほど乗っていた電車がプラットホームを断固として離れようとしない。

次に乗るべき電車が出発する時間の一分前になり、この電車がまさにその電車であることに気づいた瞬間、再び急いで三つのスーツケースを車内に乗せた。「紛らわしすぎる・・・。乗り換え表示などするのではなく、 “remain on board”という表示にしてくれればいいのに」とGoogle Mapを若干恨んだ。

残すところ後一回の乗り換えが依然として最大の懸念事項であったが、今日は本当に幸運続きの日であるため、同じような奇跡が起こるかもしれないと楽観視していた。次の乗り換えまでの1時間、車窓から見えるのどかな風景に見入っていた。

東京の都心に馴染みのある者にとって、アムステルダムの街ですら、大して都会には思えないだろう。そんなアムステルダムからオランダ北部にあるフローニンゲンの街に行くまでの景色は、実にのどかであった。

車窓から動いている風車と動いていない風車が見える。「オランダの風車には、人が住んでいるんだよな。安く風車を賃貸してそこで生活することができる代わりに、風車を定期的に回すことが要求されている、ということをどこかで聞いたぞ」ということが頭をよぎった。

風車の次に目に飛び込んできたのは、雄大な牧場を闊歩する牛の群団であった。この時すでに疲労はかなり溜まっていたが、「北海道か!」というツッコミを入れることはできた。

夜の九時を過ぎているのに、まだ太陽が見える。太陽が沈む時に私たちに見せてくれる最後のあの輝きに恍惚感を覚えた。その太陽は、夏とオランダを象徴するヒマワリを彷彿させるような鮮やかな色であった。

さぁ、二回目の乗り換えの時が来た。ここで再び幸運に恵まれた。チューリッヒから来たという先ほどの男性が背後から現れたのだ。

「すいません。同じくフローニンゲンに行かれるのですよね?よろしければ、助けてくれませんか?」

チューリッヒ人男性「ええ、お安い御用ですよ。」

「いや〜、助かりました。それではこちらの荷物を一つ、次の乗り換えの列車まで運んでもらえませんか?」

チューリッヒ人男性「もちろんいいですよ!こんなに重たい荷物を持って移動されるのは大変でしょう。」

この優しさに、心の中で「チューリッヒ人最高!」と声を上げたが、 よくよく考えると“チューリッヒ(Zurich)”は国ではなく、スイス最大の都市ではないか、ということに気づき、「スイス人最高!」と心の中で感謝のマントラを唱え直した。

無事に最後の乗り換えが終わったと思った途端、蓄積されていた疲労が一気に噴き出した。疲労困憊であったため、激しい睡魔に襲われ、ウトウトしていたところ、幻聴が聞こえ出した。聞こえて来た幻聴に起こされる形で、待ちに待ったフローニンゲンの街に到着した。

到着したのは、現地時間の夜の11時前であった。新居の鍵をどのように受け取るかを事前に不動産会社と入念に打ち合わせをしていたことを思い出す。結局、その不動産会社の傘下にある、深夜まで営業している近くのピザ屋で鍵を受け取ることになっていたのだ。「ピザ屋で鍵の受け取り?大丈夫なのか?」と日本を離れる前に思っていたが、「何にせよ今日はとにかく運がいいのだ」と自分に言い聞かせていた。

オランダの中でも最も美しい駅の一つと言われるフローニンゲンの駅を堪能する暇など全くなく、新居に一刻も早く着いて今すぐにでも休みたい、と心の底から強く思っていた。スーツケース3つをゆっくりと引きずりながら駅の改札口を出ようとしていると、中東か北アフリカから来たらしい三人家族が、不安げな表情を浮かべながら深夜のフローニンゲン駅のプラットホームに立ち往生しているのが見えた。

4歳ぐらいの小さな男の子と母親が不安な面持ちで椅子に腰掛けており、重たい荷物を引きずっていた私を見つけた父親が足早にこちらに近寄ってきた。本当は歩いて目的のピザ屋に向かおうとしていたが、その親切な父親が荷物をタクシー乗り場まで運んでくれると言ったので、もうタクシーに乗って行こうと思った。

その父親はタクシーまで荷物を運んでくれ、私はこの人の親切心に感謝して、そこで私たちは別れた。無事にタクシーに乗り込み、オランダ語と英語のどちらも流暢に話すペルシャ系の運転手に目的のピザ屋の場所を告げた。

「正直なところ、歩いていける距離なんですけどね。」

運転手「ちょっと地図を見せてくれますか?ええと、通りはここですね。」

運転手とやりとりをしていると、先ほどの父親が小さい息子の手を引きながら、助手席に座る私の方に近寄ってきた。小さな男の子が私をじっと見つめている。

「先ほどはどうもありがとうございました。」

その父親「いえいえ。ところでさっき乗ってきた電車の切符を持ってますか?」

「ええ、まだ持っていますよ(あぁ、そういえば、改札口に切符を通していなかったところを見られたのかな)。」

その父親「その切符いただけますか?」

「ええ、いいですよ。」

切符を手渡すと、その父親は小さな息子の手を引きながら一目散にプラットホームに姿を消していった。

運転手「今のは良くないと思いますよ。だって切符にあなたの個人情報が載ってるんでしょ。」

「えっ、そういえば・・・(クレジットカードで購入していたからカード番号とかも特定されてしまうのかもしれない)。取り返した方がいいですか?」

運転手「ええ、そう思います。」

“Yes, I think so.”という言葉が聞こえた瞬間に、私は助手席から飛び降り、ゼニアのオーダースーツとビジネスシューズを身にまとった疲労困憊の体でその父親を懸命に走って追いかけた。追いかけるモードに入る前に、すでにタクシーに積み込まれた三つのスーツケースのことが気になっていた。

というのも、着飾った格好をしているアジア人が、深夜のフローニンゲン駅の中で一人の男を追いかける姿に、他のタクシードライバーたちは笑いながら見物しており、それに便乗してスーツケースの積まれたタクシーまでどこかに走り去ってしまうのではないかという恐怖があったのだ。

幸いタクシーは静止しており、また、小さな子供を連れていた父親の足取りは遅く、男を無事に捕まえることができ、切符を取り返すことができた。後々になって気づいたが、購入した切符に私の名前が記載されているわけでも、カード番号が特定されてしまうような情報が記載されているわけでもなかった。

単に、この切符はオランダ国際空港からフローニンゲン駅までをその日中であれば移動できるというものであり、タクシー乗り場まで荷物を運んでくれた親切さのお返しに切符を差し出してもそれほど問題はなかったのではないかとも思われる。

切符を取り返した後、タクシーの運転手から、あまり人を信用しすぎてはならないという忠告を受けた。気のいいタクシー運転手であり、会話を楽しみながら目的地のピザ屋に着いた。「ここで待っていますよ」と運転手は笑顔で私に言ったが、さっきの件があるため、スーツケースごと逃走されることを依然として恐れる自分がいたのは確かである。

ピザ屋の前で停止しているタクシーの存在を逐一確認しながら、ピザ屋の店員に鍵のことを伝える。そうすると、

店員A「鍵?何のことですか?」

「不動産会社から連絡が入っていると思うのですが、私の新居の鍵を受け取りに来ました。」

店員A「そんなことは聞いてないのですが・・・。ちょっと他の店員に確認してみますね。」

店員B「鍵?そんなの知りませんね。もしかしたら、この店の店主である父なら知っているかもしれませんが、あいにくその父も今店にいないんですよ。」

「いや、鍵がないと困るので、お父さんに連絡してもらえますか?」

結局、店の店主にも連絡がつかず、不動産会社の住所を店員に教えた。

店員A「あぁ、この不動産会社は私たちの店のオーナーですね。それに、あなたとやり取りしていたヨス(Jos)という従業員は、すぐそこに住んでいますよ。」

「この街に来たばかりですし、タクシーを外で待たせているので、ヨスを呼んできてもらえますか?」

店員A「わかりました。少々お待ちください。」

居ても立っても居られなくなった私は、その店員と共にヨスの家へ行くことにした。しかし、家の扉を何度ノックしても何の応答もない。万事休すかと思った。しばらくドアを叩くと、中からパジャマ姿の青年が出てきた。

ヨス:「どうしましたか?」

店員A「この方が新居の鍵を受け取りたいと言っているのですが・・・」

二人のやり取りがオランダ語でなされる。

ヨス:「おぉ、加藤さんですね!(Oh, Mr. Kato!)申し訳ありません、他の従業員に鍵のことを伝えていたのですが、どうやら忘れていたようですね。今から会社に鍵を取りに行きましょう。家まで車で送っていきますよ。いや〜、加藤さん、ラッキーでしたね。というのも、私はこれから外出しようと思っていたところだったんです。」

2016年8月1日という日は、私にとって本当にラッキーな日なのかどうか、後日冷静な頭で検証をしてみたいと強く思った。ヨスのあっけらかんとしたやり取りに、鍵をピザ屋に置き忘れたことに対して私は怒るわけでもなく、彼の車に乗って近くにある不動産会社に駆けつけた。

オランダで流行っているらしいポップな曲が車内に鳴り渡る。ヨスとは不動産会社に到着するまでの車の中でいろいろと話をした。一番面白かったのは、「加藤さん、私は今はパジャマを着ていますが、いつもは違いますよ(笑)。加藤さんみたいなスーツをちゃんと着ているんです。なんせ、顧客第一ですから!」

ヨスのこの力強い発言には、二重三重の意味で笑った。幻聴が聞こえ、子連れの父親を追いかけて疲労がピークに来ていたが、ヨスとの会話でそんな疲労が吹き飛んだように感じた。

そして、不動産会社に到着した。

ヨス:「車内で待つのもあれなので、オフィスまで一緒に来てはいかがですか?」

「ええ、そうします。どのようなオフィスか興味がありますし。」

ヨス:「加藤さんの鍵をちょっと探してきますね。」

「はい、よろしくお願いします。」

無事に鍵を発見し、嬉しそうな表情を浮かべているヨスに一つ質問をしてみた。

「壁に掛かっているのは世界の主要都市の時間を示す時計ですよね。左から順番に、London, Paris, New York・・・“Tokio”って “Tokyo”のことですか?」

ヨス:「ええ、そうです。英語の “Y”表記をオランダ語では、 “I”に変換するんです。」

「へぇ〜、それは知りませんでした。(ということは、自分の名前はYohei=Ioheyになるのか?いや、人名は変換されないよな。そもそも、 “Tokio”ってアイドルグループか!)」

そんなやり取りがなされた後、私たちは不動産会社を出発し、ヨスと新居に向かう。個人的に、今回の新居も相当こだわった物件にした。とにかく自分の仕事に没頭できる最適な生活環境を求めていたのだ。

アパートの部屋には必ず浴槽がなくてはならないし、近くに公園があって、周りの環境はとにかく静かでなければならない。そして、大学まで歩いて程よい距離にあることが必要だ。そんな贅沢な条件を設けながら見つけたのが、この物件であった。

新居に近づくにつれ、綺麗な緑に囲まれた静かな住宅地が見えてきた。ヨスに聞くと、家賃の都合上、このアパートは学生では借りることができないということであった。そんな話を聞きながら周辺の景色を見渡し、この物件がいかに恵まれた生活環境を私に提供してくれるのかをしみじみ感じた。

アパートに到着後、ヨスがいろいろとアパートの設備について説明をしてくれた。そして、一緒に私の部屋に向かう。このアパートは、4階建てであり、各階に一つ部屋がある。つまり、私が住む住宅地は、合計4世帯しか入らないような建物が何棟か隣接している感じのイメージだ。

部屋は “2nd floor”と聞いていたため、てっきり二階にあるものだと思っていたが、どうやらアメリカ式ではなく、イギリス式のフロアの数え方らしい。要するに、私の部屋は日本で言う三階に当たるのだ。

ヨス:「今は、加藤さんの下には誰も住んでおらず、上の人も9月には出て行ってしまうんです。なので、いい人がいたら物件を紹介してくださいね。」

「そうなんですね。わかりました。」

ヨスとのやりとりの直後、上の階から「お父さん!こっちよ!」という女性の声が聞こえ、上を見上げると、ちょうど高校生ぐらいの若い女の子が顔を覗かせていた。

女の子「あぁ、ごめんなさい。てっきりお父さんかと思って。」

「いえいえ。今日から下の階に住むことになったYoheiです。」

女の子「غير معروفيعنيです。」

「えっ?お名前は?」

女の子「غير معروفيعنيです。」

ヨス:「 “غير معروفيعني”って言ってますよ。」

「(本当に、本当に聞き取れたのか、ヨス?!)ごめんなさい。名前の発音が難しすぎて、ちょっとわからないです。それに、実はつい先ほど日本から来たばかりで、もはや頭が働いていないんです。」

女の子「そうだったんですね(笑)。それじゃ、ゆっくり休んでくださいね。」

暗くて顔がはっきり見えなかった女の子がどこの国から来たのかわからないまま、ヨスが私の部屋のドアを開け、部屋を案内してくれた。ドアを開けた直後に目に飛び込んできた、広大なスペースの部屋と窓から見える落ちついた景色に随分ホッとした。

備え付けられたSAMSUNGの液晶テレビが見える。この8年間テレビを一切見てこなかったが、オランダ語の学習のため、これからは1日の最後に少しばかりオランダ語のテレビを視聴しようかと思う。

また、リビングに二つ、寝室に二つ飾られている絵画を見つけた時、リビングの二つの絵画を自分が持ってきたニッサン・インゲル先生の作品に取り替えることができると思って喜んだ。というのも、東京のマンションでは、インゲル先生の絵画を壁に掛けることができず、机の上に置いていたため、今回の新居で壁に掛かった先生の絵画を毎日眺めながら仕事に打ち込むことができるのはとても有り難いと思ったのだ。

一通りヨスの説明が終わると、時計は深夜の1時を過ぎていた。するとヨスから、

ヨス:「加藤さん、最後に記念撮影をしてもらっていいですか?日本から来たお客さんに誠意を表し、自分も頑張って働いているんだぞ、というところを上司に見せたいので(笑)」

「はは・・・もちろんいいですよ(苦笑)」

記念撮影が無事に済み、ヨスはご満悦な面持ちで、撮影したばかりの写真をすかさずテキストメッセージに添付して上司に送り、ヨスはご機嫌の様子で部屋を後にした。部屋に飾れた時計を見ると、深夜の1:11であった。

陽気なヨスがいなくなった後、時計の秒針だけが鳴り渡る部屋に私は独りぼっちになった。自分は孤独を求めて異国の地に来たのに、この時味わった孤独感はひどく私を不安にさせた。

望むような生活環境と日本社会から離れて独りになるということを手に入れたはずであったのに、この空虚感は一体なんだろうかと思った。

そんな矢先、誰かが私の部屋の扉を小刻みにノックする。「今度は一体なんですか?」と思った。

恐る恐る部屋の扉を開けると、そこに立っていたのは、一人のアラブ人男性だった。正直なところ、私は少しギョッとして、この次に見える景色は天国なのか地獄なのか、相手の動作から一瞬で嗅ぎとらねばならないと思った。

アラブ人男性「こんばんは。上に住んでいる娘の父です。」

「こんばんは。」

アラブ人男性「日本から来られたそうですね。長旅ご苦労様でした。」

「ありがとうございます。娘さんと一緒に住んでいるのですか?」

アラブ人男性「ええ、娘はフローニンゲン大学に通っていて、娘が心配で最初の一年間は一緒に生活をしていたんです。ですが、娘も大学二年生になるので、9月からは学生寮に引っ越すことになり、私も母国に帰ろうかと思っているんです。」

「そうだったんですね。ちなみに、どちらから来られたのですか?」

アラブ人男性「サウジアラビアからです。」

「おぉ、サウジアラビアですか。石油の国ですね(疲労困憊の頭では、これ以上気の利いた返しは不可能であった)。」

アラブ人男性「はは、そうですね、石油の国です(笑)。日本はغير معروفيعنيの国ですよね(笑)。」(申し訳ないですが、聞き取れません)

「ははは(苦笑)」

アラブ人男性「いや〜、この一年間は大変でしたよ。英語とオランダ語を話さなきゃいけませんでしたからね。ちゃんとオランダ語の勉強をしていますか?」

「いいえ、これからです。最初は英語だけで生活していく予定でしたが、やっぱりオランダ語を学んだ方がいいなと思っていたところだったんです。」

アラブ人男性「本当にそうです。いくらオランダ人が英語を流暢に話せるからと言っても、やはり彼らの母国語はオランダ語ですからね。オランダ語をしっかり勉強する必要がありますよ。」

上に住むサウジアラビア人の女の子のお父さんから親切にも挨拶をされ、またご丁寧にオランダ語に関する助言をいただいた。挨拶よりも助言よりも、早く今日という日を終わりにしたいと思ったことは、この時以外にない。

もう今日は遅いため、シャワーを簡単に済ませて早く寝ようと思っていた。シャワーの前に、洗面台で手を洗おうとしていたその時だった。水を流したら、水道管からヘドロが溢れ出し、水漏れが始まったのだ!

溢れ出すヘドロに絶句し、自分の心も身体も、そして私を取り巻く時間も凍りついたように感じた。ヘドロという音声言語を「ヘドロ」という意味言語できちんと認識できるほどに冷静さを取り戻してから、乾き切った喉を潤すために、手持ちの唯一の飲料水であったKLMの機内でもらった水を一息に飲み干した。わずか125mlの小さな容器に入れられた水が聖水のように思えた。

私たちの人生は、ヘドロと聖水という対極で構成されていることを決して忘れてはなるまい。世の中はヘドロと聖水で平等に満たされているのだ。

残りの人生において、私は2016年8月1日という日に起こった上記の一連の出来事を忘れることは決してないだろう。

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