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229. 言葉の沃野に飛び込んで


——太初(はじめ)に言葉あり——ファウスト

言葉の世界というのは実に肥沃な大地であると最近強く思う。時にあまりに広大で、特に掴み難く、その大地を歩む者を惑わせる。一方で、言葉の沃野には、私たちの心を豊かにしてくれるものが眠っていることも間違いないだろう。

構造的発達心理学の根幹原理に、「私たちは内面の成熟に応じて、言葉の捉え方や使い方が変容していく」というものがある。これはまさにそうである。私たちの意識が発達していけばいくほど、これまで捉えられなかった世界を認識できるようになり、そこに新たな意味を見出したり、新たな意味を築き上げることができるようになってくる。

しかしながら、もはやこうした説明では納得のいかない自分がいることをすでに知ってしまった。私たちは内面の成熟に応じて、確かに言葉の捉え方や使い方が変容していくというのは分かる。

しかし、それ以上のものが内面の成熟には潜んでいると思うのだ。「言葉の捉え方」や「言葉の使い方」という次元ではなく、言葉を内側から生み出すそのあり方そのものの変容、「言葉」とそれを生み出す「経験」の同時的な変容と言ってもいいだろうか。

本来、言葉というのは自己の経験と密接に結びついていなければならないと思う。そもそも、自己の経験と結びついていない言葉には、言葉としての力はないだろう。正気と活気を持つ言葉には、必ず経験が密に込められている。

そこで私は、自分を捕らえて止まない言葉の起源へ遡ってみたいと思った。例えば、「成長」「発達」「成熟」「時間」というのは私を惹きつけて止まない言葉であり、それらの言葉を最初に生み出した人物の内側の経験はいかなるものであり、いかほどのものであったのかを辿ってみたいと思ったのだ。

そして、単にそれらを遡るのではなく、私自身の経験を通してそれらの言葉の起源を辿ることによって、何か普遍的なものを獲得することができるのではないかと思っている。あるいは、それらの言葉が持つ本源的なものを回復することにつながるのではないかと思うのだ。

そのためには、自らの経験をかけてそれらの言葉を内側から捉え直す必要があると思った。

私たちの内面はよく宇宙に喩えられる。仮に私たちの内面が宇宙空間のようなものであるとしたら、私たちの経験は、私たちが住む地球のような存在なのかもしれない。そして、経験という地球の中に、言葉という肥沃な大地が生まれるのかもしれない。

そうだとするならば、内面の成熟(意識の発達)というのは、地球を取り巻く宇宙空間の質的な変容に他ならないのではないだろうか。この変容を持ってして、私たちの経験と言葉にも変容が起こるのだろう。

私はあえて経験の変容と言葉の変容を分けて、自分の中で生じるそれら二つの変容過程を観察し、探求していきたいと思うのだ。仮に内面宇宙というものが人知を超えたものであるならば、そして経験という地球すらも自分を超えたものであるならば、自分が用いる言葉という肥沃な大地から探求を始めたい。

言葉を探り、言葉を生み出す経験にまで徐々に降りていく。言葉の探求によって経験に光を当て、光の当てられた経験はまた新しい言葉を生み出す。この探求の先に、経験と言葉を生み出す人知を超えた存在に辿り着くのではないかいう気持ちを胸に秘めている。

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