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44. プラトン→カント→チョムスキーへと受け継がれる静的構造主義の系譜


これまでの記事で、心の発達に関する生得論的アプローチと経験論的アプローチの議論について見てきました。デカルト的発想に縛られた両者のアプローチは、本来動的であるはずの心の構造を静的なものとみなしています。

丹念に文献調査をおこなってみると、両者のアプローチはデカルト以前、古代ギリシャのプラトンまで思想起源を遡ることができます。プラトンは、イデア論で有名なように、私たちの心とは独立したところに事物の本質が存在すると主張しています。

つまり、プラトンの思想において、私たちが抱く概念や思考の類いは、全て事物の本質の虚像にすぎないとされています。プラトンは、事物の本質は物質世界と独立したところに存在し、私たちは学習や成熟に伴って、事物の本質を想起する(思い出す)と考えています。

プラトンの思想潮流を汲み、その後18世紀にカントが登場しました。カントは、哲学者として有名ですが、モラルの発達を考察した発達論者でもあり、私たちは内在的な認知構造を備えて生まれてくると主張しています。つまり、カントは、私たちが経験に意味を与える心の構造の存在を指摘していたのです。

そして現代に時間軸を移すと、ノーム・チョムスキーやジェリー・フォーダーなどが静的な認知構造について言及しています。彼らは、特に私たちの言語構造に焦点を当てており、それを「モジュール」と呼んでいます。彼らの思想において、モジュールは言語習得パターンを規定し、それは生得的に私たちに備わっていると主張されています。

生得論者、経験論者、上記の思想家にせよ、人間の心の本質的な構造を静的なものとみなしていることに変わりはありません。確かに、現代の発達理論のフィールドにおいて、それらの理論的枠組みを再考・修正する試みがなされているのは確かです。しかしながら、それらの試みの多くはデカルト的な二元論の範疇に留まっています。

心の構造を静的なものとみなす上記のようなパラダイムは、私たちの思考や行動が内包する可変性を説明することができません。これまで見てきたように、2000年に及ぶ西欧哲学の伝統的系譜に縛られた発達思想が、なぜ可変性を説明することに失敗したのかを理解すると、動的構造主義が果たす役割が自ずと浮かび上がってくると思います。

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