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11060-11067: フローニンゲンからの便り 2023年10月9日(月)



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タイトル一覧

11060. フラットランド問題を孕む日本のシロシビン研究

11061. 今朝方の夢

11062. サイケデリクスを網羅的に学ぶこと・体験すること/サイケデリクスの実験室での合成の見学

11063. 日本固有の「幻覚恐怖症」という文化的病理現象の治癒·変容に向けて

11064. サイケデリクスの解禁に対する態度/ボストン大学のマーシュ礼拝堂への訪問に想いを馳せて

11065. サイケデリクスと政治

11066. トレーニングの知識・技術とサイケデリクス の知識・技術

11067. 揺らぎと共にあること/「ボディ·マインド·メディスン」としてのサイケデリクス/地球上で一番サイケデリクスに関する学術書を購入した人間の可能性


11060. フラットランド問題を孕む日本のシロシビン研究


時刻は午前5時半を迎えた。今日からまた新たな週が始まった。今週もまた自分は新しいことを様々に学ぶだろう。大いなる学びに大きく開かれた自己がここにいる。今週の学びを楽しみにしながら、今日もまた旺盛な探究活動をしていこう。


先ほどゼミナールのある受講生の方が、ご自身のゼミで日本でのシロシビン研究について非常に重要な問題意識を提起しておられた。何やら日本にもシロシビンを研究している研究者がいるとのことで、シロシビンがもたらす通称「幻覚(内的ビジョン)」作用と抗うつ作用を分離させる研究に従事しているとのことだった。その研究は大いに意味があるなと思ったが、その論調はどうやら幻覚は怖くて危ないものという前提条件があり、そこから幻覚作用と抗うつ作用を分けるような研究がなされているとのことだった。インペリアル·カレッジ·ロンドンを含め、シロシビンをうつ病患者に適用しているドキュメンタリーや論文を見てもわかるように、幻覚と呼ばれる内的ビジョンそのものがうつ病の治癒に果たす役割を蔑ろにしてはいけないと思う。仮に内的ビジョンの作用と抗うつ作用を分離させることに成功できた場合、分離された抗うつ作用とすでにある抗うつ剤の作用とでは何が違うのだろうか。仮にそこに違いがあったとしても、結局のところ抗うつ作用というセロトニンへの働きかけで鬱を治そうとするというのは物質主義的なアプローチに留まり、本来鬱というのは心の問題であるから、心そのものに働きかけなければならないのである。 残念ながら日本で行われているシロシビン研究は、ウィルバーが言うところの還元主義的なアプローチであり、物質的な脳にしか注目をせず、鬱の症状に対して働きかけようとしているだけで、鬱そのものを生じさせている心の問題に注目していないものに映る。


また、1960年代の前半の「ハーバード·シロシビン·プロジェクト」とそれを引き継いだジョンズ·ホプキンス大学のシロシビン研究が示すように、内的ビジョンによって生と死の意味に関する深い洞察やそれが霊性発達の契機になっている被験者がいることを考えてみた場合に、シロシビンから内的ビジョンを分離させ、シロシビンが本来持つ脳というボディに対する働きかけだけではなく、マインドやソウルへの働きかけをもたらす効果を骨抜きにしてしまうことには問題があるように思う。私たちが内的ビジョンからどれだけ学びを得て、内的ビジョンからどれだけ癒しを得ることか。自分自身が内的ビジョンの意義や価値についてもさらに研究していきたいという思いが高まり、その情報発信をしていきたいと強く思った。フローニンゲン:2023/10/9(月)05:48


11061. 今朝方の夢


静けさと肌寒さに包まれた朝。時刻は間も無く午前6時を迎えようとしているが、辺りは闇に包まれたままである。そんな中、いつものように今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、近所の山や野原で取れた薬草を元にして薬を作っていた。その薬はタブレット状のものではなく、液体のお茶のような姿をしていた。自分の周りには癒しを求めている人がたくさんいて、現代は残念ながら人間の心が病んでしまうような文化と社会システムが蔓延している。そんな中、問題を生んでいる文化や社会システムへの働きかけもしていきながら、同時に足下では癒しを求めている人に癒しを届けるということを自分は行っていた。嬉しいことに、自分が作った薬草のお茶で治癒が実現された人たちは自分の仲間になってくれ、巨大な病理的文化と社会システムの変容に向けて実践を共にしてくれるという流れが生まれた。それに感謝しながら、ここから地道な活動を続けていけば、社会が少しずつ暮らしやすい場になっていくのではないかという希望を感じていた。


そのような場面があった後、中学校時代の部活動の顧問かつ理科の先生が、部活の前にキャプテンの私を理科室に呼び出した。何か怒られるようなことでもしたかなと少し不安があったが、理科室についてみると、先生が大きなホワイトボードに今日の部活から導入するいくつかの工夫について書いている途中だった。先生は私に気づくと笑顔になり、早速、ホワイトボードに書かれた内容について説明を始めた。どうやら大きな大会に向けて、ここからは仲間意識をより育んでいく必要があるらしく、そのための工夫としてこのようなことができるということを先生はいくつか説明してくれた。正直なところ、先生が提示した案はかなり複雑で、自分は理解できたとしても、他のメンバーや後輩が理解できるかどうかは非常に怪しかった。なので私は先生の説明を全て聞いた上で、実際に現場でその案を採用する際には簡略化したものにしようと思った。でなければメンバーがそれを実行できないばかりか、そのことが頭にあって練習の妨げになってしまうと思ったのだ。そのような場面があった。


それともう1つ覚えているのは、複数の見知らぬ若い日本人女性と旅館の畳部屋で話をしていた場面だ。最初は男性は私しかいなかったが、後に中年の男性が数人部屋に入ってきた。すると、先ほどまで私とは楽しげに話をしていた彼女たちの表情が変わり、中年男性たちが部屋に入ってくると不機嫌そうな表情に変わった。私もその中年男性たちからは負のエネルギーを感じ、部屋を出たいと思うような気分になっていた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/10/9(月)06:06


11062. サイケデリクスを網羅的に学ぶこと・体験すること/

サイケデリクスの実験室での合成の見学


時刻は午前7時半を迎え、ようやく空がダークブルーに変わり始めた。日の出はすっかり遅くなり、午前8時でもまだ薄暗い状況である。そんな中、小鳥たちがさえずりを上げ始め、彼らの鳴き声に癒されている。


確かに主要なサイケデリクスはいくつかの分類ができるが、それでもその人の目的や特性に応じた形で何を摂取していくのかを決めていく必要がある。サイケデリクスはファーマコンであり、目的·環境·服用量を誤ると、毒薬になりかねず、逆に言えばそれらに気をつければ良薬になり得る。何が自分にとっての良薬になり得るかはそれぞれのサイケデリクスについて知識を深める必要があり、可能であればそれらが合法の国でそれを一度摂取してみて、知識と体験を元に今後の自分にどのようなタイミングで何が必要になるのかを判断していくことは推奨される。ある程度様々なサイケデリクスを体験していないと、それらが自分の心身とどのように左右するのかがわからず、本来自分にふさわしいサイケデリクスを選ぶことなく、あまり好ましくないものを摂取し続けてしまうという事態も招きかねない。とりわけセロトニン系やトリプタミン系のサイケデリクスを初めて摂取した場合、往々にして最初の体験があまりにも強烈であることから、それを過度に好んだり、過度に拒否したりすることが起こりかねない。それも含め、網羅的にサイケデリクスについて学びながら、同時に規制に則った形である程度の種類のサイケデリクスを一度試してみてみることは重要な実践になるだろう。おそらくこうした実践指南を表立ってしている人はあまりいないだろうが、自分のこれまでの体験上、そうした指南が早いうちにあればサイケデリクスについての知識も体験もより豊かになり、その瞬間の自分にふさわしいものが選べていたであろうという思いがあるからそのようなことをここで書き留めている。


その他に考えていたこととして、今度再び大学機関に戻ったら、その大学でサイケデリクスを実験室で合成していたら具体的にどのような形で合成が行われているのかを一度見学させてもらおうと思う。その様子を見学することはまた何かの役に立つだろう。ハーバードのメディカルスクールでシロシビンの臨床実験が行われており、メディカルスクールが自前でシロシビンを合成してカプセルを作っているのであれば、その工程を見学させてもらおう。実際のところはシロシビンのカプセルを作るのは難しくなく、乾燥させたシロシビン・マッシュルームを粉状にして、それを口や胃のなかで溶けるカプセルに詰めるだけである。なので実際に自分が見たいのはLSDやMDMAの合成の現場である。もしかしたら、サイケデリクスの読書会を主催しているジェフリーやポールがこのあたりの事情に詳しいかもしれず、彼らの読書会の課外イベントとしてメディカルスクール見学を提案したいと思う。それは別にハーバード大学ではなく、サイケデリクスの科学について研究しているカナダのオタワ大学でも同様のことができるかもしれない。とにかく現場を見ること。体験を積んでいくこと。それに勝る学びはなく、学術書や論文の学びに加えて身体的直接体験をとにかく大切にしたい。フローニンゲン:2023/10/9(月)07:41


11063. 日本固有の「幻覚恐怖症」という文化的病理現象の治癒·変容に向けて


目の前に無いものが見えるという物理次元における幻覚と、目を閉じて意識の世界の中に生起する内的ビジョンの問題が色濃く見える。今朝方に書いた日本のシロシビン研究に関する言説を見ていると、それらの混同と、まるで「幻覚恐怖症」とでも言えるかのような症状が見え隠れしている。そもそも私たちには心の中で目には見えないものを想像するという力があり、そして基本的には毎晩大抵の人は何かしらの夢を見ている。目には見えないものを想像する時に、そして夢を見る時に活用されているのがまさに私たちに内在する内的ビジョンを知覚する力である。目には見えないものに関して言えば、例えば抽象的な数学の方程式を操作することもまたその力の恩恵なのである。そう考えてみた時に、日本で見受けられる幻覚恐怖症とでも言えるような症状はどこからやって来たのだろうか。確かにサイケデリクス·セッションにおいてはおどろおどろしいビジョンが知覚されることがあるが、それは自分の無意識のシャドーを投影したものであり、それを直視し、向き合うからこそ深い心の治癒が得られるのだということは古くはフロイトやユングが指摘していることであるし、心理療法の原理でもある。そしておどろおどろしいビジョンとは対極的な光のビジョンに関して言えば、それは私たちのさらなる実存的·霊的発達を促すものになる。また、かつてLSDが世界的に合法だった時代においては、ノーベル賞受賞者が軒並みLSDの摂取による知覚ビジョンに着想を得て科学研究を進めていたことからも、内的ビジョンには実に様々な役割と価値があるのである。そうした役割と価値に注目せず、それを悪いものだと括ってしまうことは、たらいの水と赤子を一緒に流すようなものであり、ひどく限定的な発想である。欧米のサイケデリクス研究者やサイケデリクスの摂取者においては、「幻覚恐怖症」と形容できるような内的ビジョンに対する過度な恐れは社会的に蔓延しておらず、それは日本で強く見られる1つの文化現象であるように思える。こうした文化現象に対しても働きかけをしていかなければならない。仮に恐怖を感じさせる内的ビジョンであっても、それは自分の無意識の投影であり、そうしたものから目を背けている限りはシャドーは癒されていかないのである。人々のサイケデリクスリテラシーを高める活動を通じて少しずつ日本固有の幻覚恐怖症という文化的病理現象を治癒·変容させていきたいと思う。そしてそれは、しばしばサイケデリクスによる感覚拡張によって引き起こされる幻聴と呼ばれる現象に対しても全く同じことが当てはまる。それは通常意識と通常感覚では聞き取れなかった音が聞き取れるようになるという、本来人間に備わっている聴覚機能の潜在能力が発揮される形で環境音や内的音が増幅される現象であるため、これもまた何か恐怖を覚えるような現象では本来ないのだ。どうやら現代人の多くは、眠っている自分の能力が目覚めることを恐れる性質を持っているようである。逆に言えば、潜在能力を抑圧される形で飼い慣らされているとも言える。フローニンゲン:2023/10/9(月)08:12


11064. サイケデリクスの解禁に対する態度/

ボストン大学のマーシュ礼拝堂への訪問に想いを馳せて


今朝は体感として相当に冷えている。冷たい小雨も先ほど降っていて、なおその寒さを助長させている。そうした寒さを受けて、今日から上だけではなく下もヒートテックを着用することになった。おそらく朝から1日を通して湯たんぽにお世話になるのももう間近だろう。


自分はサイケデリクスの研究に毎日従事しているが、その摂取は明確な目的を持ったときだけである。しかも現在においてはシロシビン·マッシュルーム以外に摂取する動機はほとんどない。自分の関心事項や内側の要求事項としては、今の自分にはその他のサイケデリクスは必要ない。オランダではシロシビンだけではなくカンナビスも合法で、レクリエーション目的でも活用して問題なのだが、自分はそうした形では両者を摂取しない。あくまでも学術研究目的か実存性· 霊性涵養目的での摂取しかしないようにしている。このこととサイケデリクスの解禁に向けての態度は矛盾しない。自分が精神を活性化さえるTHCカンナビスを積極的に摂取しないことを持ってして、その解禁に反対するかというとそうではなく、科学的な研究に基づいて、THCカンナビスが必要な病気を持っている人にそれが届くように働きかけていくことを大切にしたい。自分にとって必要ではないものが他の人にとっては必要ということが往々にしてあることを忘れてはならない。サイケデリクスの種類は多く、この学問·実践分野は無限の広さを持つゆえに、自分が研究対象·摂取対象とするサイケデリクス以外についても客観的な観点での研究を続けていき、それによって救われる人にそれが届くように運動していくことはこれからの自分に求められることかと思う。寒さを感じる朝の世界の中でそのようなことを考えていた。


今月末にボストン旅行をする際に、ぜひとも足を運んでみたい場所があることに気づいた。ティモシー·リアリーを指導教官に持ち、当時ハーバード大学の博士課程に在籍していたウォルター·パンケが1962年にシロシビンを用いた「聖金曜日の実験」を行ったボストン大学のマーシュ礼拝堂にぜひ足を運んでみたいと思う。その地で何を感じるのかには大変関心がある。自分もまたハーバードのシロシビン研究の歴史を受け継いでその地でその研究に従事することになるのだろうか。そうなれば運命の導きとしか言いようがない。フローニンゲン:2023/10/9(月)09:33


11065. サイケデリクスと政治


「サイケデリック薬」という新たな精神薬理学領域としてサイケデリクスが議論されている。実際のところ、1960年代から70年代にかけては、精神薬理学の研究においてサイケデリクスは注目の的であり、研究も盛んであった。そこから各国の政治的な圧力によってサイケデリクスは居場所を追われ、サイケデリクス研究も日陰を見るようになった。そこから時を経て、サイケデリクス·ルネサンスが勃興したことを通じて、今再びサイケデリクスの精神薬理学的な研究が盛んに行われ始めている。そして精神薬理学の領域に留まらず、神経科学や哲学の領域、さらには神学の領域においても研究が進み始めている。そうした様子を見ていると、60年前とはサイケデリクスを取り巻く状況が随分と異なることを思う。ここから期待するべきことは、サイケデリクスに関する方格的な学問研究が進み、再び政治によってそれが潰されてしまわないことである。自分の研究と実践は、サイケデリクス·ルネサンスの運動をさらに健全な形で推し進め、サイケデリクスを必要とするしかるべき人にそれが届き、健全な使用法でその効果を十全に享受してもらうことである。


サイケデリクスと政治は非常に強固な結びつきをしていたことが昨日読んでいた書籍からも明らかであり、それ以外にもすでに10冊ほど読んだサイケデリクスと政治に関する書籍からも明らかである。サイケデリクスを健全に社会に根付かせていくためには、政治についての深い理解は不可欠であり、政治に関するビッグピクチャーを獲得していかなければならない。そうした大局観がない状態ではサイケデリクスが健全な形で社会に普及していくことは実現され得ないであろう。そうした考えから、常にサイケデリクスを取り巻く法規制の動向と政治動向をチェックしていきたいと思う。フローニンゲン:2023/10/9(月)10:35


11066. トレーニングの知識・技術とサイケデリクス の知識・技術


時刻は午後5時を迎えた。先ほどジムと買い物から帰ってきて、シャワーを浴びてさっぱりして今に至る。しばし日記を執筆し、少し落ち着いたら夕食の準備に取り掛かろう。


今日はパーソナルトレーニングの日で、前回のパーソナルトレーニングから新しいマシーンを使い始めて大変充実したトレーニングができている。今日のメニューは前回と大半が重なっていたが、そのおかげでそれらの正しい動きを再確認することができた。トレーナーのエリーザとの雑談は色々と気づきをもたらしてくれる。今日はオランダ人男性が実はオープンなのだが、意外と人に質問せず自分でなんでもやろうとする性質を持っているらしいことを聞いた。また、見知らぬ女性とのやり取りであまりにフランク過ぎる言動を時にすることがあるらしく、新しく入ってきたインターンの20歳そこそこの若いオランダ人男性がエリーザや他の女性トレーナーにいきなり馴れ馴れしい言葉を掛けてきて驚いたと笑っていた。その話を聞いて、いくらオープンなオランダと言えど、見知らぬ人に話しかける際には丁寧な態度で接しようと思ったが、そのあたりは日本人の性質が功を奏し、あまり心配する必要はないかもしれないとも思った。


今日のトレーニングの中での最大の気づきは、トレーニングの内容そのものというよりも、エリーザとの会話の中で、ジムでトレーニングをしている人たちがそれぞれ違うメニューで違うようにトレーニングしていることから得られたものだった。トレーナーのエリーザから見れば、実は多くの人たちがマシーンや器具を正確に使っておらず、筋肉にうまく利かせられていないということは以前から聞いていた。毎週エリーザとパーソナルトレーニングを行うことを通じて、どうやったら筋肉に利かせられるのかが自分なりに掴めてきて、その目で他のトレーニングをしている人たちを見ると、確かに動きがいまいちのように見えることが多々ある。そこから何を思ったかというと、これはどの領域においても当てはまることであり、とりわけサイケデリクスの摂取において当てはまる注意事項かと思った。端的には、サイケデリクスを摂取する際にも深い知識と技術が必要であり、体験から何を得て、それをどのように自分の成長の糧にするのかにはノウハウがあるのだ。そうしたノウハウを置き去りにし、知識と技術を深めていくことをなおざりにしていると、サイケデリクスの摂取は自らの治癒や変容につながらず、成長を促すことにはならないと思ったのである。ジムでのトレーニングはこうして他の領域に関する気づきをもたらしてくれる最良の機会であり、同時に全ての学びや気づきがサイケデリクスに関する事柄に収斂していくことが興味深い。それだけサイケデリクスは今の自分に最大の関心事項であり、関心のアトラクターなのである。そのようなことを思ったトレーニングだった。フローニンゲン:2023/10/9(月)17:28


11067. 揺らぎと共にあること/「ボディ·マインド·メディスン」としてのサイケデリクス/地球上で一番サイケデリクスに関する学術書を購入した人間の可能性


揺らぎと共にあること。揺らぎと共にある人が、一体どうして揺らぎに翻弄されようか。揺らぎと一体となれば、揺らぐことに恐れることはない。揺らぎを楽しむこと。揺らぎは私たちに成長をもたらす。揺らぎそのものとして存在することは、絶え間なく変化し成長する存在と化すことである。


今日の午前中のサイケデリクス研究を通じて、つくづくサイケデリクス は「ボディ·マインド·メディスン」であることを思った。それは心身の双方に働きかける薬としての力を持つ。存在の入れ子の観点及びサイケデリクスがもたらす超越的な体験から言えば、それはボディとマインドだけではなく、ソウルとスピリットにまで働きかける。ゆえに現代医学的な対処療法的な薬とは違い、深い治癒を私たちにもたらしてくれるのである。現代医学では原因不明な病に苦しんでいる人や、医者から見放されてしまった人たちを救う道としてサイケデリクスが存在していることを日本社会に伝え、日本社会での規制がなかなか変わらなくても、サイケデリクスを医療目的で摂取することができる国や場所を紹介していくこと。日本の規制を変えていくことにも尽力していきながら、足下ではそのような情報発信も積極的にしていこうと思う。それで少しでも救われる人がいるのであれ本望である。


ジムからの帰り道、今日もまた玩具屋に立ち寄って書籍を受け取った。もう全ての玩具屋の店員が自分の名前を知っていて、何の本を大量に購入しているかを知っている。そしてさらには私が日本人であることを知って、日本語の挨拶ができるようになっている店員が数人ほどいるのは大変微笑ましい。今日はティムと中年の女性が対応をしてくれ、女性の店員が私に、「今日はたった1冊なの?」と笑いながら聞いてきた。そうだと答えると、一体何冊の書籍を購入したのかを尋ねてきたので、この2ヶ月で合計300冊を超える学術書を注文したことを伝えると、その女性は驚いていた。しかもそれは別の大学の博士課程の論文執筆目的でもなんでもなく、自腹で自分の探究欲を満たすためのものだということを伝えると、尚更驚いていた。そこからふと冷静になって考えてみると、この2ヶ月間においてサイケデリクスの学術書を300冊以上購入した人間はこの世にいないかもしれないと思った。ひょっとしたら、地球上で一番サイケデリクスに関する学術書を購入した人間なのではないかと思ったのである。そのように思ったらまたしても笑いが込み上げてきて、幸せな気持ちになって自宅に到着した。今夜もまだ時間があるので、夕食後には再びサイケデリクス関係の学術書を読み進めていきたい。フローニンゲン:2023/10/9(月)17:40


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