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10655-10659: フローニンゲンからの便り 2023年7月28日(金)



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成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

10655. 今朝方の夢

10656. 味わうものと味わわれるものとの完全なる一致

10657. 本質震撼/開かれたままある問い

10658. エピソードと自己と世界/自己と世界の音楽性/巨大な生成時空間としての自己/綴ること

10659. 箏の稽古(79):『花は咲く』を練習し始めて


10655. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今、2種類の小鳥が鳴く声が聞こえてくる。昨日と同じく今朝方も曇っていて、雨は降っていないが、小雨を降らすような雲が空を覆っている。今の気温は18度とそれほど低くなく、日中は23度ぐらいまで気温が上がるようなので肌寒さを感じることはないのではないかと思う。今年の夏は相当に涼しく、冷夏であり、同時に雨が多いことも特徴的だ。もちろん一日中雨が降ることは滅多にないのだが、ここからの1週間を見ても雨マークがずっと付されていて、1日のどこかには必ず雨が降るような日々が続く。引き続き涼しさに満ちたこの町でひっそりと自分の取り組みに従事し続けていこうと思う。


昨日は、「成人発達コラボラジオ」の収録を長時間行っていた。今日もまた昨日収録したうちの1本を公開しようと思う。ここまで初速を早くして収録を重ねてきたので、その力を借りながらここからは当初の予定通り、水曜日と日曜日にそれぞれ1本ずつ収録する流れでいきたい。しばらく週に2回の収録をして、様子を見て週1回にすることもどこかのタイミングであるかもしれない。いずれにせよ、水曜日にはラジオのパーソナリティー同士でお互いのこの1週間の学びや実践を振り返り、日曜日は土曜日のゼミナールの内容をもとに話をしたり、ゲストを呼んだりしたいと思う。このコラボラジオも焦らずゆっくりと回を重ねていきたいと思う。


今朝方の夢についていつものように振り返っている。夢の中で私は、見知らぬ外国の街で銀行のATMを利用しようとしていた。そのATMは、自分の取引先銀行のものではなかったが、日本円で5万円までを午後5時までに下ろすのであれば、手数料は無料とのことだった。友人との食事で現金が必要だったので、5万円以下の金額を下そうとしていた自分にとっては有り難く、午後5時まで残り3分だったので、すぐさまお金を下ろした。


無事にお金を下ろした後に、大学時代の友人(TY)と合流して、彼と一緒に彼が勧めるカレー屋に入った。時刻は夕方だったが、まだランチメニューが提供されおり、私たちはそこの店で一番お勧めの具沢山のカレーとサラダを注文した。私はサラダに関しては大きいものにするか、小さいものにするか迷ったが、大きいものは2,500円ぐらいしたので、それは1人用ではないと判断し、小さいものを注文した。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/7/28(金)06:50


10656. 味わうものと味わわれるものとの完全なる一致


静かだ。とても静かだ。静けさの世界の中に、静けさの中心点があるような気がして、そこに吸い込まれていきそうな感覚である。


鳩がホーホーと鳴き声を上げている。それは平穏さを象徴している。この世界がもっと平穏さで満たされてくれればいいのにという願いが込み上げる。


時刻は午前8時を迎えた。先ほどモーニングコーヒーを自分の手で淹れ、それをじっくり味わっている。自己は世界を味わうために存在している。生とは世界を味わうことなのだ。世界は味わわれるために自分のために存在してくれていて、その思いに応えるかのようにして、自分はいかなる瞬間も最大限にその瞬間に顕現している世界を味わっている。願わくば、この味わいの感覚を超えて、世界そのものと同一化したいと思う。おそらくそこには発達プロセスがあるのだろう。つまり、まずはこの世界が味わわれる対象として存在しているという自覚と、自己は世界を味わう主体として存在しているという自覚が必要で、生というのは世界を味わうことを本義にしているということに目覚める必要がある。そこから味わいのプロセスはフェーズアウトしていき、いつの日か、味わうものと味わわれるものとの区別がなくなり、味わうことと味わわれることは完全なる合一を果たす。自己と世界が最も深い部分で出会うというのはそういうことなのではないだろうか。自己というのもまた本来1つの世界なのであり、大きな世界の内側にいるのだから、自己と世界の区別は作為的なものなのだ。そうした作為性を超えていき、世界と合一を果たすこと。自己は今、その道を着実に歩んでいる。フローニンゲン:2023/7/28(金)08:13


10657. 本質震撼/開かれたままある問い


トーマス·マンの名作『ブッデンブローク家の人々』のように、凝縮された短編の集積体として大きな形を残していくこと。それはこの日記の執筆然り、論文や書籍の執筆然り、作曲実践然りである。全ての創造的な営みを、その瞬間の自己が十全に顕現した短編の集積行為として従事していくこと。ただそれだけを求める。


自分の全ての創作物が徐々に形になり、大きなものになっていく過程こそ、自らの成長·発達過程に他ならない。そこには有機的な歩みと有機的な膨らみがあるのだ。


瑠璃色の小鳥が瑠璃色な現実世界の中に溶け帰ってゆく。自己もまたそうした存在なのだろうか。瑠璃色の空と瑠璃色の大海。自己はそうした空であり、海である。自己は空と海に帰っていく。自己の存在は空海。空海性がそこにある。弘法大師空海もまた自分の中に生き続けている。


自己の成熟にとって必要な振動は、この世界の深部に触れ、世界そのものに飲まれたときに起こる。世界は振動の権化なのだ。その権化に深層的に触れることができた時、自己は成熟にとって本当に必要な振動を得る。それ以外の振動は、単なるエゴの埃を払う程度のものでしかないと自覚するべきだ。


忘我からの本質震撼。そうした震撼が自己の本質的な進化を導く。


開かれたままある問い。それをこそ大切にする。問いを閉じるのではなく、問いは開かれたままでいることを通じて初めていつか答えを得る。問いにはそうした開かれが不可欠なのだ。


そよ風の音、鳩の鳴き声に耳を傾けている。こうして外的世界について描写することを通じて、自己は自己そのものを描写していることに気づく。外的世界を切り取って描写する角度は無数にある。その中である少数のものを選んでそれを描写する時、それは自己の内側の何かしらの側面を表している。自己に共鳴し、自己に選ばれたものだけが記述としての形を取るのだから。


真に何かを味わうことは、やはり味わう対象に留まるのではなく、味わう対象と自己を超えていくことなのだと思う。味わう対象に留まるというのは初期のプロセスにおいて生じる現象で、真に何かを味わうというのは、味わう主体も味わわれる客体も超越していかなければならない。今という時を真に味わう自己は、確かにこの時を超越している。フローニンゲン:2023/7/28(金)08:44


10658. エピソードと自己と世界/自己と世界の音楽性/巨大な生成時空間としての自己/

綴ること


エピソードとしての世界の中で、自己はエピソードとして生きている。そして、自己はエピソードを紡ぎ出す。世界を見て、聞いて、語るというのは、世界というエピソードから自分のエピソードを汲み取ることに他ならない。エピソードの表出が自分の創作行為の根元にあることを知る。


存在が沐浴する一瞬に一音が対応している。自己はそうした瞬間瞬間に紐づいた一回限りの固有の音を通じて自己を成り立たせ、自己を顕現させる。自己が音楽的ということの意味はそうしたところにあるのだろう。こうして綴っている日記の一つ一つの言葉もまた、この瞬間に紐づいた音の表出である。自己も世界も音楽を絶えず奏でていて、両者は共に音楽を通じて千変万化している。


自己は誕生から死にかけて顕現する巨大な生成空間として存在している。それは絶えず生成され、高みに向かって歩みを進める空間なのだ。さらにはそこに時間性も見出せることから、自己は誕生から死にかけて顕現する巨大な生成時間とも呼べるだろう。自己が永遠の生成時空間であったこと。その自覚は大きな意味を持つだろうし、それは今後の自らの歩みの下支えになるに違いないという確信がある。それほどまでにその気づきは、自己の絶対的な安心基盤としての役割を果たそうとしてくれている。


深く生きるための手がかりとして綴り続けること。自分にとって日記を綴るというのはそういう意味を持っているのかもしれない。絶えず生成する時空間の歩んだ道を形に残しておくという意味に加えて、自己がさらに十全に輝くように、そして今という瞬間の輝きを残しておくために綴るという行為があるように思えてくる。いつかここで綴られたものを振り返る日が来た時、そこに自分は考古学的な何かを見出すだろう。フローニンゲン:2023/7/28(金)09:17


10659. 箏の稽古(79):『花は咲く』を練習し始めて


時刻は午後2時半を迎えた。今、箏のオンラインレッスンを終えた。今日のレッスンでは、前回取り上げた『ラインオンハート』で自分が苦戦している2箇所について先生から助言をいただき、それらの箇所が随分と演奏しやすくなった。そこからまた別の曲に移ったのだが、その曲には歌がないので難しく感じ、曲のイメージも湧きづらかったので、調を変えて『花は咲く』を練習することにした。この曲は2012年に東日本大震災のチャリティー·ソングとして作られたもので、自分にとっても思い入れのある曲である。ここからはこの曲を練習していく。この曲の演奏の際には、全体として歌に合わせて強弱を付けていくことを意識していく良いと先生に助言していただいた。Youtubeを参照し、サビ以外の箇所のメロディーを確認しておきたいと思う。この曲に以外にも自分の思い出の曲とも言える3曲を先生の方から楽譜を送ってくださるとのことなので、それらの曲も次回のレッスンに向けて自分なりに演奏をしておきたいと思う。それでは部屋の掃除をしてボチボチ買い物に出かけてこようと思う。フローニンゲン:2023/7/28(金)14:42

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