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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12646-12651:2024年5月7日(火)




⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12646. 食事と活字のファスティングを兼ねたこれからのシロシビン・セッション

12647. 今朝方の夢

12648. 今朝方の夢の続き

12649. 夢の中に現れたジュゴンが意味する事柄

12650. 禅と一線を画す唯識学の瞑想実践/心の成長実践の持続可能性

12651. 単元別の文献読解を始めて


12646. 食事と活字のファスティングを兼ねたこれからのシロシビン・セッション   

     

時刻は午前5時を迎えた。今朝方は午前4時半に起床したのだが、その時にはもう小鳥たちが鳴き声を上げていた。今も種類が異なる数羽の小鳥たちが鳴き声を奏で合っている。彼らが生み出す合唱に耳を傾けながら、ダークブルーに変わり始めた空を眺めている。時刻はまだ午前5時だが、随分と日の出が早くなったものである。この時間帯から空がダークブルーに変わり始めているということは、あと30分ぐらいしたらもう辺りは随分と明るいのではないかと思う。


今日も昨日と同じぐらいに日中の気温が上がる。16度か17度まで気温が上がるようなので、室内にいれば暖かく過ごすことができそうである。昨日ジムに行った時に改めて思ったが、気温が20度前後で晴れていれば半袖・半ズボンでジムに迎えるということである。とりわけ運動後の帰りは体が暖かいこともあり、20度を超える日は半袖・半ズボンの出立ちで出掛けて行こうと思う。来週の月曜日はまさに最高気温が23度ほどになるようなので、そのような格好でジムに行こう。今週の肌寒さを抜ければ、フローニンゲンも本格的な春の到来と言えるだろうか。あるいはもうそれは初夏と述べてもいいかもしれない。


昨日は随分と第32回のシロシビン・セッションの振り返りをしていたように思う。セッションを行ったその日に振り返りをすることはせず、ファスティングがてら夕食を摂らず、速やかに就寝したこともあって深い休息を取ることができた。胃腸を完全に休め、身も心も共に生まれ変わった状態で翌日を迎え、そこから振り返りの日記を執筆していった。今後もそうした形にして行こうと思う。それに伴って、セッションの開始時間を午前10時からではなく、正午から始めるようにしたい。今回に引き続いて、毎回ファスティングをするようにすれば、2週間に1度のデトックスを兼ねた胃腸の休息を取ることができる。これは食事に関するファスティングだけではなく、正午以降から翌日の朝の振り返りが終わるまで書物からも離れることができるので、活字に対するファスティングが実現されることにもなる。真理というのは言葉の世界を離れたものであり、セッション中にそうした世界に参入することを考えてみると、セッションと合わせてしばらくの間言語空間から離れてみるというのは非常に良い実践かと思う。セッションの時間を変更し、振り返りを翌日に回すという流れの変更による副産物としてそれを享受したい。そのようなことを小鳥たちの鳴き声を聞きながら考えていた。フローニンゲン:2024/5/7(火)05:15


12647. 今朝方の夢   


小鳥の鳴き声を背景にして、明けゆく朝空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方は、中学校時代の2学年上の部活の副キャプテンともう3人の見知らぬ男性にジークンドーを教えている場面があった。4人は共に武術に関心があり、とりわけジークンドーに注目をしているようであり、私がちょうどジークンドーの実践をしていることを知って先輩が連絡をして来たのである。4人に対してジークンドーを教えることになったのだが、その場所はどういうわけか一軒家の一室だった。そこは4人のうちの誰かの部屋のようで、部屋の壁には格闘家のポスターやサッカー選手のポスターが貼ってあった。早速4人にジークンドーの基本的な構えを教え始めたところ、構えからして特殊であり、4人はとても驚いていた。基本スタンスから試しに攻撃に移る動作をしてみたところ、そのあまりの素早さに4人は驚いていた。ジークンドーにはタメや動きの起こりなど、相手に動作を察知されるような無駄が一切なく、とても効果的かつ効率的に相手に打撃を与えることができる。そうした特性を目の当たりにした4人は目を丸くしていた。そこから私はデモンストレーションとして、4人のうちの1人に協力してもらう形で、スパーリングのような実践をした。しかし、相手を怪我させないように加減するのが非常に難しかった。なのでスーパリングを早々に切り上げて、ジークンドーの技が持つ殺傷力の強さについて改めて解説することにした。使い方を間違えると、相手に重傷を負わせたり、相手を殺してしまう可能性があることについて何度も強調して説明すると、4人は今自分たちが学んでいる武術は中途半端な気持ちで学んではならないと悟ったようだった。そのような場面があった。


それ以外に覚えているのは、自分と同年代のかつてのサッカー日本代表のスター選手と話をしている場面である。彼はビジネスを含め、色々なことに関心を持っていて、今は野菜の栽培に関心があるようだった。特に人参の栽培に注目しているらしく、偶然にも自分も人参を育てていて、しかも人参を育てている農家の友人から育て方についてノウハウを色々と教えてもらっていたので、それについて彼に話した。すると、彼はとても興味津々に自分の話に耳を傾けていた。輝くような目をしながら私の話を聞いてくれていたので、こちらとしても話し甲斐があり、人参の特徴から始まり、育て方の細かな注意点を伝えた。すると気がつけば、私たちはリゾート地のホテルにいて、今からある大物の起業家を交えて3人でトークショーを穏やかな海の見えるホテルの式場で行うことになった。その大物の起業家の方は一癖ある方だが、私たち2人とのトークショーを楽しみにしてくれていたようで、機嫌が良さそうであった。まずはその大物の起業家の方の名前が呼ばれ、会場に顔を出すと、集まっていた聴衆たちが一斉に拍手をした。次にそのサッカー選手、最後に私が名前ば呼ばれる形で会場に姿を現す段取りになっていた。さて今から3人でどのような話が展開されるのかを楽しみにしながら、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。フローニンゲン:2024/5/7(火)05:30


12648. 今朝方の夢の続き


起床直後から聞こえてくる小鳥たちの鳴き声はとても美しい。彼らの鳴き声は、他に代え難いほどに心を落ち着かせてくれる。後ほど淹れようと思っている抹茶も心を落ち着かせてくれるが、抹茶を飲みながら彼らの鳴き声に耳を傾けていると、さらに深い寛ぎが得られるだろう。こうして今日もまた種々の増上縁の力に支えられながら、自らのライフワークに打ち込んでいく。


今朝方の夢の続きとして、次のような夢を見ていたことを覚えている。夢の中で私は、幼少時代を過ごした社宅のベランダにいた。ベランダの先に広がる景色は雄大な瀬戸内海だった。海水は澄み渡っており、眼下に見える海だけではなく、果てしなく遠くまでも海が透き通って見えた。なのでどのような魚や生き物がいるのかが海全体として見通せたのである。まず手始めにベランダの下に広がっている海を眺めてみた。するとそこには小魚や海藻類が楽しげに海流に揺られていた。そこから少しずつ遠くの方に目を移すと、だんだんと大きな魚が見えてきた。そしてさらに先の方まで目をやってみると、なんとそこに白いジュゴンがいたので驚いた。それは稀少な生き物なので、まさか目の前の瀬戸内海に生息しているとは想像しておらず、ジュゴンの動きを目で追って行こうとしたが、後ろから不気味な生き物がやって来て、ジュゴンはすぐさま逃げてしまった。ジュゴンの背後からやって来たのは、ホオジロザメとドラゴンを融合させたような黒い生き物だった。それが大きな影のような姿となってジュゴンを追いかけていた。ジュゴンとその生き物は、自分から見て左から右へと移動し、どこかに消えてしまった。そのような場面があった。


もう1つ覚えている場面として、果物を豊富に使ったスムージーについて流暢な英語で熱弁している場面がある。一流のホテルの朝食会場で、朝食がてらスムージーをもらおうと思った。その時に偶然宿泊客の外国人の男女のカップルと話をする機会があり、2人に自分のこだわりのスムージーの作り方について紹介をしていた。具材として、バナナやリンゴに加えてブルーベリーやイチゴなどのベリー系をふんだんに使い、そこにチアシードを少々加え、アーモンドミルクかソイミルクを加える形で飲むスムージーがお勧めだと2人に教えた。2人はそれを試してみるということを笑顔で述べてその場を去った。2人が去った後、ホテルの朝食会場でかなり多くの種類のスムージーが提供されていることを驚き、どれにしようかと選んでいると夢から覚めた。フローニンゲン:2024/5/7(火)06:25


12649. 夢の中に現れたジュゴンが意味する事柄


澄み渡る小鳥たちの鳴き声に身も心を溶けてしまいそうである。朝空も美しく、朝の穏やかな世界が広がっている。今日は鳩が珍しくホーホーと鳴き声を上げていて、平穏さに花を添えている。


今朝方の夢の中で白いジュゴンが現れたことはとても印象的だった。以前にも1度ぐらいジュゴンが夢に現れることがあったかもしれないが、もしかしたら今回初めての可能性もある。なのでドリームディクショナリーを通じてジュゴンが現す象徴的意味について調べてみた。どうやらジュゴンは、私たちが何者であるのかという真正さを知ることを奨励している象徴としての意味や、人生において何を望んでいるのかを発見することを促している意味があるらしい。さらには、ジュゴンは平和の象徴でもあるらしく、自らの平穏さを求めることや世界に対して平穏さをもたらすことに対して示唆を与えてくれているという意味があるようだ。またジュゴンは草食動物でもあるため、ベジタリアンの食事についても洞察を与えてくれているとのことである。これらの象徴的意味を列挙するだけでも、ことごとく自分に関係している内容で驚く。唯識学の探究と実践を通じて、自らが何者かという問いを超え、人間とはいかなる存在なのか、意識とは何なのかというより根源的な問いの探究が一段と本格化し、自らの人生で望むことは大乗仏教において奨励される仏になることに合致した。それは智慧と慈悲を獲得し、それらを通じて他者を救済することである。それが自分の生きる意味となり、生きる目的となり、人生で望む最大の事柄となった。無住処涅槃を通じて絶えず他者の救済に向けて活動を続けていくこと。それが自分の人生における最大の目的である。全ての探究と実践はそこに連なるものである。


ジュゴンが象徴する平穏さと平等さ。それもまた自分の名前に付された一文字である「平」の深層的な意味を体現している。我執を司る末那識を転じた先に得られる智は「平等性智」という。唯識学においては4つの智を大切にしているが、自分の中では平等性智が一番大切な智のように思えている。それは自分の名前を直接的な関係性を持つものであるという理由もそうであるし、我執を滅することの困難さと我執が現代社会にもたらしている悪弊を考えた場合、末那識を平等性智に転じることの現代的な意義を思わずにはいられないのである。

最後に、ジュゴンは神秘さや謎についても象徴している点を書き留めておきたい。真理の神秘さと謎。今自分はそれと毎日向き合っている。むしろ自分の視線が向かう先にはそれしかないと言えるかもしれない。智慧と慈悲の獲得を通じた他者救済と真理の探究は、自分の中では同義であり、コインの両面である。夢の中のジュゴンは、ホオジロザメとドラゴンが融合したような生き物に追われて消えていったが、それは我執と欲望に塗れた現代社会の集合意識を象徴しているだろうか。それに挫けることなく、自分は智慧と慈悲の獲得を通じた他者救済と真理を求め続ける。そのようなことを改めて思わせてくれる夢だった。フローニンゲン:2024/5/7(火)06:53


12650. 禅と一線を画す唯識学の瞑想実践/心の成長実践の持続可能性


心の成長実践において、確かに瞑想は核となり、極めて有効な手段だが、そこには注意が必要になる。アメリカの思想家ケン・ウィルバーが指摘しているように、えてして瞑想実践はシャドーを温存してしまうことや、下手をするとそれを肥大化させてしまうことに繋がりかねない。ウィルバー自身が最初は曹洞宗の坐禅の実践をしていたが、坐禅がシャドーの領域には踏み込まず、上述の危険性を内包していることに気づいてからは、坐禅の世界を離れてシャドーの領域にも踏み込んだ密教的な実践に鞍替えしたのはよく知られていることである。唯識学においても瞑想実践が最重要視されるが、それは中国で発祥した禅とは一線を画す。まさにインドで瑜伽行唯識学を開拓した瑜伽師たちは、人間の心の闇について深い洞察を実践を通じて得ていたがゆえに、禅の瞑想のようにシャドーには一切触れずにそれを温存する形ではなく、積極的にシャドーを観じていく無数の観法行を編み出したのである。インテグラル理論をこれまで学んできた身として、唯識学のこの点に深く感銘を受け、深く共感する。もちろん禅には固有の価値や意義があることは確かだが、心の成長を実現させていくことに関しては上記の大きな落とし穴について気を配る必要があるだろう。禅の盲点を補完し、霊的な実践を超えて、煩悩というシャドーに向き合う豊かな実践体系を内包しているのが唯識学なのである。


もう1つ考えていたこととして、唯識学とサステナビリティに関するものだ。これは生態系における持続可能性について述べているわけではない。もちろん人間の心の成長を促し、倫理的な実践を内包する唯識学は地球環境問題への貢献も多大なものがあると思うが、ここで述べているのは心の成長実践に関する持続可能性である。より端的には、今自分はシロシビン・マッシュルームというサイケデリクスと絡めた形で唯識学を探究し、実践を積み重ねている。サイケデリクスの実践は、確かに1回1回が極めて大きな意味と意義を持つものとして機能するが、それを単発で何の枠組みなしに行っていても効果は薄い。重要なことは、サイケデリクス実践という起爆剤を信頼に足る理論的・実践的枠組みを通じて活用していくことであり、サイケデリック体験をそうした枠組みを用いて咀嚼していきながら、平時において観法行を通じて持続的に実践に従事するということが極めて重要だということだ。持続可能性のない実践を単発的に行っていても、望むような成長効果は得難い。世間で声高に叫ばれている持続可能性の問題は、心の成長実践に関しても当てはまることなのだ。ここから自分もより一層日々の心の成長実践の持続可能性に焦点を当てて修行を続けていきたいと思う次第だ。フローニンゲン:2024/5/7(火)08:14


12651. 単元別の文献読解を始めて


時刻は午後2時を迎えたが、早朝と変わらぬ穏やかさが辺りを包んでいる。小鳥の清澄な鳴き声が起床直後と変わらない浸透率を持って世界に反射している。その声に耳を傾けながら穏やかな時を味わっている。


今日も朝から唯識学の研究は順調に進んでおり、ここまでのところ非常に充実した時間を過ごしていた。単に書物を読解していくだけではなく、その都度新しい事柄をPPTスライドにまとめていくことを行っていた。しかもそれは単にPPTスライドの作成に留まらず、ゼミナールの受講生の皆さんに共有するための解説動画をセットで作成していった。文献読解というインプットと、PPTスライドを作成し、それに対して自分の言葉で説明を施すというアウトプットが日々絶妙な組み合わせで実現されていることを嬉しく思う。


手持ちの書籍を5回最初から最後まで読み返したことに伴って、一昨日からはテーマごとに集中的に文献読解を進めている。まるで受験時代に数学で単元ごとに問題を解いて理解を深めようとしていたかのように、単元を設定して、その該当箇所だけ集中的に文献を読む読むということを行っている。手持ちの複数の書籍を横断しながら、テーマは一貫してそこだけを読むことによって、そのテーマについて多角的かつ重層的な理解が構築されているのをすでに実感している。5月末か6月に入ってから、再び唯識学と因明学に関する文献を一括注文するまでは、単元を設定する形で集中的な読書をしていこうと思う。今取り掛かっているテーマは唯識学における修行論である。具体的には、唯識学が提示する41の修行の段階(発達段階)の理解と、それぞれの段階で修めるべき実践技法についての理解を深めている。ここからもうしばらくの間、修行論に特化して理解を深めていき、それがひと段落したら、また新たに閃くテーマについて単元別に理解を深めていきたいと思う。フローニンゲン:2024/5/7(火)14:06

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