top of page

10516-10520: フローニンゲンからの便り 2023年6月23日(金)



その他のカリンバ即興演奏曲はこちらからご視聴いただけます。

8617個のピアノ曲・箏曲の全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。


下記のアートギャラリー(Instagram)より、本日のアート作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

タイトル一覧

10516. 今朝方の夢

10517. ピアノでの即興演奏作曲にも関心を持って

10518. トランスヒューマニズムを通じた霊性の変化/創作活動としての公共政策の策定

10519. 親友のメルヴィンから学ぶこと

10520. 科学的な営みと芸術的な営みの融合としての公共政策の策定/日記を綴る存在


10516. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。昨夜就寝中に少し雨が降ったようで、地面が濡れている。今は所々に雲があり、朝日が幾分遮られている。今朝は雨のおかげもあって気温が低くなっていて、とても涼しい。今日の日中の最高気温は22度ほどなので、日中も涼しさを感じられるのではないかと思う。明後日からの旅行に向けて、今日は午後に親友のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。フローニンゲンはもう夏に入っているのだから、今日はさっぱりと髪を切ってもらおうと思う。


明日からはまた少し気温が上がり、日曜日には30度まで達するという予報が出ている。30度に達すると、さすがに暑さを感じる。特に2階の気温が上昇するので、窓を開けておくことが必要になる。しかし日曜日はもう午前中の段階で旅行に向けて出発する予定なので、暑さを心配する必要はない。今回のプラハ·ミュンヘン旅行の最初の目的地であるプラハの気候について調べてみたところ、幸いにも滞在中は全て晴れとのことである。気温に関してはフローニンゲンと似ているが、最高気温と最低気温ともに数度ほど高い感じである。一方のミュンヘンは少し天気に変化があるようで、小雨マークが付されている日もある。今回の旅行においても折り畳みの傘をちゃんと携帯しようと思う。


今朝方はそれほど印象に残る夢を見ていなかったように思う。夢の世界がどこか穏やかで、波が立っていなかった。その中で唯一覚えているものがあるとすれば、自分作ったゲームのルールについて友人たちに解説しているものだ。そこには小中学校時代の友人が数名いて、ある友人(AF)はルールをすぐに理解し、そのある程度の攻略法を思いついているようだった。また別の友人(YK)はルールの説明を聞いた後、私に労いのために和菓子をくれた。その和菓子がとても美味しく、そのお礼にこちらも何か食べ物を渡そうと思って、ゲームの参加者が寄付してくれた食べ物の見せると、彼は特にお腹が空いてないようで、どれも選ばずにどこかに消えた。今朝方の夢について覚えているのはそれくらいである。このように、時には夢の世界が穏やかで、記憶に残っていない日もある。夢の世界も自分と同じように、きっと毎日変化しているのだろう。その変化が望ましい方向に進んでいることを確信しながら、今日もまた自分の取り組みに邁進したいと思う。フローニンゲン:2023/6/23(金)06:33


10517. ピアノでの即興演奏作曲にも関心を持って


小鳥たちが高らかに鳴き声を上げている。今朝もまた素晴らしい朝である。気温もとても涼しく、大変過ごしやすい。そんな中、早朝のデジタル絵画の創作とカリンバの即興演奏作曲を先ほど終えたので、今から正午まで4時間半ほど学術書の読解に時間を充てたい。


今はカリンバの即興演奏作曲を音楽的な創作活動の核に据えているが、ピアノでも即興演奏作曲をしてみたいという思いが高まっている。ピアノについては演奏経験が全くなく、指の動かし方から学んでいかないといけないが、それもまた楽しそうである。新たな実践はいつも自分を拡張してくれるのだ。自分自身と自分の世界を多く広げてくれるのが、今かつて従事したことのない実践なのである。今日のどこかに時間を取って、ピアノで即興演奏作曲ができそうな良いアプリをダウンロードしたいと思う。いくつかアプリをダウンロードしてみて、一番使いやすいものを選びたい。録音データを共有できる仕組みが一番便利で、尚且つ音質の良いアプリを見つけたいと思う。そのアプリがあれば、明後日からの旅行中には移動の楽しみが増えるだろう。


アプリのダウンロード以外にも、ピアノの指の動かし方の動画を視聴することによって、今後のピアノでの即興演奏作曲に活かしたい。その訓練はカリンバの即興演奏作曲にも活きてくるだろう。ピアノとカリンバではキーの並び方が異なるので、脳が良い意味で混乱するであろう。それが逆に脳の活性化に繋がるはずだ。指の動かし方もピアノとカリンバでは完全に同じにできはずなので、それもまた脳を刺激することに繋がる。現物を演奏するのは今のところ箏だけだが、箏の指の動かし方に加えてピアノの指の動かし方が加わると、脳への刺激は本当に充実したものになるだろう。箏、カリンバ、ピアノではそれぞれ音色も違うので、それもまた脳への良き刺激になるはずだ。こうして自分は様々な音楽から養分を得て自己を涵養し続けていく。フローニンゲン:2023/6/23(金)07:32


10518. トランスヒューマニズムを通じた霊性の変化/創作活動としての公共政策の策定


時刻は午前10時を迎えた。早朝の7時半から2時間ほど連続して学術書の即興読解と即興解説を行なっていると、この時間になった。読解を進めながら、トランスヒューマニズムの運動に従事しながら、人間性(humanity)の不可避な変化だけではなく、霊性(spirituality)がどのように変化していくのかに関心を持っている自分を改めて発見した。宗教倫理的な観点でトランスヒューマニズムについて考察を深めることの重要性を再確認した次第だ。トランスヒューマニズムに関する翻訳プロジェクトはその一環でもある。実際に今後トランスヒューマニズムを日本に紹介していく際に、自分自身がさらに深い理解を人間性の変化と霊性の変化に対して持っておく必要がある。その際に、とりわけ倫理の問題に焦点を当てていきたいし、宗教における倫理思想の兼ね合いからも理解を深めていきたい。


早朝に創作活動に従事していると、カリンバやピアノの即興演奏作曲は、自分にとって極めたいゲームのようなものなのだろうかという感覚があった。それは個人の内側で完結している実践だが、個人に完結しない形で外側に開かれた創作活動として自分が従事したいものは何かと考えている日々をここのところ過ごしていた。その中で、ひょっとしたら公共政策の領域はそうした活動なのかもしれないと思ったのである。公共政策の策定を社会的に意味のある創作活動として取り組むことはできないだろうかと考えている。公共政策の策定には間違いなく科学的な側面だけではなく、芸術的な側面もあるはずなのだ。ゆえに公共政策の分野に関わっていくことを科学と芸術が融合した創作活動として取り組みたいという思いが日増しに強くなっている。フローニンゲン:2023/6/23(金)10:25


10519. 親友のメルヴィンから学ぶこと


時刻は午後4時を迎えようとしている。先ほど親友のメルヴィンに髪を切ってもらい、中央市場で買い物をして自宅に帰ってきた。今日もまたすこぶる天気が良く、今は雲1つない青空が広がっている。5週間に1度、火曜日の午後2時から髪を切ってもらっているが、今回は旅行が控えていることもあり、金曜日の午後1時半から髪を切ってもらった。いつもは晴れの日には店の前のベンチに腰掛けてギターの演奏をしているメルヴィンも、今日は客がいたこともあって、ギターの演奏はしておらず、その客の髪を切るまでの時間店の中のソファに座って寛いでいた。そこにマンダリンがあり、それを少し触らせてもらって時間を過ごしていた。


5週間に一度メルヴィンの店に来て、髪を切ってもらっている時に、必ずフリースタイルラップの話となり、メルヴィンにラップをいくつか披露してもらっているのだが、5週間の間に必ず進歩を遂げているメルヴィンの姿を見て毎回驚かされる。会っていない5週間の間にメルヴィンは毎日ラップの練習を楽しみながら着実に行っており、それが成果となって現れている。今日はアメリカのラッパーのラップをどれだけ聴き取れているのかの話となり、メルヴィンはハリー·マックのラップの99%を聴き取れているとのことで驚いた。自分はまだハリー·マックのラップを完全に聴き取れているわけではなく、むしろ理解できていない部分の方が多いぐらいなので、引き続き毎日聴いていき、彼のラップの英語表現を全て理解できるようになりたいと思う。ラップの聴き取りは日本語でも難しいので、英語だとさらに難易度が上がるが、これも集中して聴き込んでいけばきっとどこかのタイミングで理解できるだろう。メルヴィンのリスニング能力の高さは、幼少期の頃からテレビ番組を英語で視聴していたことと、オランダの英語教育の質によるところが大きいと分かった。自分は確かにメルヴィンよりもアカデミック英語の単語を数多く知っているが、むしろ一般的なイディオムに関してはメルヴィンの方が圧倒的に詳しい。メルヴィンから教えてもらった“Game Words”というアプリをその場で開いてみたところ、メルヴィンはイディオムから意味を連想する力が極めて高く、その理由を尋ねてみると、幼少期の頃のテレビの視聴や英語の曲の歌詞を通じてそれらに触れたことがかつてあり、そこからイディオムのイメージが湧いてくるとのことだった。メルヴィンのそのスキルは見習うべきことが多分にあり、単語力のみならず、イディオムを学ぶことをこれから意識的に行なっていき、そのイディオムから連想されることをイメージしながら、実際にそれをセンテンスを即興的に作って使ってみることを通じて学びを深めていこうと思う。フローニンゲン:2023/6/23(金)16:02


10520. 科学的な営みと芸術的な営みの融合としての公共政策の策定/日記を綴る存在


時刻は午後8時を迎えた。夕方の穏やかな空を眺めながら、今日1日を振り返っている。日々を振り返ることは過去を振り返るという感覚ではなく、むしろ今この瞬間の現在感覚を鮮明にさせる内省的実践なのだとふと思う。そのようなことを考えながら、今日の午前中のことについてまず思い出していた。


午前中に創作活動及び創造的な実践としての公共政策の策定という観点から学術書を調べていると、 “Complexity and the Art of Public Policy: Solving Society's Problems from the Bottom Up (2014)”という書籍に出会った。これは旅行から帰ってきてすぐに購入しようと思い、さらに調べていると、パブリックアートとしての政治という考え方があることを知り、政治運動の芸術性に関する書籍として“Politics as Public Art (2022)”も購入したいと思った。政治や政策策定を美的·芸術的実践として営めないかという自分の問題意識に答えてくれる学術研究がすでに少数であっても存在していることを嬉しく思っていた自分が午前中にいた。


これまで科学的な営みと芸術的な営みを別個に行ってきた自分にとって、それらの営みが公共政策という交差点に結実していく道があることに気づいたことは途轍もない意味を有することであった。この意味の変容は、公共政策大学院への出願を強く後押しするものになった。明後日からのプラハ·ミュンヘン旅行中には、出願予定の公共政策大学院の出願に要求される書類を早速準備していこうと思う。


その他に午後に考えていたこととして、カリンバの即興演奏作曲を通じて音楽的な日記を綴っている感じであることに気づき、即興的にデジタル絵画を創作することを通じて絵画的な日記を綴っている感じであることに気づいたのも重要な気づきだった。それらは自分の中で、今ここの感覚を綴る日記の創作的営みだったのだ。そこに自分の音楽的·絵画的な自己が顕現しており、そして記録されている。自分の全ての営みは、日記を綴るという行為に結実していくようだ。ここのところ毎日作成している学術書の解説音声ファイルの作成もまた話し言葉で日記を綴る行為なのだと思う。自分は絶えず日記を綴る存在としてこの世界に佇んでいる。そんな静かで力強い実存感覚が深層から湧き上がってくる。フローニンゲン:2023/6/23(金)20:08

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page