【フローニンゲンからの便り】19156-19158:2026年8月23日(日)

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タイトル一覧
19156 | ブランダン・エイカー氏に作ってもらった即興演奏講座の開始に向けて |
19157 | 今朝方の夢 |
19158 | 今朝方の夢の振り返り |
19156. ブランダン・エイカー氏に作ってもらった即興演奏講座の開始に向けて
昨日、ブランダン・エイカー氏の言葉を読んでいて、ギターを学ぶということの意味が少し違って見えてきた。これまでは、上達とは既に存在する正しい音を再現することだと思いがちであった。コードを覚え、曲を暗譜し、手本どおりに弾けるようになる。その積み重ねが演奏技術をつくることは確かである。しかし、エイカー氏が強調しているのは、その先にある「自分で音楽を生み出す瞬間」なのだと思う。特に印象に残ったのは、これまで存在しなかったものをつくるという表現である。それは大作を作曲するという意味ではない。たった数音でも、自分の耳で聴き、自分で次の音を選び、自分の手で鳴らしたなら、その瞬間に音楽は模倣から創造へと変わる。誰かが敷いた線路の上を正確に走るのではなく、自分で行き先を決めながら歩き始めるような変化である。「ギターがいつも何を弾くべきかを教えてくれる必要はない」という言葉も興味深い。楽譜や教材は便利である一方、それらに従うことに慣れすぎると、正解が常に自分の外側にあるように感じてしまう。しかし音楽には、正解を発見するだけではなく、自分で正解をつくる側面がある。音を一つ鳴らし、その響きを聴き、「次はこの音がいい」と感じる。この小さな選択の連続こそ、即興や作曲の原型なのだろう。そしてエイカー氏は、最初の日からそれが美しく響くと言う。ここには、初心者の創造は未熟だから価値がないという考えへの静かな反論があるように感じる。技術的には単純でも、自分自身が選んだ音には、その時点の感覚や好みが宿る。それは完成度とは別の種類の美しさである。幼い言葉で書かれた日記が、洗練された文章にはない生々しさを持つのと少し似ている。さらに心に残るのは、予想していなかった美しいものが自分の手から生まれる瞬間は、何度経験しても古びないという最後の言葉である。創造とは、自分が完全に支配する行為ではなく、自分自身も結果に驚かされる行為なのかもしれない。弾く前には存在しなかった響きが、指を動かした瞬間に現れ、自分自身がその最初の聴き手になる。そこには、課題を正しくこなす練習とは異なる種類の喜びがある。エイカー氏に直接リクエストのメールを送ったことによって作ってくれた即興演奏講座の開始は、単に新しい奏法を習うものではなく、ギターとの関係そのものが変わる境界線なのだと思う。それまではギターから正しい弾き方を教えてもらう側だったものが、そこからはギターと対話しながら音を選ぶ側になる。模倣によって培ってきた技術が、ようやく自分自身の表現へと転化し始める。これは演奏技術の新しい段階というより、自分の内側にすでに存在していた音楽へ、初めて耳を澄ませる瞬間なのである。フローニンゲン:2026/8/23(日)06:04
19157. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、小高い山の上にある一軒家の前に立っていた。そこはゼミのある若い受講生が借りることになった家で、その方が自分に一室を貸してくれることになった。部屋に入らせてもらうと、そこにはとても大きなベッドがあり、キングサイズ以上に感じられるほどのものだった。ふと机の棚を見ると、そこになぜか自分が所有している本がいくつも並べられていた。そのおかげで、この部屋でしばらく滞在しながら探究活動を継続できそうだと思った。もう一つ、この家の魅力は小高い山の上にあるので、朝起きたら、朝日を浴びながら近所の坂道をダッシュできることだった。坂道ダッシュの登り下りをすることによって、筋肉に違った刺激を入れることができ、平坦な道を走るよりもトレーニング効果が見込まれた。明日の朝から早速走ろうと思うと、気分が高揚してきて、とても幸せな気持ちになった。
次に覚えているのは、自分と同い年のある有名なプロゲーマーの方と話をしている場面である。彼は自分の友達でもあり、親しい関係で、気楽に話をしていた。話の中で、彼は中高名門校の出身だが、大学受験においては一度失敗し、彼曰く、名門中高に入ったとしても大学受験用の勉強をちゃんとしないと大学には受からないと述べていたのが印象的だった。そこから彼は晴れて第一志望の学校に入ることができ、その話を聞いていると、私たちは彼が通った大学のキャンパス内に気付けばいた。太陽の光がとても心地良く、優しい太陽の光を浴びて気持ち良くなっていると、ふと目覚めの時間がやって来た。フローニンゲン:2026/8/23(日)06:12
19158. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分がこれから入ろうとしている新しい生活段階を、「住まい」「身体」「学び」という三つの軸から統合し直している夢ではないかと思われる。とりわけ印象的なのは、舞台が小高い山の上にある一軒家である点である。山はしばしば、これまでの日常から少し距離を取り、より高い視点から人生を眺める場所を象徴するように思われる。しかもその家は自分自身が所有する家ではなく、若い受講生から一室を借りる家である。ここには、自分が教える側でありながら、これからは若い世代や他者が開く空間にも身を預け、学び手として生き直していく動きが表れているのかもしれない。その部屋に置かれた巨大なベッドは、単なる休息以上の意味を帯びているように思われる。キングサイズを超えるほどの広さは、自分の精神が今後必要とする「余白」の象徴ではないだろうか。知的活動を長く続けてきた自分にとって、成長とは何かをさらに詰め込むことではなく、思考や感覚が伸び伸びと展開できる空間を確保することへ移りつつあるのかもしれない。その巨大なベッドは、これからの探究が緊張だけで進むのではなく、休息や夢、無意識との往復を含んだものになることを示す、大きな受け皿のようでもある。さらに棚に自分の本がすでに並んでいたことは重要である。新しい場所へ移っても、自分がこれまで培ってきた知的資産は失われず、むしろ先回りして次の居場所に届いているという象徴に見える。本は過去の蓄積であると同時に、未来の思考を発火させる種子でもある。夢の部屋は、未知の土地にありながら、すでに自分の知の根が張られている温室のような場所なのかもしれない。環境が変わっても探究は途切れず、かえって新しい土壌で再発芽するという無意識の確信がそこに表れているように思われる。山道での坂道ダッシュも象徴的である。平坦な道ではなく、上りと下りを繰り返すことに価値を感じている点に、自分の成長観そのものが表れているのではないだろうか。成長は一直線の上昇ではなく、負荷と回復、前進と下降を反復しながら身体全体を鍛える運動である。坂は抵抗であるが、その抵抗こそが筋肉を育てる。これは知的探究や人生の移行にも通じ、困難や遠回りさえ異なる筋肉を刺激するトレーニング装置として捉え直され始めているのかもしれない。朝日を浴びて走ることへの幸福感は、新しい生活に対する自分の生命力が、頭だけではなく身体の水準でも立ち上がっていることを示しているように思われる。後半に現れる同い年のプロゲーマーは、別の形で「熟達」を象徴しているのではないだろうか。彼は名門校出身でありながら、一度の失敗を経験し、肩書だけでは次の門は開かないと語る。ここには、過去の実績や所属が未来を保証するわけではなく、新しい段階にはその段階固有の訓練が必要だという夢からの示唆があるように思われる。山道の坂道ダッシュと大学受験の話は、実は同じ構造を持っている。どれほど基礎があっても、次の高度へ進むには、その勾配に即した筋肉を鍛えなければならないのである。最後に大学キャンパスへ自然に移動し、柔らかな太陽の光を浴びる場面は、新しい学問的環境への移行が、自分の内側ではすでに始まっていることを象徴しているのかもしれない。夢全体を貫く太陽は、努力を強いる監視灯ではなく、進む方向を静かに温める光である。今回の夢は、自分がこれからの生活を、知性だけで突破するのではなく、休息、身体鍛錬、謙虚な再学習を組み合わせながら進もうとしていることを映しているように思われる。新しい人生は断崖の向こうにあるのではなく、すでに朝日の差す坂道として足元から始まっているのである。フローニンゲン:2026/8/23(日)07:03
Today’s Letter
The self is empty of inherent existence. Reflecting on this makes my sense of self freer and enriches the quality of my life. Groningen, 8/23/2026



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