【フローニンゲンからの便り】19149-19151:2026年8月21日(金)

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タイトル一覧
19149 | 10年間暮らしたフローニンゲンでの最後の10日間 |
19150 | 今朝方の夢 |
19151 | 今朝方の夢の振り返り |
19149. 10年間暮らしたフローニンゲンでの最後の10日間
ここ最近は日の出の時間がめっきり遅くなった。今朝方は午前4時半過ぎに起床したのだが、その時にはもちろん真っ暗であり、今午前5時半に近づいているが、今もまだ真っ暗である。調べてみると、日の出の時間は午前6時半になっている。こうしたことから、ここ数日間はもはや起床してすぐに外に出てHIITをすることができなくなり、1階の寝室でHIITをすることにしている。これまでは早朝すぐに微小であっても朝日を浴びていたのだが、ここ数日はそれができなくなった。しかし不思議と、起床時間はむしろ早くなっていて、この現象は何なのだろうと考えている。一応、朝食を取り終えた後に、家のオーナーのペイトラさんが自分の家の前に置いてくれた植物に水をやるために外に出て、そこで少し朝日を浴びている。朝日を浴びる時間が遅くなったら、夜のメラトニン分泌の時間も遅くなりそうで、起床時間も後ろ倒しになりそうだが、そうではなくその逆になっているのが面白い。いずれにせよ、フローニンゲンで過ごす日も残り10日となった。この10年間を締め括る最後の10日間である。人生の有限性に目覚めると、そこから人生が輝き出すという話があるように、自分もまた少なくともこの町で過ごすのはあと10日しかない。フローニンゲンは本当に素晴らしい町だが、残りの人生において再びここで暮らすことはないのではないかと思う。そんな直感がある。そうなると尚更、この町で過ごす最後の10日間は愛しいものになる。何か特別なことをする必要はない。この町で10年間、絶えず自然体であったように、残りの10日間も自然体でいるのみである。学術探究と音楽実践。この二本柱に打ち込むことが、自分にとっての自然体である。今はまだエディンバラでの暮らしに思いを馳せるのではなく、ただただこの土地での10年間の思い出を静かに感じていたい。余命10日間を深く味わうことが、次の大地での新たな生命を導くだろう。フローニンゲン:2026/8/21(金)05:27
19150. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見慣れない大きな旅館にいた。そこは1階建てなのだが、1階の畳部屋がどこまでも続いていく作りになっていた。そこで私はどういうわけか、中学校時代の体育の先生に畳の敷き方の指導を受けていた。私はそれが面倒に思え、先生から逃げるようにして次々と別の畳部屋に移動していた。すると、先生は私のあとをしつこく追いかけてきて、絶えず畳の敷き方についての指導を厳しい口調で行なっていた。あるところで逃げることをやめ、先生に面と向かって反抗的な言葉を述べることにした。大きな声で自己主張したところ、先生は黙り、先ほどまであれだけ怖い口調だったのに、急に静かになり、下の畳を見た。そして、先生自身が畳の敷き方を実演し始め、先ほどまでは畳の敷き方に関心のなかった自分がその光景に釘付けとなった。眺めていると、意外と面白いかもしれないと思い、先生のところに歩み寄り、自分も屈んで畳を敷き始めた。すると先生は満面の優しい笑顔を浮かべ、優しい口調で自分を誉めてくれた。その瞬間、先ほどまでは厳しい口調であったことが教育的配慮からだったことに気付かされ、教育者としての先生に敬意の念が生まれ、先生の優しさに思わず涙を流した。そこで一度目を覚まし、ベッドの上でも涙を流している自分がいたことに気づいた。
次に覚えているのは、見慣れない綺麗な体育館でバスケの練習をしている場面である。そこにはギャラリーとして小中学生ぐらいの若い子供たちがいて、自分のスリーポイントシュートの練習を眺めていた。自分は歴代最高のシューターと言われるステフィン・カリーの能力をコピーすることができ、カリーになった形でスリーポイントシュートを放っていた。最初こそコピーの順応期間中のようで、何本か外してしまったが、コピーが完全に遂行されると、もう外し気がしない程にシュートが決まり、ギャラリーの子供たちも興奮気味に声を上げていた。奇妙なことに、ネットの底が張られた状態だったので、シュートが決まるとボールがどんどんと溜まっていき、ゴールがまるで丸く巨大な生き物のように思えた。最後は難易度が高いダンクシュートをしようと思ってゴール裏の壁を蹴って、バックシュートのような形でのダンクをしたところ、リングには手がかかったが、ゴールを決めることができなかった。その瞬間に、本物のカリーなら成功させていただろうにと落胆の気持ちになった。失敗したのでもう一度、今度はコピーの精度を最大限に高めるだけではなく、自分にしかない自分の気持ちと集中力を動員することにした。ゴールに向かって走り出したところで夢の場面が変わった。
最後に覚えているのは、見慣れない会議室で、自分と小中高時代のある友人(TO)が一緒に作った資料を女性の講師に添削してもらっている場面である。その講師の女性は、自分の発表に対して大変好意的で、自分の説明は完璧だと述べた。しかし、資料に掲載されている最初の統計結果がぎこちなく、これはAIが作ったのではないかとツッコミを入れてきた。資料を見ると、確かにデータの表が掲載されており、これは自分が作った覚えがなかったので、友人の顔を見た。どうやら彼が作ったらしく、AIに任せっきりだったので、結果が少しおかしくなっているようだった。気がつくと、会議室の外にいて、建物のロビーのソファに、小中高時代の別の友人(HY)が腰掛けていた。彼に今からある映画を見にいくと伝えると、彼が時計を確認し、「次の上映は18分後だよ。そしてその次は、午後1時過ぎかな」と述べた。それを聞いて、もう次の上映には間に合いそうになく、時間をあけて午後からゆっくりその映画を見ようと思った。それにしても、彼がなぜその映画の上演時間を知っているのかが不思議だった。フローニンゲン:2026/8/21(金)05:47
19151. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢全体には、自分が「外から与えられた型」をいったん拒み、それを自分の身体と意志を通して引き受け直すという、一貫した変容の流れが表れているように思われる。最初の旅館に延々と続く畳部屋は、自分がこれまで通ってきた学習、修練、仕事、人間関係などの無数の「場」を象徴しているのかもしれない。しかも建物は一階建てであり、上下方向の序列ではなく、横へ横へと展開していく構造である。このことは、発達が単純な上昇ではなく、多様な領域を行き来しながら統合していく過程であることを示しているようである。体育教師が教える畳の敷き方は、極めて基礎的で地味な作法である。自分はそれを面倒に感じて逃げ続けるが、教師は追ってくる。ここには、人生のある段階で無視できなくなった「基礎に戻れ」という要請が表れているのではないか。畳は床であり、あらゆる活動を支える足場である。つまり夢は、高度な知識や技巧よりも先に、自分が立つ地面を整える必要性を示しているように思われる。ただし重要なのは、服従したから変化が起きたのではない点である。自分が大声で反抗し、主体性を取り戻した瞬間、教師は威圧をやめ、実演へと移る。ここでは権威が敵から師へと変わっている。教師の厳しさは、外圧として受け取っている間は苦痛だが、自分の意志で関わり直した瞬間に知恵へと姿を変えるのである。涙は、その転換を頭ではなく身体が理解した印だったのかもしれない。続くバスケットボールの場面は、この「型の継承」と「自己化」をさらに発展させているようである。カリーの能力をコピーすれば、スリーポイントは驚くほど入る。しかし難しいダンクでは失敗する。ここには、卓越者の型を模倣するだけでは越えられない閾値が示されているのではないか。模倣は翼を与えるが、その翼でどこへ飛ぶかを決めるのは自分である。再挑戦の際に、自分固有の気持ちと集中力を動員しようとする点が象徴的であり、夢は「最高精度のコピー」から「自分自身の創造」への移行を促しているように見える。ネットの底にボールが蓄積し、ゴールが巨大な生き物のようになる描写も興味深い。反復された成功が蓄積し、技術そのものが生命を持ち始める感覚を表しているのかもしれない。最後の会議室では、同じ主題が知的活動の領域に現れている。説明は完璧だが、AI任せの統計結果には不自然さが残る。これは、借り物の能力や便利な道具を使うこと自体ではなく、最終的な判断責任を自分が引き受ける必要性を示しているようである。友人が作った表であっても、共同制作物として提示する以上、自分の眼で確かめなければならない。ここでも「コピー」や「外部能力」は補助にはなっても、主体の代替にはならない。そして映画の上映時刻を知る友人は、少し先の時間を静かに見通す案内役のようである。18分後の回を無理に追わず、午後の回を選ぶ判断は、焦って間に合わせるより、適切なタイミングを待つ成熟を象徴しているのかもしれない。夢全体を貫いているのは、師の型、達人の能力、AIの力を拒絶することではなく、それらを一度自分の内側で消化し、自分自身の責任と感覚によって使い直すことだと思われる。今朝の夢は、自分が「学ぶ者」から「継承しつつ創る者」へ移行しつつある、その境目を映した夢であるように感じられる。フローニンゲン:2026/8/21(金)06:38
Today’s Letter
My curiosity is beginning to spark. Everything in my life, especially my relationships, is going quite well. All I can do is continue to go with the flow. Groningen, 8/21/2026



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