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【フローニンゲンからの便り】19142-19145:2026年8月19日(水)

8月21日
読了時間: 11分


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タイトル一覧

19142

フランシスコ・タレガからの流れ

19143

今朝方の夢

19144

今朝方の夢の振り返り

19145

フェルナンド・ソルからの流れ

19142. フランシスコ・タレガからの流れ

               

昨日、フランシスコ・タレガについて改めて考えてみた。サグレラスを弾いていると、そのさらに上流にタレガという大きな水源があるように感じたからである。調べてみると、タレガの音楽は単に「スペインらしいギター音楽」ではなく、19世紀ロマン派の音楽をギターという小さな器の中へ凝縮したもの、と考えると理解しやすいように思えてきた。タレガは1852年にスペインのビジャレアルに生まれた。少年期にはギタリストのフリアン・アルカスと出会い、その才能を認められている。アルカスは当時を代表するスペインのギタリストであり、若いタレガにとって、ギターを独立した芸術音楽の楽器として扱う一つのモデルになったと考えられる。さらに1874年にはマドリード音楽院へ入り、作曲をエミリオ・アリエータに学んだ。アリエータはタレガのギター演奏を聴き、ピアノではなくギターに専念するよう勧めたという。しかし、タレガの作風を考えるうえで特に面白いのは、彼がギターだけを見ていた人ではなかったことである。むしろ優れたピアノ奏者でもあり、ベートーヴェン、ショパン、メンデルスゾーン、シューマンなどの作品を次々とギターへ編曲している。とりわけショパンについては、マズルカ、前奏曲、ノクターン、ワルツまで幅広く編曲していた。ここから考えると、『Lágrima』や『Adelita』のような小品に感じる、短い旋律の中に郷愁を閉じ込める感覚や、歌う旋律の下で和声が静かに色を変える感覚には、ロマン派ピアノ音楽の呼吸が流れ込んでいるように思える。タレガの作品にはもう一つ、「ギターそのものに歌わせる」という強い意志を感じる。『Recuerdos de la Alhambra』のトレモロでは、一つの音が急速に反復されることで、本来は音がすぐ消えてしまうギターから持続する旋律が立ち現れる。『Capricho Árabe』では装飾的な旋律や半音階的な動きによって、当時のスペイン文化が好んだ異国的、ムーア的な色彩が作られる。つまり彼はギターの弱点を消そうとしたのではなく、その弱点を逆手に取って表現技法へ変えていたのではないか。さらに興味深いのが、楽器製作者アントニオ・デ・トーレスの存在である。タレガはトーレス製ギターを使用し、その豊かな響きと音量は、彼がギターの作曲上の可能性を考えるうえでも重要だったとされる。つまり、タレガの革新は作曲だけではなく、楽器、奏法、音色、レパートリーを一体として捉えるところにあったのだろう。こうして見ると、タレガはショパンをそのままギターへ移した作曲家でも、スペイン民謡をそのまま作品にした作曲家でもない。ショパンやシューマンらのロマン派的な内面性、アルカスから受け継いだスペイン・ギターの伝統、そしてトーレスの新しい楽器を、一つの炉の中で溶かした人だったように思う。その炉から流れ出したものがリョベートやプジョールを経て、さらにサグレラスの教則的な小品へと届いていると考えると面白い。自分がサグレラスを弾いているとき、実はその指の下にはタレガがギターに移植したショパン的な歌心まで流れているのかもしれない。ギターの一本の弦をたどっていくと、意外にも19世紀ヨーロッパ全体の音楽へつながっているのである。フローニンゲン:2026/8/19(水)05:34 


19143. 今朝方の夢 

                 

今朝方は夢の中で、オランダ人の親友であるメルヴィンと一緒に、プール付きの豪勢なマンションを訪問していた。そこに彼の女性友達がいて、彼女がまた数人の友人に声をかけており、全員で遊ぶことになった。マンションのゲートに到着し、中に入ると、そこは南国風の別世界が広がっていて、あまりにも広かったので迷子になりそうだった。幸いにもメルヴィンが彼女の家を知っていたのだが、ゲートからそこまで行くのに随分と時間がかった。そのマンションは、高さで周りの景観を崩さないようにするために、最上階は5階だった。エレベーターに乗り、最上階に到着し、部屋に向かって歩き出すと、途中にゲームセンターのコーナーがあったので驚いた。すると、メルヴィンがそちらに吸い込まれていくようにして歩いていき、カーゲームの数席の椅子に彼の友人たちが腰掛けていた。そこにはちょうど今から会おうとしていた主催者の女性友達もいたので、そこで話を始めることにした。彼女はアフリカ系のオランダ人で、その他の人たちも全員欧米人だった。そんな中に1人ポツンとアジア系の自分がいた。こうした異邦人感覚には慣れているのでなんとも感じなかったが、始まったボードゲームが面白くなさそうだったので、自分は少し早めに帰るとメルヴィンに伝えた。オランダでは、こうしたお互いの考えや気持ちを尊重する文化が根付いていることもあり、自分が帰ると言っても何も問題はなかった。帰り際、屋外プールの横を歩いていると、見慣れない日本人の水泳コーチに声をかけられ、ひょんなことから彼に泳ぎを見てもらうことになった。自分は幼少期の頃に水泳をやっており、そこで基本的な技術は習得したが、小学校高学年からは専門的なトレーニングを受けていないので、コーチが事前に教えてくれたいくつかの技術項目をクリアできるかは疑問だった。コーチが教えてくれた考え方で一つ興味深いなと思ったのは、「アタック」というものである。これはギターの演奏などで使われる用語で、水泳においても同様の意識で、例えば呼吸をして再び顔を水につける際に、反発力を活かすことを指すようだった。それを意識して50mを泳いでみることになったが、そもそも自分は50mだったら息継ぎはいらないので、別の動作の際にアタックを意識してみようと思った。


もう一つ覚えているのは、見慣れない教室にいる場面である。教壇に立っている先生も見知らぬ男性だったが、クラスメートは高校時代の友人たちが多かった。そんな中、先生が突然ある高校時代の女性友達(HN)を名指しで注意した。その瞬間、自分は先生が注意した意図と彼女の気持ちの双方が手に取るようにわかったが、注意された彼女も周りのクラスメートたちも何もわかっていないようだったので、両者を解説した。それを通じて彼女の気持ちも和らぐだろうと思ったし、先生も自分ならわかってくれるだろうという期待があるように思えたのである。別に先生は怒って注意したわけではないが、高校生という年頃から、みんなの前で注意されると彼女は少し落胆と怒りを感じているようだったので、説明の最後に、彼女の心の未熟さを優しく指摘し、彼女が注意された事柄は、実はここにいる全員に当てはまるということを述べる形で、彼女だけが悪いわけではないこともフォローした。フローニンゲン:2026/8/19(水)05:50


19144. 今朝方の夢の振り返り

                   

今朝方の夢には、自分がすでに身につけてきた「異なる世界を渡る力」と、これからさらに磨こうとしている「力を受け取り、次の動きへ変換する力」という二つの主題が重なっているように思われる。冒頭の豪勢なマンションは、一つの建物というより、自分がこれまで生きてきた異文化世界そのものを象徴しているのではないか。ゲートを越えると南国の別世界が広がり、内部は迷うほど巨大である。しかしメルヴィンは道を知っている。この構図は、未知の環境へ入っていく際、自分には完全な地図がなくとも、人との縁によって奥へ進めることを示しているようである。しかも建物は5階建てに抑えられ、周囲の景観を壊さない。この「高さを誇示しない巨大さ」は興味深い。発達とは高くそびえることではなく、周囲との調和を保ったまま内部空間を広げることなのだ、という無意識からの比喩にも見える。最上階に到達しても、そこにあるのは荘厳な何かではなくゲームセンターである。これは、成熟の先に必ずしも厳粛さが待っているわけではなく、遊びや偶然性もまた重要であることを示しているのかもしれない。一方、自分はボードゲームに魅力を感じず、無理に同調することなく帰る。その場で唯一のアジア系であっても孤立感を抱かず、さらに他者と異なる選択を自然に表明できている点から、自分の所属感覚が「周囲と同じであること」からかなり自由になっていることがうかがえる。ところが集団から離れた直後、プールで日本人コーチに出会う。ここには鮮やかな転換がある。社会的な遊びから離れた先で、自分は身体的な学習へ導かれるのである。水はしばしば無意識や生命の流れを象徴するため、泳ぐことは、その流れに抗わず進む技術と考えられる。そして鍵となる「アタック」は、単に力を加えることではなく、ある動作によって生じた反発を次の推進力へ転換する原理であるように思われる。波に正面から勝とうとするのではなく、返ってくる波を次の一掻きに利用するのである。これは今後の自分にとって重要な運動原理を示唆しているのではないか。出来事、感情、他者からの反応を受け止め、それを次の創造へ接続するのである。しかも50メートルなら息継ぎが不要だと自分は考える。これは既存の技術をそのまま受け入れず、自分の身体条件に合わせて原理を別の場所へ応用しようとする姿勢を示している。学習者でありながら受動的ではなく、教えを一度分解して再構成する自分の特徴が表れているようである。後半の教室では、その性質がさらに精神的な形で現れる。先生の意図とHNの感情を、自分だけが同時に理解している。ここで自分は教師側にも生徒側にも完全には属さず、両者の間に橋を架けている。まるで二つの言語を同時に聞き取る通訳者である。しかもHNだけを庇うのではなく、先生の意図を説明しながら、彼女の未熟さにも触れ、最後には問題をクラス全体へ開いている。個人への非難を、集団全体の学習機会へ変換しているのである。したがってこの夢全体を貫いているのは、「媒介」の力なのではないか。外国人集団と自分、身体と水、力と反発、教師と生徒、個人の問題と集団の課題。その間に立ち、片方を否定せず、関係そのものから次の動きを生み出している。水泳のアタックは、この夢全体の秘密の題名なのかもしれない。人生から返ってくる力を受け、それをそのまま衝撃として終わらせず、次の一掻きへ変えること。自分はいま、力を出す技術以上に、「返ってきた力を使う技術」を学び始めているのではないか。フローニンゲン:2026/8/19(水)06:55


19145. フェルナンド・ソルからの流れ

                   

先ほど、フェルナンド・ソルについて改めて考えていた。タレガからさらに時代を遡ると、ギター音楽の景色が急に変わる。タレガがギターにロマン派的な歌や色彩を与えた人だとすれば、ソルはギターに「古典派の文法」を本格的に話させようとした人だったのではないかと思う。ソルは1778年にバルセロナに生まれ、幼い頃から父を通じてギターとイタリア・オペラに親しんだ。その後、モンセラート修道院の聖歌隊学校で本格的な音楽教育を受けている。そこでは宗教音楽、声楽、和声、対位法などを学び、当時その学校ではハイドンの音楽も重要な存在であったという。若いソルにとって、ギターは最初から孤立した民族楽器ではなく、声楽や多声的な音楽、大きな古典派音楽世界の一部として理解されていたのであろう。実際にソルの作品を弾いていると、旋律だけを追っていては音楽が見えてこないことがある。低音が独立して歩き、中声部が和声をつなぎ、上声部が歌う。まるで一本のギターの中に小さな弦楽四重奏が入っているようである。明確な四小節、八小節単位のフレーズ、主調から属調への移動、展開、帰還といった構造も強く、ハイドンやモーツァルトに通じる古典派的な均衡感覚が聞こえてくる。ソルの音楽が対位法、明快な和声、古典的形式を巧みに組み合わせていることは研究でも指摘されている。中でもモーツァルトとの関係は象徴的である。有名な《モーツァルトの「魔笛」の主題による序奏と変奏曲》Op.9では、《魔笛》の旋律を素材としている。しかし重要なのは、単にモーツァルトの旋律を借りたことではない。主題を提示し、変奏によって姿を変え、技巧を段階的に展開していく発想そのものが、ソルがギターを古典派の作曲原理で扱っていたことをよく示している。さらに興味深い人物がフェデリコ・モレッティである。ソル自身が高く評価していたギタリスト兼作曲家で、先行研究では、モレッティの声部を独立させる書法がソルの対位法的なギター作品に影響したと考えられている。ここでソルの本質が少し見えてくる。彼が追求したのは、ギターらしい派手な効果そのものではなく、「この六本の弦でどこまで本格的な作曲ができるか」という問題だったのではないか。だからソルの練習曲も面白い。一見すると簡素なのに、一音省けば和声が崩れ、低音の位置を変えれば文章の意味まで変わる。これはサグレラスとはまた違う種類の「問題集」である。サグレラスが演奏技術を美しい小品へ変換する名人だとすれば、ソルは限られた駒で完全な局面を作る詰将棋作家に近い。ギターを弾くというより、声部、和声、形式という設計図を指で読み解いている感覚になるのである。こう考えると、ソルからタレガ、そしてサグレラスへ進む流れも見えてくる。ソルがギターに古典派的な骨格を与え、タレガがそこへロマン派的な呼吸と音色を加え、サグレラスがそれらを教育的な小品へ細かく結晶化していった、と眺めることもできそうである。三人を順番に弾けば、単なる教則史ではなく、ギターという楽器が「考える楽器」から「歌う楽器」へ、そして「学びながら音楽する楽器」へ変わっていく歴史そのものを指先で辿れるのかもしれない。フローニンゲン:2026/8/19(水)09:36


Today’s Letter 

Buddhist studies are food for my soul. They nourish both my mind and body, and I’d love to share this sense of nourishment with many people. I envision myself teaching Buddhism at a university in the future. Groningen, 8/19/2026 

 
 
 

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