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【フローニンゲンからの便り】18478-18481:2026年4月8日(水)

  • 4 時間前
  • 読了時間: 9分


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タイトル一覧

18478

言葉と音を通じた表現の魅力と効能

18479

今朝方の夢

18480

今朝方の夢の振り返り

18481

爪の形状

18478. 言葉と音を通じた表現の魅力と効能

                   

時刻は午前7時半を迎えた。この時間帯はもう完全に明るくなっており、今日もまた朝空が美しい。昨夜は午後9時前でもまだ真っ暗になっておらず、エメラルドブルーの空が広がっていて感動したのを覚えている。日照時間に関してはすでに春を超えて夏のように思えてくるが、気温に関しては今の気温は3度と低い。ただし今日は最高気温が17度まで到達するようなので随分と暖かい一日になりそうだ。早朝にこうして徒然なるままに日記を綴ることは精神の浄化作用としても有益であるし、何より考えが整理されるのが魅力的である。そして一日を充実した形で過ごそうという活力が自然と湧き上がってくる。日記の執筆には不思議な力がある。その力を紐解くと、それはきっと表現を通じた力なのだろう。何かを表現することにはそうした力があるようなのだ。日記の場合、自分の内側にある言葉を外に形にすることを通じて、そうした作用がもたらされる。物でもゴミでもストレスでもそうだが、何でも溜め過ぎは良くない。それは自分の内側の言葉でもそうである。それを溜め過ぎると、精神が抑圧されたり、窒息したりするのだろう。ここ最近はこうした日記に加えて、ギターを通じて音による表現行為が加わったことが何よりも嬉しい。昨日の日記でも書き留めていたが、既存の楽曲を演奏することも立派な表現行為であるが、即興演奏はさらにその効能が高いように思う。自分の内側にある音を外側に表現することに関しては、即興演奏の方が自分には適している。今日の即興演奏の練習では、特定の調のBGMを流しながらの練習と、逆に何もBGMを流さずに、自分で調を設定して、すべて自分の音だけで練習することを行う。昨日メルヴィンが助言してくれたように、調の名前が明記されていない音源をBGMに使う場合には、どんな曲も根音を見つければいいと教えてくれた。こうした助言に基づきながら、毎日色々と新しい発見があるように新たなことを少しずつ試しながら即興演奏を楽しめたらと思う。フローニンゲン:2026/4/8(水)07:55


18479. 今朝方の夢

       

今朝方は夢の中で、非常に酸っぱいレモンを食べていたのを覚えている。目の前にレモンが輪切りではなく、くし切りにされていて、まずそれを一つ食べた。全体を一気に食べたのではなく、最初に少しだけ齧ってみて酸っぱさを確かめた。するとそれは本当に酸っぱかったが、逆に栄養豊富で新鮮なレモンだと気づき、残りを食べた。そこで何か目覚めるような、力が湧いてくるような身体感覚となった。


次に覚えているのは、大学のフットサルサークルの先輩と同期たちと一緒にフットサルの大会に出場していた場面である。それは夏の大会ではあったが、暑さはそこまでではなかった。気づけばもう大会は佳境になっていて、気がつくと大会は終了し、閉会式の時間となった。そこで別のチームの2人の選手が自分に近づいてきて、何やらヒソヒソ話を始めた。どうやら2人はゲイのようで、片方の人が自分に好意を抱いているらしかった。その告白を受けて、自分はゲイではないことを伝えると、「最初からそれを言ってくれ」と言われた。それを受けて、「最初」とはいつのことなのか疑問に思ったが、いずれにせよ彼らは潔く諦めて閉会式の列の方に向かっていった。


最後に覚えているのは、不動産会社に勤めていた場面である。不動産業界で働くのは初めてだったが、その会社が妙に居心地が良く、自分の居場所のように感じられた。何か強制的に仕事をさせられている感覚は一切なく、自分のペースで好きなように仕事ができ、クライアントとのやり取りも自分らしく向き合うことができ、非常に充実した感覚があった。フローニンゲン:2026/4/8(水)08:22


18480. 今朝方の夢の振り返り

        

今朝方の夢全体は、自分がいま「何を取り入れ、誰とどう関わり、どこを居場所として選ぶのか」を静かに点検している過程を映しているのかもしれない。最初の非常に酸っぱいレモンは、人生における新鮮だが容易には飲み込みがたい現実、あるいは学びや変化の刺激を象徴しているように思われる。しかも輪切りではなくくし切りであった点は、世界が均等に整理された抽象物としてではなく、手触りのある断片として自分の前に差し出されていることを示しているのかもしれない。自分がいきなり全部を食べず、まず少し齧って酸っぱさを確かめたのは、衝動ではなく慎重な試行を通して真価を見抜こうとする態度の表れであろう。酸っぱさは負荷や緊張や痛みを含んでいるが、それを「栄養豊富で新鮮だ」と感じ直した瞬間、苦さや厳しさがそのまま活力へ反転している。ゆえにこの場面は、自分が最近の課題や変化を、単なる負担ではなく成長を目覚めさせる酸として受け取り始めていることを示しているのかもしれない。続くフットサルの場面は、競争と協働の中で自分が他者からどう見られ、どう位置づけられるかという主題を映しているように思われる。大会がいつの間にか佳境から閉会式へ移っていたのは、ある人間関係や人生の局面が、自覚以上にすでに終盤へ進んでいる感覚の象徴かもしれない。他チームの二人が近づき、そのうち一人が自分に好意を抱いていたという展開は、自分が自覚している以上に他者の視線や期待の対象になっていることを示しているようでもある。ここで重要なのは好意そのものよりも、自分が自分ではない何者かとして読まれたことであろう。「最初からそれを言ってくれ」という言葉は、他者が勝手に物語を作り、自分に役割を配役してしまうことへの違和感を凝縮しているように思われる。自分はその誤読を乱暴に断ち切るのではなく、ただ事実を伝え、相手も潔く去っていく。これは、自分が境界線を引きつつも、他者を否定せずに関係を整理できる段階に来ていることを示すのかもしれない。最後の不動産会社の場面はきわめて象徴的である。不動産とは、外の世界の中に「住める場所」を見つけ、形にする仕事である。したがってこの場面は、職業そのものより、自分にふさわしい心理的空間や社会的居場所の発見を意味している可能性が高い。未経験の業界であるのに妙に居心地が良いという感覚は、まだ実際には踏み入っていない未来の領域の中に、すでに自分の資質と響き合う場所があることを告げているようである。強制されず、自分のペースで働き、クライアントとも自分らしく向き合えるという点は、成果よりもまず「存在の仕方」が仕事と調和している状態を象徴しているのだろう。この夢の人生的意味は、自分がこれから進むべき道は、甘く整えられた道ではなく、酸っぱくとも生命力を呼び覚ます道であり、他者の誤解に飲まれず、自分の境界を保ちつつ、最後には自分らしく住める場を選び取ることにある、という示唆なのかもしれない。これは、世界の中で働くこと以上に、世界の中に自分の家をつくることへの招きであるように思われる。フローニンゲン:2026/4/8(水)08:37


18481. 爪の形状


ブランダン・エイカー氏の助言の核心は、音色という現象を「技術の問題」としてではなく、「構造の問題」として捉え直す点にある。多くの演奏者は、良い音を出すためには指の運動制御やタッチの精度、すなわちテクニックを磨くことが本質であると考えがちである。しかし、エイカー氏の指摘は、その前提を静かに覆す。すなわち、音色の不安定さは、演奏者の能力不足ではなく、爪というインターフェースの形状によってすでに規定されている可能性があるということである。ここで重要なのは、「弦のリリース」という概念である。ギターにおいて音色は、弦が指から離れる瞬間に決定される。この瞬間の運動が滑らかであれば、音は自然に響き、逆に引っかかりや無理な摩擦があれば、音は硬くなったり、薄くなったりする。爪の形状は、このリリースの軌道と摩擦の質を直接的に規定する。つまり、どれほど優れたテクニックを持っていても、爪の輪郭が不適切であれば、そのテクニックは常に微調整を強いられることになる。助言の中で「毎回手を調整している状態」という表現があるが、これは極めて本質的である。もし爪の形が自分の手の自然な軌道と一致していない場合、演奏者は無意識のうちに手の角度や力の入れ方を変え続けることになる。その結果、音色は一貫性を失い、「たまたま良い音が出る」「理由なく音が荒れる」といった現象が生じる。この不安定さはしばしば「調子が悪い」「コンディションの問題」として解釈されるが、実際には構造的なズレに起因している可能性が高い。ここで提示されている重要な転換は、「手が爪に適応する」のではなく、「爪が手に適応する」べきであるという点である。これはダイナミックスキル理論的に言えば、スキルの発現を支える基盤(constraint)の最適化に相当する。すなわち、スキルを発揮する主体の努力だけでなく、その発現を媒介する物理的条件を整えることで、より高次の安定したパフォーマンスが可能になるのである。さらに興味深いのは、「練習よりも爪の微調整の方が大きな改善をもたらすことがある」という指摘である。これは一見逆説的だが、合理的である。なぜなら、誤った構造の上で繰り返される練習は、そのズレを固定化し、補償的なスキルを強化してしまうからである。一方で、爪の形状が適切に整えば、そもそも補償が不要となり、自然な運動の中で安定した音が生成されるようになる。この状態では、演奏者はフレーズの途中で余計な調整をする必要がなくなり、音の流れが「落ち着く」という感覚が生まれる。最後に、「良い音は交渉を必要としない」という表現は示唆的である。ここでいう交渉とは、意識的・無意識的な補正の連続である。理想的な状態では、手と爪と弦の関係が協調的に働き、演奏者は音をコントロールするのではなく、むしろ音に乗ることができる。この「協働的な感覚」こそが、安定した音色の本質であり、その基盤はテクニック以前に、爪という極めて微細な形状の最適化にあるのである。フローニンゲン:2026/4/8(水)10:52


Today’s Letter

Speaking English is a musical activity for me; refining it allows me to express myself with greater musicality. I see it as a form of creative musical practice. Groningen, 4/8/2026

 
 
 

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