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【エディンバラ大学からの便り】19329-19332:2026年10月3日(土)

2 時間前
読了時間: 8分


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タイトル一覧

19329

着実に進む身体的適応と日々の探究

19330

今朝方の夢

19331

今朝方の夢の振り返り

19332

研究活動としてのギター練習


19329. 着実に進む身体的適応と日々の探究 

                     

時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。今、ようやく辺りが明るくなってきたところである。10月を迎え、日の出の時間が遅くなり、朝の時間帯の気温は10度を下回るようになってきた。しかし、想像しているほどに寒さはなく、また最近は天気が良い日が多いので嬉しい限りである。今日は午前6時あたりにアパートメントのジムに行ったところ、今日もまた先客がおらず、いつものようにSprint8のプログラムを始めた。すると途中のラウンドあたりで、1人小柄な若い女性がジムに入ってきて、自分の隣のトレッドミルでウォーキングを始めた。彼女は以前にもジムで見かけたことがあったし、自分が住んでいるアパートメントの棟に入ってくる姿を見かけたことがあるのでご近所さんなのだろう。今日のトレーニングでは、前回よりもさらに身体的な適応が進んでおり、フォームの乱れもなく、さらにはキツさを感じることはなかった。もちろん適度なキツさがあることは確かだが、それはトレーニングとして当たり前のことであり、それを上回るようなキツさがなかったという意味である。


今日は午後にゼミナールの第203回目のクラスがある。それに向けた予習に並行して、仏教倫理の第9週目の課題文献の初読を終えておきたいと思う。まだ第2週目の終わりであるが、もう少しで履修しているコースの全ての課題文献の初読が終わる。もし仮に課題文献の読解だけに集中していたらもうとっくにそれを終えていた頃だろうが、査読付き論文の執筆に向けたリサーチと研究計画を練ることに時間を使っていたのである。修士論文の執筆の前に、2つほど査読付き論文の投稿をしたいと考えており、最初の1本目の締め切りは近いので、まずはそちらに専心したい。エディンバラ:2026/10/3(土)07:02


19330. 今朝方の夢 

                                       

今朝方は夢の中で、デロイト時代のある上司の方から依頼を受けて、その方の暗号資産の運用をしていた。ある一つの銘柄の運用を特に期待され、その銘柄に焦点を当てて運用を始めてみた。しかし、人の資産だからなのか、はたまたその他理由からなのか、その運用にあまり真剣になれず、適当に売買をしている自分がいた。すると、当初の預かり資産の何と1/10になってしまい、これはまずいことになったと思った。ここから値上がりすることはしばらく期待できないため、一体どうしようかと考えた。自分の自己資産で損害分を補填することを考えたが、それよりも先にまず上司に現状を伝えようと思った。正直に伝えれば、上司も許してくれると思ったし、自分の算段では、あと2年後にこの銘柄は必ず大化けすると踏んでいた。もし2年間ほど長期保有を認めてくれるなら、最初に預かった資産の今度は逆に10倍にできるという確信があった。 


もう一つ覚えているのは、見慣れないモダンな商店街の一角の店の中にいた場面である。そこはどうやら家電屋のようで、液晶テレビが何台も置かれていた。すると、小中高時代のある友人(TK)と小学校時代のある女性の知人(HK)が現れ、今から短距離走の競争をしようということになった。不思議なことに、その場に突然非常に有名な探偵漫画のキャラクターが数人現れ、彼らも一緒に走ることになった。どうやらその様子は、全国放送で中継されるらしく、やるからにはみんな本気で走ろうという意気込みがあった。このメンバーの中では、陸上部のある中学校に転校した彼女が一番足が早そうで、彼女に勝てるかどうかが一番の焦点だった。エディンバラ:2026/10/3(土)07:10


19331. 今朝方の夢の振り返り   

                       

今朝方の夢は、自分が人生の異なる時間軸を行き来しながら、責任と自由、長期的な成長と短期的な成果、他者の期待と自分自身の可能性の間で、新たな均衡点を探していることを象徴しているのかもしれない。二つの場面は一見無関係であるが、どちらも他者から何かを期待される状況に置かれており、自分がその期待にどのような姿勢で応えるのかという共通の問いを内包しているように思われる。かつての上司から暗号資産の運用を任される場面は、過去の職業的な自己と現在の自己との対話を象徴しているのではないだろうか。上司は、社会的な責任や成果を重んじる価値観の象徴であり、暗号資産は、将来の可能性を秘めながらも、その価値が絶えず変動する人生そのものの比喩と考えられる。運用に真剣になれなかった自分の姿は、他者から与えられた目標よりも、自らの内側から湧き上がる探究心に従いたいという、現在の価値観の変化を映し出しているのかもしれない。預かった資産が10分の1になるという極端な展開は、単なる失敗への恐れではなく、これまで築いてきたものを一度失うことへの根源的な不安を表している可能性がある。しかし、ここで重要なのは、損失を自分の資産で補填することよりも、まず上司に事実を伝えようとしたことである。これは、自分が結果によって自己の価値を証明する段階から、誠実さそのものに価値を見いだす段階へと移行しつつあることを暗示しているのではないだろうか。さらに、2年後に資産が大きく増えるという確信は、短期的な失敗を長期的な成長の過程に位置づけようとする、自分の時間感覚を象徴しているように思われる。現在の研究生活もまた、すぐに成果が実るわけではない長期的な営みである。夢の中の暗号資産は、いまだ地中に眠る種子であり、2年という期間は、その種子が芽吹くまでに必要な忍耐の象徴なのかもしれない。ただし、将来の成功への確信には、現在の問題を先送りしたいという心理も潜んでいる可能性がある。一方、モダンな商店街の家電屋は、自分の内面が外部の世界と接続する場所を象徴しているのではないだろうか。何台もの液晶テレビは、人生を眺める複数の視点の比喩とも解釈できる。そこに幼少期からの知人たちが現れることは、社会的な肩書を獲得する以前の、純粋な自己との再会を意味しているのかもしれない。探偵漫画の登場人物たちは、複雑な現象の背後に隠れた真実を解き明かそうとする、自分の知的探究心を体現しているように思われる。その彼らとともに全国放送の短距離走に参加するという展開は、知的な探究と社会的な評価が交差する舞台を象徴しているのではないだろうか。とりわけ、足の速い女性の知人は、自分の能力を試すための基準として登場した可能性がある。勝敗よりも、実力のある相手と本気で競い合うこと自体に、成長への欲求が投影されているのかもしれない。二つの場面を貫くのは、時間に対する対照的な感覚である。暗号資産の運用には2年という長い時間が与えられる一方、短距離走では一瞬の集中力が問われる。自分は今、長い時間をかけて思想を熟成させる研究者であると同時に、目の前の機会に全力で挑む競技者でもあるのだろう。夢全体は、長期的な忍耐と瞬間的な情熱という二つの翼を備え、自分自身の人生を飛翔させようとする内面的な運動を映し出しているのかもしれない。エディンバラ:2026/10/3(土)07:25


19332. 研究活動としてのギター練習 

                                     

ブランダン・エイカー氏の言葉を読んで、改めて「練習しているつもり」と「実際に上達につながる練習」の違いについて考えさせられた。曲の最初から最後まで通して弾き、途中でミスをしてもそのまま進み、終わったらまた最初から弾く。この方法は確かに達成感がある。時間も使っているし、何度も曲を弾いているので、かなり練習した気持ちにもなる。しかし、エイカー氏が指摘するように、それは主として「曲を最初から最後まで演奏する練習」なのであって、問題を解決する練習とは別物なのだ。この区別は学術研究にもよく似ていると思った。論文を最初から最後まで何度も読み返すことは無意味ではないが、理解できない概念や論証の箇所が三つあるなら、そこに直接向かった方がよい。ギターでも同じで、ある曲の三小節だけが毎回崩れるのであれば、それ以外の数十小節を毎回弾いてから問題箇所に到達するのは、遠回りして同じ井戸へ水を汲みに行くようなものである。必要なのは、その三小節を切り出し、速度を落とし、右手と左手の動きを確認し、なぜ失敗するのかを特定することである。特に興味深いのは、「この曲が弾けない」と考えるのではなく、「この曲にはまだ安定して弾けない場所が三つある」と捉えるという発想である。前者では問題が霧のように曲全体を覆ってしまう。しかし後者では、霧の中に三つの地点が見えてくる。問題が局所化されれば、練習も具体化する。そして一つずつ修復していけば、いつの間にか曲全体の景色まで変わるのである。エイカー氏の言う実演モードと練習モードの違いも重要である。実演モードは現在の完成度を測る診断であり、練習モードは未来の演奏を書き換える手術のようなものだろう。通し演奏によって「どこで何が起きるか」を発見し、その後は問題箇所に顕微鏡を当てる。そして修正したものを前後の小節へ再び接続する。この往復運動こそが、本当の意味での練習なのだと思う。時間が限られているほど、この考え方は有効である。長時間ギターを触ることそのものが目的なのではなく、「変化が必要な場所に時間を置く」ことが重要なのである。30分しかなくても、問題を正確に見極めれば十分に進歩できる。良い練習とは努力量を増やすことではなく、注意の焦点を研ぎ澄ますことなのだろう。そう考えると、練習とは曲を繰り返す行為というより、自分の演奏を観察し、仮説を立て、修正し、再検証する小さな研究活動なのである。エディンバラ:2026/10/3(土)08:22


Today’s Letter 

Since arriving in Edinburgh, I have settled into a harmonious rhythm of life. It feels like a natural flow that nurtures me, with academic study, classical guitar, physical exercise, and friendships beautifully intertwined. Edinburgh, 10/3/2026

 
 
 

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