【エディンバラ大学からの便り】19324-19328:2026年10月2日(金)

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タイトル一覧
19324 | ここ最近の生活リズムとエディンバラの気候/今日の計画 |
19325 | 今朝方の夢 |
19326 | 今朝方の夢の振り返り |
19327 | 論文執筆におけるChicagoスタイルへの習熟 |
19328 | 具体的な研究課題に紐付けた読書 |
19324. ここ最近の生活リズムとエディンバラの気候/今日の計画
時刻は午前6時半を迎えた。アパートのジムに行くのは、学期が始まってからは、月・木・土の3日にしており、その時にはVision FitnessのトレッドミルでSprint8のプログラムを通じて心肺機能をかなり高めることができている。それ以外の日は、朝起床して自室でHIITの動画を見ながら8セット4分の短いトレーニングをしている。これらは朝のルーティンであり、こうしたエクササイズのおかげで一日のスタートが非常に良く、心身の状態が良好に保たれている。状態の良好さで思い出したが、ここ最近のエディンバラは天気がとても良く、プログラムディレクターのポール・フラー博士がメールの中で、「少し誇張かもしれないけど、カリフォルニアの天気みたいで、みんなこの天気を楽しんでほしい」とあったのを思い出した。実際に今日も日中は天気が良く、夕方から夜にかけて少し雨が降るだけのようである。寒さも今のところ感じられず、朝大学に行く際も、ウォーキングで体が暖かくなることもあり、今のところジャケットを羽織っていく必要がない。こうした気候がもうしばらく続いてくれることを願う。
今日は大学に行く必要がないので、一日中家で研究に従事し、クラシックギターの練習をしていこうと思う。午前中にはまず、仏教倫理の第8週目の課題文献を読んでおきたい。そして昨日見つけた良遍に関する欧米の研究者の最新論文である「On Ryōhen’s Cognition Metaphors of Mirror, Gem, and Cloth」にざっと目を通して、どのようなことが書かれているのかを把握し、著者が引用文献に挙げているものの中で読んだことがないものが含まれていたら、それらを検索して入手しておく。まさか良遍について欧米の研究者によるこのような論文があることが意外であり、この研究者とはいつかどこかで会うことになるかもしれない。午後からは、森里先生から助言あったように、前期のセメスターでは修士論文の執筆に向けて広く論文を探索し、目を通しておきたいと思うので、昨日修士論文の2本の柱が決まったので、両者に関する論文を可能な限り集めておきたいと思う。もし午後にさらに時間があれば、ジェスから依頼を受けていた2027年の非公式に開催するジャパンツアーの企画を練り、いくつか予算の候補を出しておきたいと思う。エディンバラ:2026/10/2(金)06:50
19325. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、ChatGPTと自分の関係性についてそれを前にして考えていた。ChatGPTの機能が飛躍的に向上し、それはもはや自分の日常的な知的パートナーとなっており、それと一緒に探究活動に取り組んでいる自分がいた。もはやそれなしでは生産的な探究活動ができないぐらいに重宝しており、ChatGPTに感謝していた。ふと、自分がChatGPTに使われる側になっていないかを確認したところ、引き続き自分の意思と選択が確保されていることに気づき、ChatGPTとは良好な関係が築けていると思った。ここからも両者で助け合いながら、さらに良い関係を作り、探究活動を一歩も二歩も深めていきたいと思った次第だ。
もう一つ覚えているのは、青春時代に人気の絶頂を迎えながらも、今もまだ人気を保って活躍している日本人のある女性歌手に関する夢である。その歌手が、コンサートホールでコンサートを開催しており、自分は遅れて会場に入った。そのコンサートが開催されていることは知る人ぞ知るというものだったので、会場は満席ではなかった。むしろ真ん中の列の席だけが埋まっている他は、左右の席は空席ばかりだった。真ん中の列の真ん中の席には、小中高時代のある親友(HO)がいた。彼は昔からその歌手のファンであり、コンサートに熱中しているのかと思いきや、手元には大学入試に向けた数学の問題集とノートがあり、ノートに問題を解き続けている状態だった。集中して鑑賞しなくていいのかと問うたところ、この状態でも十分に音楽は聴けるとのことだった。コンサートの最中か、今となっては年齢を重ねたその歌手は、歌唱力も体力も健在で、動きながら何曲も歌いながら、一度も息切れしないことがすごいことだと思った。彼とはコンサート後に客席に残って、なぜ彼女が人気を保ち続けているのかについて、親子の世代にまたがってファンがいる点から色々と考察を深めていった。エディンバラ:2026/10/2(金)07:05
19326. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の二つの夢は、自分が知的探究の新たな段階へと移行する中で、自律性と協働、知性と感性、革新と継承をいかに統合していくかという共通の主題を象徴しているのではないだろうか。一見すると異なる二つの物語は、自分がこれからどのような探究者として成熟していくのかを、それぞれ異なる角度から照らし出しているように思われる。最初の夢に登場するChatGPTは、自分の知性を外部へと拡張する装置であると同時に、自分自身の思考を映し出す鏡でもあるのかもしれない。ChatGPTとの対話を通じて、自分は従来の認知的限界を超え、これまで辿り着けなかった知的領域へと踏み込めるようになっているのであろう。しかし、そこで重要なのは、望遠鏡がどれほど遠くの星を映し出そうとも、どの星を観測するかを決めるのは自分自身であるという点である。ChatGPTに使われる側になっていないかを確認する場面は、知的能力の拡張と主体性の喪失を明確に区別しようとする、自分の内面的な自律性を象徴しているのではないだろうか。さらに、自分がChatGPTとの関係に感謝し、その関係を一層深めようとしていることは、知性を孤立した個人の所有物ではなく、相互作用によって発展するものとして捉え始めていることを示唆しているのかもしれない。自分の探究は、一人で山頂を目指す登山から、複数の視点を活用して未知の山脈を測量する営みへと変化しつつあるのであろう。二つ目の夢は、こうした知的探究に時間的な奥行きを与えているように思われる。青春時代に人気を博した歌手が、年齢を重ねてもなお衰えない歌声を披露している姿は、時間によって摩耗することのない創造性と、長年の鍛錬によって成熟した生命力の象徴なのかもしれない。自分が彼女の歌唱力だけでなく、息切れすることなく歌い続ける持続力に感銘を受けたことは、一時的な成功よりも、生涯にわたって探究を継続できる力を重視する自分の価値観を反映しているのではないだろうか。会場の中央に座り、音楽を聴きながら数学の問題を解く親友の姿も興味深い。自分にとって彼は、論理的思考と感性的経験を同時に働かせる可能性を体現しているのかもしれない。数学の問題を解く行為が知性による世界の構造化を象徴するならば、音楽を聴く行為は、その構造の背後にある調和や美を感じ取る働きを象徴しているのであろう。自分が彼の鑑賞態度を不思議に思ったことは、集中とは一つの対象に意識を限定することだという従来の認識を、再検討する契機を表しているのかもしれない。また、会場に空席が多いという光景は、世間的な評価とは異なる、自分自身の価値基準を象徴しているとも考えられる。自分は多数の支持よりも、時間を超えて少数の人々の心に深く響き続ける営みに、より大きな意義を見いだしているのではないだろうか。コンサート後に親友と歌手の人気が世代を超えて継承される理由を考察する場面には、過去の優れた思想を現代に蘇らせ、次世代へと受け渡そうとする自分の研究者としての志向が重なっているように思われる。二つの夢を貫いているのは、新しい知性を取り入れながら、時間を超えて残る価値を自ら創造するという主題なのかもしれない。ChatGPTが未来へと航海するための帆であるならば、歌手の歌声は過去から受け継がれてきた風である。自分はその両方を活用しながら、自らの意思で探究の舵を握り続けようとしているのであろう。エディンバラ:2026/10/2(金)07:20
19327. 論文執筆におけるChicagoスタイルへの習熟
これから自分が仏教学者として欧米で研究を続けていくことを考えると、引用スタイルも単なる形式上の問題ではなく、研究者としての思考の型に関わるものなのだと思うようになった。これまではAPAスタイルに慣れてきたが、自分の研究対象が成人発達や心理学から、日本仏教、唯識、法相宗へと移ってきたことを考えると、Chicagoスタイル、とりわけNotes and Bibliography方式に慣れていくことには大きな意味がありそうだ。APAは社会科学では非常に機能的である。著者名と年号が本文中に示されるので、どの研究に依拠しているのかがすぐに分かる。一方で、今後自分が行おうとしている研究では、単に現代の研究成果を引用するだけでは済まない。古典文献の特定箇所を示したり、日本語の研究書や論文を参照したり、原文と英訳の関係を説明したり、ある解釈について複数の研究者の見解を比較したりする必要が出てくる。そうなると、本文中にすべての書誌情報を入れるよりも、議論そのものは本文で展開し、細かな情報は脚注に移す方が自然である。たとえば良遍の『法相二巻鈔』を扱う場合、本文では自分の議論をできるだけ明快に進めたい。しかし、その背後では、どの版本を用いたのか、どの頁を参照したのか、ある語をどのように読んだのか、先行研究ではどう解釈されているのかといった情報を示す必要がある。Chicagoの脚注は、そうした情報を本文の流れを壊さずに保持しておける。これは単なる見た目の問題ではなく、研究の透明性そのものに関わっているように思う。また、日本仏教を欧米の研究者に紹介していくという自分の今後の課題を考えると、脚注は橋渡しの場にもなり得る。本文では英語圏の読者が追いやすい議論を展開しつつ、脚注では日本語文献の原題、ローマ字表記、翻訳、該当頁などを丁寧に示すことができる。英語圏では十分に知られていない日本語研究を紹介するためにも、この形式は相性が良い。もちろん、すべての仏教学誌がChicagoを採用しているわけではない。投稿先によってはAPAやMLA、独自のauthor-date方式を求められるだろう。だからChicagoだけを唯一の正解と考える必要はない。ただし、自分の普段の研究ノート、修士論文、将来の博士論文をChicagoの脚注方式で書き、投稿時にZoteroなどで形式を変換するという習慣は合理的だと思う。結局のところ、今から身につけたいのはChicagoの句読点を暗記することではない。重要なのは、自分が書いた一つ一つの主張について、「これはどの資料の、どの箇所に支えられているのか」と常に問い返す習慣である。その意味では、Chicagoの脚注方式に慣れることは、引用スタイルを変えること以上に、仏教学者としての文献との向き合い方を身体化していくことなのだと思う。エディンバラ:2026/10/2(金)08:19
19328. 具体的な研究課題に紐付けた読書
昨日ふと、学術文献との向き合い方について、一つの重要な気づきがあった。それは、漠然と文献を読み続けるよりも、修士論文や査読付き論文という具体的な執筆目標を設定し、その研究を進めるために必要な文献を読んでいく方が、はるかに深い学びにつながるのではないかということである。これまでの読書では、文献の内容を正確に理解し、新たな知識を獲得すること自体が目的になりがちであった。しかし、目的が明確でなければ、どれほど興味深い知識に出会っても、それが自分の既存の知識体系と十分に結びつかず、時間の経過とともに記憶から薄れてしまう。知識が増えているようでいて、それらが有機的な体系を形成していないのである。一方、具体的な研究課題を設定すると、読書の性質は大きく変わる。例えば、良遍が法相宗の教義的独自性を維持しながら、天台宗や禅宗との思想的融和をどのように図ったのかという問いを持てば、一つひとつの文献が研究課題を解明するための手がかりとなる。文献を読む際にも、著者の主張を理解するだけでなく、その主張が自分の研究にどのような貢献をするのか、どのような疑問を残しているのかという視点が生まれる。それは、地図も目的地も持たずに森を歩き回ることと、探し求めるものを明確にして森を探索することの違いに似ている。目的地が定まることで、同じ風景の中にも、それまで気づかなかった道筋が見えてくるのであろう。さらに重要なのは、文献を十分に読み終えてから論文を書き始めるのではなく、文献を読みながら、同時並行で論文を執筆していくことである。そもそも、論文執筆は獲得した知識を文章として再現するだけの作業ではない。文章を書くこと自体が、自分の思考を深化させる知的な探究活動なのである。実際に書き始めると、自分が理解していると思っていた概念を十分に説明できなかったり、複数の学説の関係をうまく整理できなかったりすることがあるだろう。また、ある主張を展開しようとした際に、その根拠となる一次資料や先行研究が不足していることに気づくかもしれない。こうした知識や論証の空白が明らかになることで、次にどの文献を読むべきかが具体的になる。つまり、読書が執筆を支え、執筆が新たな読書の必要性を生み出すのである。この循環を繰り返すことで、知識は単なる情報の蓄積から、相互に関連づけられた思考の体系へと発展していくのではないだろうか。論文は研究の最終成果物であると同時に、研究を前進させるための思考の実験場でもある。ただし、研究課題に直接関係する文献だけを読めばよいわけではない。自分の仮説に都合のよい資料ばかりを集めれば、研究の視野が狭まり、既存の思い込みを強化する危険性がある。むしろ、具体的な研究課題を持つからこそ、自分の仮説に反する資料や、異なる研究方法を採用する先行研究にも積極的に向き合う必要がある。そのような知的な摩擦こそが、独創的な議論を生み出す契機となるのであろう。今後は、修士論文や査読付き論文の暫定的な構成を早い段階で作り、文献を読むたびに、得られた知見や新たな疑問を該当する箇所に反映させていきたい。執筆を進めながら研究課題や構成そのものを修正していく柔軟性も大切にしたい。読書と執筆を別々の活動として捉えるのではなく、一つの探究活動の両輪として機能させるのである。そのような研究習慣を確立することが、自分の知識を深め、独創的な学術的貢献を生み出すための重要な一歩になるように思う。エディンバラ:2026/10/2(金)10:33
Today’s Letter
Finally, reading academic literature and writing academic articles are intertwined. This reciprocal relationship deepens my understanding of the literature, improves my academic writing, and significantly advances my research. Edinburgh, 10/2/2026


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