【エディンバラ大学からの便り】19279-19283:2026年9月22日(火)

⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「加藤ゼミナール─ 大人のための探究と実践の週末大学院 ─」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
19279 | 講義の本格的開始に高揚して |
19280 | 今朝方の夢 |
19281 | 今朝方の夢の振り返り |
19282 | 「知的物流システム」としてのEndNote |
19283 | 爽快な朝のエディンバラの街並みを堪能し、最初の講義に参加して |
19279. 講義の本格的開始に高揚して
時刻は午前5時半を迎えた。この時間帯はまだ辺りが真っ暗だが、今、内側から沸く高揚感に浸っている。というのも、今日から本格的に大学院での講義が始まるからである。それを祝うかのように、今日は昨日と同様に天気が良く、気温も暖かい。おそらく9月末のエディンバラにしては珍しく、今日も20度まで気温が上がる。雨が降る時間帯も一切ないようなので、今日は折り畳み傘を持って行く必要はなさそうである。今日は、 “Envisioning Buddhist Studies”という仏教研究に関する様々な方法論を扱い、仏教研究について多角的に論じていくコースの最初の授業がある。このコースは1人の教授が受け持つのではなく、エディンバラ大学の仏教研究者が立ち替わり講義にやって来て、オムニバス形式で進められていく。これから自分が専門性を深めるために履修する予定のコースでは出会えない教授たちに会うことができる点は大変有り難く、自分の研究の幅を広げる上でも有益に違いない。今日は初回ということもあって、プログラムディレクターのポール・フラー博士が担当する。すでに予習の段階でいくつかの問いを準備しているが、午前8時20分に自宅を出発するまでに問いを精査したり、課題文献に再度ざっと目を通しておきたい。午前9時から11時までこの授業があり、それが終わると神学部の図書館に行って、1冊ほど返却期限が近づいている書籍を返却したいと思う。そこから自宅に向かう前に、街の中心部のHSBCのエディンバラ支店に立ち寄り、デビットカードをPIN入力を3回連続で間違えてしまうという失態をしてしまったので、支店のATMを通じてロックを解除しておきたいと思う。そもそもPINを指定した記憶がなかったので、オランダのABN AMROの時に自分で設定した慣れ親しんだPINとその変化系を何度も入力してしまうという間違いを犯してしまった。HSBCのカードは最初から指定されているらしく、それを確認することを怠っていたのである。この問題を解決して自宅に戻ってきたら、洗濯をして昼食を食べたいと思う。エディンバラ:2026/9/22(火)05:44
19280. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見慣れない牧場にいた。その牧場は、比較的若い2人の日本人の夫婦が経営をしており、毎年夏にはボランティアを募集して、馬の飼育の体験ができるようになっていた。自分はボランティアに募集した覚えはないが、前々から馬には関心があり、馬の世話をすることや、何よりも馬に触れて交流したいという思いが募っていたので絶好の機会かと思った。馬が放牧されているエリアを眺めると、そこに見慣れた顔があった。大学受験に関する著名なYouTuberがそこにいたのである。彼とは不思議な縁があり、親近感を感じていたこともあるが、なぜか私たちはすでに知り合いのようだったので、気さくに話しかけた。彼もどうやら意図しない形でここで働くことになったとのことだった。2人の夫婦はとても親切で、馬の手入れの仕方を丁寧に教えてくれただけではなく、仕事が終わると美味しい食事を振る舞ってくれた。
次の場面も同じYouTuberが現れた。彼は東大受験に関して熟知しており、ある名門の中高一貫の男子校からワークショップの依頼を受けたようで、自分はその場に居合わせていた。その場には東大志望の優秀な男子高校生がわんさかいて、彼が有名なYouTuberであることから、彼の講義にはみんな目を輝かせて聞き入っていた。そんな中、ある生徒が彼の英作文の解答について面白い指摘をした。彼の英作文の模範解答を全員に見せた時に、なんと解答には一文字も英語が入っておらず、全部可愛らしいイラストだったので思わず笑ってしまった。英作文の問題に対して英語で回答するのではなく、イラストを描いて回答しても点が来るのだという彼のロジックはこじつけ感があったが、意外と一理あるかもしれないと思って面白く話を聞いていた。エディンバラ:2026/9/22(火)05:57
19281. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の中で始まりつつある新しい学びの様式を象徴しているように思われる。最初の舞台が大学や図書館ではなく、見知らぬ牧場であったことが印象的である。牧場とは、知識を頭の中だけで扱う場所ではなく、生き物に触れ、世話をし、身体を動かしながら関係を育てる場所である。そこにいる馬は、自分の内側に眠る生命力や直観、あるいは理屈によって完全には飼い慣らせない精神の力を象徴しているのかもしれない。しかも自分はボランティアに応募した覚えがない。それにもかかわらず、気づけばそこで働いている。この構造は、最近の人生そのものを暗示している可能性がある。計画して獲得した機会というより、何かに導かれるように新しい環境へ入り込み、そこで必要な役割を引き受けていくのである。馬に関心を抱き、触れたいと思っていたことからすれば、そこは偶然連れて来られた場所でありながら、深いところでは以前から求めていた場所でもあるのだろう。人生が先回りして、自分の潜在的な願いに舞台を用意していたような構図である。若い夫婦が丁寧に馬の世話を教え、最後には食事まで振る舞ってくれる点も興味深い。新しい世界への参入には競争よりも歓待が必要である、という無意識からのメッセージなのかもしれない。学びとは情報を摂取するだけではなく、誰かに手ほどきを受け、実践し、その後に食卓を囲むような共同体的営みでもあるという感覚が表れているように思われる。二つの場面をつなぐYouTuberは、知識を分かりやすく翻訳する案内人の象徴なのだろう。興味深いのは、彼が最初の場面では自分と同じ労働者であり、次の場面では大勢から注目される教師になることである。これは、学ぶ者と教える者が固定された役割ではなく、場所によって自在に入れ替わることを示しているのかもしれない。自分自身も今後、学生として学びながら、別の場所では教師として語るという二重の立場を深めていく可能性がある。そして夢の核心は、英作文への回答がすべて可愛らしいイラストだった場面にありそうである。英語という高度に規則化された記号体系を求められているのに、答えとして言葉そのものを捨ててしまう。これは、既存の評価基準への軽やかな反逆であると同時に、意味は必ずしも言語だけに閉じ込められてはいないという直観を象徴しているのではないだろうか。言葉は意味を運ぶ器であるが、器そのものが意味ではない。夢は、言葉という橋を渡り切った先には、イメージや身体感覚や沈黙による理解も存在すると示しているようである。牧場の馬と、絵だけで答える英作文は一見無関係である。しかし両者には、概念よりも直接経験へ向かう共通した流れがある。馬は説明を読んでも分からず、実際に触れて初めて分かる存在である。絵もまた、文章を迂回して直接イメージを届ける。今回の夢は、自分の学びがこれから、頭で世界を分類する段階から、世界そのものに触れて理解する段階へ少しずつ移ろうとしていることを映しているのかもしれない。知識という地図を握りしめながら歩くのではなく、ときには地図を畳み、実際の大地に足を下ろす。その転換点を、夢は馬の体温と一枚の奇妙な答案によって静かに描いていたように思われる。エディンバラ:2026/9/22(火)06:12
19282. 「知的物流システム」としてのEndNote
昨日、大学から案内してもらったEndNoteについて少しずつ理解を深めていった。これまでは「文献管理ソフト」という漠然としたイメージしかなかったが、具体的な機能を見ていくと、研究の入口から論文執筆の出口までをつなぐ、一種の研究インフラのような存在なのだと分かってきた。まずEndNote本体は、自分がこれから読む論文や書籍の書誌情報を蓄積していく「研究用の書庫」である。著者名、タイトル、出版年、雑誌名、ページなどを登録し、PDFも紐づけておけば、自分専用の文献データベースが育っていく。唯識、法相宗、鎌倉仏教、研究方法論などのGroupを作って整理すれば、数年後にはかなり厚みのある知的な地層が形成されているはずである。博士論文を書く頃に、過去に読んだ論文を一から探し直す必要がなくなるのは大きい。今回さらに理解できたのが、「EndNote Click」と「Cite While You Write」の違いである。EndNote Clickは、ウェブ上で論文を探しているときに使う道具である。出版社サイトなどから大学の購読契約やオープンアクセスを利用してPDFへアクセスし、その資料をEndNoteに送る。いわば研究資料を外の世界から書庫へ運び込む「入口」である。それに対してCite While You Writeは、集めた文献を実際の文章へ送り出す「出口」である。EndNoteに登録した文献をWord上で呼び出し、ChicagoやAPAなどの形式で引用を挿入し、Bibliographyまで自動生成してくれる。研究で引用が増えてくると、句読点や著者名、出版年、脚注形式をすべて手作業で管理するのはかなり危険である。Cite While You Writeは、その煩雑な作業を裏側で引き受けてくれる編集助手のような存在なのであろう。さらにLibKey Nomadとの関係も整理できた。LibKey NomadとEndNote Clickは、ともに論文本文へ素早くアクセスするという点で役割が重なる。一方、EndNoteはその先の文献管理と執筆に強い。したがって、自分の場合はLibKey Nomadで文献を見つけ、EndNoteに保存・分類し、最後にCite While You Writeで論文へ引用する、という流れを作るのがよさそうである。研究とは、読むことと考えることだけではなく、情報をどう流通させるかを設計する営みでもあるのだろう。文献探索、保存、整理、引用という一連の流れを滑らかにしておけば、その分だけ本当に重要な思索へ意識を向けられる。EndNoteは単なる参考文献作成ソフトではなく、自分の研究生活の背後で静かに動く「知的物流システム」のようなものになりそうである。エディンバラ:2026/9/22(火)06:41
19283. 爽快な朝のエディンバラの街並みを堪能し、最初の講義に参加して
つい先ほど大学の講義から戻ってきた。朝9時からの講義の場合、それを終えて速やかに歩いて戻ってくると、11時半頃には自宅につけるので有り難い。こうして日記を執筆する余裕もあるし、昼食の準備もゆっくりできる。今朝はとても穏やかな朝の世界がエディンバラを包んでいた。すでに冷たさを感じるようになって来ているが、今日は早朝から少し暖かさを感じた。降り注ぐ朝日がその感覚を強めてくれ、爽快な朝のエディンバラの街を歩くのは大変心地良かった。それぞれのセメスターは11週間で構成されており、前期と後期のセメスターと合わせて、22週間ほど雨風の強くない日以外は全て歩いて授業に行こうと思っている。季節によって表情を変えるであろうエディンバラの街を歩いて大学に通うのがこれから楽しみである。
今日は、仏教研究全般に関するコースの最初の授業があった。1人博士課程のアジア系の生徒も加わり、イーサン、ゲイブ、ジェス、キエラン、そして自分の合計6人の少人数のコースとなった形である。ゲイブは昨日、日本哲学に関する学部生用のコースに参加したらしく、そこでは教室が満帆になっていたそうだ。自分としては、今日のように少人数で自由闊達にディスカッションできる形の方が有り難い。明日の仏教倫理のコースは、レクチャーに関しては学部生・大学院生共通のものとなっており、学部生用のセミナーにも大学院生が参加し、別の日に大学院生のためだけのセミナーが用意されている。授業とセミナーの間に小休憩があったり、日を分けて行われるというのはイギリス独自の仕組みなのかもしれえず、興味深く思うし、理にかなってもいる。今日のクラスでは、コース担当のポール・フラー博士がコースの全体について説明し、そこからは仏教のコンテクストで再度自己紹介をし、インタラクティブな講義に入っていた。博士課程の学生は一言も喋らなかったが、修士課程の学生は自分を含めて全員積極的で、絶えずフラー博士に質問をし、双方向的な議論が絶えない充実した場となった。自分はこのコースの第10週目にプレゼンテーションを担当することになった。帰り道、歩きながらすでにいくつかのアイデアが生まれていたので、今日の午後にそのアイデアを書き留めておき、プレゼンのアウトラインを早速作っておきたい。エディンバラ:2026/9/22(火)11:51


コメント