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9142-9145: フローニンゲンからの便り 2022年9月20日(火)



No.4000 曼陀羅の飛翔_A Flight of Mandala


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1838, A Breeze of Morning Light

I feel a breeze of morning light.

It gives me a direction about where I should go or where I want to go.

Groningen; 10:52, 9/20/2022


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本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9142. 精神の肥やしをもたらす冬の到来を感じて/今朝方の夢

9143. 今朝方の夢の続き

9144. テクノロジー哲学の講座に関する音声ファイルを作成しながら/思考と感覚

9145. 充実感と感謝の念を抱いて


9142. 精神の肥やしをもたらす冬の到来を感じて/今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。辺りはまだ真っ暗である。ここのところ毎日寒いと言っているような気がするが、本当に寒い。今の気温はわずか7度しかない。今日の日中の最高気温は15度であり、最高気温ですらそれくらいである。明日に至っては、最低気温がなんと5度になる。まだ9月だというのにその寒さである。逆にこうした寒さを喜んでいる自分がいる。なぜなら、冬が一番自分を成長させてくれるからである。冬は自分の精神を逞しくし、大きな肥やしを与えてくれるのだ。そうした冬がとても長い地に住むことができて本当に嬉しく思う。ひょっとしたら、これがこの地で迎える最後の冬になるかもしれない。だからこそ尚更今年の冬を深く味わおうとしているのかもしれない。


今朝方の夢についていつものように振り返っている。夢の中で私は、実際に通った中学校の廊下にいた。学年としては中学2年生のようであった。自分は同学年の中だけではなく、上の学年と下の学年を合わせて、全校生徒の中で一番賢かった。それは学校の成績というよりも、何かの知能検査を受けたときに証明されたことだった。廊下をしばらく歩いていると、その先に大きな教室があり、これからそこで授業があるようだった。ちょうど今は授業の前だったので、扉や窓が開けられていて、換気をしているようだった。授業の開始を知らせるベルが鳴ると、みんな一斉に教室に集まってきた。私は特に焦ることもなく、教室の扉を手で押さえておいてあげて、多くの生徒が中に入れるようにした。教室に入ると、1人とても目立つ人がいた。教室の左の2番目の列の一番前に母が座っていたのである。一瞬、授業参観かと思ったが、正装した母は授業を見に来たのではなく、受けるつもりのようだった。母が教室にいることを嫌がることなく、むしろ私は嬉しくなって、教室のみんなに母を紹介しようと思った。と言うよりも、教室の皆んなは母のことを知っていたので、ちょっと面白い仕方で紹介しようと思った。母が座っている場所に歩いて向かい、後ろから母の肩をちょんちょんと突いた。そこで私は、少し面白いやり方で母を皆んなに紹介した。すると教室の皆んなが笑い、とても良い雰囲気になった。そこから授業が始まった。ここは中学校のはずだが、始まった授業は数学の微分だった。ある親友(SI)が先生に当てられ、教室の前で発表を始めた。彼の発表に対して私はある質問をした。微分記号の意味を図式してほしいと述べたのである。それを無機質な数学記号のままで理解することは難しいと思ったので、その記号が意味することを図示することは皆んなの理解を助けると思ったのだ。しかし彼はその説明がうまくできないようだったので、自分が代わりに黒板を使って説明した。そのような夢を見ていた。今もまだ、教室の和やかな雰囲気を覚えている。また、夢の中の自分が母が教室にいたことをとても嬉しく思っていたことが印象的である。フローニンゲン:2022/9/20(火)05:56


9143. 今朝方の夢の続き


時刻は午前6時を迎えた。辺りはまだ真っ暗であり、空がダークブルーに変わり始めるまでにもう30分ぐらい時間を要しそうだ。秋を飛び越してもう冬の様相である。とても短い秋がもう終わりを告げようとしている。この寒い感じはまさに冬である。自分に多大なる肥やしをもたらしてくれる冬の到来を喜びながら、今日もまた自分の取り組みを前に進めていこう。昨日の段階で、進学大学院への出願に向けた準備の大半を終え、今日はその準備に時間を充てることはしない。推薦状の執筆を依頼した3人からメールが返って来ていれば、お礼のメールを返信する。今日は昨日と同様に、テクノロジー哲学の講座に向けた音声ファイルの続きを作っていこう。今日は昼前から、ラスキー博士とのプログラムにおける日本語のフォローアップセッションがあり、それが始まるまでは音声ファイルの作成に時間を充てよう。今日取り上げる予定の書籍の第5章はとても分量があるが、ひょっとしたら全ての項目に対して音声ファイルを作ることができるかもしれない。フォローアップセッションまでの時間を使って、できるところまで音声ファイルを作成しようと思う。


朝の寒さを味わいながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、見慣れない公民館のような場所にいた。そこには中学生が数多くいて、自分もまた中学生だった。公民館に入ると、とても香ばしい香りが漂って来た。どうやらBBQをそこで行っているらしかった。屋外ではなく、公民館の中で窓を開けながらBBQをしている光景を見た時、少し不思議に思えたが、その場にいた中学生の嬉しそうな表情を見て、その疑問もすぐに吹き飛んだ。大人の姿は全く見れず、全て中学生の子供たちが運営をしているようだった。私も手伝いとして肉を焼くことになった。BBQセットの上で肉を焼くのではなく、地面で肉を焼くという変わったやり方が採用されていて、最初それに驚いた。さらに驚いたのは肉の大きさとナイフの大きさである。肉の大きさは見たことのないぐらいの大きさであり、それはもう肉の塊であった。そして肉を切るナイフは日本刀のような大きさで、しかも切れ味が抜群であった。いざ肉を地面で焼いてみると、ジューシーな肉汁と香りが出て来た。私は肉を食べないが、その肉汁と香りは確かに食欲をそそると思った。私の近くには小中高時代の2人の友人(AF & SN)がいて、肉が焼き上がるのを待っていた。彼らに肉を差し出そうとすると、モンゴル人の中学生が2人やって来た。彼らの体格は大きく、将来力士になれるようなぐらいに大きかった。彼らは日本語がほとんどわからないようだったが、にこやかにして肉を欲しそうにしていた。なので、横にいた2人の友人に彼らに先に肉をあげようと述べた。2人が同意してくれたので、私は日本刀のような巨大なナイフを使って地面の肉を切った。すると、随分と大きく肉が切れたので、力士風の2人のモンゴル人はとても喜んでいた。彼らに肉を渡した後、2人の友人にも肉を渡し、味の感想を聞いてみたところ、火の通り加減も含め抜群に旨いとのことだった。フローニンゲン:2022/9/20(火)06:11


9144. テクノロジー哲学の講座に関する音声ファイルを作成しながら/思考と感覚


時刻は午後3時を迎えた。つい今し方仮眠を取り終え、目覚めたところである。正午前から先ほどまで、ラスキー博士とのプログラムに関する日本語でのフォローアップセッションを行っていた。今から少しばかりフォローアップセッションの内容をさらにフォローする音声ファイルを作成しようと思う。いくつか補足したい論点があったので、それについて自分の考えを共有しておこう。


午前中は計画通り、テクノロジー哲学の講座に関する音声ファイルを作成していた。音声ファイルを作成することはもはや自分の中でフリースタイルのラップをするような芸事のようになりつつある。今日はまず、マルクスのテクノロジー思想について取り上げ、そこからアンドリュー·フィーンバーグ、ピーター·ポール·ヴァービーク、ハーバート·マークーゼ、ミシェル·フーコーなどのテクノロジー思想について取り上げた。フォローアップセッションまでに時間があったので、フェミニズムとテクノロジー哲学に関する音声ファイルも部分的に作っていった。フォローアップセッションの音声ファイルを作り終えたら、その続きの音声ファイルも作っていこう。


今日は改めて、思考に含まれる感覚について考えていた。それは、ラスキー博士の区分である認知的発達と社会的·感情的発達の領域に繋がる話である。発達領域が異なれば、含まれる感覚の種類も度合いも変わってくるのだが、思考を働かせた瞬間に、あるいは認知を働かせた瞬間に、領域固有かつ実践固有の感覚が立ち現れてくるように思う。それは現象学的に自分の内面を観察して思うことである。今日のセッションの中では直感について取り上げられたが、直感もまた領域固有かつ実践固有のものがあるだろうし、固有の感覚を見に纏うものかと思われる。このあたりについては自分の内面的体験をデータにしながら、引き続き観察を考察を続けていこうと思う。フローニンゲン:2022/9/20(火)15:11


9145. 充実感と感謝の念を抱いて


時刻は午後9時を迎えた。今日もまた充実感と共に1日が過ぎて行った。そして、1日の終わりに深い充実感を感じている。このようにして自分の日々は、そして人生は、充実感の燃焼過程としてあり続けるのだろう。それにただただ感謝したい。感謝ということで言えば、推薦状を依頼した3人のうち、早速1人の教授から連絡があった。それは、5年前に研究アドバイザーを務めて下ったサスキア·クネン教授である。クネン教授からすぐさま返信があり、快く推薦人を引き受けてくださることになった。そのため、改めて今の自分の学術研究上の関心を伝えた。とにかく今はクネン教授に感謝したい。あと2人の教授からも良い返事が貰えれば嬉しい。その際には丁寧にお礼を述べて、クネン教授に行ったように、きちんと今の自分の学術上の関心について伝えたいと思う。


今日は夕食前に箏の稽古を行った。昨日の予定通り、技術的には合わせ爪の練習を行った。これについてはもっと念入りに稽古をしたいと思う。やはりまだまだ中指と親指での合わせ爪が同時に音が鳴らないことがあり、百発百中音が同時に鳴るようにしたい。以前より気づいているが、どうやら中指からの神経伝達速度は親指からのそれに比べてコンマ何秒か遅いので、合わせ爪をする際には、とにかく中指側から先行して神経伝達信号が送られるように意識する必要がある。その意識を持つと、同時に音が鳴る確率が上がる。その意識で練習を継続させていき、いつか中指側を強く意識しなくてもきちんと合わせ爪ができるようになりたい。


また今日は、テクノロジー哲学の講座に向けた音声ファイルも予定通りの箇所を作り終えた。明日は、講座で取り上げる書籍の第6章に関する音声ファイルを作成できたらと思う。明日は昼前に動画のオンライン撮影があるので、それまでの時間と午後からの時間を使って音声ファイルを作成したい。明日は夕方に、気分転換がてらジムに行こう。今週末に控えたロビンさんとのプライベートレッスンに向けて、その時のランク2の試験に向けて、最後の調整をしていきたい。明日もまた充実した1日になることを祈って、今日という1日に感謝の意を伝えながら就寝に向かいたい。フローニンゲン:2022/9/20(火)21:08

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