top of page

9129-9133: フローニンゲンからの便り 2022年9月17日(土)



No.3997 光の重なり_Layers of Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1803, A Continuous Process

A work passes a baton to another.

My creative work continues in that way.

Groningen; 19:16, 9/17/2022


No.1804, Infinity

The evening is going to infinity.

The movement will bring tomorrow’s infinity.

Groningen; 19:33, 9/17/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9129. 今朝方の夢

9130. 社会的連帯経済の書籍を読みながら

9131. 信用創造と利子の内在性質の探究に向けて

9132. 箏の稽古(34):様々な奏法を練習して

9133. 記憶と回想/日本の各種思想史への関心の高まり/出願準備に向けて


9129. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。先ほどから激しい雨が降り始めた。空は明るいのだが、激しい雨粒がほぼ直線に地上に降り注いでいる。昨夜は風も強く、昨日完成した車庫の上の緑化された土が飛んでいないか確認したところ、無事のようだった。オーナーのフレディさんはちゃんと雨や風を計算して作っているようだったのでさすがである。昨日からぐっと冷え込んできたように感じ、室内では靴下を履いて過ごすようになった。また、これまでは寝室の扉を開けていたが、それだと寝室が寒くなってしまうので、昨日からは玄関に続く扉を閉めて寝るようになった。この感じの寒さだと、室内に自動で暖房が入るのも間も無くかと思う。


朝の寒さを感じながら今朝方の夢を振り返っている。夢の中で私は、山と川のある田舎にいて、山の中にある川沿いを歩いていた。道路はきちんと舗装されていて、車線の間隔も広く、道は綺麗だった。時折車がやって来たが、基本的にとても静かな状態が続いていた。しばらく道を歩いていると、先ほどの出来事について思い出した。先ほど、高校の授業をサボってアジトに行き、そこで時間を潰していた。その際に、都会から転校してきた気の合う友人と一緒に色々と話をしたりしていた。彼は都会風の外見をしていて、田舎にはあまりいない雰囲気を身に纏っていた。彼とはそのアジトで話をする以外にも、そこには音響設備も整っていたので、楽器を演奏しながら歌を歌ったりしていた。このアジトは元々ラジオ局だったらしく、音楽関係の設備は整っていて、以前のオーナーが私たちのために楽器なども置いていてくれたのである。しばらく時間を潰していると、ガラス張りの音響施設の向こうから数人の大人がやって来る姿が見えた。友人と私はこのアジトがばれたのかと思い、少し焦った。ところが、その人たちは中学校の先生で、今度その中学校からうちの高校に何人か進学するらしく、挨拶に来たのである。幸いにもいつも掃除をしていたので、このアジトはとても綺麗であり、先生たちからすると、ここは高校の部活部屋のように思えたのだと思う。ちょうどアジトの中には高校の宣伝用のパンフレットの束があり、何枚かのパンフレットを先生たちに持って帰っていただくことにした。その他にもこのアジトには陶芸をするための部屋があり、中年の女性の先生がそれに興味を示したので、せっかくなので陶芸を体験してもらうことにした。また、最近自分が出版した書籍や、今ここにはいないが、アジトの一堂が関心を持っている漫画の最新刊が天井まである本棚にびっしり並んでいる部屋にも先生たちを案内した。そのような夢の場面があった。フローニンゲン:2022/9/17(土)08:18


9130. 社会的連帯経済の書籍を読みながら


今日は少し休憩として、和書を読み進めようと思っている。ここ最近は洋書の学術書を毎日何冊も読み続ける日が続いていて、昨夜は少し頭がパンクしているような感じになった。それをある種のサインとみなし、今日はのんびり和書を読み進めていくことにした。今取り掛かっているのは社会的連帯経済に関するもので、それを読み終えたら日本の思想史や日本の政治思想史に関する書籍を読み進めていこうと思う。ここ最近はいつか欧米の大学で教鞭を執っている自分の姿がイメージされ、その時には日本研究の講座を担当し、日本の政治思想や経済思想なども取り扱っていければと思う。そんなイメージの実現に向けて、自然と関連書籍を読み進めている自分がいる。日本の思想史を本格的に探究するというのはこれまでにないことであり、また新たな世界と道が開かれていきそうである。


社会的連帯経済の書籍を読みながらふと書斎の窓の外を眺めると、そこには緑豊かな世界が広がっていることに改めて気付かされた。遠くの木はすでに紅葉し始めているが、まだ青々とした葉をつけている木もある。そして、昨日完成した目の前の車庫の屋根の緑化がなんとも言えない味を出している。社会的連帯経済が大切にする1つの項目として、持続的な社会の実現が挙げられるが、屋根の緑化のような小さな取り組みもきっと何か意味があるのだろうと思えて来る。その局地的な現象そのものは確かに自分や近所の人にしか影響を与えないのかもしれないが、こうした緑化の動きを後押しする目には見えない文化的な動きを大切にしたいものである。屋根の緑化に向けて何トンもの土を購入してきて、それを大型トラックで運んでくる様子は仰々しいものがあったが、半日ほどで緑化の作業が完成した姿を目の当たりにすると、屋根の緑化はそれほど時間も労力もかからず、それでいて自然を取り戻す活動として何か意味があるように思える。少なくとも書斎から毎日緑化された屋根の上を眺めるのはとても気分がいい。そこに木が生えてくれば、純粋に目の保養になるような気がするし、それは心にも良い影響を与える。オーナーのフレディさんは、自分に自然との共存·共栄の仕方を教えてくれているような気がする。フローニンゲン:2022/9/17(土)09:35


9131. 信用創造と利子の内在性質の探究に向けて


民間銀行には信用創造という一風変わった、いや錬金術的な不可解な仕組みがある。例えば、10%の準備率を義務付けられている銀行は、預金者が100万円をその銀行に預けた場合、1000万円まで銀行は貸し出しすることができる。ここで生まれた1000万円はまさに信用創造という錬金術の賜物である。先日読み進めていた主権通貨に関する書籍の中でも、民間銀行に信用創造させることを批判しており、改めて信用創造の問題については深く探究していきたいものだと思った。それがどのような背景と歴史の中で生まれたのかを含め、信用創造については神学的な観点からも紐解きたい。神学との接続で言えば、やはり利子という怪物にも探究の目を向けたい。指数関数的に拡大していく利子に関しても、その発生の起源を辿り、その根拠付けを探究してみよう。イスラム金融に関心を持ったのは、イスラム教においては利子を徴収することが禁じられているからでもある。コーランの中に利子はどのように説明されているのだろうか。利子についても個別に探究したい。そして、ユダヤ教やキリスト教が教義の解釈を変えて、利子を徴収することを許容したことについても歴史的かつ聖書の文献学的な調査もしてみたい。信用創造と利子というのは、現代金融において不可欠のものとして存在していながらも、どこか不可解な性質を内包している。


時刻は午後1時を迎えた。今日は少し風が強い。天気予報とは異なって、今青空が広がっている。気温はもう随分と低いが、秋晴れの土曜日はとても穏やかで心地が良い。午前中は少々読書を行い、そこからはラスキー博士の提唱した28個の思考形態について1つ1つを取り上げて解説する動画を撮影していた。それが先ほど終わり、今回のラスキー博士とのプログラムの受講者の皆さんに週明けにシェアをしたいと思う。全ての動画を撮影し終えたので、午後からは引き続き読書に取り掛かりたい。今日は洋書ではなく和書を読み進めていくことにし、ここからは日本の思想史と日本の政治思想史に関する書籍を読み進めていこうと思う。フローニンゲン:2022/9/17(土)13:13


9132. 箏の稽古(34):様々な奏法を練習して


時刻は午後4時半を迎えた。今日は風が強く、季節の変わり目のような気配が漂っている。昼過ぎにふと、ハイデガー的に、人間存在を時間性の観点から捉えていくだけではなくて、和辻的に、人間存在を空間性の観点から捉えていく試みも意識していこうという考えが芽生えた。人間は、時空間の双方と密接に関係した存在なのである。自らの実存性と時空間との関係性についての関心が絶えない。そのようなことを考えていたことを思い出した後に、箏の稽古をしていた。今日は昨日の計画通り、テクニック集の3曲の課題曲を練習した後に、まずはトレモロから練習をした。トレモロは以前鬼門だったが、ここ最近は随分と小刻みな音を出すことができるようになっていて、コツを掴んだようだ。当然ながら、まだ途中で音が途切れてしまう瞬間があるので、より精度を高めていく練習を積んでいく。そこからは6曲ほど曲を練習していき、それぞれの曲の精度を高めていった。ここからは、「家路」と「愛の挨拶」の2曲をより集中的に練習していきたいと思う。今はハ長調にチューニングした形で色々と練習しているのだが、どこかのタイミングで別の調にチューニングしてより箏らしい音を楽しみたくなって来る。より箏らしい音というのは表現が正しくないかもしれない。箏を演奏していることに変わりはないので、表現を改めるならば、和的な感じを際立たせてくれる調を選択して、その調に合致する曲を少し演奏したくなっていると言えるだろう。次回のオンラインレッスンを終えたら、少し調を変えて新しい曲を練習していこうと思う。何度も同じ曲を練習して弾き込んでいくことに加え、新しい曲を演奏する楽しみを味わいたい。当然ながら、新しい曲の演奏には試行錯誤が伴うのだが、それこそが自分の感覚や脳へ良い刺激になっているように思う。ジークンドーの鍛錬もそうだが、楽器の演奏もまた脳へ本当に良い刺激があるように思う。今日は最後に、動画を見ながら、まだ習っていない様々な奏法を網羅的に練習していった。今後それらの奏法を先生から教えてもらうための予習を兼ねて、定期的に新たな奏法の練習をしていこうと思う。フローニンゲン:2022/9/17(土)16:45


9133. 記憶と回想/日本の各種思想史への関心の高まり/出願準備に向けて


かつてアランは、記憶と回想を区別し、回想を人間に固有の営みであると主張した。日々の一連の日記はまさに、その習慣の回想記録である。自己は回想を通じて自己を超え出ていく。そんなことを思わずにはいられない。自己は過去に囚われた存在でありながら、過去を回想していくことを通じて自らを超越していくというのは大変興味深い内在性質である。


気がつけば、今日も間も無く夕食の準備の時間となった。今日は旺盛に和書を読み進めていき、日本の思想史と日本の政治思想史に関する書籍を読み進めていった。少し前には日本の経済思想史に関する和書を読み終えていて、これらの分野は日本の大学でも講座数が減っているそうだ。欧米の大学においては尚更のことかと思う。それらの分野を教える教員の数は欧米の大学においてはもっと少ないに違いない。自分はひょっとしたら、この辺りにも何か貢献をしていくかもしれない。いつか欧米の大学で日本の各種の思想史を教えることを念頭に置きながら、今後も当該分野の読書を進めていこうと思う。


数日前から脳裏をかすめていることがある。そろそろ来年の神学大学院の神学に向けて、出願準備を本格的に進めていこうと思う。まずは来週の月曜日にでも、推薦人になっていただく予定の3人の教授にメールを送り、推薦状を執筆していただけるかを確認する。それに加えて、明日は午後にでも、出願予定の大学院のウェブサイトに行って、出願のためのログイン登録をしておきたいと思う。そして、名前や住所の登録、学歴などのすぐに埋めれそうな情報は全て記入していこうと思う。いよいよ出願の時期が迫ってきたという気持ちが高まってきており、今日々探究していることを次の所属先の大学で実を結ばせたいと思う。どのような花が咲き、どのような実をもたらすかは不明だが、それに向けた希望の光が差し込んできているように思う。フローニンゲン:2022/9/17(土)17:48

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page