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9117-9120: フローニンゲンからの便り 2022年9月14日(水)



No.3988 啓蒙の十字架_A Cross of Enlightenment


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1794, A Group of Light

A group of light is radiating in the morning.

Everything comes together around it.

A dance for celebration began now.

Groningen; 08:37, 9/14/2022


No.1795, Surging Energy

My soul is full of surging energy.

Everything that my soul has done is the crystallization of the pure flowing energy.

Groningen; 13:02, 9/14/2022


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本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9117. 今朝方の夢

9118. 社会変容に向けたアプローチに関する所感

9119. ギルバート·シモンドンが述べる「個体化(individuation)」と「形質導入(transduction)」

9120. シモンドンの個体化とバタイユのエロティシズム/箏の稽古(32):瞬時のパターン把握


9117. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。今、家の近くの木々に止まっている小鳥たちの鳴き声が聞こえている。今日の鳴き声はいつもより気落ち静かだ。小さく澄み渡る鳴き声に耳を傾けながら、今日のこれからについて考えている。昨日、久しぶりに虫歯が発見され、今日はその治癒をしに再び歯医者に行く。虫歯発見後、早期に治療してもらえることは有り難い。昨日、歯科医から歯の磨き方について改めて指導があったように、昨夜から歯そのものというよりも歯茎をブラッシングすることを意識して歯磨きをしていった。このことは忘れがちなので、今回虫歯ができてしまったことを教訓として、この磨き方を徹底させたいと思う。歯科医を訪れたらその足でジムに行こうと思っていたが、今日よりも金曜日の方が都合が良さそうなので、ジムに行くのは金曜日にしよう。


今朝方は、猫が家の天井を走り回る音で目覚めた。ここ最近猫が天井の上を走ることがよくあり、とても元気な猫たちだなと思う。おそらくは、あの小さな黒猫たちだろうと思う。そんな形で目覚めた今日だが、今日はとても断片的な夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない部屋にいた。そこは欧州のどこかの町の郊外にある自然豊かな場所に作られた施設の中だった。その施設と隣接する形でサッカーコートがあり、よくプロのサッカーチームがここに滞在して練習をするそうだった。私はひょんなことから、日本人の若い女性にスカウトされ、これからどこかのチームに加入することになった。加入の前に、そのチームの特徴や契約条件などについても話を聞き、それを聞く限りとても良い話だと思ったので、契約を交わすことにした。すると、また別の若い女性からもスカウトの声を掛けられ、すでに契約をしてしまったこともあり、そちらの女性からのオファーを受けることはできなかった。そこからは、スカウトをしてくれた2人の女性とその施設のレストランで食事を摂った。レストランからの眺めはとても素晴らしく、静かな森や山の景色を眺めることができた。そのような夢を今朝方は見ていた。おそらくそれ以外にも夢を見ていたが、すでに記憶の中にはない。何か思い出せることはないか、少しばかり想起をしてみよう。フローニンゲン:2022/9/14(水)07:45


9118. 社会変容に向けたアプローチに関する所感


時刻はゆっくりと午前9時に近づきつつある。先ほどまでラスキー博士とのプログラムにおける受講者の皆さんの投稿文章を読んでいた。いつも受講者の皆さんからは色々と考えさせられる意見や洞察を得ており、今回もまた多くの事柄をこちらも得ている。そんな中、改めて革命·変革·変容について考えていた。それは個人の次元での話ではなく、社会の次元での話である。それら3つの言葉の定義はまだまだ洗練されていないが、どうしても「革命」という言葉には、政権転覆等を含めた何か暴力的なニュアンスを感じる。そこでは質的な差異の語感が内包されておらず、何かが新たな何かに取って代わるだけというニュアンスがある。変革にも若干そのニュアンスがあるが、革命よりもその度合いは低い。一方、社会変容という言葉はあまり馴染みがないが、ラスキー博士等を含め、“social transformation”という言葉には、質的差異を通じた社会の変化を希求しているようなニュアンスを感じる。その意味で社会変容を捉えてみると、例えば個別具体的な社会課題があったときに、その課題はある種の課題群を構成していて、その課題群を生み出している社会的な構造やメカニズムそのものに働きかけていくことが社会変容に向けたアプローチだと言えるだろう。個人のクライアントにせよ、企業のクライアントにせよ、彼らが抱える問題は他の誰かも抱えている場合がほとんどであり、それらが課題群を構成する。個人や企業に還元できないより広範な社会課題においても、表象的な現象に注目するのではなく、そうした現象そのものを生み出している構造やメカニズムを特定し、それに働きかけていくことが社会変容の道なのではないかと今の自分は考えている。この考え方は多分に哲学者のロイ·バスカーや社会学者のマーガレット·アーチャーの社会変容モデルの考え方から影響を受けているが、この路線で社会変容に向けた探究と実践を進めていこうと思う。フローニンゲン:2022/9/14(水)09:04


9119. ギルバート·シモンドンが述べる「個体化(individuation)」と

「形質導入(transduction)」


今、フランスの思想家のギルバート·シモンドンが述べている「個体化(individuation)」という概念について考えている。オットー·ラスキー博士もシモンドンの個体化の概念に注目し、それを用いて人間発達についての考察を展開している。似た概念としてユングの「個性化」というものがあるが、どちらも言わんとしていることは似ているが、若干意味の射程や指している対象に違いがあるので、少しまとめておこうと思う。シモンドンは、まず生物学的な形態形成(morphogenesis)に注目し、細胞が分化していく過程に注目した。このとき、「個人(the individual)は最初から個人としてあるのではない」というシモンドンの指摘は注目に値し、個人というのは前成説的な形で予め決められた形で存在しているのではなく、個体化のプロセスを経て個人になるという考え方をシモンドンは採用している。これそのものは特に目新しい考え方ではないが、生物としての人間は細胞レベルでの個体化を絶えず推し進めているのではなく、それは心理次元においても起こっている現象であり、さらには社会次元においても起こっている現象であるとみなしたところに新しさがある。成人発達理論で扱う内面の成熟とは、まさに個人の心理次元における個体化のプロセスを説明するものである。さらには、社会集団の形成は、集合次元における個体化のプロセスである。インテグラル理論に馴染みがあればこのあたりはすぐに理解ができそうな話であり、個の個体化プロセスと集合の個体化プロセスをシモンドンが指摘したことを押さえておこう。個体化という言葉に加えて重要なのは、「形質導入(transduction)」というものだ。もともとこの言葉は分子生物学の用語であり、細菌の細胞に外部からDNA分子が入り、菌の性質が変わることを指す。その定義から出発し、シモンドン自身は形質導入に対して独自の定義をしている。シモンドンにとってそれは、ある活動が領域のある場所に次々と伝播していく現象のことを指している。そしてそれは、物理的·生物学的な次元だけではなく、心的な次元や社会的な次元でも生じると捉えている。活動の伝播が繰り返され、ある域値を超えると、活動そのもの修正が行われたり、構造が発生したりするとシモンドンは指摘している。細胞の分化の過程や結晶の生成過程においても形質導入が見られるし、文化情報(ミーム)の伝播形成においてもまた形質導入の現象が見られる。形質伝達とはつまるところ、情報の伝達と新たな情報の生成、そしてそれに伴う新たな情報的構造の生成を司るものだと理解できるように思う。人間は絶えず個体化と形質導入の最中にあって、決して静的なものでも完全なものでもないという発想をシモンドンは持っていた。そして個体化も形質導入も自己が身を置く環境によって影響を受けるという指摘をシモンドンがしていたこともまた忘れないようにしておこう。自己は絶え間なく変化する存在であり、自身の変化を通じてまた自己を変化させていく性質を持つのが生物としての人間である。ここからシモンドンの思想についてもより深く理解していこう。バーナード·スティグラーやユク·ホイが行なっているように、シモンドンの思想とテクノロジーを絡める探究を自分なりに行なっていく。フローニンゲン:2022/9/14(水)10:23


9120. シモンドンの個体化とバタイユのエロティシズム/箏の稽古(32):

瞬時のパターン把握


午前中に考えていたシモンドンの個体化という概念と、今読み進めているバタイユの“Erotism: Death & Sensuality”の内容が交差してくる。人間には個体化に向かっていく内在衝動がありながらも、同時に何かと合一化していく衝動があるように思える。それは個体性を手放し、全体に溶け込んで一体となろうとする衝動であり、それはバタイユが述べるエロティシズムの根幹にあるような衝動のように思える。個体化はある意味、離散的に自己を拡張·維持していく運動だが、合一化は連続的な形で自己を拡張·維持していく運動なのかもしれない。どうやら人間には離散的な衝動と非離散的な2つの衝動がありそうだ。発達の鍵もこうした対極的な衝動にあるように思う。


先ほど、1階と2階に掃除機をかけ、そこから自重トレーニングを行なった。心身がリフレッシュされた後に、歯科医に行くまでの時間を使って、箏の稽古をした。まずはいつものようにテクニック集を紐解いて、3つほどの課題曲を練習した。最初のものと2番目のものに関しては2回繰り返して練習をした。3つのそれぞれの曲にも慣れてきて、曲のパターンも徐々に身体が覚えている。もちろん楽譜から目を離しすぎているとどこを演奏しているのか分からなくなってしまうことがあるが、チラッとみるだけで十分場所を確認することができ、チラッと見て状況を把握することは、どこかサッカーやバスケをしていた時の感覚を思い出す。ちらっと周囲を見て状況のパターンを掴む視点の動かし方はスポーツを通じて養われたものであり、それが思わぬ形で楽器の演奏に活かされていることを嬉しく思う。テクニック集の課題曲を練習した後に、「喜びの歌」と「故郷」を練習した。今度のレッスンでは先生と合奏をしてみようということになっていて、1箏パートを念入りに練習している。合奏は、ジークンドーでいうところのスパーリングの楽しみと似ているだろうか。他者があってこそ成り立つ実践が箏の演奏の中にもあって嬉しく思う。歯医者から戻ってきてからもまた時間を取って箏の稽古をしよう。その際には、今後先生から習うであろういくつかの曲を予習がてら楽しみながら演奏していく。今日は、「アメイジング·グレイス」「愛のロマンス」「モルダウ」を練習していきたい。「アメイジング·グレイス」においてはトレモロの技術を意識し、「愛のロマンス」においては押し手の技術を意識し、「モルダウ」においては引き色の技術を意識していこう。フローニンゲン:2022/9/14(水)15:30

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