top of page

9105-9112: フローニンゲンからの便り 2022年9月12日(月)



No.3981 情熱の証_Proof of Passion


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1791, A Hexagram Flower

A Hexagram flower blooms now.

It attracts everything around it.

The nectar nourishes the world.

Groningen; 09:12, 9/12/2022


No.1792, A Freestyle World

This world is freestyle.

The essence could be freestyle rapping.

Groningen; 19:47, 9/12/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9105. 今日の予定と今朝方の夢

9106. 今朝方の夢の続き

9107. 箏の稽古(30): 1音1音の粒を揃えていくことと間の大切さ

9108. 箏の稽古(31):フィードバックを受けることの意義を感じて/豊かな表現に向けて

9109. テクノロジー神学に関する書籍を追加注文して

9110. 摂取するタンパク質の種類とテロメア/メルヴィンとのコラボに向けて

9111. フリースタイルラップの楽しさに魅せられて

9112. フリースタイルラップの効能


9105. 今日の予定と今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。今、少し辺りに霧がかかっている。近くで鳩がホーホーと鳴く声がする。今日から新たな週を迎えたが、その実感がまだ沸かない。ここから活動に従事し始めるとその実感も増すだろうか。今日は午前中に箏のオンラインレッスンがある。マンツーマンで1時間弱のレッスンは大変実り多く、今日もまた多くのことを学べるだろう。今日もまた技術的な指導を受けることによって、演奏の精度をさらに高めていければと思う。技術的なこと以外にも、箏全般に関して雑談からまた新たな発見を得たいと思う。昨日は、午前中は未読の書籍を読んでいき、午後からはテクノロジー哲学の書籍を読み進めていた。まだ未読の書籍が幾分あるので、今後しばらくはこの流れで探究をしていこうかと思う。すなわち、午前中にはテクノロジー哲学以外の書籍を読み進めていき、午後からはテクノロジー哲学に焦点を当てて書籍を読んでいくという流れである。午後からの文献読解は精読に近く、読みながら考えを文章にまとめていくという作業を伴ったものにする。それによって、内容理解が促進され、同時に知識の定着も促進される。デスクトップ上にテクノロジー哲学に関する英語の論文がいくつかあり、その中には神学とテクノロジーを絡めたものもある。それは「テクノロジー神学」と形容できるような内容のため、自分の関心を強く引く。それらの論文に関しては、明後日ぐらいにコピー屋で印刷をして手元に置いておきたいと思う。良い論文はやはり印刷して物理的に読むに限る。


今日の午後からは、メルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。前回からの間隔がそれほどないのは、メルヴィンが明日からメキシコに行くためだ。本来は日本に旅行に出かける予定だったが、メルヴィンはコロナのワクチンを接種しておらず、日本の入国規制が厳しすぎるため、日本へ行くことはやめて、コロナのワクチン接種の証明が必要ないメキシコに1ヶ月ほど行くことにしたようだ。メルヴィンの旅行の期間が1ヶ月であることと、自分も日本に一時帰国する日が1ヶ月以内に迫っていることもあって、メルヴィンがメキシコに出発する前日の今日に髪を切ってもらうことにした。そう言えば、今朝方は、メルヴィン以外の見慣れないオランダ人男性に髪を切ってもらう夢を見ていた。そこは新しくできた店のようであり、ショッピングモールの一角にあった。理容師のその男性は店のオープンを記念して、割引チケットを店の前で配っていた。オランダ語で話しかけていたので最初何かわからなかったが、割引チケットを受け取った流れで髪を切ってもらうことになった。自分の髪は大して伸びていなかったが、翌日にメルヴィンに髪を切ってもらう予定になっていて、今日その男性に髪を切ってもらったら、メルヴィンに髪を切ってもらう予約を変更しないといけないと思った。その男性はとても寡黙で、髪を切っている間一言も喋らなかった。それでいてぶっきら棒ではなく、終始笑みを浮かべていた。途中、自分の髪は大して伸びていないと思っていたが、まるで長髪の女性のように髪が長くなっていたことに気づき、自分でも驚いた。それをバッサリ切ってさっぱりして店から出たことを覚えている。フローニンゲン:2022/9/12(月)07:53


9106. 今朝方の夢の続き


時刻は午前8時を迎えた。とても静かな朝である。今日が月曜日であるということがにわかに信じられない。こうした静寂に包まれた環境の中で、自分は自らの取り組みに日々従事していく。それがいつか実を結び、その実をこの世界に落とすことによってこの世界に関与していければと思う。


先ほど今朝方の夢の1つの場面について書き留めていたが、今朝方はその他にも幾つかの場面を見ていた。夢の中で私は、サッカー元日本代表のレジェンドの選手の高校時代のプレーの様子を眺めていた。目の前にその選手の高校時代の姿があり、場所はサッカーコートではなく、体育館の中だった。そこでその選手は、6対6のサッカーを行っていた。規定上は6対6なのだが、どう見てもフィールドにはキーパーを含め4人ずつしかおらず、残りの2人はまるで透明人間のように思えた。実質上、4対4で展開される試合を眺めていると、やはりその選手のプレーは際立っていた。他の選手と技術のレベルが全く違い、将来日本代表に選出されるのもうなづけた。今目の前で行われているのは、その選手がいる県の大会の決勝であり、県大会で勝てば全国に行けるようになっていた。両者拮抗した展開を見せていたが、最終的にはやはりその選手が試合を決めることになり、その選手が所属している学校が全国大会に進むことになった。私はその試合を見ながら、改めてその選手のプレーの質の高さに感銘を受け、試合を見終えた後には自分もボールを蹴りたくなった。


その他にも夢を見ていたことを思い出す。もう1つ覚えているのは、昨日練習していたルソーが作曲した「むすんでひらいて」という曲を箏で練習していたことである。その曲が脳内の中で流れ、脳内で流れている曲に従って箏の演奏をしていた。その時の自分はとても楽しげであり、音に同化しながら演奏をしていた。この夢は肯定的な感情をもたらすものだが、確か恐怖を感じさせる夢もあったように思う。それが鮮明に思い出せないのは、恐怖への抵抗感からだろうか。何か不思議な生き物と遭遇していたような感覚もあるし、友人か見知らぬ人に自分の落ち度ある行為か何かに対して詰め寄られていたような感覚もある。この夢に関しては、再度想起を試みてみよう。フローニンゲン:2022/9/12(月)08:18


9107. 箏の稽古(30): 1音1音の粒を揃えていくことと間の大切さ


つい今し方、今日の箏のオンラインレッスンを終えた。今日は50分ほどのレッスンであり、いつものように気づきが大変多かった。今日はまず、『文化箏のためのテクニック第2巻』のp.16に関する疑問点を投げかけることからレッスンを始めた。3連符の演奏の際の指の動かし方について質問をしたところ、例えば冒頭の「1, 3, 5」をそれぞれ3の指、2の指、1の指で演奏していくに際して、3と2の指はそれぞれはじくようにして演奏していいのか、それとも次の弦に向かって押しつけるように演奏していくのがいいのかを尋ねた。先生曰く、3の指に関しては次の弦に押しつけ、2の指に関しては次の1の指との間隔が狭いのではじくように演奏しているとのことだった。最終的には演奏者の好みによってその点はどちらでもいいそうだが、今の練習においては、とにかく1音1音の粒を揃えていくことを大切にすると良いと助言をもらった。この助言をジークンドーの稽古の文脈で考えると、ロビンさんから以前、「1つのパンチに1つの魂を込めるように」と助言されたことを思い出す。例えば1つのジャブを取ってみても、それを単なるジャブとして打つのではなく、すなわち、「1, 2, 3」のパンチのコンビネーションがある際にも、全てを1として打つことの大切さを指摘されたのである。それは1音1音の粒を揃えることと自分の中では同義のように思える。


前述の楽譜のp.14の練習曲を練習した際に、冒頭の8分音符、4分音符の箇所で、4分音符の後の間がほとんどないことを指摘されたが、その通りだと思った。感覚的に全て8分音符で演奏していたので、先生の助言通り、心の中で1拍置くぐらいの感じで、4分音符の後の間を取ることが重要だと思った。間を空けることなくどうしても焦ってか次の音を演奏したくなるが、ここは間の大切さを理解して、しっかりと間を取るように心がけようと思う。もちろんそれは4分音符なので、休符とは違い、間というよりも音を伸ばすという表現の方が正しいだろうか。音を伸ばす余韻を楽しむような気持ちを持っていれば、きちんと4分音符の後の間隔がきちんと確保されるように思う。その他にも、この曲の最後の2段落に関して、2の指と1の指を交互に演奏していく箇所があるのだが、前回先生にいただいた助言を忘れていて、2つの指の位置関係を直線に取ってしまっていた。そうすると、ここは1番と3番の弦を連続して演奏しなければならないので、爪が当たってしまうリスクがある。それを避けるために、2の指と1の指は少し斜めの位置関係に置くと良いと言われていたことを思い出した。その位置関係で練習をしてみると、確かに指も動かしやすく、爪がぶつかるリスクも避けられるので一石二鳥かと思った。その他にも、この最後から2段落においては、8分音符のペアとして「1と3」「2と4」と無意識的に区切って捉えている自分がいて、演奏上、それだとぶつ切り感があるので、それぞれをペアとして区切るのではなく、よりナチュラルに連続的な流れとして演奏していくことの大切さを教えてもらった。なるほど、昨日人間発達の離散的性質と連続的性質を考えていたことと関係して、演奏においても確かに音符同士は離散的な形で楽譜上に現れているが、それぞれの音は非離散的に、すなわち連続的に響かせる必要があることが多分にあるということを覚えておこうと思う。基本的に、離散的に響かせるのは休符がある場合や、小節ごとの区切りの際だと思っておいていいだろうか。そのあたりも今後演奏しながら感覚的に検証していきたい。フローニンゲン:2022/9/12(月)11:09


9108. 箏の稽古(31):フィードバックを受けることの意義を感じて/豊かな表現に向けて


先ほどの箏のレッスンでは、技術的な指導を受けながらも、箏に関する色々な小ネタも教えてもらうことができ、大変有意義であった。今日からは、先生と一緒に音を鳴らしていくだけではなく、自分1人で演奏して、それに対して先生からフィードバックを受けるということを行い、そのフィードバックの1つ1つが大変参考になり、貴重なものであった。ジークンドーに関しても、ロビンさんからいつも細かく技術的なフィードバックを受けていて、やはりこうしたフィードバックは本当に大切なものだと実感する。芸術や武術におけるフィードバックの大切さのみならず、学術の世界においてもフィードバックは大切だ。研究上において、その方向性や思考の精度や粒度などに関してフィードバックを得ることは本当に重要であり、学術機関から離れている今の自分は、そうしたフィードバックを得ることができていない。来年神学大学院に進学して学術機関に戻りたいというのは、やはり学問的な観点におけるフィードバックを他者からもらいたいこととも関係しているだろう。そうしたフィードバックがあるのとないのとでは進歩の差は歴然としている。私たち人間は、フィードバックによって進化するダイナミックシステムなのだという点を忘れないでおきたい。


箏の話に戻そう。今日のレッスンを通じて、毎日1人で練習をしているのも楽しいが、先生からレッスンを受けるのも望外の喜びであることを改めて思った。今日は先生から、手の形が綺麗になっていることや、楽譜上に書かれている音符を正確に弾けていることを褒めていただいた。そこからさらに豊かな表現を実現していくための話をしていて、それが非常に参考になった。ソロでの演奏の場合、他者のリズムに合わせる必要がないので、楽譜上に指示されているテンポはあくまでも目安であり、曲の中でテンポをゆったりとさせたり、早めたりといったことを自ら行ってみることも今後行っていきたい。さらには、箏の面白さとして、龍角に近ければ近いほど固い音が出て、箏柱に近ければ近いほど柔らかい音が出る。この性質を活かして、固く響かせたい時や柔らかく響かせたい時には、爪を当てる位置を変えていくことも表現の幅を広げるために重要になる。練習している曲を弾き込む過程の中でその点も意識していきたい。


来週の金曜日にもまたレッスンがあり、その時には先生と一緒に「故郷」と「喜びの歌」の合奏をすることになった。自分が1箏パートを担当し、先生に2箏パートを担当していただく。それに向けて、2つの曲を弾き込んでいこうと思う。そして、今日のレッスンの冒頭のように、日々の稽古の中で出た疑問をレッスンの最初に先生に投げかけるようにして、主体的に学びが得られるように引き続きしていきたい。フローニンゲン:2022/9/12(月)11:24


9109. テクノロジー神学に関する書籍を追加注文して


時刻は午後1時半を迎えた。この日記を書き終えたら、メルヴィンの店に向けて自宅を出発しようと思う。幸いにも今日は天気が良く、気温も肌寒いほどではないので、半袖半ズボンで出かけられそうである。


予定通り、朝から未読の書籍を読み進めていたが、テクノロジー哲学に関してもまだ未読の書籍が何冊かあったので、それらを読み進めることにした。昨夜、入浴をしながら神学の観点からテクノロジーへの貢献について考えていた。その延長線上として、今読み進めているカール·ミッチャムの論文は参考になる。ミッチャムについては以前より注目をしていて、テクノロジー哲学に関する論文を読んでいるとたびたび目にする名前だった。ミッチャムの書籍としては、“Thinking Through Technology: The Path Between Engineering and Philosophy”を以前に読んでいた。今回改めてミッチャムの宗教と哲学に関する論文を読んでいると、方向性としてはまずはテクノロジーを取り巻く道徳や倫理の問題において神学の観点が活用できそうである。テクノロジーに関する領域横断的な道徳と領域限定的な倫理に関して、神学の枠組みを活用する方向で探究を進めながらも、同時にテクノロジーの内在性質の解明について神学独自の貢献ができないかを考えていきたい。そのようなことを考えながら、改めて文献調査をした。すると、以前調査したときに見落としていたいくつかの良書を見つけた。宗教とテクノロジー、神学とテクノロジーという検索ワードで書籍を調べたところ、下記の11冊を見つけ、それらを早速注文した。


1. The Religion of Technology: The Divinity of Man and the Spirit of Invention

2. Religion and Technology in India: Spaces, Practices and Authorities

3. Asian Religions, Technology and Science

4. Technologies of Religion: Spheres of the Sacred in a Post-secular Modernity

5. Biotechnology, Human Nature, and Christian Ethics

6. Technology and Religion: Remaining Human in a Co-Created World

7. In Our Image: Artificial Intelligence and the Human Spirit

8. Derrida and Technology: Life, Politics, and Religion

9. Theology and Technology, Volume 1: Essays in Christian Analysis

10. Theology and Technology, Volume 2: Essays in Christian Exegesis and Historical Theology

11. Kierkegaard and the Question Concerning Technology


とりわけ、カール·ミッチャムの2巻に渡るテクノロジー神学の書籍は、今後の自分の研究に大きな影響を与えてくれそうである。当面はキリスト教神学がどのような観点かつアプローチでテクノロジーの問題に取り組んでいるのかを探究し、そこから神道神学の適用を考えていこう。先行研究が進んでいるのはキリスト教神学におけるテクノロジーの取り扱いであり、仏教からのアプローチは雀の涙ほどであり、神道からのアプローチに関してはほぼ皆無だ。そうしたことから、自分が仮に神道神学の観点でテクノロジーにアプローチすることができたら大きな貢献になるだろう。フローニンゲン:2022/9/12(月)13:33


9110. 摂取するタンパク質の種類とテロメア/メルヴィンとのコラボに向けて


時刻は午後3時半を迎えた。先日、テロメアについて調べていて、そこから動物と植物のテロメアの性質について改めて調べていた。すると、どうやら植物のテロメアは細胞分裂によっても大して変化しないが、動物のテロメアは細胞分裂を繰り返すたびに短くなるということを知った。そこから推論として、テロメアの長さを維持したいのであれば、動物性タンパク質を摂取するよりも、やはり植物性タンパク質を摂取した方が良さそうだと思ったのだが、科学的な研究としてどのようなことが実証されているのだろうか。直感的に長寿の人たちは野菜や果物をより多く食べている傾向があるような気がするので、この推論もあながち間違ったものではないように思える。例えば今摂取している粉末のプロテインはホエイプロテインなので動物性のものだが、これを以前試していたソイプロテインに替えることを検討してみよう。ソイプロテインの方がタンパク質含有量が多いのは良いが、水に溶け難かったり、消化がゆっくりな点がトレーニング後に摂取する際の難点だった。しかし、消化がゆっくりなことを逆算して摂取すれば、消化の速度が遅い問題は解決されるかもしれない。いずれにせよ、今使っているプロテインを使い切ったら、今度はソイプロテインを摂取してみることにしよう。


先ほど、メルヴィンの店から帰ってきた。ちょうどそのタイミングでDHLから連絡があり、日本からの書籍を受け取った。幸いにも3度に分けて受け取る必要がなく、先日注文した12冊を一括して受け取ることができた。それらの大半は日本の政治思想に関するものであり、これから宗教やテクノロジーの研究に加えて政治思想の研究も進めていきたいと思う。書籍を受け取れた喜びに加えて、今日もまたメルヴィンとの話に花が咲いた。話は来週からのメルヴィンのメキシコ旅行に始まり、前回に引き続きラップの話となった。メルヴィンは2ヶ月前にラップを始めたばかりだが、上達が著しく、今日もラップを披露してくれて、その巧さに改めて驚いた。メルヴィンにとっての第二外国語である英語でここまでラップができるというのは素晴らしいことである。自分も影響を受けて、ラップのビート感や即興性に惹かれ、ラップを口ずさんだりすることが日常多くなっているように思う。また、日常での語りもラップ的な韻を踏むことが多くなっている気がする。今度、メルヴィンはオランダ語でラップをし、自分は日本語でラップをしてコラボしてみようということになった。それに加えて、メルヴィンが嬉しそうにスマホを取り出して見せてくれた動画があった。その動画では、ギターの弦の下に小さな金属の円柱を置いて箏の音色が出せることが紹介されていて、とても驚いた。メルヴィンがメキシコから帰ってきたら、メルヴィンの新居に招待してもらい、そのときに自分は箏を持参して、メルヴィンとギターでコラボすることも話し合った。お互いに新しい実践を見つけ、自己と世界に対する新たな発見を日々しているようで何よりであった。お互いに創造性がどんどん増し、霊的エネルギーも向上していることを話し合って気分良く別れた。フローニンゲン:2022/9/12(月)15:47


9111. フリースタイルラップの楽しさに魅せられて


メルヴィンの影響を受けて、メルヴィンが師と仰ぐアメリカ人のフリースタイルラッパーのハリー·マックの動画を改めてみていると、彼の即興性と創造性には驚かされる。ウィリアム·ジェイムズが述べる意識の流れというものに純粋に同化しているマックの姿には非常に感銘を受ける。私たちは自分の意識の流れと純粋に同化するとき、創造性と潜在可能性が一気に花開くようだ。本日メルヴィンと、ラップ、音楽演奏、ダンスの3者を比較しながら即興性の度合いや、それぞれの相違点や共通点などを話していった。ある種の哲学談義を床屋で行い、それは哲学的床屋談義と呼べるような楽しいものであった。メルヴィンが述べているように、3者には音楽性における共通性が普遍的なものとして備わっているが、メルヴィンからしてみると、ラップの方がギターよりも即興性が発揮しやすいとのことだった。自分も確かに3者における即興性のしやすさを序列してみると、最も即興性が発揮しやすそうなのはダンスであり、次にラップ、最後に楽器の演奏かと思った。ここで興味深いのは、媒介している言語がそれぞれ、身体言語、自然言語、音楽言語というものであり、それをさらに言語(自然言語)·非言語(自然言語以外)で区別すれば、非言語、言語、非言語の順になるというものだ。直感的に最初は非言語のものの方が即興性を発揮しやすく、言語的なものの方が即興性が発揮しにくいと思ったが、メルヴィンと同じく、自分もおそらく前述の順番で即興性の発揮しやすいものが並ぶのではないかと思う。もしかしたら楽器の演奏に習熟すればその順序は変わるのかもしれず、何が決定的な要因かは不明だが、感覚的にダンスのような身体的な言語を用いるものが最も即興性を発揮しやすく、その次に自然言語を用いたラップのような形での即興性があり、最後に楽器の演奏がリストアップされそうだ。メルヴィンとの話の中で、自分は自由度の度合いという観点を出し、とりあえず2人はその基準に納得したが、改めて考えるとどうなのだろうか。楽器の演奏には音楽理論の縛りがあり、もちろんダンスにも原理的な動作はあるらしいが、原理原則における縛りの影響を最も受けるのが楽器の演奏なのではないかという点で落ち着いた。メルヴィンとの哲学的床屋談義はいつも刺激に満ち溢れている。自分も英語のさらなる上達と、純粋に言語的即興性と創造性を高めるために、メルヴィンがお勧めしてくれたハリー·マックの動画を見ながら、ラップの練習してみようかと思う。それは別に口に出さなくても、いつでもどこでも頭の中でできるし、ラップをしながら日々の生活を営むことによって、自己と世界に対する新たな発見がありそうだ。メルヴィンとの共通の趣味として英語でのフリースタイルラップを本格的に始めてみようかと思う。当面は、夕食を作りながらマックの動画の音声を聴きながらラップを口ずさんでみよう。メルヴィンからの勧めにあったように、まずはビートに乗ることから始め、ビートに合わせて独り言を喋ることから始めてみよう。フローニンゲン:2022/9/12(月)16:11


9112. フリースタイルラップの効能


その場で思っていることや、その場で目に入るものを使いながらフリースタイルラップをやってみることや、自分の学術的関心事項についてフリースタイルラップをしてみることも面白そうだ。例えば、テクノロジー、マネー、資本主義、宗教というテーマに対してその日に学んだことをフリースタイルラップで表現してみるのも面白そうだ。また、その日に学んだことの復習してフリースタイルラップをするだけではなく、テーマだけ設定してこれまでに学んだことを総動員する形でラップをしてみると面白そうだ。メルヴィンから勧めてもらったフリースタイルラップ用の音楽を掛けながら、例えばテクノロジーという漠然としたテーマでフリースタイルラップをしてみたり、あるいはもっと個別具体的なハイデガーのテクノロジー思想というテーマを設定してフリースタイルラップをしてみると面白いかもしれない。早速実験的にフリースタイルラップをしてみようと思う。英語の発話練習にも非常に役に立つだろうし、知識のネットワークもより強固になり、これまで学んだことを脳内から取り出す速度もかなり向上するように思える。学術的なことを即興的に話せることにも繋がるだろうから、今後欧米の大学で教鞭を執ることにも役立ちそうだ。メルヴィンも述べていたが、批判的なマインドを抑え、ミスを学習の機会としたり、ミスをスパイスとしてラップを続けていくことは鍵になりそうだ。フリースタイルラップに関する科学的な研究があり、想像していた通り、フリースタイルラップの最中には脳が活性化し、ドーパミンやセロトニンなどの快楽物質や幸福物質が分泌されるらしい。脳の活性化に加え、インスピレーションがより湧きやすくなってきたり、霊感も高まるという副産物もありそうだ。


身体記憶に定着させるために、今日の箏のレッスンで先生に指摘してもらったことを再度練習してみた。箏の稽古も内省的な反復が重要であることを身に染みて実感する。先生の助言に従って練習をしてみたところ、早速進歩を感じた。1つの助言でこうも演奏技術に変化が見られることは驚くべきことでもあるし、喜ばしいことでもある。伝統に立脚する形で、まずは演奏上の原理原則、すなわち型を身に付けていく。それと同時に、自分なりの表現方法というものも模索していきたいと思う。それは守破離で言うところの「破」ではなく「守」なのだが、それでも自分なりの表現をそこに体現させるという意識を指す。箏の演奏も実に面白いし、今から夕食を作りながら、ハリー·マックの動画を聴きながらフリースタイルラップを口ずさんでみよう。フローニンゲン:2022/9/12(月)17:44

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page