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9013-9020: フローニンゲンからの便り 2022年8月30日(火)



No.3963 朝光の戯れ_Play of Morning Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1752, A Shining Butterfly

A shining butterfly in the shining dimension of the universe.

It represents hope and awe in this world.

Groningen; 08:36, 8/30/2022

No.1753, An Eternal Circle

I’m living not in but on an eternal circle.

My soul circulates in the world forever.

Groningen; 14:17, 8/30/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9013. 今朝方の夢

9014. 今朝方の夢の続き

9015. 学びの還元/文化人類学への関心

9016. 内面探求ワークのセッションを終えて

9017. マネーのデジタル化に伴う寄付の形

9018. 日本人の死生観に関する書籍を読みながら

9019. ジークンドーの稽古(126):21個の接触法と基礎的なパンチをおさらいして

9020. 箏の稽古(16):確かな進歩を感じて


9013. 今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前7時を迎えようとしている。今の気温は12度と低く、大変肌寒い。フローニンゲンはもうすっかりと秋らしさを感じさせる。書斎の窓から空を眺めると、気持ちの良い青空が広がっている。広大な空を眺めながら、今朝方の夢を振り返ってみたい。


夢の中で私は、実際に通っていた中学校の体育館でバスケをしていた。そこで行われていたのは部活だった。夏に引退した先輩たちの後を引き継ぐ形で、自分たちが一番上の学年となり、バスケ部のメンバーたちと一緒に練習に励んでいた。練習の中で、珍しく自分のシュートがあまり入らず、どうしたものかと考えていた。近づいてきている大会では、自分はこれまでのポイントガードのから、より点を取ることに焦点を当てたフォワードのポジションに変更しようと思っていた。ところが今日の練習の様子だと、フォワードはなかなか務まらないように思えてしまった。フォワードを務める2人の友人(SI & HY)からは皮肉まじりのことを言われてしまい、次回の大会も継続してポイントガードで出場した方がいいかもしれないと考え直すことにした。ところが、やはりチームの状態を考えると、やはり自分が点を取りに行った方がいいように思え、時間は少ないが、大会までにシュート練習に励もうと思った。


翌日、朝練のために早く自宅を出発して学校に向かっている最中に、ガードのポジションの相方を務める友人(HS)がてくてくと歩いていたので後ろから声を掛けた。彼はどこか元気のない表情を浮かべていた。彼の話を聞く前に、彼には次の大会で真ん中のポイントガードを務めてもらおうと思ってその話をすると、彼は数日前に届いたウサギの世話があるため、次の大会の初日には出場できないと述べた。それを聞いて私はとても残念に思ったが、彼にとってウサギの世話をすることがとても重要なのだと思い、彼の言い分を尊重することにした。初日ではなく、その次のアメリカ戦から彼にはこれまで通り出場してもらおうと思い、期待の言葉を掛けて彼と別れた。


朝練のために屋外のコートを使おうと思ったら、そこでは引退した先輩たちがバスケをして遊んでいた。なので、手前側のコートを使おうと思ったら、不良風のハーフと外国人生徒がコートにやってきて、バスケを始めた。これじゃあシュート練習ができそうにないなと諦めかけた時、3人の生徒に絡まれた。1人は先輩であり、2人は後輩だった。3人は見慣れない生徒であり、こんな生徒がいたことを知らず、相手にせずに教室に向かおうと思った。コートの上でつき回されながらも何も危害を加えられることなく、なんとか教室に逃げ込むことができた。すると、3人は教室まで追いかけてきて、自分との距離を詰めて喝上げをしてこようとしたので、ジークンドーの蹴り技を先頭の先輩に打ち込んだ。すると、教室の後ろの壁まで吹っ飛んで行き、壁に頭を強打してぐったりした。そこから2人の後輩も自分との距離を詰めてきたので、2人にも蹴り技を入れたところ、2人はその場に倒れ込んだ。それを見て、自分は正当防衛をしたと確信しながら教室を後にすることにした。家が学校のすぐ近くなので家に帰ろうかと思ったが、とりあえず職員室に駆け込んで、正当防衛を主張して何があったのかを説明しようと思った。階段を駆け下りて、職員室に入ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/8/30(火)07:11


9014. 今朝方の夢の続き


日々コツコツと日記を書き続けて、いつの間にか9000を超える数となった。過去に書いた記事を全て覚えているわけでは当然なく、むしろ忘れてしまったものの方が多い。だが、日記を書いてきたことは忘れられるものでは決してなく、その事実が今の自分を形作っているように思う。ここからまた毎日コツコツと日記を書き続けていき、大台の10,000日記に到達する日を楽しみにしよう。文字数だけを見たら、毎月日本の大学に提出する博士論文1本分ほどの日記を書いている。この7年間で、84本ぐらいの日記を書き続けてきた。それを通じて、知覚の扉が開き、自己と世界を見る目が大きく変容したことを実感する。


そう言えば今朝方は、協働者の方々が現れる夢を見ていた。1つは、今後の新たな協働の枠組みを考える際に、契約を更新する必要があり、それについて打ち合わせをしていた場面があった。そこでは、相手側の要望とこちら側の要望が見事に合致し、最終的には自分が提案した案で契約改定がなされ、双方共に納得した形で打ち合わせを終えることができた。


その他に見ていた場面としては、ある協働者の息子さんとサッカーをしている場面である。その協働者の方は仕事で忙しく、プロジェクトが佳境に入っていることもあり、日曜日も休みなく働いていた。なので私が代わりになって、その方の息子さんとサッカーをして遊ぶことになった。その方の息子さんは小学校低学年であり、以前会ったことがあるのでお互い親しみやすく、代わりにサッカーをして遊ぶことには何の問題もなかった。一応、息子さんの彼には宿題を済ませてから遊ぼうということを伝えたところ、集中して宿題を仕上げ、午後過ぎから私が実際に通っていた中学校のグラウンドでサッカーをすることになった。グラウンドに行ってみると、見慣れない中年男性が1人でサッカーの練習をしていた。せっかくなのでその人を交えて練習しようと思って声を掛けたところ、その人は照れ笑いを浮かべて、自分は初心者なので1人で練習したいと述べた。その方の考えを尊重して、当初の予定通り、協働者の息子さんと2人で練習をすることにした。まずは短い距離でのパスから始め、徐々に距離を伸ばしてミドルレンジやロングレンジのパスを練習した。その後、シュート練習を始めた。その時に、自分が得意とするいくつかのシュートの打ち方を彼に教えたところ、彼は飲み込みが早く、最初こそ苦戦しながらも、すぐに上達を見せた。私たちは終始和気藹々と話しながらサッカーの練習を楽しみ、気がつけば1時間半ぐらい経っていたので、そろそろ切りあげようかと思った。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2022/8/30(火)07:28


9015. 学びの還元/文化人類学への関心


季節の変わり目に人生の変わり目を思う。ここ最近の集中的な読書を通じて、これまでは欧米での学びを日本に還元するような意識が自分の中にあったが、これからもその意識を持ちながらも、逆に日本に関する事柄を欧米社会に伝達することへの意識が高まっていることに気づく。それが神道を欧米の大学院で研究することとして形になって現れてきそうである。これまではある種、欧米での学問的成果を日本に輸入する役割を担っていたのではないかと思う。そこから今度はその返礼として、日本の学問的成果を欧米に輸出する役割を担うことにエネルギーが向かっているように思う。来年から再びアメリカに戻ることになったら、その役割を存分に全うしたい。


一昨日のロビンさんとのプライベートレッスンではフックパンチをかなり打ったので、両腕が筋肉痛になっている。昨日もレッスンでの学びを血肉化するために右左のパワージャブからフックパンチを放つ練習を繰り返していて、それが今朝方の筋肉痛につながったのかもしれない。両腕の筋力関しては普段から自重トレーニングで鍛えているつもりだったが、とりわけ上腕三頭筋に関してはまだまだ鍛錬の余地があるようだ。当初の予定では、今日の午後にジムに行ってトレーニングをしようと思っていたが、筋肉痛の状態を見ると、もう1日休憩して明日の午後にジムに行くのが良さそうである。今日は自宅で、フックパンチを伴わない稽古をしようと思う。ジムに行かない分、夕方に散歩がてら近所のオーガニックスーパーと近くのスーパーの2店を梯子して買い物をしたいと思う。それに加えて、今日もまた箏の演奏に励みたい。ジークンドーと同じく、毎日少しずつ進歩していることがわかることはとても喜ばしい。その感情をもとに稽古を続けていき、内省日記を綴り続けていきたいと思う。書くという作業と実践は常に二人三脚である。


先ほど、ブラジルの文化人類学者のエドゥアルド·ヴィヴェイロス·デ·カストロの“Cannibal Metaphysics”という書籍の初読を終えた。本書を読みながら、自分の研究に文化人類学的な要素を取り入れたいと思った。そのためには、文化人類学の基本的な研究手法と概念を押さえる必要があり、本書は少し応用的な内容でもあったので、基礎的なテキストをどこかのタイミングで読み込んでいこうと思う。フローニンゲン:2022/8/30(火)09:54


9016. 内面探求ワークのセッションを終えて


時刻は午後1時に向かいつつある。この日記を書き留めたらいつものように20分ほどの仮眠を取ろうと思う。昼前までリープラジャパンさんの内面探求ワークであるIFDの4回目のセッションを受けていた。引き続き知人かつ協働者の岡内さんに対話相手になっていただく形でセッションを進めた。セッションの中でいくつも洞察を得て、これから自分が実現しようと思っている事柄やそれに向かっての具体的な行動も明らかになっていったのだが、中でも印象的だったのは、今朝方見ていた夢につながる話題が出たことである。今朝方の夢の中で、自分を喝上げしようとする3人を撃退したことは夢日記に書き留めた通りである。撃退までのプロセスを思い返してみると、何か突然自分から攻撃を仕掛けたというよりも、相手が犯してはならない自分のテリトリーに足を踏み入れたので、否応なしにサイドキックを放つ必要があったというのがあの場面であった。つまりそこでは、自分の自我の中でこれ以上入ってきて欲しくない境界線のようなものがあって、それに気づかずにずかずかと境界線の内側に入ってくる人間を反射的に排除しようとする傾向が自分の中にはあるようなのだ。それは物理次元に限ったことではなく、多分に精神的な事柄や性格的な事柄にも当てはまるだろう。さらに言えば、価値観的なものが非常に重要になるのではないかと思う。自我が異物を排除しようとするというのはある意味健全な自己防衛反応であり、それはある種の健全な免疫反応だと思われるが、今後自分のミッションを実現していくにあたっては、他者や社会と協創していく必要があり、そうなってくると、もう少し排除の機能を緩めたり、これまで門戸を広げていなかった相手にも自分の世界に入ってきてもらうようにする必要があるのかもしれないと思う。


その他にも、セッションの中で、未来と過去が繋がる瞬間があり、その洞察は非常に貴重なものであった。社会課題を生み出している構造やメカニズム、さらにはそうした構造やメカニズムを生み出している人間文明の性質に関与していくためには、これまでの自分の特徴的な学習スタイルや実践スタイルに加えて、あるいはそれを含んで超える形で、学習の仕方や実践の仕方を見直す必要がある。今、それに向けての色々な洞察や考えがこの一連のセッションの中で得られていることを嬉しく思う。基本的に今は毎週1回セッションを行なっており、来週のセッションもまた充実したものになることを期待している。フローニンゲン:2022/8/30(火)13:01


9017. マネーのデジタル化に伴う寄付の形


午前中から今にかけて、マネー哲学の探究の一環として、“The Future of Money: How the Digital Revolution is Transforming Currencies and Finance”という500ページ弱の大著を読み進めている。この書籍には想像以上に参考になる洞察が掲載されており、興味深く読み進めている。ハーバード大学出版から出版される学術書はあまり質の高くないものが多い印象なのでいつも警戒して書籍の購入をしているのだが、ハーバード大学のベルナップ出版から出たこの書籍は大変素晴らしい。以前購入した、富の神であるマモンを扱った“The Enchantments of Mammon”という書籍もベルナップ出版から出ていて、それも上記の書籍に負けないぐらいの大著であり、内容も素晴らしかった。ハーバードの本家本元の出版社にはいつも警戒心を持って書籍の吟味をするのだが、ベルナップ出版の書籍には好意的な印象を抱いている。


本書を通じて、暗号資産を通じた各種の金融変革について色々と考えさせられる。政府発行の紙幣や貨幣がデジタル化され、CBDC(Central Bank Digital Currency)が本格的に導入されたらマクロ経済とミクロ経済においてどのようなことが生じるのかは関心の1つだ。卑近な例で言えば、この間ウクライナとロシアの戦争に伴って、ある暗号資産を活用したNFTを購入することを通じてウクライナに寄付ができる試みがあり、ちょうどその暗号資産を保有していたこともあり、ウクライナへの寄付を暗号資産を通じて行った。こうしたことが可能になる世の中において、1ヶ月ぐらい前から近所のスーパーの前でアフリカ系の男性が立って募金箱を持って寄付を募っており、今も時折彼の姿を見かける。募金箱に貼られた紙を見ると、何やらコロナの影響で教師たちも苦しい思いをしているようであり、教師の枠が削減されたり、教師が本来受けるべき継続的なプロフェッショナルトレーニングが受けれなかったりするとのことで寄付が必要だと訴えていた。寄付をしたのは山々なのだが、募金箱に実物の貨幣や紙幣を入れるスタイルは今の時代において、少なくともデジタル化が進んだオランダのような場所では寄付を集めるのは難しいように思えた。実際に自分が仮に手元に貨幣や紙幣があれば寄付をしたいと思っていたが、基本的にカードしか持たなくなっているので、寄付は不可能であった。どうしてテクノロジーを利用してデジタルな形で寄付を募るという発想がないのかと思ってしまった。それを伝えるとお節介かと思って話しかけはしなかったが、今後実物の貨幣や紙幣を募る寄付はますます困難になるのではないかと思う。身近なところでそうした変化が観察されることもあり、マネーのデジタル化がさらに大規模で進展することには引き続き強い関心を持っておきたいと思う。フローニンゲン:2022/8/30(火)14:09


9018. 日本人の死生観に関する書籍を読みながら


つい今し方、アマゾンイギリスから届けられた書籍を受け取った。もし今日ジムに行っていたら本書を受ける日にちが伸びていたであろう。今、本日4冊目の書籍として、日本人の死生観に関する書籍を読み進めている。本書を読みながら、今後の研究のヒントになるような気づきが得られている。そのテーマと直接関係するか分からないが、午前中の内面探求ワークのセッションでの自らのシェアを振り返ってみたときに、今の自分が長時間かけて何か物事に取り組むことにコミットしようとしている点が非常に重要なことのように思えた。これまでは研究への取り組みだけではなく、住む場所も数年単位で変えていた。ところが今回は珍しく、7年間ほどオランダで生活をすることになった。成人前の時期を除いて自分が4年以上どこかに留まったのは大学時代を除いて今回が初めてのことである。1カ所に長く留まって生活をするようになってから、自ずと自分の探究や実践も長い時間軸を見据えてのものとなった。作曲実践、デジタル絵画の創作、英文詩の創作、日記の執筆に加え、ジークンドーの鍛錬と箏の稽古は一生涯取り組む実践となった。このように、すでに6つほど一生涯かけて取り組みたい実践があるのだが、ここ最近は永い時間をかけて研究したいと思うテーマが見つかっている。これまでももちろん人間の成長·発達についてそれが一生涯かけて取り組むテーマだと思ってきたが、実際に博士論文を執筆するほどには至らなかった。ところが現在は、人間の成長·発達というテーマを織り込んで、博士論文を執筆するぐらいにじっくり時間を掛けて取り組みたいテーマが見つかっている。だからこそ神学大学院への進学を考えているのだ。そのような繋がりが見えてきた。これまでは博士論文の執筆には乗り気ではなかったが、今ようやく博士論文の執筆に資する自分なりのテーマを持てたように思う。その背後には、きっと以前の自己の側面の何かが健全な形で死を遂げ、新たな自己の側面が誕生したのだろう。こうしたところにも自分の死生観を育むための大事な洞察が宿っていそうである。フローニンゲン:2022/8/30(火)14:49


9019. ジークンドーの稽古(126):21個の接触法と基礎的なパンチをおさらいして


つい今し方、今日のジークンドーの鍛錬を終えた。これから散歩がてら買い物に出かけてこようと思う。夕方の涼しさを味わいながら、夕涼みとしての散歩の楽しみがある。


さて、今日のジークンドーの稽古においては、改めて21個の接触法に関するロビンさんの解説動画を視聴した。それを見てみると、今だから気付ける重要な事柄を見出したり、抜け漏れている重要な事柄を見出すことができた。先日のプライベートレッスンの際に撮影していた動画を見たときに、どうも自分はフットワークを伴わない形で打撃を出す傾向があり、それによって打撃の威力が弱いものになっていると気づいた。ジークンドーにおいてはフットワークこそが命であり、生命を欠いた状態だと技の威力が極度に弱まってしまうのは無理もない。改めてロビンさんの足元に注目して動画を見ていると、ロビンさんが防御の後、カウンターの打撃を繰り出す際には必ずプッシュステップをして、前に移動する推進力と自身の体重を乗せて打撃を放っていることに気づいた。この点はとても重要であり、絶えずフットワークを意識して、とりわけプッシュステップと技を組み合わせることは常に意識として持っておきたいものだ。もちろん状況によってプッシュステップ以外のフットワークは当然あるのだが、まずはその場に居ついて技を出すことから脱却するためにも、プッシュステップの意識を持っておきたい。プッシュステップをする際には、とにかく後ろ足の推進力をどれだけ活用するかと、足が地面に着地するよりも先に相手に打撃を当てることによって体重移動の力を活用することが鍵となる。特に後ろ足を旋回力とそこから生まれる推進力をどれだけ打撃に乗せられるかが大切になると改めて気づく。


21個の接触法を復習した後、そこからはロビンさんが基礎的なパンチの技について解説した動画を見ていた。それについても体の構造メカニズムやアライメントの観点から学ぶことが多々あり、パンチの精度の向上に繋げることができるかと思う。動画の中ではまだ習っていないランク3のアッパーカットがあったが、ちょうど先日のプライベートレッスンでそれを取り上げようかという話になった。しかし、まずはフックパンチの精度を上げることにして、アッパーカットについては後日習うことにした。次回のセッションはランク2の試験であり、ランク3になるとまだ習っていない幾つかの難易度が高い打撃方法を学び、そこからはコンビネーションや戦術に関する稽古が始まるように思う。次回の試験に向けて、ここからはできるだけ毎日21個の接触法の動画を視聴して精度を高めていきたいと思う。フローニンゲン:2022/8/30(火)16:02


9020. 箏の稽古(16):確かな進歩を感じて


時刻はゆっくりと午後8時に近づいている。今日は午後にいつもより多くの時間を使ってジークンドーの稽古をしており、買い物にも出かけていたので、夕方に箏の稽古をすることができなかった。その代わりに、夕食を早めに済ませて、先ほどまで1時間ぐらいの時間を使って箏の稽古をしていた。合わせ爪の奏法にも慣れてきて、同時に音を鳴らせる確率は昨日よりも増していて、自分の中で確かにミクロな成長が起こっていることを実感する。合わせ爪の中でも、1と5の弦を同時に鳴らすことが他の組み合わせよりも難しい。それだけ弦と弦の間隔が例外的に1つ狭いことも難しさを生んでいる要因となっているように思う。いずれにせよ、昨日よりも確かな進歩が見られていることは確かなので、素直にそれを喜ぼう。「さくら」の演奏に関しても、1箏パートは随分とスムーズに演奏できるようになってきた。2箏パートに関しては、昨日最初から6小節までに絞って練習していたことが功を奏してか、その部分は随分と滑らかに演奏できるようになってきた。そこから途中の一区切り着くところまで練習をしてみたところ、随分と思うように演奏できるようになっていることに驚いた。今のところ楽曲としては「さくら」しか演奏していないこともあって、学習効果が蓄積されているのではないかと思う。そこからは再び合わせ爪の練習に戻った。今日は最後に、明日から少しクラシック音楽の曲を演奏したいと思い、明日はC(ハ長調)に調弦しようと思った。ベートーヴェンの「喜びの歌」やパッヘルベルの「カノン」、そしてエルガーの「愛の挨拶」などを楽しみながら練習してみたいと思う。明日の調弦に向けて、一旦全ての柱を弦から外し、開放弦をEの音に合わせた。そこから明日は柱を並べ、チューニングをしていきたいと思う。チューニングの作業も初めに比べれば随分と慣れてきたものである。こうしたところにも自分の進歩を見れて嬉しく思う。フローニンゲン:2022/8/30(火)20:01

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