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7825-7831: フローニンゲンからの便り 2022年2月8日(火)



No.3255 大宇宙_Macro Cosmos


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1222, Transcending Previous Identity

I’m transcending my previous identity.

New one will come soon.

Groningen; 10:25, 2/8/2022


No.1223, My Poetry

I’ll continue to make poetry to express the depth of myself.

My poetry encapsulates what I think, feel, and learn on the day.

Groningen; 10:27, 2/8/2022


No.1224, Intellectual and Spiritual Stimuli

Next year, intellectual and spiritual stimuli would dramatically increase.

I can imagine I’ll be in a different place physically, intellectually, and spiritually.

Groningen; 10:30, 2/8/2022


No.1225, An Evening Breath

An evening breath is gently blowing on the air.

It caresses and inspires every soul.

Groningen; 20:39, 2/8/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7825. 今朝方の夢

7826. 今朝方の夢の続き

7827. 予防の大切さ

7828. 文化遺産としての日本古来のマーシャルアーツの保護と促進を天命に受けて

7829. 古武術·古流柔術の歴史的起源/武術療法への関心

7830. 大きな力に導かれて

7831. 新たな門出/システマトレーニング25:受け身の練習


7825. 今朝方の夢


ここ最近は、夢の中でもマーシャルアーツの鍛錬や探究をしているように思う。それを象徴する夢を今朝方見ていた。


昨日は、ブルース·リーの師匠であったイップ·マンとブルース·リー本人から稽古を受けるという夢を見ていたが、今朝方もまたブルース·リーから直接稽古を受ける夢を見ていた。ただし、昨日の夢の中で現れていたブルース·リーは、歳は若く、彼が亡くなった32歳ぐらいの様子だったが、今朝方の夢の中で現れたブルース·リーは40歳半ばぐらいであった。


しかし、昨日と今朝方の夢を比較してみると、40歳半ばのブルース·リーの方が圧倒的に技の速度が速く、マーシャルアーツというのは年齢に関係なく、技の精度を上げていくことができるのだと思った。


肉体的な衰えは誰にも必ず現れてくるが、マーシャルアーツの技は表面的な肉体を使うというよりも、身体全身を連動させて活用したり、身体の深層的な部分を活用したり、はたまた意識や無意識を活用したりと、加齢による肉体の衰えとはあまり関係がないと言えるかもしれない。


夢の中のブルース·リーは40歳半ばを向けていて、さらに円熟味を増していた。人としての成熟ぶりも素晴らしく、彼が発する言葉の節々に器の深さを見て取った。


このように、夢の中でもマーシャルアーツの鍛錬をしているというのは有り難い限りだ。ただし、鍛錬による興奮のためか、夜中に1度目を覚ましてしまった。


夢の中の私は、ブルース·リーからもちろん個別具体的な技の稽古を通じて指導を受けていたが、それ以上に自分にとって学びだと思ったのは、同じ時空間を共有しながら鍛錬をしていることだった。肌感覚で学ぶという表現がふさわしいだろうか。ブルース·リーと同じ時空間を共有し、手取り足取り触れ合いを通じて稽古をすることで、他にはないほどに充実した学びが得られていたように思う。


今朝方はその他にも夢を見ていた。もう1つの夢は、外国で列車になんとか乗り込むというものだ。


私は、小中高時代の親友(SI)と一緒に駅に向かっていた。駅に行く前には、彼の悩みを聞いていた。彼のその悩みは簡単に扱えるようなものではなかったので、できるだけ親身になって話を聞き、少しでも解決の方向に向かってくれるようにした。


悩み相談を終えた後、駅に向かい、駅に到着した。その駅にはたくさんのプラットホームがあり、今から自分たちが乗る列車はどこのプラットホームに到着するのか気になった。改めて確認すると、18番のプラットホームに目的の列車が来るようだった。


しばらくプラットホームの上で列車を待っていると、予定の時間になった。すると、様々なプラットホームに一気に複数の列車がやって来た。


私たちは確かに18番のプラットホームにいたが、そこだけ列車が来ておらず、少し心配になった。近くのプラットホームに止まった列車の車掌に英語で話しかけてみたところ、どうやら自分たちの列車は別のプラットホームにやって来ているとのことだった。


その場所を尋ねてみると、駅の外のバス停とのことだった。バス停とはなんとも不思議な場所だなと思ったが、車掌が教えてくれた通り、バス停に向かった。すると、確かに列車がバス停に止まっていた。しかも、その列車は斜めに傾いていて、列車の右側の角だけが地面に接してバランスを取っていたのである。


列車の扉が開くと、その列車に乗る予定だった乗客たちが押し寄せて来て、我先にと言わんばかりに席に座ろうとした。これから長旅なので、私も椅子に座りたいと思い、早く列車に乗り込んだ。すると、そこにはオランダ人が多くいて、オランダ語が聞こえて来た。


最初はどこに座ろうかと悩んだが、悩んでいる間にどんどん席が埋まって来たので、もう悩まずに近くの椅子に座ることにした。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/2/8(火)08:49


7827. 予防の大切さ


つい今し方、午前中のマーシャルアーツのトレーニングを終えた。昨日ジムでトレーニングしたこともあり、その翌日はいつも身体調整を兼ねたトレーニングをするようにしている。あまり激しくなく、それでいて身体意識を涵養できるような鍛錬を行うようにしていると言えばわかりやすいだろう。


先ほどのトレーニングもまた実り多く、自分の身体に関していくつもの気づきがもたらされた。今週末にロビンさんとのプライベートレッスンがあるが、その時にはまだ習っていない3種類の蹴り技を習うことになる。蹴り技をする際には股関節はとにかく重要であり、この部位の開発には余念がない。


先ほどのトレーニングは、中国武術に関するDVDを視聴しながら行っていた。このDVDには、中国武術の身体操作を可能にするためのエクササイズがいくつも紹介されていて、今後このDVDは重宝することになるだろう。今はとにかく身体を見つめ直し、柔軟性と可動領域を広げていくことを絶えず意識しようと思う。


力みのない身体の実現の重要性。マーシャルアーツにおいて力みは、技や動作のブレーキとなる。力みをほぐし、脱力すると、アクセル全開で動けるようになる。力みを含め、顕在化している緊張や、深層的な緊張を特定していきながら、力みのないほぐれた身体を開発していこう。


昨日ふと、護身術においても、身心の健康においても、予防が大事だということを改めて思った。護身術においては、鍛錬を通じて獲得された技術を活用しないに越したことはなく、重要なのは鍛錬の中で危機察知能力を涵養し、技術を活用する場面に出くわさないように日々の生活を送っていくことなのだと思う。それはまさに護身上の予防なのではないかと思う。


身心の健康においても、病んでしまってから治癒に取り掛かるのではなく、最初から予防的な治癒を日々施すことが重要なのではないだろうか。兎にも角にも、予防という意識を高めていきたいものである。


最後に、どこかのタイミングで、プライベートレッスンを通じて、システマやクラヴ·マガのナイフやピストルからの護身を集中的に学ぶことも考えていた。現代のコンテクストにおいては、ナイフのみならず、ピストルからどのように護身するかは大切だろう。


これもまた上記の予防と同じく、ナイフやピストルを持った相手と対峙した際にどのように動けるかも確かに重要だが、そうした状況に出くわさないように予防的に生活を送ることの方が遥かに重要だろう。とは言え、ナイフやピストルを用いたトレーニングには、非日常的な意識状態を体感させてくれる重要な価値があるので、こうしたトレーニングも今後取り入れていきたい。フローニンゲン:2022/2/8(火)11:43


7828. 文化遺産としての日本古来のマーシャルアーツの保護と促進を天命に受けて


時刻は正午を過ぎ、午前中に引き続き、マーシャルアーツの実践と探究をしている。先ほど、日本古来のマーシャルアーツである古流柔術について調べていた。古流柔術の背後にある宗教思想についても調査の対象としている。


日本のマーシャルアーツの背後には、神道や仏教の思想があると思うが、それらを一度包括的に整理してみたい。各流派は、それぞれ異なった宗教思想を背後に持っている可能性がある。それらの整理に加えて、身体操作の共通性や相違を見出したい。


日本古来のマーシャルアーツは文化遺産とみなしても良いのではないかと思う。それくらいに深い身体性がそこにあり、現代社会において重要な役割を果たしうるであろう調和的な和の精神性がそこにある。


自分はひょっとしたら、マーシャルアーツの実践と探究を通じて、日本古来のマーシャルアーツの保護と促進に従事することを天命として授かったのかもしれないとさえ思う。そうなのかもしれない。


少林寺拳法は中国の武術だと長らく思っていたが——中国の嵩山少林寺の少林拳と混同していたのである——、そうではなく、日本の新興武術であることを比較的最近知った。新興宗教と同じく、武術にも新興のものがたくさんあり、日本古来のマーシャルアーツの探究に加えて、日本の新興の武術についても調査をしていきたいと思う。その際に、新興の武術の宗教的な側面についても調査をしていくことを心がける。


自らの天命に光が差している。天命がより明瞭なものになりつつある。


昨日、狂気さが明晰さを生んでいるということについて考えていたが、狂気的な集中と献身が、光を1点に集めるような現象を生んでいる。今の自分はそれを身をもって経験している。


午後からもまた引き続きマーシャルアーツの鍛錬と研究に従事する。午後は、昨日に引き続き、ブルース·リーの思想に関する書籍を読み、買い物から帰って来たら、システマのトレーニングをしようと思う。フローニンゲン:2022/2/8(火)12:45


7829. 古武術·古流柔術の歴史的起源/武術療法への関心


不退転の精神。今の自分は、そのような精神が体現されている。不退転の精神でマーシャルアーツの鍛錬と研究を日々進めている。


今の自分にはもうそれしか見えないし、それしか感じられない。それぐらいに専心している。


午前中と午後の隙間時間を使って、マーシャルアーツに関する文献調査を色々と行っていた。今の自分は少し不思議なのだが、実践としてはジークンドーやシステマなどの外国のマーシャルアーツに従事しているが、学術的な研究の焦点は日本のマーシャルアーツにある。特に、日本の現代武道ではなく、日本古来のマーシャルアーツに注目している。


日本の古武術·古流柔術の歴史的起源を遡ることや(日本の古武術·古流柔術は、室町時代から戦国時代にかけて随分と体系化され、発展したようだ)、日本古来のマーシャルアーツが持つヒーリングの側面、すなわち活法について関心がある。


残念ながら、それらの領域に関しては今市販で入手できる書物は少ない。そのようなことから、次回一時帰国した際には、神田神保町の古本屋街に行き、武術書の取り扱いで定評のある中川書房、高山本店、長島書店に足を運びたいと思う。武術書のみならず、神道に関する書籍は東陽堂書店で買い求めたいと思う。


武医同術という発想。マーシャルアーツにおいて、相手の身体を破壊する技術は、それを裏返せば身体を癒す技術になる。この発想は、陰陽思想のようで面白い。


古来より、武術家によって体系づけられた武術療法というものがあることを知り、今はそれについて学術的調査をすることや、自らが施術できるように技術を向上させていくことに関心がある。


今日の午前中に書き留めていた日記にあるように、こうした日本古来の武術療法もまた日本の文化遺産に資するのではないかと思う。人々を癒し、世界の平和に貢献する叡智が日本古来のマーシャルアーツにある。


この探究領域は、全身全霊をかけて探究していきたいと思う次第だ。これは一生涯を掛けて取り組むことになるだろう。その過程において、この分野で学術的論文を執筆したり、一般向けの書物を執筆したり、各方面で叡智の共有活動に尽力したい。


それ以外にも今日は、霊的·宗教的シンボルに関する図鑑のような書籍を2冊購入することにした。宗教·神秘思想に関する象徴主義には以前から関心があり、この間ドイツに旅行に出かけた際には、イスラム教のシンボルに関する書籍を購入していた。


身体操作に関して、ヨガにおいてはムドラーなどがあり、日本の武術や宗教儀式においても印を結ぶというものがある。これについても関心を持っていて、それは広義の象徴だと思う。


当然ながら、身体操作を通じて脳や意識が活性化され、それが特殊な効果を引き出すというのは想像に難くないが、そうしたグロスの次元を超えて、サトル次元での意味や効果というものも調べてみよう。霊的·宗教的シンボルに関する探究もその一環である。フローニンゲン:2022/2/8(火)16:47


7830. 大きな力に導かれて


自分はもう腹を括っている。いや、幸いにもあちらの方から腹を括らせてもらったのだ。


自己を超えた此岸と彼岸が自分を導き、自己をしかるべき場所に手招きしている。本当に委ねるだけなのだ。自己をその導きに委ねるだけでいいのだ。


往々にして、私たちにとってはそれこそが難しい。だが自分は全てを捨ててもそこに自己を委ねる。もう委ねてしまっているのだ。


マーシャルアーツの活法的側面について調べていると、日本武道医学という領域があることを知った。そちらについても現在調査を続けている。


日本古来のマーシャルアーツの身体操作とヒーリング技法というのは、残念ながら歴史を通じて随分と喪失してしまっているようだ。よく言われるように、それは明治維新やGHQによる占領を通じて行われたように思われるが、その他にも歴史的出来事や要因があるかもしれない。


そのようなことを知りたくなって調査をしていると、それはさながら歴史学者のアプローチである。マーシャルアーツという観点から日本史を学び直すということ。それは日本人である自分にとって非常に重要なことのように思える。それは自らの霊性と密接に関わる問題なのだ。


先ほどふと、今後の旅行についての考えが脳裏をよぎった。欧州にいる間に訪れたい場所は、バルト三国、ベルギーの主要三都市、モナコ 、ローマ、フィレンツェなどをざっと挙げることができるが、今は旅行に出かけるよりも、フローニンゲンに残ってマーシャルアーツの実践と研究に時間を充てたいという思いの方が強い。


春になって暖かくなったらまずはバルト三国に出かけよう。そして今年の夏は、モナコでゆっくりするのがいいかもしれない。あるいは、モナコは冬も暖かいようなので、今年の年末年始はモナコで過ごすことを検討しよう。ローマとフィレンツェには秋になって行くか、来年の春に行くことを検討しよう。


今日は文献調査を念入りに行っていて、その中で読書も少々行っていた。現在の読書においては、もっぱらブルース·リーに関する書籍とジークンドーに関する書籍を読んでいて、書籍の中にブルース·リーのお墓がアメリカのシアトルにあるという記述が目に止まった。早速Google Mapで位置を確かめ、いつかそこに足を運んでみようと思った。


今、自分の人生が何か途轍もなく大きな力によって導かれているように感じる。その導きに身を任せている自分には、宇宙の創造エネルギーと全く同じだけのエネルギーが充満して踊っている。フローニンゲン:2022/2/8(火)20:09


7831. 新たな門出/システマトレーニング25:受け身の練習


発達理論に関する専門家としての肩書。そんなものは重荷でしかなく、邪魔でしかない。そんなものは捨ててしまえばいいのだ。


自分のことを発達理論の専門家としてみなす人とはもうできるだけ関わりを持たないようにする。自分は発達理論の専門家である前に1人の人間なのだ。1人の人間であり、同時に生涯を通じた学習者であり実践者なのだ。それを脇に置いて、発達理論の専門家としてみなされるのはとても苦しい。


30代前半で構築された資産。それは一体何のためにあるのか。それは自分が一生働かなくていいためでも、自分の子供、孫、さらにその次の世代に残すためのものでもなく、構築された資産を使って継続的に学習と実践を続け、そこで得られた知見をとにかく公共の場に共有していくことなのだ。


今の自分の資産は、天からの贈り物にすぎない。自分は単に目の前に咲いた一輪の花を手にすることができたという幸運に恵まれただけなのだ。その幸運の使い道。それは兎にも角にも、この世界のためでなければならない。


今日は午後に90分掛けてシステマのトレーニングをじっくり行っていた。DVDを視聴しながら、基礎を確認し、基礎を何度も繰り返すことは自分にとって大きな学びとなっている。


今日は特に受けについて熱心に練習していた。これまでの自分の受けは柔らかさが欠けていて、少しゴツゴツした印象だった。しかし今日は、以前よりも柔らかい形での受けが実現されていることに気づいた。


今朝方の念入りな動的ストレッチと身体操作の鍛錬が効果を発揮していたのかもしれないし、以前から柔らかい受けをしようと心掛けていたことが潜在意識に染み込んで、それが体現され始めたのかもしれない。


前方へのローリングを練習しながら、できるだけ手からではなく、肩をうまくふんわり当てて回ることを意識してみると、随分とうまく受けができ始めた。これは後ろへのローリングにおいても当てはまるが、身体の硬く角張った部分はできるだけ使わない方がいい。なぜなら、地面への衝撃で怪我をしてしまいやすいからだ。


ではどういった部分が硬く角張っているかというと、わかりやすいのは膝や肘だろう。それらを地面に当てることをできるだけ避けながら、肩を上手く使って、そして肩甲骨の回転運動を使ってローリングすると、随分と滑らかな受けが実現される。


システマの受けでは、合気道や柔道のように地面を手で叩くことはしない。それは実際の路上においては何が落ちているかわからないし、地面は道場の畳やフロアのように柔らかくはないので、それによって怪我をしてしまうことを防ぐためだ。


さて、後方へのローリングに関しては、1つコツとしてお尻をかかとにつけて後ろに倒れると倒れやすい。またポイントとしては、受けによって後頭部を手でカバーし、後頭部を守ことは大切だ。さらには身体の中で非常に重要な背骨を傷つけないようにするために、背骨を地面に当てないようにして受けを取ることも大切だ。


今日試聴したDVDは非常に内容が充実しており、特に受け身の箇所は何度も視聴しよう。前方と後方の受け身の練習を毎日のエクササイズの中に取り入れたいし、ジムでのトレーニングの最後にも受けの練習を取り入れてみよう。継続は力なりだ。フローニンゲン:2022/2/8(火)20:24

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