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7166-7170: フローニンゲンからの便り 2021年7月21日(木)



No.2507 快楽の花_A Flower of Pleasure


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.770, Villa Mondriaan

I’ll visit Villa Mondriaan today, which is located in Winterswijk in the South Netherlands.

Mondriaan’s art works would stimulate and facilitate my senses.

I expect to discover a new aesthetic and existential meaning within me.

Groningen; 06:58, 7/21/2021


No.771, Intrinsic Destructive Nature

As Freud pointed out, contrary to our general belief that we destroy to live, we live to destroy.

We may be a destructing creature rather than a living one.

The tendency for us to destruct our selves, other sentient beings, and our planet is unfortunately accelerating at incredible speed.

Groningen; 21:37, 7/21/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7166. 久しぶりの観光に向けて/今朝方の夢

7167. ズヴォレの駅のプラットホームから

7168. 文明の根本的矛盾

7169. モンドリアン美術館を訪れて

7170. ヒエロニムス·ボス美術館への訪問計画/破壊の享楽


7166. 久しぶりの観光に向けて/今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今、小鳥たちの鳴き声が小さく聞こえてきている。


空には鱗雲が出ているが、天気予報を確認すると、今日は一日中晴れる。今日はいよいよモンドリアン美術館に行く日である。


先日のコロナワクチンの接種で別の街に訪れたが、そこを観光したわけではないので、今日は久しぶりの観光旅行である。南オランダのウィンタースウェイクという人口3万人弱の小さな街に訪れる。


今日は少し肌寒く、日中は20度を超えるようだが、半袖で出掛けるべきなのか迷うところだ。一応上に何か羽織るものを持っていこうと思う。


自宅を10時ごろに出発し、美術館に到着するのは午後1時前である。その旅程で行こうと思っていたが、フローニンゲン中央駅のカフェで温かいコーヒーを購入したいこともあり、最寄駅から一本早めの電車に乗ろうと思う。そうすればカフェでコーヒーを購入し、少しカフェで寛げる。


今日はあえて学術書を携帯しない形で出かけようと思う。電車に乗っている時間は日記を執筆したり、音楽を作ったりする。


いつも曲を作った後にその曲が喚起する色を楽譜の中に明記しているのだが、そのための色彩辞典だけを携帯していこうと思う。電車の待ち時間などはぼんやりと辺りを眺めたり、この色彩辞典を眺めることにする。


仮に学術的なものが読みたくなったら、デスクトップに保存している論文を読んでいけばいい。とにかく今日は、少しばかり意図的に書物から離れることにしたい。


そのようなことを考えながら、今朝方の夢について振り返りを始めようとしている自分がいた。今朝方の夢の世界は穏やかだったようだ。


覚えていることとしては、夢の中の自分は旅館のようなところにいて、そこで日本酒のテイスティングに参加していたことである。それは私が望んで参加したものではなく、旅館の女将が私に参加を促したのである。


テイスティングを行っていたのは座敷のような場所だったが、座敷には似合わない大きなソファーとガラステーブルが置かれていて、それらは高級クラブに置かれているような品だった。


私の前には見知らぬ男性がいて、斜め前に女将が座っていて、私の右横には見知らぬ若い女性が座っていたように思う。その男性は私と同じく宿泊客であり、女性の方は旅館で働いている人のようだった。


私たち4人は楽しげに話をしながらテイスティングをしていた。いくつかの種類の日本酒を飲んだ後、最後に出てきたのが特別の酒だった。それは女将と同じ名前の酒であり、その産地を当てるというものだった。


酒の名前がもう明かにされているので産地を当てるというのは、本来ボーナスクイズのようなものなのだが、私はいくつかの産地候補で迷った。迷っていても仕方ないので、思い切って1つの産地を決めてそれを述べようとしたところで夢から覚めた。


今朝方の夢で覚えているのはそれくらいだ。今から朝風呂に入りながら、もう少し今朝方の夢の世界を探求してみたいと思う。フローニンゲン:2021/7/21(水)06:52


7167. ズヴォレの駅のプラットホームから


今、ズヴォレの駅のプラットホームの椅子に腰掛けながらこの日記を書いている。フローニンゲンからズヴォレに到着し、そこから列車に乗り換える必要があったのだが、ズヴォレに到着する列車が数分遅延となり、当初の列車に乗り換えることができず、プラットホームでしばらく待つことになった。


今日は比較的暖かく、天気が良いというまさに絶好の観光日和である。幾分肌寒さがあったので上着を羽織ってきて正解であった。半袖で過ごしている人がいないわけではないが、半袖だったら少し寒さを感じていただろう。


ここからもう1時間ほど列車に乗ればウィンタースウェイクに到着する。駅からモンドリアン美術館までの道は複雑ではなく、道のりは頭に入っている。


結局今日は、荷物になると思ったので、作曲実践をするためのノートや色彩辞典を持ってこなかった。その代わりに、自宅を出発する朝の段階で、1日の作曲実践をすでに終えることにした。


列車の中では窓の外の景色を眺めたり、持参した書物をゆったりとした気分で読むことにした。書物から離れることを朝に明言していたように思うが、結局旅の友としての書物を持参しないわけにはいかず、自宅とは違った気分で書物と向き合えていることを良しとする。


今日は水曜日なのだが、ズヴォレの街は穏やかだ。この街には移民局があり、滞在許可証の延長申請が受諾されれば、また改めてこの街に来て新たな滞在許可証を受け取ることになるだろう。


人口3万人のウィンタースウェイクという街はどのような街なのだろうか。駅の周辺、そして美術館周辺、そして街並みそのものに対して期待感が高まる。


美的感覚の涵養。今日の美術館訪問はそれを促してくれるに違いない。


先ほど読み進めていたマークーゼの書籍において美的感覚についての記述があり、その箇所をやはり丹念に読み進めている自分がいた。理性で快楽を抑圧するのではなく、健全な快楽を健全な形で満たしていくこと。快楽原則に素直に従っていくことの大切さを思う。


快楽と美的感覚というのは密接に繋がっており、今自分は快楽と美的感覚の見直しを図っている期間の中にいるようだ。ズヴォレ:2021/7/21(水)11:32


7168. 文明の根本的矛盾


もう間も無くモンドリアン美術館のあるウィンタースウェイクという町に辿り着く。辺りはとても長閑であり、先ほど地図を確認してみたところ、ウィンタースウェイクという町はドイツとの国境に接しているようだ。


さらにそこから地図を眺めてみると、来月に訪問予定のボンもこの町から遠くないことがわかり、ボンには列車の旅として向かいたい。マルクス博物館のトリアーという町はルクセンブルクと目と鼻の先であり、せっかくなのでルクセンブルクにも少し立ち寄ってみようかという気持ちになる。この点に関しては、ルクセンブルクの町に良い美術館があればそうした旅程にしてみようと思う。


列車の中で引き続きマークーゼの書籍を読んでいると、フロイトの非常に洞察の深い記述に出会した。そもそも人間が文明を築いていく過程においては、欲望を抑圧する形で外的環境へ適応させようとする文化的な枠組みや制度的な枠組みが育まれ、人間はそうしたリアリティ原則に従わざるを得ない。


端的には、人間の幸福というものが文明の中では最初から実現され得ないものであることが見えてくる。そこでの幸福というものひどく歪んだものであり、快楽原則が抑圧され、自らに固有の健全な欲望を健全な形で満たしていく方法や機会がこの社会には乏しい。


そして、社会が私たちに提示してくる虚構の夢物語にひとたび組み込まれると、それを疑いもせずに無自覚的にその夢物語を追い求め続け、自らの真の幸福が何かを見失ってしまう。文明とは最初から人間の幸福とは相容れないものだったのではないかという気づきを得る。


当然ながら人間は、幸福の実現に向けて良かれと思って文明を築いてきたはずなのだが、そもそも文明を成り立たせる仕組みとして、その秩序維持や運営原則の根幹が、私たちの固有の欲望を抑圧する形で機能しているのだ。そうしたことから、人間は皮肉にも文明を築き、その中で生きることによって幸福実現から離れていくのである。


そのようなことを考えていると、列車がそろそろウィンタースウェイク近くにやってきた。窓からの長閑な景色。どこまでも続く平地。この国が豊かな農業国であるということが窺える。


牧草地帯の優雅な景色。そこで飼育されている牛や馬もどこか表情が柔和であり、幸せそうだ。


オランダにいると本当に気分がのびやかになる。ゆとりが至る所に溢れていて、それはこの国の豊かさの源泉になっている。ゆとりが満ち満ちているこの国には、何か大切なものが満ち満ちていることがわかる。


幸福の実現とは矛盾する文明社会にあって、仮に真の幸福を実現しようとするのであれば、この国のこうしたゆとりや落ち着きから学ぶことはたくさんあるだろう。


時空間的なゆとりと、主観的世界における固有の美的感覚。それが文明社会における幸福実現における重要な拠り所であり、全ての実践や施策はそこから出発しなければならないだろう。ウィンタースウェイクに向かう列車の中:2021/7/21(水)12:59


7169. モンドリアン美術館を訪れて


小さく落ち着きのある町、ウィンタースウェイク。つい先ほど、モンドリアン美術館を後にし、今駅で停車中の列車の中にいる。


美術館はこじんまりとしていたが、色々と見所が多く、思う存分に作品と周辺の雰囲気を満喫することができた。久しぶりに美術館に訪れたこともあり、自分の内面が癒され、美的感覚に良き養分が巡ったように思う。


今回の美術館の訪問をきっかけにして、旅の良さを改めて実感し、諸々の意味での内的リハビリテーションが図られたように思う。


美術館に到着して館内に入る時、いつもながらの出来事に遭遇した。それはいつも起こることなのだが、大抵おかしくなって笑ってしまう。


平日の日中にのんびりと美術館にやってくる人たち。そう、そうした人たちは大抵リタイアしたシニアなのだ。


今朝方経由したズヴォレの美術館に以前訪れた際も、訪問客のほとんどはリタイアしているであろうシニアであった。久しぶりに今日もその現実に直面した。


今回足を運んだ美術館は、実際にモンドリアンが8歳から20歳まで住んでいた場所であり、ここから描いたであろう教会の作品も飾られていた。ちょうど庭に面した形でウィンタースウェイクの教会が今でも見える。この場所でモンドリアンはあの教会を描いていたのかと想像しながら、当時のモンドリアンが生きた時代に思いを馳せる。


モンドリアンの作品に対しては抽象画というイメージを持っていたが、キャリアの初期においては、まさにピカソが辿ったのと同様に、具体的な事物や風景を描いていたことを初めて知った。具体から抽象への変遷。そこにモンドリアンの内的発達過程を見る。


モンドリアンの日記か何かに描かれていたスケッチで印象に残っているものがある。1つは、フリーメイソンで用いられるような眼のモチーフの祖廟である。もう1つは、天使の世界を描いた超越的な作品だ。


それらはキャリアの初期の頃に描かれたものに思えるが、当時は作品としては具体的な事物や風景を描きながらも、モンドリアンの奥底には、すでにこうした抽象的·超越的なものへの関心があったのだと知る。


現在、プロテスタント神学を探究している最中だが、モンドリアンもまた父の影響もあって、プロテスタントの信奉者であった。館内で放映されているモンドリアンの生い立ちや作品に関するドキュメンタリーを見ていると、モンドリアンがブライトナーに影響を受けていたことを知った。


ブライトナーは、以前私が住んでいた家の通りに名前が付されていた画家である。そうした思わぬ共通点があり、興味深くそのドキュメンタリーを視聴していた。


館内の展示作品を全て見た後、ショップに立ち寄ったところ、残念ながら英語の画集が置かれていなかった。店員に聞くと、オランダ語とドイツ語のものならあるとのことであり、改めてこの町がドイツとの国境に面していることを思った。


画集の代わりに、薄いパンフレットを購入することにし、今からフローニンゲンに戻るまでに目を通そうと思う。今日の美術館訪問によって、日常生活の中でもっと絵を描く時間を意識的に取ろうと思った。様々な画集を片手に、色々試したいことがあり、思うままに絵を描いていこうと思う。ウィンタースウェイク:2021/7/21(水)14:58


7170. ヒエロニムス·ボス美術館への訪問計画/破壊の享楽


時刻は午後5時に近づいてきている。今、ズヴォレからフローニンゲンに向かう列車の中にいる。


予定していたよりも少し早く自宅に帰れそうであり、今日はゆっくりと夕食を摂った後に少しばかり絵を描き、早めに就寝しようと思う。今日のモンドリアン美術館を受けて、確かにもう1つのモンドリアン美術館にも足を運びたいと思ったが、その前にヒエロニムス·ボス美術館(Jheronimus Bosch Art Center)に足を運びたいと思った。


昨年の冬にその美術館について調べており、そもそもボスの作品はもっと前から関心があったのだ。確かデン·ハーグの美術館でボスの作品を見たことがきっかけでボスの作品と彼そのものに関心を寄せたのだと思う。


ヒエロニムス·ボス美術館は、北ブラバント州の都市デンボス (Den Bosch) という場所にある。この美術館も今日訪れたモンドリアン美術館と同じぐらいの距離なので、日帰りで行けてしまう。来週は少し用事があるので、再来週にでも早速足を運んでみたい。事前予約が必要かどうかを確認しておこう。


ズヴォレの駅に向かうまでの間、仮眠を取っていた。穏やかな太陽光が眠気を誘い、しばしうたた寝をしていた。毎日の午後の仮眠。これは旅の最中においても欠かせないものである。


先ほど、マークーゼの書籍の初読を終えた。エピローグの中に、フロイトの非常に鋭い指摘があった。それは、私たちは生きるために破壊をしているのではなく、破壊するために生きているのだ、というものだ。


環境破壊のみならず、文明社会に絶えず破壊的な行為や活動が存在しているのは、やはり人間の内側に破壊衝動が根付いているからなのだろう。それは死への衝動と密接に結びついたものであり、人間は破壊の享楽を絶えずどこかで感じていて、その享楽を満たすために生きているという側面は確かにあるだろう。


優れた思想家というのは、常人が考えているのとは正反対の発想の存在を指摘する。また、常人の発想の前提のおかしさを見事に指摘する。


フロイトやマークーゼのみならず、偉大な思想家の仕事を辿る際には、常人が見逃している、あるいは認識対象に上げることのできないような発想の前提について彼らがどのような指摘をしているのかを注意深く見ていこう。


列車はゆっくりとフローニンゲンに向かっている。長閑な牧草地帯を走っていく列車。風景の動きは心地良く、そのリズムが自分の内側のリズムを刺激する。フローニンゲンに向かう列車の中:2021/7/21(水)16:55

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