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7153-7155: アートの国オランダからの便り 2021年7月17日(日)



No.2483 裁きの外套_A Mantle of Judgment


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.762, The Society as the Da Vinci Code

Most people tend to be blind to the shadow realms of the society.

The shadows are complexly constructed and recondite to decipher.

The difficulty would be like that of deciphering the Da Vinci Code.

Yet, we have to break the code if we want to liberate ourselves from social constraints.

Groningen; 06:30, 7/17/2021


No.763, The Nature of Reality

This reality is one of many realities.

We mustn’t forget it.

Peeling a skin of one reality, a different reality would appear.

Groningen; 20:47, 7/17/2021


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本日生まれた3曲


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タイトル一覧

7153. 生体リズムのコントロールと「社会というダヴィンチコード」を指摘する夢

7154. 成人発達理論とインテグラル理論のシャドー

7155. 鈴木規夫さんとの対談セミナーを終えて


7153. 生体リズムのコントロールと「社会というダヴィンチコード」を指摘する夢


時刻は午前5時半を迎えた。今、朝日が顔を見せ始めている。このところは朝は霧が立ち込めていたり、曇りがちだったので、朝日を拝めるのは久しぶりのことなのではないかと思う。


とても美しい。シンプルにそのように思う。シンプルで偉大な存在そのものの美。そして、その存在が放つ光の美しさ。それを味わい、美そのものと化している自己がここにいる。


今日は幸いにも1日を通して快晴のようだ。雲ひとつない晴れマークが天気予報に付されていて、それを見るだけで清々しい気分になる。今日は洗濯日和でもあり、早朝から洗濯機を回していて、もう少ししたら洗濯機が止まるだろう。


今日はトレーニングを終えて中2日目の休養日である。身体がかなり回復されてきているが、明日にもう1日ほど休養を取ろうと思っている。


次回のトレーニングは月曜日であり、その日が待ち遠しい。次回のトレーニングで意識するべきことはすでにいくつかあり、明後日のトレーニングも身体を極限まで追い込んでいきたい。


今朝方は総じて印象に残る夢を見ていなかったように思う。これもトレーニングによる影響なのだろうか。ただし、夢の中で何かに対して熱弁を奮っていた自分がいる場面があったように思う。


それは社会で当たり前と思われている種々の事柄の根本的なおかしさを指摘するものであり、人々に対してそれに気づいてもらうことを促すものであった。


夢の中で話していた事柄としては、現代人は生体リズムコントロールされた形で生きているという問題があった。例えば、週休2日制の形で、平日5日休日2日という「5:2」の調教されたリズムを通して人生を過ごしていくことの愚かさについて指摘していた。


それは音楽理論のコード理論の観点から言えば、一曲全てを「I-V-I」のコードで作るという非常に単調なものであり、しかも問題は、そうしたコード進行を自ら選んだのではなく、学校教育の初期からそうしたリズムで生きることを押し付けられており、それにあまりにも無自覚に生きているという生きる姿勢に関するものだった。


その中で、そうしたリズムで生きる人が大半のこの世の中において、そうした人たちを批判するのではなく、人々をそうしたリズムで生きることに駆り立てる力と仕組みについて批判の矢を向けていた。


そこからさらには、「社会のダヴィンチコード」を読み解くことの大切さについて話をしていたように思う。人は社会によって作られた大きな物語としての巨大なコードの中で生かされており、そのコードがどのような意味を持つ、どのような作用を私たちに与えているのかについて無自覚過ぎる。


社会の中に張り巡らされている暗号コードを対象化し、それを解読していく素養を身につけ、解読実践をし、暗号コードに問題があればコードそのものを書き換えていく実践に乗り出すことの大切さを訴えていた。


夢の中の自分の指摘は、今の関心事項と密接に関連しており、夢の中で用いた比喩や言葉はユニークなものがあり、今改めて考えてみても今後の参考になる。フローニンゲン:2021/7/17(土)05:57


7154. 成人発達理論とインテグラル理論のシャドー


今、小鳥たちが鳴き声を上げている。小鳥たちの鳴き声をかき消すかのように、今洗濯機が最後の激しい回転を始めた。もう間も無く洗濯機が止まり、洗濯物をこれから干し、その後に朝風呂にゆっくり浸かろうと思う。


今日の自分の活動はこれから始まる。今日はオランダ時間の正午から、知人の鈴木規夫さんとの対談セミナーがある。鈴木さんとは昨年の秋にも久しぶりに対談セミナーをさせていただき、とても充実した時間を過ごさせてもらった。今日のセミナーも非常に楽しみである。


昨夜、自分を含めた個人のシャドーを見るだけではなく、社会のシャドー、すなわち集合のシャドーを見ることの大切さについて、『インテグラル心理学』の読書会用に音声ファイルを作成していた。


その後、集合のシャドーを見ていくことに紐づく形で、成人発達理論やインテグラル理論を探究する者は、それらの理論のシャドーについても自覚的であるべきだという考えが改めて芽生えた。


それらの理論はまさに人が作り上げた理論であり、前者は成長·発達に関する広義のメタ理論であり、後者はより大きなメタ理論ではあるが、そうしたメタ理論であったとしても限界があるのである。


それらの理論が語っていない事柄や、力が及ばない対象はいくつも存在するのだが、仮にそれらの理論のシャドーを神学的な観点で挙げるとするならば、それは目的論(teleology)を所与とし、成長·発達というある種の夢物語に人々を乗せることによって、成長·発達を実現することによって人は救われるという救済論的な(soteriological)発想を内在させていることにあるのではないかと思う。


また、人間の文明の限界を冷徹に見据えるような観点もそれらの理論には希薄であり——ウィルバーのSESにはそうした観点が窺えるが、文明の限界をより本質的に掘り下げている思想家であれば他にもっといる——、終末論的(eschatological)な観点が欠けている点もまたシャドーであろう。


プロテスタント神学では、人は原罪を持つという性悪説に立って、人間に対して厳しい眼差しを向けている。一方、成人発達理論やインテグラル理論は、性善説に立脚した形で理論が組み立てられている側面が多分にあり、人間の内在悪や文明の限界を見通す視点の脆弱さを見る。


そもそも、人間の理性を遥かに超えた存在について探究するのであれば、性善説に立つというのは早晩限界に直面する。性善説においては人間の力で人間自らと世界を変えていけるという楽観的な思考が不可避に存在しており、それは人間の力ではなんともらない現象を見落とす引き金になりかねず、人間の力を超えた存在についての眼差しを希薄なものにしてしまうのである。


人は性悪説に立つ時、自らの内在悪を直視し、人間の力ではどうしようもないものを超越的な視座で見つめるという眼差しが獲得されるのではないかと思う。インテグラル理論ではシャドーの探究を大切にすることを訴えかけているが、それが性善説に立脚する限り、シャドーの探索は浅いものにならざるを得ないのではないかと思う。


また、本来インテグラル理論が言及する高次元の発達段階についても、その段階に到達することの難しさは、性善説に立脚することによってもたらされる人間中心主義的な発想と、それに付随する形で引き起こされる超越的な視座の欠如にあるのではないかと思う。少なくともこのような重大なシャドーが成人発達理論とインテグラル理論にはあるということについて考えていた。フローニンゲン:2021/7/17(土)06:12


7155. 鈴木規夫さんとの対談セミナーを終えて


時刻は午後7時半を迎えた。今日は1日を通して雲一つない晴れ間が広がっており、夕方のこの時間帯も雲がなく透き通った空が見える。


優しい太陽光が地上に降り注いでいて、季節はまだ7月の半ばなのだが、その光の優しさは秋の夕暮れ時のそれを思い起こさせる。


今日は昼前から、知人の鈴木規夫さんのご著書の出版を記念したセミナーに登壇させていただいていた。セミナー前の30分の打ち合わせを入れ、2時間のセミナー、そしてセミナー後の関係者内での30分ほどの振り返りを入れると、合計で3時間ほどのセミナーであった。


鈴木さんとの1年振りの対談は、昨年の対談と同じく、個人的に非常に充実した時間を過ごさせていただいたように思う。セミナーの参加者の皆様が今日の話をどのように受け止め、どのようなご感想を持ったのかわからない部分もあるが、今の自分自身の関心事項と問題意識の多くを共有させていただく貴重な場をいただいたことに感謝をしている。


改めて、マネーとテクノロジーを起点とし、広義の文明批判とその再建の道を模索していく探究にこれからより一層励んでいこうと思った。ここからの肉体改造と精神的変貌。それを遂げた後、また鈴木さんとお話をさせていただく機会を得ることができればと思う。


今日のセミナーを終えて、改めてオレンジ段階の知性の重要性について考えていた。この段階は、成人発達理論の枠組みで言えば、まだ慣習的段階に所属する発達段階であり、インテグラル理論の学習者を含め、この段階の知性というものが過小評価されやすいように思う。


そもそもオレンジ段階というのは近現代を開いた重要な知性段階であり、確かにフランクフルト学派が指摘するように、それは戦争を引き起こした拠り所となる知性段階ではある。だが、セミナーの中で鈴木さんが言及していたように、現代社会においてはまずこの段階の知性を涵養しなければならず、この段階の知性を通じて取り組めることが数多く存在していることを忘れてはならない。


スパイラルダイナミクスをもとにしたインテグラル理論の色分けの発達段階モデルだけを学んでしまうと、オレンジ段階が低くみなされがちだが、この知性の価値と有用性というものを改めて考えてみる必要があるのではないかと思う。


問題なのは、それが経済合理性の追求という非常に限定的な領域で活用される傾向にあることであり、おそらく重要なことは、集合規模で後慣習的な知性を育むよりも先に、今オレンジ段階の知性が振り向けられる対象領域を変えていくような試み、すなわちオレンジ段階の知性によって解決することができる問題がまだまだ存在している他の領域に振り向けていくことなのではないかと思う。


この段階の知性が発揮されるベクトルの向きを変えることや、この知性が向かう水脈を変えていくこと、ないしは導線を構築していくこと。そうすれば、この段階の知性を問題解決に向けて真に発揮できるような領域に活かすことができるのではないだろうか。そのようなことをセミナー後に改めて考えていた。


そしてもう一つは、セミナーの内容とも重なり、セミナーの中では言及しなかったが、ヒューマンポテンシャルムーブメントの火付け役かつ先導者でもあったティモシー·リアリーの書籍にもなった言葉“Turn On, Tune In, Drop Out”について考えていた。


リアリーはインテグラル理論やトランスパーソナル心理学の学習者であればよく知っている人物だと思うので、ここではあえてリアリーについて言及しないが、彼が1960年代のアメリカおよび世界を取り巻く社会情勢の中で、幻覚作用のある物質を摂取することによって、眠っている感覚を呼び覚まし(turn on)、それによって知覚されたリアリティと一体となり(tune in)、そして既存のリアリティから脱却せよ(drop out)という意味を込めた上記のメッセージは、現代においても意味合いを変えて当てはまることがあるように思う。


リアリーの発言は、今となってはニューエイジ的な未熟な発想であるが、それは人間性の解放を希求したものであった。残念ながら、現代においては、この言葉は違う意味で現代の状況を言い表している。


端的には、高度なテクノロジーによって人間の感覚がturn onされ、テクノロジーによって創出されたヴァーチャル空間ないしは幻想の夢の世界にtune inされ、その人本来の固有のリアリティからdrop outさせられている、という現代の状況である。


ここで重要なことは、もう一度リアリーの述べたことの本義に立ち返り、自分固有の感覚をturn onし、固有の主観的世界にtune inし、既存の虚構のリアリティからdrop outする道を歩んでいくことだろう。しかし、リアリーが述べているのはdrop outのところまでであり、それだけでは不十分である。


真の解放の旗手は、drop outした虚構のリアリティそのものを治癒変容させていく試みに従事する人間のことを言うのだと思う。リアリーの言葉をふと思い出しながらそのようなことも併せて考えていた。フローニンゲン:2021/7/17(土)19:45

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