top of page

7112-7115: アートの国オランダからの便り 2021年7月6日(水)



No.2446 夕方の光の祝い_Celebration of Evening Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.734, Bright Yellow Light

I perceived bright yellow light before I woke up this morning.

It came to the point of the third eye.

The light was very warm and comfortable.

It felt like as if it was opening my third eye gently.

Groningen; 05:46, 7/6/2021


No.735, Externalization

Our body, sense, and memory are extending to the outer world day by day.

The externalization creates a new human species.

What kind of new inner reality do we experience in the future?

Groningen; 08:58, 7/6/2021


No.736, A Guardian for My Symbolic World

A guardian who protects my symbolic world from enemies in the external world is always with me.

Without its protection, my symbolic world would be easily penurious.

How do modern people protect their precious symbolic world?

Groningen; 21:48, 7/6/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7112. 今朝方の夢

7113. “pharmakon”としてのマネーとテクノロジー、そして成人発達理論とインテグラル理論

7114. 差延の彼岸的性質/内的リアリティの外在化/世俗化された言葉の変容

7115. 狂気性/己を読む読書/マネーとテクノロジーに関する研究について


7112. 今朝方の夢


時刻は午前5時を迎えた。この時間帯はまだ辺りが少し薄暗い。空にはうっすらとした雲がかかっていることも薄暗さの要因かと思う。


キッチン側の外から1羽の小鳥の鳴き声が聞こえてくる。それは澄み渡るような鳴き声であり、辺りの空間を癒している。毎日思うが、小鳥たちの鳴き声は空間を浄化し、空間を癒す力があるのだと思う。


現前するものは常にそれ以上のものを内包している。それは言葉を超えた存在であり、その存在は常に現前するものの背後に隠れているのだ。


その存在に気づき、その存在をこの世界に在らしめる形でこの世界を照らしていくこと。それを日々行っていく。


今朝方は夢の世界から目覚める時に、薄黄色い光を知覚していた。ちょうど第3の眼と呼ばれる額の真ん中あたりの奥でその光を知覚していた。


その光はどこか温かく、それを感じているのは心地が良かった。その体験の前に見ていた夢についても思い出してみよう。


夢の中で私は、あるサッカー漫画の主人公たちの成長を見守る存在としてそこにいた。実際には肉体としてそこにいたのではなく、観察者としての目だけがそこにあり、彼らの様子を眺めていた。


彼らはまだ小学生のようであり、今大きな大会に参加している。漫画の主人公に最も自分の意識が向かっていたが、その他の登場人物たちもみんな個性的であり、観察をしていることの楽しみは多かった。


主人公は着実に試合を勝ち進み、いよいよ決勝戦となった。その前に、大会会場の横にある駐車場で南米人監督と最後の練習をしていた。それは試合に向けた打ち合わせも兼ねており、主人公と監督は何やら決勝戦を楽しみにしている様子が滲み出すほどに楽しそうに話をしていた。


この夢の中で私は、主人公とその他の登場人物たちはこれから大きくなって日本代表という同じチームで一緒にサッカーをすることを知っていた。そうしたことから、彼らの出会いと対戦を微笑ましく見守っている自分がいた。


次の夢の場面では、私はおそらくアメリカであろう国の大都市の中にいた。その都市の高層ビルの中にいて、小中学校時代の男友達(YU)と女友達(AS)の3人でビルの中を散策していた。それは散策というよりも脱出ゲームのようなものだったと言ったほうがいいかもしれない。


ビルのある階から階段を使って上に上がっている時に、目的階が随分と上の方にあることに気づいた。ビルの中はとても暑く、汗が出てくるほどだった。2人は平然としながら階段を上っていたが、私は暑さがたまらず、また疲れも出て来ていたので、階段横に現れた特殊な形をしたエスカレーターに乗って行こうと思った。


実際にそれに乗ろうとしたところ、通常は足でエスカレーターの上に立てばいいが、それは形が通常のものとは異なっており、斜めに傾斜したエスカレーターの床の部分のくぼみに捕まる必要があった。


それに捕まりながら上の方に上っている最中に、2人に「お先に」と述べた。すると男友達もエスカレーターに乗って来て、私の体を支える形で背後にしがみ付いて来た。


すると突然視界が開け、エスカレーターはビルの上に上っていくのではなく、ビルから飛び出し、街の中心部に向かってジェットコースターのように動き出した。スリル満点な形で街の中心部に向かうジェットコースターのようなエスカレーターに乗りながら、私は街の風景を堪能していた。


しばらくすると、エスカレーターは地面に着地したのだが、そこは街の中心部ではなく、街の中心から逸れていた。私はどこかおかしいと思い、友人と一緒にエスカレーターを降りることにした。


エスカレーターから飛び降りると、そこは少し雰囲気の悪い場所だった。道はあまり綺麗ではなく、ゴミが落ちており、アフリカ系アメリカ人の集まる地域だった。


ある信号機が赤から青に変わり、歩道を歩き始めたアフリカ系アメリカ人の男性が、突然空き瓶を蹴り、それは反対側の道路にいた同じくアフリカ系アメリカ人の中年女性に当たりそうになった。


空き瓶を蹴った男性はすぐさま逃げ出し、私と友人はその男性を追いかけた。なぜ私たちが彼を追いかけようと思ったのかは定かではなく、体が勝手に反射したのである。


その男性を追いかけ始めてすぐに、汚れた平家の中に彼が逃げ込んだのではないかと思い、聞き込みを始めた。1軒の家に入った時、窓からドブ川に向かって逃げ出したのではないかと想像され、その家の窓を見せてもらった。窓の外を見ると、どうやらここから外には飛び出せないと思い、引き返すことにした。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2021/7/6(火)05:41


7113. “pharmakon”としてのマネーとテクノロジー、そして成人発達理論と

インテグラル理論


起床時と同様に、今も小鳥たちが鳴き声を上げている。今日のそよ風もまた涼しげであり、爽やかかつ穏やかな雰囲気が辺りを包んでいる。


今日もまたグッドチャイルドとスティグラーの書籍を集中的に読み進めていく。昨日、スティグラーが“pharmakon”という言葉に3つの意味を持たせていることを知った。


最初の2つはすでに知っていたが、3つ目が新しかった。それらは順番に、良薬、毒薬、スケープゴートという意味である。


マネーやテクノロジーが良薬にも毒薬にもなるというのはその通りであり、さらに、人はマネーやテクノロジーに問題の責任を課す傾向にあるという点を見ると、マネーやテクノロジーをスケープゴートのように活用している時があることに気づく。本来は人間側に問題があるはずなのだが、生贄や身代わりとしてマネーやテクノロジーが槍玉に上がる議論をよく見かける。


マネーの歴史を紐解いてみると、グッドチャイルドが指摘するように、マネーが金融資本主義を生み出したのではない。マネーはずっと前から存在しており、金融資本主義を作ったのは私たち人間である。その暴走の媒介物として確かにマネーが存在しているが、金融資本主義の仕組みを暴走させているのは私たちなのだ。


“pharmakon”の3つの意味について考えを巡らせていると、これはマネーやテクノロジー以外にも多くのことに当てはまると思った。例えば、成人発達理論やインテグラル理論といったものも“pharmakon”の性質を持っていることがわかる。


それらの理論は良薬にも毒薬にもなるし、スケープゴートにされることもある。果たして今の日本社会において、成人発達理論やインテグラル理論は良薬として使われているのだろうか。毒薬として用いられてはいないだろうか。仮にそうなら、それらの理論はいつかスケープゴートにされて追いやられる。


昨日はその他にも、全てが経済圏に折り畳まれていくフラットランド化に対抗していくことについて考えていた。全てを経済圏の言語で語らないようにしていくこと。その浸食をなんとか食いとどめ、新たな生活様式と新たな社会を作る道筋を提示していくこと。


経済圏に包摂されずに残っている最後の聖域的な実践領域をとにかく大切にし、そこから出発していくこと。また、すでに経済圏に包摂され、毒されてしまった領域からも何かしらの実践を開始していくこと。それらの大切さを思う。


今日も引き続きマネーとテクノロジーの内在的性質についての探究を行っていく。マネー神学に加えて、テクノロジー神学の確立を希求しながらも、マネーやテクノロジーが必ず政治と結びついていることを考えると、マネーとテクノロジーに関する政治神学を確立していく必要があるのではないかと思った。


そのためには、政治神学の提唱者であるカール·シュミットの論考が参考になるであろう。シュミットの古典的著作物については以前から関心があり、すでにいくつかが文献購入リストに入っている。それらは次回の注文の時ではなくもう少し後になってから購入しようと思っているが、シュミットの政治神学が役に立つときが必ず来るであろう。フローニンゲン:2021/7/6(火)07:35


7114. 差延の彼岸的性質/内的リアリティの外在化/世俗化された言葉の変容


——社会は書かれることで政治に目覚める——バーナード·スティグラー


静けさに覆われた世界。早朝には朝日が差し込む瞬間があったが、今は空が雲に覆われている。そして肌寒い。以前として冬の格好で過ごしている。


テクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーから日夜大きな刺激を受けている。スティグラーは、デリダの差延の概念を拡張適用し、差延とは人間と技術の手前にそして彼岸にあると主張した。差延の彼岸的性質は、神学的な観点でより豊かな意味を与えることができるのではないかという考えが芽生える。


そこから、人間がある新たなテクノロジーを発明していくというベクトルだけではなく、新たに生み出されたテクノロジーによって人間もまた発明されるというベクトルについて考えていた。


まさに人間とテクノロジーの相互依存関係がそこにあり、人間とテクノロジーのカップリングを見る。おそらくテクノロジーの発展史を辿っていけば、人間とテクノロジーの相互依存関係がより明らかになってくるのではないかと思う。


現代社会においては依然として次々と新たなテクノロジーが生み出されている。肯定的·否定的にも、これから新たな特徴を持った人類が生まれてくることは必然なのだろう。


スティグラーは、身体器官、身体感覚、そして記憶がテクノロジーによって外部化される現象に着目しており、この点は自分の関心を引く。ポストヒューマンとの関係から、こうした内的リアリティの外在化現象を通じて人間がどのように変貌していくのか、そして社会がどのように変質していくのか。その際に私たちはどのような規範的意識を持って個人の変貌と向き合い、社会の変容を導いていくべきなのか。


テクノロジーの不可逆的発展を考えると、テクノロジーの発展の流れを止めようとするのはほぼ不可能であるように思え、そうであるならば、テクノロジーの使用に関する規範的議論を豊かにしていくことが重要であるように思う。そして逆説的にも、テクノロジーを活用しながらテクノロジーの使用に関する規範性を高めていく道も見出すことができるのではないかと思える。


昨日、世俗化された言葉で、すなわち手垢の付いた言葉で現代の問題の本質を捉えていくことの難しさについて考えていた。現代社会を覆う問題の重大さと解決の必要性を訴える際に、世俗化された言葉がどこまで響くのか疑問を持ち始めている。


超越的な言葉を直接的に用いることが難しい現代において、超越的な視座が内包された世俗的な言葉を語るしか方法がないのか、それとも別の方法があるのか。そのあたりを模索している自分がいる。


そこから、政治神学を提唱したカール·シュミットの指摘を思い出した。シュミットは、近代国家における政治上の重要な概念は、世俗化された神学概念に他ならないと主張している。


現代の倒錯した政治状況を打破するためには、もう一度神学概念の根本に立ち返り、新たな言葉を通じた政治実践の変容が求められるのではないだろうか。経済神学という領域が存在していることからも、これは政治だけではなく経済においても当てはまるかもしれない。


すなわち、経済上の重要な概念も世俗化された神学概念であり、経済の立て直しの際にも神学概念の根本に立ち返り、そこから新たな概念を提示する形で既存の病理を治癒していくという道があるのではないかということである。そうした関心から、政治神学と経済神学に関する書籍はやはり次回の書籍の一括注文の際にいくつか購入しようと思う。フローニンゲン:2021/7/6(火)09:12


7115. 狂気性/己を読む読書/マネーとテクノロジーに関する研究について


時刻は午後8時に近づきつつある。今、穏やかな夕日が空に浮かび、地上を優しく照らしている。


今日も雑多なことを考えながら絶えず読書に励む1日であった。その中で、自分の内側にある狂気性の創造的表出行動が、自らの狂気性を外部世界から保護してくれていることに気づいた。


誰しもの内側にある狂気。それは自らの固有性を司るものでもあり、一概に否定的なものではない。むしろ自分はそれを大切にしている。それは自分の存在基盤なのだから。


日々集中的に書物を読んでいるが、それは書物を読んでいるというよりも、プルーストが指摘したように、己自らを読んでいることに他ならないのだと思う。自己を読みながら、自己を深めていくプロセスが読書の真髄なのだ。今日もそれを実感しながら読書が進んでいた。


今日もグッドチャイルドとスティグラーの書籍を音読していた。グッドチャイルドやスティグラーの書籍から派生してマネーとテクノロジーに関して重要な考察をおこなっていた思想家の仕事に次々と出会っている。その中には過去に参照したことのある思想家も含まれているが、マネーとテクノロジーという観点から彼らと新たに再会したという感覚がある。


マネーとテクノロジーの利用に関する倫理観を高めていくための道を探る日々。マネーとテクノロジーという常に私たちの身近にある存在との付き合い方をどうするかが今後の人間社会と地球の存在において極めて重大な意味を持つように思う。


そのようなことを考えながら、マネーとテクノロジーの性質を批判的実在論の3つの階層構造で捉えてみるとどのようなことが言えるかを考えていた。いろいろな具体例を用いながら、経験世界から現実世界へ、そして実在世界へと階層を徐々に上げて考えていくことによって、マネーとテクノロジーの存在論的な特徴が明らかになってくる。


今日の読書において、グッドチャイルドとスティグラーの書籍の中で共通していたのは、マネーとテクノロジーの双方に形而上学的な要素が多分に含まれており、マネーに対して神学的なアプローチを採用するだけではなく、テクノロジーに関しても同様のアプローチが取れることを確信した。あとは具体的にどのような側面に対してどのように神学を活用していけばいいのかを明らかにしていくだけだ。


マネーとテクノロジーの形而上学的側面ともこの話はつながっており、このテーマに関する書籍を調べてみたところ、またしてもいくつか参考になりそうな書籍が見つかった。現在、次回の書籍の一括注文の際に再検討するべき書籍のリストが150冊近くになっている。


実際の注文においてはその半分の70冊から80冊ぐらいになるだろうか。とにかく、自分の研究に関して参考になると思った良書は全て入手しておく。それがいついかなる時に光をもたらしてくれるか分からないのだから。フローニンゲン:2021/7/6(火)20:00

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page