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7071-7073: アートの国オランダからの便り 2021年6月22日(水)


No.2392 光の光_Light of Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.704, Terror of Infinity

People tend to yearn for eternity,

But they overlook the fathomless terror of infinity.

Once we go through a gate of infinity, we will know and experience the true horror of the infinite hell.

Groningen; 07:06, 6/22/2021


No.705, Preciousness

Everyday is a series of journeys.

Even if it looks ordinary, it consists of unique moments that would never come again.

Knowing it, everyday looks really precious however mundane it is.

Groningen; 21:42, 6/22/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7071. 今朝方の夢/紹介者としての役割/3つの関心領域について

7072. 宇宙の伸縮と古代文明に思いを馳せて

7073. 旅としての日常/無限が孕む恐怖


7071. 今朝方の夢/紹介者としての役割/3つの関心領域について


時刻は午前6時半を迎えた。今、優しい朝日が地上に降り注いでいる。昨日に引き続き、今日も肌寒い1日なるようだが、1日を通して晴れなのは喜ばしい。午後にかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行くことになっており、道中の散歩は清々しさを感じられるだろう。


天気予報を確認すると、ここからしばらく肌寒い日々が続くようだ。先日は真夏を感じさせるような日が数日ほどあったが、そこからまた冬の終わりに逆戻りしたような感じである。


今朝方の夢をいつものように振り返ろうとしているが、今朝方の夢はどうも印象が薄い。これまで面識はないが、名前と仕事については認識していた日本人の哲学者と話をしていたことを覚えている。


その他には穏やかな海を眺めながら、砂浜で日本人の少年と話をしている場面があった。今日の夢はどちらも共に他者と対話をしている夢であった。他者と対話をする必要性を訴えかけているのか、あるいは現実世界の今の自分が毎日書物を通じて著者と対話をしていることの現れなのか、そのようなことを考えさせられる。


昨日、自分には真似のできないような、代替不可能な優れた仕事をしている学者との出会いに感謝の念を改めて持った。その学者がまだ日本で知られていないのであれば、その出会いを大切にして、そうした学者を日本に紹介することも重要な役割なのではないかと思ったのである。


これまでの自分は紹介者としての役割をあまり好ましく思っていなかったが、認識の転換が訪れたようである。日本に紹介したい思想家と思想内容があり、それらを紹介することによって、日本に何かしらの貢献ができるのではないかという小さな期待がある。今後翻訳書を出版する機会がやって来たら、誠意を込めて翻訳に従事したい。


昨日はその他にも、自分がそもそもマネー、テクノロジー、エコロジーを探究領域に設定したことについて考えていた。マネー、テクノロジー、エコロジーというのは、人間と社会が今後もずっと付き合っていくことになるという共通点があるように思う。


商品·財·サービスの交換に用いられるものを広くマネーとして定義した場合、仮に交換の一部が再び物々交換的なあり方が実現されたとしても、社会全体が物々交換のような形に戻るというのは考えられにくい。効率性や利便性の観点からして現実的に不可能であろう。


そうなってくると、人間の文明社会が存続する限りにおいてマネーというのはなくらないのだと思う。テクノロジーに関しても同様である。


テクノロジーによって快適さと便利さをひとたび手にしてしまうと、テクノロジーの発達の不可逆性のため、もう私たちは完全にテクノロジーを手放すことはできない。人間は道具を生み出す生き物であるという内在的な特性からも、テクノロジーは絶えず生み出されていき、私たちは文明の崩壊までテクノロジーと付き合っていく必要があるのだと思う。こうした人間と社会にとって消し去ることのできない刻印のようなものが暴走している点に強い問題意識を持っている。


マネーやテクノロジーに諸悪の根源があるのではなく、残念ながら人間が人間であることに諸悪の根源があり、それがマネーやテクノロジーの使用を歪める形で人間性の剥奪と社会の堕落を導いているように思う。


キリスト教的な発想で言えば、人間の持つ原罪に文明社会の限界があるというのはこのところよく考えていることだ。そうした原罪によって他の生命や地球そのものが危機に瀕しているという点もまた重要な問題意識を喚起させる。それがエコロジーに関心を持たせた理由である。


そして、エコロジーもまた、物理的な人間が存在するためには地球という物理的な環境が必要になるという点において、人間と社会が存続している期間において常に重要性を持ち続ける。


そのようなことを考えながら、今後の探究実践に向けて気持ちを新たにしていた。それらの領域を同時並行的に探究していくことも可能だが、優先順位としてはマネー、テクノロジー、エコロジーという順番で探究を進めていこうかと思う。


それは今の自分の関心の強さから直感的に導かれたものである。そうした直感もまた啓示的なものであり、その啓示に自己を明け渡して従うことが重要なのだと思う。フローニンゲン:2021/6/22(火)06:57


7072. 宇宙の伸縮と古代文明に思いを馳せて


時刻は午後4時に近づいている。つい先ほど街の中心部から戻って来た。今日は午後に、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらった。


店に到着すると、いつものようにメルヴィンはダブルエスプレッソを作ってくれた。それを飲みながら雑談を少しばかり行い、髪を切ってもらうというのがいつもの流れである。


今日もまた色々な話をしたが、最近私が神学を探究しているということを伝えると、メルヴィンも関心を示し、色々と質問をしてくれた。それらの質問は神学的な知識を要するものではなく、むしろ自分が神学探究から何を得ているのか、そもそも何が神学探究に向かわせたのか、そして神学的な探究を通じてどこに向かおうとしているのかというような質問だった。それらはいずれも重要な問いであり、すぐに回答できるようなものではなかった。


その後、オランダの宗教教育についてこちらから質問した話の中で、オランダに「バイブル·ベルト(聖書地帯)」というものがあることをメルヴィンが教えてくれた。それは移民局のあるオランダ中部の中規模都市ズヴォレから南に数十キロほど下った地域に該当し、その地域は宗教的な伝統を強く残している一帯だと聞いて興味深く思った。


これまで滞在許可書の更新でズヴォレの街には何度も訪れたが、バイブル·ベルトの一帯の街には一度も訪れたことがなく、メルヴィン曰く、その辺りの人たちの生活様式は宗教的なものを窺えるとのことだったので、どこかの機会にその一帯の街に足を運んでみようかと思う。


そのような話をした後に、メルヴィンがコスモロジーに関する話をし始めた。ちょうど最近神学における終末論について学んでいたこともあり、それと絡めて色々と話をした。その中でも、メルヴィンがふと、宇宙は拡張と収縮を心臓の鼓動のように、あるいは呼吸するかの如く膨大な時間をかけて繰り返しているのではないかという仮説を述べ、その点について話が盛り上がった。髪の毛を切ってもらい、店を出た後も、宇宙が伸縮を呼吸のように繰り返しているイメージが強く印象に残っていた。


その他にも、5週間前にメルヴィンは時間についてのテーマを取り上げ、過去と未来のどちらに行ってみたいかと私に尋ねて来た。そして、過去に戻るのであればどれくらいの時間を遡るのか、未来にいくのであればどれくらい先の未来に行ってみたいのかを尋ねて来た。


その時は2人とも、100年後の未来に行ってみるという点で話を進めていた。ところが今日また同じ質問を受けたときに、メルヴィンは今の文明社会が誕生する前の文明時代、例えばマヤ文明やアステカ文明の時代に戻ってみたいということを述べた。


その理由を聞いてみると、当時の時代の人たちの宇宙観や時間感覚が現代文明の人間たちとはまるっきり異なるからとのことだった。すなわちメルヴィンは、今の私たちを制約づけている宇宙観と時間感覚とはまるっきり違う世界観で日常を生きてみたときに何が見え、何を感じられるのだろうかという点に関心を持っているようだった。


ちょうど今日の午前中、現代のテクノロジーが私たちの時間感覚を制約づけているということを音声ファイルの作成を通じて話をしていたところだったので、メルヴィンのその話にはシンクロニシティがあった。


今の自分が持っている宇宙観と時間感覚とはまるっきり異なる世界観でこの世界を生きてみることができるだろうか。それが可能であればどのようなものが見え、どのようなことを感じられるのか。それに対する興味関心は尽きない。フローニンゲン:2021/6/22(火)16:07


7073. 旅としての日常/無限が孕む恐怖


夕方の穏やかな世界が目の前に広がっている。そよ風が目の前の木々の葉を揺らしている姿をぼんやりと眺めている。日常の中に旅性を見出す。


このところ、何気ない日常がどこか絶えず非日常的な旅のように知覚される。旅はそれを始める際に、すでに終わりが想定されていて、有限であるという明確な意識のもとに旅を過ごすことによって、目に見えるもの全てが新鮮であり、何気ないものにも目を奪われる。今、日々がそうした形で過ぎていく。


体験の一回性に絶えず自己が開かれていて、新鮮さに満ちた一回的な体験群の中で毎日を過ごしている自分がいるのである。今日のメルヴィンとの会話もそうだった。


彼との会話はまた来月に行うことができるのかもしれないが、それは実は完全に約束されたものではない。ひょっとしたら彼と話をするのは今日で最後だった可能性もあるのだ。


今日目にしたもの、出会った人、食べたもの等々、それら全てが自分にとって最後のものだった可能性があることを思うと、敬虔な気持ちにならざるを得ない。


敬虔性。敬虔なあり方。敬虔な眼差し。今の自分にとってそれらはとても大切なものとして映る。


昨日、無限の怖さについて考えていた。人は永遠を求める内在特性を持つが、永遠であることの恐ろしさをあまり認識していないのではないかと思う。


無限というものが孕む恐ろしさ。終わりがないことの深淵な恐怖。


現代人はひょっとすると無限であることの真の恐ろしさに気づくことができていないがゆえに、蓄財を含めて盲目的に無限を追い求めてしまうのではないかと思う。永遠というものが内包する真の恐ろしさ。


キリスト教も仏教も、人間の生は苦に裏打ちされているものだと捉えているが、まさにそうした生が仮に永遠に続くというのは無限地獄で生き続けることを意味する。やはり永遠というものは、実に恐ろしいものであることを私たちに教えてくれる。


今日も神学関係の書籍を随分と読み進めていた。もう数日ほどで先日届けられた26冊ほどの書籍の初読が終わる。


そこからは、フィリップ·グッドチャイルドが執筆したマネーの神学に関する書籍を最初から最後まで丁寧に音読していく。グッドチャイルド以外にも、ケンブリッジ大学教授のジェフリー·インガムの“The Nature of Money”も音読していきたいと思う。


それらがマネーに関する書籍であり、テクノロジーに関する書籍で言えば、バーナード·スティグラーの書籍についても丁寧に最初から最後まで音読をしていこうと思う。次回の書籍の一括注文の際には、グッドチャイルドの最新の出版書籍と、スティグラーの残りの全著作物を購入し、彼らの書籍を集中的に読み込んでいこうと思う。フローニンゲン:2021/6/22(火)19:39

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