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7024-7027: アートの国オランダからの便り 2021年6月9日(木)


No.2343 悪と啓蒙_Evil & Enlightenment


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.676, A Feeling in the Morning

The morning sun is shedding a gentle light to the world.

The surrounding area is filled with serenity.

I feel as if I went to a transcendental world.

Probably, I’m actually there right now.

Groningen; 06:47, 6/9/2021

No.677, No Shadow in the Sky

The shadow of a tree goes to the sky.

There is no shadow in the sky.

The evening sky embraces everything.

Groningen; 20:49, 6/9/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7024. 今朝方の夢

7025. 音符で描く絵/たやすく生命維持をする金融資本主義

7026. 経済・金融空間から欠落してしまった超越的な視座

7027. 本日の探究を振り返って


7024. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。今朝も天気が良く、今朝日を存分に浴びている。朝日には夕日とはまた違う優しさがあることを感じる。今日も穏やかで充実した1日になるだろうことが予感される。


いつものように今朝方の夢を振り返っている。夢の中で私は、日本の見慣れない場所にいた。そこには山も海もあり、どこか地元の雰囲気と似ていたが、地元ではないようだった。


どうやら小中学校時代の友人たちと修学旅行の一環でそこを訪れているようだった。私たちに付き添ってくれていたのは数学の女性の先生だった。先生はまだ若く、とても元気があった。


先生と少しばかり話をしていると、いつの間にか私は海が見える学校のそばにいた。すると突然、学校の横の水路の水がどんどんと増えてきて、洪水のようになった。


そこで私は、水路の鉄パイプにすがるようにして流されないようにした。私の後ろにも同じことをする友人が何人かいた。


するとどういうわけか、私の手元には剃刀のような緑の薄いプラスチックの板があった。私はそれを顔の前に当て、プラスチックから透けて見える向こう側の世界を眺めていた。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は学校の教室にいた。どうやらその教室は、1つ前の夢の場面で見た学校の教室のようだった。私は席に着いていて、これから始まる授業を待っていた。


見知らぬ女性の先生が教室に入ってきて、早速授業が始まった。すると先生は、すぐさま私に話しかけてきた。


教室の中に気にかけている友人は誰かいないかということを先生は私に質問してきて、私はある親友(HS)が最近過労なのではないかと心配していると述べた。その時に私は友人を少しばかりからかう意味で、「体の丸いXX君のことが心配で」と述べていた。


それに対して先生は、人のことを丸いと述べてはならないと優しく諭した。しかし先生は即座に、教室にいた別の友人に対して、もっとひどい形容詞を付けて名指ししていた。そのような夢の場面があった。実際にはその他にも何か夢を見ていたように思う。


そう言えば、小中高時代の男友達(HY)と中学校時代の数学の先生と3人と地面に寝っ転がりながら話をしていたのを覚えている。友人が鉛筆を1本取り出し、6つの面をクルクルとゆっくり回しながら先生に見せ、先生はある1つの面に記された数字と文字を見て、何か運命的なものを感じているようだった。


そのような夢の場面があったことを思い出した。友人が行ったのはある種の占いのようなものであり、それは自分でもできるような技術レベルのものであり、自分も機転を利かせてそれを先生に見せてあげればよかったと思っていた。


それでは今から朝風呂に入り、今日の活動をゆっくりと始めていきたい。フローニンゲン:2021/6/9(水)06:40


7025. 音符で描く絵/たやすく生命維持をする金融資本主義


小鳥たちの鳴き声がこだまする朝の世界。今日もまた天気が良いこともあって、早朝の世界は大変清々しい。オランダはここから清々しい気候が続く。


一昨日に作曲実践をしている最中に、音符で絵を描くような感じが訪れた。楽譜をキャンバスに見立てて、音符の点と線で絵を描いているような感覚がやってきたのである。


曲を作った後、1曲を通して聴いている際に、楽譜全体が確かに1枚の絵のようになっているように思えた。自分にとって作曲は、単に曲を作るだけではなく、絵を描くことでもあったのだという気づきがやってきた。


昨夜、神学と音楽理論に関する学術書をいくつか見つけ、今すぐにではないが、今後はこのテーマの探究も進めていきたい。直感的に、それを取り上げていくのは今から10年後ぐらいだろうかと思った。


その頃を迎えるまでには、今取り組んでいる学術探究が一旦落ち着き、再び音楽理論を含め、作曲実践に集中的に時間を充てるのではないかと予感している。その際には、神学の観点で音楽理論を探究し、そこで得られた知見を作曲に活かしていきたい。そのようなことを昨夜風呂に入りながら考えていた。


ここ最近は対談をさせていただくことが多いが、対談はジャズセッションのような即興的面白さがあることをいつも思う。1人で探究をしていては決して気づけないことが対談からもたらされ、それが再び1人での探究の題材となっていく。


来月にもオンライン対談が1件か2件入っている。そこでのやり取りはまた探究上の貴重な刺激と養分になるだろう。そうした刺激と養分を受け、そこから探究をさらに深めていき、対談の都度、探究過程で得られた事柄を共有していく。


今日は、マネーに対して神学的アプローチを用いて論じた興味深い書籍を読むことを楽しみにして起床した。以前に読んでいたものとはまた違う書籍であり、本書からどのような気づきが得られるか非常に楽しみである。


金融資本主義においては過剰が美徳、ないしは過剰に駆り立てられていることが無意識的な前提になっているが、過剰は不足と違い、それがそこにある場合、それがそこにあることにほとんど気づけないことに落とし穴がある。


何かが不足しているときに、私たちは何かが不足していると気付けるものだが、何かが過剰な場合には、何かが過剰であると気づくことは非常に難しい。


金融資本主義は、不足を前提にしているというよりも過剰を前提にして動いており、それでいて人間には飢餓感を感じさせる。すなわち、システムそれ自体は過剰を前提にして駆動しているのだが、そこにいる人間には飽くなき欲望の追求を促すのである。


金融資本主義は、その生命維持のために、絶えず不満足な人間を必要とする一方で、究極的な満足を得ることが可能であると信じる人間も必要とする。残念ながら、現代人のほとんどはそのどちらかに分類されてしまうという都合上、金融資本主義はたやすく生命を維持することができる。


足るを知り、日々の小さな事柄に対して満足感と充実感を覚えるような意識を涵養していく必要性をこのあたりからも感じる。フローニンゲン:2021/6/9(水)07:50


7026. 経済・金融空間から欠落してしまった超越的な視座


カッコウが穏やかな鳴き声を上げている。朝の世界は引き続き穏やかだ。


早朝にふと、キリスト教神学の探究を始めた自分について考えていた。自分の場合、キリスト教神学の探究に乗り出していくのに、キリスト教文化圏での10年の生活が必要だった。


この10年間、欧米での生活体験を積み重ねることによって、ようやくキリスト教神学の探究を始めることができる段階に到達したのだと知る。出発地点に到達するまでに10年の生活が必要だったこと。それは自分にとっては長いようでいて全く長くない。ここからの探究は、自分が地に足を付けた生活を通じて獲得した直接体験をもとに進んでいく。


世界の諸宗教の思想を深く理解しなければ、相対的なこの現実世界の中で起こっていることが全く理解できなくなってきているという実感がある。さらには、諸宗教に共通して見られる超越的な世界認識について理解して初めて、この世界で起こっていることの本質がわかってくるのだと直感的に思う。


ここからしばらくはキリスト教神学について探究を深めていくが、昨夜書籍を調査していたように、今後はイスラム教神学やヒンドゥー教神学についても探究を進めたい。それは比較神学的な探究になるだろう。


幼少期の頃、超越的な存在に絶えず見張られているような感覚があったことをふと思い出した。超越的な存在から見張られているという感覚は、自分が悪事を為すことを抑制していたように思う。


その感覚について思い出していると、現代の金融資本主義の発想において、超越的な神や仏のような概念が一切含まれていないことはおろか、むしろそうした超越的な視座が欠落しているゆえに暴走している側面もあるのではないかと思った。


本来、神や仏というのは存在論的にこの現実世界の遍く場所に存在しているはずなのに、いつの間にか経済金融空間から神や仏がいなくなってしまった——分離してしまった——ことに諸悪の根源があるように思えてくる。


“God the Economist: The Doctrine of God and Political Economy”という書籍を読むことを通じて、経済·金融思想の中に超越的な視座を回復させる道を探りたい。午前中に読んでいた書籍を通じて、古代ローマにおいては、政治·経済·神は一体のものだったことを改めて知る。


そこから近代化の流れの中でそれらは差異化され、それが歪な形で過度に押し進められてしまった結果、それらは分離してしまった。あるいは、分離しながらにして奇妙な癒着関係が育まれてしまった。そこに種々の悪の温床を見る。


発達の原理に則れば、ここからは統合化の道を歩む必要があるように思える。それらが真に統合化されて健全な関係を結ぶためには、そもそも超越的な存在の回復が必要になる。神学探究はそこに寄与していくことにつながるのではないだろうか。


金融資本主義を取り巻く記号的な象徴宇宙を紐解いていく際に、神学的アプローチが有益になることはもうすでに実感している。経済·金融空間上に存在する言葉や行為、そしてそこで見られる現象の多くは極度に抽象的かつ象徴的であり、超越的な存在を探究する神学は、そうした抽象的なシンボルが絡み合って生み出される経済·金融空間上の抽象的かつ複雑な問題を解明していくことに大きな貢献を果たすはずである。


ゆっくりと着実に、この関心事項を起点にして神学探究を進めていく。フローニンゲン:2021/6/9(水)11:05


7027. 本日の探究を振り返って


時刻は午後7時半を迎えた。今、穏やかな夕日が地上に降り注ぎ、小鳥たちが夕涼みしながら美しい鳴き声を上げている。


今日は早朝より、“The Enchantments of Mammon: How Capitalism Became the Religion of Modernity (2019)”という書籍を読んでいた。本書は注記を入れると800ページほどの大著だが、内容に加えて論の展開が見事であり、まるで小説を読んでいるかのように引き込まれるようにして一気に通読した。アメリカにおいて、資本主義がどのように発展していったのかを知る素晴らしい書籍だった。


時代が近代に遡って来た時、エマーソン、ホワイトヘッド、デューイといったその時代を代表する思想家たちの思想が歪められた形で援用され、それがアメリカの資本主義思想の後ろ盾になっていたという歴史を知った。


ホワイトヘッドは“The Aims of Education (1929)“の中でビジネススクールを擁護する立場を取り、ビジネススクールもまた大学院としての地位を与えるにふさわしいと述べ、エマーソンやデューイもアメリカの発展において企業活動を擁護していた。


だが彼らのそうした姿勢の背後にはいくつも見落としてはならない思想があったのだが、企業活動の信奉者たちはそうした思想を骨抜きにする形で、偉大な思想家たちの姿勢を後ろ盾にして資本主義活動を推し進めていったのである。


そこから時代が下ってくると、今度は特定の思想家というよりもむしろ、「グローバル化」「効率化」という概念を後ろ盾にする形で、資本主義は力を付けていった。本書には、事細かにアメリカの資本主義発展の歴史が記されていて、今後また本書を参照するであろう。


優れた力作に出会えることはいつでも大きな喜びであるが、テーマによっては社会の闇、人類史の闇を突きつけられることになるため、手放しに喜ぶことができないこともままある。


本書はそうしたことを突きつけてくれる書物だが、その歴史をもとに、そうした歴史的出来事を生み出した構造的メカニズムを特定することができれば、現代社会に対して幾ばくか光をもたらすことができるはずである。そういう精神でここから書物を読み進めていく。


夕方はまた別の書籍を読んでいた。1冊は仏教と生態学に関する書籍、そしてもう1冊はバスカーの批判的実在論の観点から現代経済学を批判的に検証する内容である。後者の書籍を読みながら、批判的実在論を使って、現代の経済学が思想的·方法論的にどのような問題を抱えているのかを整理した上で、神学的アプローチを用いて経済·金融思想の歪みを特定し、そうした歪みを生み出す構造的メカニズムを解明していく道を歩んで行こうと思った。


そのような意味において、今日もまた少しばかり探究が前進したように思う。明日は、精神分析学の観点から後期資本主義の問題について論じた書籍と、スラヴォイ·ジジェクの何かしらの書籍を読みたいと思う。2冊を読んでもまだ時間があれば、ディープエコロジーと仏教に関する書籍を読んでいこうと思う。


日々の探究はとにかく充実しており、この流れの中で探究を進めていく。フローニンゲン:2021/6/9(水)19:47

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