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6765-6766: アートの国オランダからの便り 2021年3月26日(土)


No.2040 夜明けの波動_A Wave Motion at Dawn

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.473, Perception of Time

My perception of time has been transformed over the last several years.

I’ll move out the current apartment next Wednesday and start to live in a small detached house in the suburb of the city.

The surroundings of the new place are very quiet.

The calm environment would alter and deepen my perception of time.

I look forward to how I will experience the world with a new perception of time.

Groningen; 06:17, 3/26/2021


No.474, Beyond the Ego Boundaries

Engaging in creative activities catapults me beyond the ego boundaries.

The essential power of creative activities might be altruistic.

Altruistic actions are key to transforming the ego.

Altruism is the source of self-transformation and both individual and collective happiness.

Groningen; 07:44, 3/26/2021


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6765. 今朝方の夢

6766. この家との別れに向かって


6765. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。辺りに小鳥たちの静かで美しい鳴き声が響き渡っている。


ふと空を見ると、この時間にもかかわらず、もう空がダークブルーに変わり始めていることに気づいた。そうなのだ、早いもので今週末からサマータイムに入るのである。


今週の日曜日に目覚めた時には、時間が1時間ほど早まっていて、サマータイムに入る。昨夜、時間感覚について言及していたこととサマータイムの話は何か繋がるものがあるかもしれない。そのつながりに関して何か発見をすれば、後日また文章を書き留めておこう。


それでは早速今朝方の夢について振り返り、今日もまた創作活動と探究活動に精を出していきたいと思う。夢の中で私は、バルセロナかどこかの街にいて、散歩を楽しんでいた。私の手にはスマホがあり、スマホを用いて目に映る印象的なシーンを写真に収めていた。


小さな公園の脇にやって来た時、路上で馬を見かけた。それは馬車を引くための馬なのだが、そこには馬車はなく、馬が大人しそうにじっとしていた。


すると突然、馬な反転してこちらに背を向け、後ろ足を高く上げた。そして、大量の糞を撒き散らし始めたのである。スプリンクラーの水のように四方八方に飛び散る糞の様子は圧巻であり、私はここぞとばかりにシャッターを切った。


撮影した写真を見ると、非常に良い出来栄えであり、隣に突然現れた母が、この写真をコンテストに応募してみるといいのではと言ってくれた。しかし、その写真には自分の左手の小指が写り込んでいて、よくよく写真の中の左手の小指を見ると、爪がささくれのように割れていた。


次の夢の場面では、私は屋外のフットサルコートにいた。ちょうど大きな大会が行われている最中であり、大学の先輩たちと一緒にその大会に出場していた。


私たちのチームは決勝戦まで勝ち進み、決勝の相手は強豪であり、試合は困難を極めた。前半にこちらのキーパーが飛び出したところをヘディングで一点決められ、スコアはそこから硬直状態になり、試合終盤を迎えた。


もう試合時間が少なくなり、もうこのまま試合終了かと思われたところで、最悪にもこちらのゴールに近いところで相手にフリーキックの機会を与えてしまった。それを決められれば一巻の終わりである。


相手のキッカーはフリーキックがうまそうな雰囲気を発していたが、幸いにもキックはこちらの壁にぶつかった。ボールはキーパーの前にこぼれ、私はそれを見て、相手のゴール前に向かって一気に走り始めた。


すると、こちらのキーパーは私の姿をちゃんと見ていて、ゴール前にカウンターのボールを投げ込んでくれた。私はその絶好の機会を逃すまいと思い、トラップしてすぐさまシュートを放ち、ゴールに結びつけた。


そこで私は奇妙な行動に出た。ゴールに決まったボールをネットから取り出すのではなく、ネットからこぼれて来たボールをダイビングヘッドで何度もゴールに押し返すという行動に出たのである。


すると、それが全てゴールとしてカウントされ、私は試合終了直前に、10ゴール近く奪った。そこで試合が終了し、私たちはその大会で優勝を果たした。


次の夢の場面では、私は実際に通っていた日本の大学の図書館前にいた。そこで先生方やOBの方々と話をしていた。


すると、ある先生が私の講師の仕事を依頼して来た。それは嬉しい申し出だったが、私はどの大学にも所属する気がなく、またそもそも金銭報酬を得るような仕事をする気が一切なかった。なのでその申し出を断ることにした。


その後、私は図書館で勉強でもしようと思って館内に入ると、驚いたことに、受付で前職時代の上司が働いていて、上司が私に対して本を探す手伝いをしてくれるとのことだった。


そこで少し立ち話をしたところ、上司は現在無収入とのことであり、自分のように投資収入だけで生活を成り立たせているのかと思って話を聞いたところ、そうではなく、保険から毎月3万円の収入を得ているとのことだった。収入源はそれだけとのことだったので、それでは生活が成り立たないだろうと思ったが、奥さんの収入と合わせてなんとかやって行けているのかもしれないと想像した。


最後の夢の場面では、私は東南アジアのある街の、ヨーロッパ風の比較的立派なホテルに滞在していた。ちょうど部屋に戻って来たところであり、自分の部屋のドアノブに、クリーニングを依頼をしていたワイシャツが2枚ほどかかっていた。


ワイシャツを手に取り、ドアを開けようとして鍵を挿入した瞬間に、後ろから私を呼ぶ声が聞こえて来た。振り返ると、そのフロアに長期滞在しているタイ人の小さな若い男性が立っていた。


彼はとてもノリが良く、いつも笑顔で元気そうにしている。彼が私を呼び止め、今から私の部屋で少し話をしたいとのことだった。


少しの時間であれば話すことができると思ったので、私は彼を部屋に入れようとしたのだが、扉を開けると、部屋が散らかったままだった。私はてっきり、清掃がなされていると思っていたので、その光景は意外だった。


私の部屋の前にやって来たタイ人の彼は、私の部屋を廊下から一瞥し、部屋が散らかっていることを笑った。私もまさか散らかった状態とは思っていなかったので苦笑いをし、結局廊下で立ち話をすることにした。


彼は今、この国にホテル暮らしで長期滞在していて、音楽関係の仕事で収入を得ているとのことだった。この国で長期滞在するためには、月の収入の最低金額が定められていて、それを超えていなければ滞在できない仕組みになっていた。


音楽関係の仕事ではなかなか収入を得るのが難しそうだと思っていたのだが、意外にも彼はしっかりとした収入を得ていて、問題なくこの国での滞在許可を得ているようだった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2021/3/26(金)06:06


6766. この家との別れに向かって


時刻は午後7時半を迎えた。この家で暮らす最後の週の平日が終わりに近づいている。


振り返ってみれば、今週もあっという間に過ぎ去って行った感じがする。そこには絶えず充実感と幸福感の塊があり、過ぎ去って行く日々の足跡としてそれを感じることができる。


今日は夕方に、3人の物件見学者が来た。1人目はインド人の大学院生の女性だった。2人目もインド人であり、その男性はフローニンゲン大学で研究者として働いているとのことだった。3人目もフローニンゲン大学の大学院に通っている男性だった。


最後の彼は国籍はよく分からなかったが、英語の発音や背格好からすると、北欧系の国から来たのかもしれない。3人ともとても話しやすく、家を案内している最中も何かと雑談をしていた。


3人合わせて1時間弱の時間を取り、物件見学のアテンドを終えた。感触として、最後にやって来た大学院生の男性がこの物件に住むことになりそうだ。


家もまた誰かから誰かに引き継がれていくものであるということを改めて思う。自分がこの家で過ごした5年半において蓄積していった目には見えない何かが、ひょっとしたら次に住むことになる彼に引き継がれるのかもしれない。それは場所が持つ固有の履歴のようなものである。


そうであれば、今度の新居においては、自分は以前の住人が残した精神的履歴を引き継ぐことになるのだろう。これは何も家に限った話ではなく、全ての場に共通して言えることである。


場に埋め込まれた記憶や感情、そして歴史。諸々の目には見えないものが絶えずそこに存在していて、そこを訪れる人やそこに留まる人に何かしらの影響を与えていく。場の持つそうした不思議な力について考えていた。


明日からは、いよいよこの家で過ごす最後の週末だ。土曜日の明日の午後に、引っ越しの荷造りを完成させる。あとは衣類やシューズなどを詰めるだけであり、それには時間がさほどかからないだろう。明日に荷造りを完全に終えたら、引っ越し業者に、最終的な荷物の量が確定した旨の連絡をしておきたい。


この家で過ごすのはあと4日である。残りの4日は感謝と共に、まるで別れの儀式をするかのような形で時間を過ごしたいと思う。


この5年半、この家での生活によって自分が得てきたことは多大である。自分なりの別れの儀式をすれば、新たな出会いもまた素晴らしいものになるだろう。


区切りを付けること。それによって初めて生まれる新たな出発があるということ。


これからも、様々な別れと出会いが自分の人生にやって来ることを思いながら、1つ1つのそうした別れや出会いを大切にしていきたいと思う。フローニンゲン:2021/3/26(金)19:52

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