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6616-6619: アートの国オランダからの便り 2021年2月5日(金)


No.1842 守護天使_A Guardian Angel

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.190, Attachment & Emergence

Before living in the current place becomes persistence, I decided to move out.

This decision could be wise in that the present living place can be an object of attachment.

Yes, it is not the object of persistence, but that of attachment.


Something in me is sprouting up, which foretells the emergence of a new self and a new life.

Groningen; 08:37, 2/5/2021


No.191, Our Life & It’s All Right

Twigs of a street tree are swaying gently by wind.


Where does the wind come from? And where does it go?

Nobody knows.


It could be true to our life.

We don’t know where our life comes from and where it goes.


It’s OK. It’s alright.

Yes, it’s “all right.”

Groningen; 09:29, 2/5/2021


No.192, One Eternal Circle

A breeze came, and it went somewhere.

After it disappeared, a new breeze came as if the previous one invited it.


One breeze connects with another.

So does our life.


When our life ends, a new life begins.


Our life is circular.

It is the one eternal circle.

Groningen; 10:51, 2/5/2021


No.193, The Eternity of Myself

I’m feeling something, because I’m living.

I’m hearing something, because I’m living.

I’m thinking something, because I’m living.

However, if I’m doing nothing, something inside or outside of me is still living.

It could be the eternity of myself.

Groningen; 11:24, 2/5/2021


No.194, A New Life with a Lovely House

Fortunately, I was chosen as a new tenant by the owner of a house in North Groningen.

I want to celebrate it.

Kismet must have brought the house and me together.


The house is very charming and eco-friendly.

I’m really looking forward to starting a new life with the house!

Groningen; 15:24, 2/5/2021


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6616. マイナスの世界の扉/今朝方の夢

6617. 新たな始まりの胎動/今朝方の夢の続き

6618. 還ること・一体となること/人生について

6619. ある家に選ばれて


6616. マイナスの世界の扉/今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。今この瞬間は雨が降っていないが、どうやら今日は午前中から夜にかけて小雨が降るらしい。


今日の最高気温は4度、最低気温はマイナス2度と比較的暖かい方だが、明日からは最高気温でさえも0度を下回ってくる。明日からの1週間はずっとマイナスの世界だ。


興味深い現象として、今年はコロナの影響もあって世界全体で人の移動が減り、二酸化炭素の排出量が相当に減ったそうだ。今年だけを切り取ってみれば、地球温暖化の拍車にストップがかかり、何かその影響で今年の寒さがやって来たと見れなくもない。


確かに毎年最高気温がマイナスになることはあったが、マイナス5度が最高気温になるような日はなかったし、マイナスの日が1週間も続くこともなかったように思う。


ようやく来週の火曜日に髪を切りに行くことができるのだが、その日の最高気温はマイナス4度で、最低気温はマイナス9度だ。見ると、髪を切り位に行く午後2時の段階の気温がマイナス6度とのことなので、相当に冷えることが予想される。室内にいるとあまり寒さがわからないので、外に出て実際にマイナスの世界を久しぶりに味わってみたい。


昨日、引越し先の物件の見学に行ったことが刺激になったのか、今朝方の夢は随分と情報量の多い夢だった。あまりにも情報量と情報密度が高く、うまく書き切れないかもしれない。実際に見ていた夢の断片でさえも強い印象として残っている。


とりあえず書き留めることができそうなものだけを、輪郭だけでもいいので書き留めておこう。夢の中の舞台は、フローニンゲンの街と中学校時代に過ごした場所が混じり合っていた。フローニンゲンの街の一角に、実際に通っていた中学校があったのである。


私は学校の職員室かどこかで住所登録をしていた。その時に、現在検討中の引越し先の家のオーナーであるペイトラさんもその場にいて、住所登録に関してアドバイスを私にしてくれていた。


その住所登録は、起業家ビザに関するものだった。それは移民局に提出するものではなく、街の商工会議所に提出するものだった。


ペイトラさん曰く、住所を限定して申請をしてしまうと、そこからビジネスを広げていくことは難しいとのことだった。私はビジネスを拡大させるつもりは一切なかったので、何の問題もないと思っていたが、ペイトラさんがせっかく助言をしてくれたので、それを反映させる形で申請書を作成した。


申請書が完成すると、いったん私は部屋を出て、外の空気を吸おうと思った。体育館の方にふらりと歩みを進めてみると、そこでこれからバスケ部の部活が始まるようだった。


私はバスケ部のキャプテンであり、本来は私が練習を仕切る必要があった。その日はその他にしたいことがあり、自分は練習に参加できないため、副キャプテンに練習を仕切ってもらいたいと思った。


ところが、どうやら練習を仕切っているのは、パワーフォワードを務めていた大きな友人(SN)だった。私は彼でも十分に練習を引っ張っていってもらえると思ったので、彼に任せれば一安心かと思った。


体育館下の小窓を通じて中の様子を覗くきながら、ゆっくりと体育館を後にしようとすると、突然その彼が体育館の扉を開け、私に向かって叫び始めた。それは、「どうして練習に来ないんだ?」というものから始まり、そこからは少し私を責めるような言葉が続いた。


私は少し笑みを浮かべ、事情を話すことなくその場を去っていった。すると、グラウンドを挟んで向こう側にあるテニスコートからピアノの音色が聞こえて来た。耳を済ませてみると、それは母の演奏であることがわかった。


私はその音色に引かれるようにしてグラウンドを横断していき、音色の聞こえる付近までやって来た。その演奏はまさしく母のものであり、母に声を掛けようと思ったが、私はそれをすることをせず、テニスコートの近くに建てられた古屋の中でピアノを演奏する母の姿を想像しながら、しばらくそこでピアノの音色に耳を傾けていた。


しばらく経ってから、ふと我に返った。そして校舎の方を眺め、校舎に取り付けられている時計を見ると、授業の時間がもうやって来ていた。


私は急いで教室に戻る必要があったが、授業に参加するのがなんだかバカバカしくなってしまい、このまま自由に自分の思うままに時間を過ごしたいと思った。母のピアノ演奏をその場でもっと聞くことや、グラウンドで1人で遊ぶこと、学校の脇の山に1人で入っていくこと、校舎の日の当たる穴場で本を読むこと、色々とやりたいことがあった。


やりたいことに思いを巡らせながらも、とりあえず校舎の方に向かってみることにした。すると、先ほど母のピアノ演奏を聴いていた際に意識が飛んでいたようであり、その間に少し雨が降っていたようだった。


グラウンドが水でぬかるんでいて、足を取られないように注意する必要があった。グラウンドの真ん中までやって来ると、校舎から生徒や先生たちが誰かグラウンドにいることを確認したようであり、私はそれが自分であることを伏せるために、グラウンドの真ん中を突っ切ることをせず、端っこに移動して校舎の方に向かっていくことにした。


そのような夢の場面がまずあったのを覚えている。フローニンゲン:2021/2/5(金)07:45


6617. 新たな始まりの胎動/今朝方の夢の続き


時刻は午前8時を迎えた。辺りはまだ薄暗い状態だが、先ほど空を観察してみたところ、空がダークブルーになり始めるのは午前7時半ぐらいからになっていることに気づいた。


日の出の時間も少し早くなっていることを実感する。フローニンゲンは明日からマイナスの世界にしばらく入るが、季節そのものは春に向かっているようだ。


昨日の日記でも言及したように、今年の4月からは新居で生活をスタートさせることができそうだ。


新しいことが始まる予感。引っ越しによって何かがまた始まる予感がある。その萌芽もう自分の中にあって、昨日物件見学から家に帰って来た自分の心は喜びで動いていた。


もちろん、今の家には5年間も住んでいたこともあり、愛着があるのだが、愛着が執着に変貌する前に今の家から出て行くことは賢明な選択のように思える。もう何かが自分の中で動き出しているのだ。


さらなる静けさを求めた今回の引越しは、それそのものは動的なものであり、自分を動かす。引越しの準備に少しばかり時間が取られるのは確かだが、それは否定的なことではなく、引っ越しに時間を取られるというよりも、諸々の事柄を整理するために時間を活用するという表現の方が正しいだろう。


最初から物は多くないが、不要な物は処分したり、一番重要なこととしては、書籍の整理を行うことができる。新居に移動した際に、仕事をする近辺にどのような本を置くのか、しばらくあまり読まないであろう本はどういったものがあるのか、そのあたりを吟味しながら書籍の整理をしていく。


今回の引っ越しにおいては、書籍·論文共に処分することは一切せず、今所有しているものをとりあえず新居に全て持って行こうと思う。大量の書籍群をどこにどのように置くのか、それは新居に移動してから考えたい。


家の空間を見て、そうしたことを考えることもまた脳に対する刺激になるだろう。家の中をデザインすること。それもまた創造的な活動である。


今回の引っ越しに伴って、人生がまた動き出しそうな感覚が自分の深い部分の中にある。慣れ親しんできた環境から離れ、新たな生活を始めること。そこにまた新しい自己と新しい人生を見出すことができるだろう。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢の続きについて思い出した。断片的ではあるが、覚えていることを書き留めておく。


夢の中で私は、全く見慣れないピラミッド構造の近未来都市にいた。街そのものがピラミッド型をしているだけではなく、建物も全てピラミッド型であり、驚くべきことは、街と建物が全て同一のフラクタル構造を成してつながっていることだった。その姿を言葉で説明することは難しい。


私は屋外の広場のような場所にいて、今から始まるイベントに参加することになっていた。それはクイズ大会である。


参加者の数はおぞましいほどであり、広場には所狭しと人がいた。人が多い場所があまり好きではない私は、どこか人が少ない場所はないかと辺りを見渡した。


すると、ピラミッド構造をしたこの広場の横にあるこれまたピラミッド構造をした地続きの円形闘技場のような場所を見つけたので、そこに避難することにした。そこからでもクイズの問題を聞き取ることができたので、そこがいいと思ったのである。


すると、大学時代の第二外国語のクラスメートと偶然に遭遇した。彼は大学を卒業後、大手の商社に勤め、彼と最後に話をしたのがいつだったか覚えていないほどだった。


私は彼を最初「さん付け」で呼んだのだが、それに違和感があり、「君付け」で呼んだ。だが振り返ってみると、彼は私のことをあだ名で呼んでくれていたが、私は彼のことを呼び捨てにしていたように思えたのである。


そのような記憶が蘇ってきたのだが、そこからは私は彼を君付けで呼んだ。彼に商社での仕事の様子について尋ねてみた時に、私は彼が勤めている商社を間違えてしまっていたようだった。


夢の中の私は、そこが夢の世界であるということを薄々感じていて、現実世界の彼は確かに夢の中の私が確信している商社に勤めているのだが、夢の中の彼は別の大手の商社に勤めていると述べた。


そこから彼の話を少し聞いたとこで、クイズの最初の問題が出題された。それは日本の地理と原発に関する問題だった。


私たちには地図が与えられ、それを用いてその問題を取り組むことが求められていた。最初私はまず彼の意見を聞こうと思い、彼に質問してみた。


この時、私は彼があまり自らの意見を述べない人物だと思っていたのだが、実際はそうではなく、彼は自分の意見を明確に述べ始め、そして私の意見を求めるという対話の姿勢も持ち合わせていることに気づいたのである。


自らの意見を述べること、そして対話をする能力は今の仕事で鍛えられたのだろうか。そのようなことを考えながら、彼と一緒に問題に取り組むことになった。


そのような夢の場面があった。それにしてもこの夢の場面で現れたピラミッド型のフラクタル構造の建物の数々と街はとても印象的だった。


現実世界において、目を閉じて瞑想の意識状態にあると、美しい幾何学模様が知覚されることがよくあるのだが、それが巨大な建築物となって具現化したようなものが夢の中のあの景色だったのだろうか。フローニンゲン:2021/2/5(金)08:27


6618. 還ること・一体となること/人生について


時刻は午前9時に近づきつつある。寒空が広がる外の景色を眺めながら、ぼんやりと考え事をしていた。


数年間の準備。それを終えて、ようやく本格的に創作活動に入っていく自分の姿が想像された。


これまでの数年間は、創作上の準備の期間だったのだ。科学者として研究していたフローニンゲン大学時代を含め、そこから今に至るまでの全てが、創作上の準備期間だったのだと知る。


自分の創作活動はこれから始まる。もっと多くの時間とエネルギーを創作に充てていくような、いや全てが創作と化すような人生が始まろうとしている。


そのような産声がどこからともなく聞こえて来るようだった。


枯れ木が微風に揺られている。フローニンゲンの街を吹き抜ける木枯らし。


彼らはどこからやって来て、どこに向かうのか。それは全く不明である。


どこからやって来て、どこに向かうのかが全くわからないということ。それは人間においても同じではないだろうか。


自分の人生がどこからやって来て、どこに向かうのか。それは誰にもわからないはずである。また、そもそも風がどこからかやって来て、どこかに向かうものだと思っていることすらも滑稽に思える。


風と世界をなぜ切り分けるのか。本来それらは一体のもののはずである。風と世界は1つなのだ。


自分の人生を世界と切り分けた瞬間に、諸々の悩みや苦しみが生まれる。人間にとって、悩みや苦しみを生み出すのは分離なのだ。


この世界との分離。悩みや苦しみから解放されるのは、世界との分離をやめてしまえばいいのだ。


それは言うに易し行うに難しだろうか。現代を生きる人間は、人間中心主義的な発想を持っていて、自然や他の生命よりも自己を優位にみなす傾向がある。


風を見てみよう。人間中心主義的な考え方を持つ人たちにとってみれば、風は自己の存在よりも劣後しているはずだ。


ところがどうだろう。風は世界と分離などしていないのである!!


風と世界を分離させるのは、悩み大き私たち人間なのである。


世界そのものに還り、世界と一体となって生きること。そうした人生が本格的に始まる予感がする。


街路樹の小枝の揺れはとどまることを知らない。まだ微風に揺れている。


不規則に揺れている。不規則さ。それもまた私たちの人生を語る上で外せないものだ。


人生というものが、まさに生命を持つ人間が生きていく全過程を表すものであるから、すなわち人生もまた生命現象であることから、不規則さというのは人生においては所与なのだ。


基本的に人生は不規則さと予測不可能性に満ち満ちていて、刹那として規則性が目の前に立ち現れているだけに過ぎないのではないかと思えて来る。


そして興味深いのは、今自分の中で、不規則性や規則性を超越した人生観のようなものが芽生えていることである。それが日々の生活に染み渡っていき、不規則性や規則性の束の外側の世界に足を踏み入れていることを感じる。


ここからの人生。それは不規則に規則的に揺れる波のように寄せては返すを繰り返していき、大海そのものに還っていく。


そしてその大海は、もっとずっと大きなものに還っていく。このプロセスに終わりはなく、それは永遠に続く。


遥か彼方の無限に向かって永遠という時間をかけて還っていくもの。それが人生なのだ。フローニンゲン:2021/2/5(金)09:09


6619. ある家に選ばれて


時刻は午後3時半を迎えようとしている。つい今し方、ドイツの書店から、カリル·ギブランの詩集“Collected Works of Kahlil Gibran (2020)”が届けられた。


このハードカバーの装丁は非常に美しく、黒のカバーに金色の花模様と文字が刻まれている。各ページの角も全て金粉で装飾されていて、まさに輝きを放つ書物である。


この詩集もまた他の詩集と同様に、現在ルーミーの詩集に対して行っているのと同じく音読をしていこうと思う。詩的言語には内在的に呪術的な作用があり、それは声に出すことによってさらに活性化される。素晴らしい詩を音読すればするほどに、呪術的な力が内側から湧き上がって来るように感じられるのはそのためなのだ。


午前中には、イギリスの書店からポール·クローデルが詩について解説した“Poetic Art (1948)”と、ドイツの哲学者マーカス·ガブリエルの“The Meaning of Thought (2018)”という哲学書が届けられた。ちょうど今日はガブリエルの他の哲学書を読み終えたので、明日からはこの2冊に取り掛かりたい。


今日はその他に、昼前に朗報が届いた。昨日見学した第一希望の居住物件のオーナーであるペイトラさんから、私を借主に選んでくれたというテキストメッセージが届いたのである。


昨日物件を見学した段階で、私がその物件を大変気に入り、お互いに良い関係が築けそうだということがわかったので、大体の合意形成をしていた。


今日は改めて、無事にその家を借りることができるという連絡を受けたのである。もちろん、不動産屋を介して正式な契約を締結する必要があるが、これにて一安心である。


物件との出会いも巡り合わせであり、巡り会う時には巡り合うし、そうでないときには巡り合わない。オーナーに借主に選んでもらったというだけではなく、その家にも自分は選んでもらったのだと思う。


その家は、フローニンゲン中央駅ではなく、こじんまりとした北駅から歩いてすぐのところにあり、環境は抜群である。閑静な住宅街の一角にそのオーナーの土地があり、その敷地内にその一軒家がある。


今の家の周りの環境も非常に静かなのだが、やはり4世帯が1つのアパートの1区画に入っていることもあり、上下階の生活音がどうしても聞こえてしまうことがある。また、車の交通量は多くないが、このアパートは通りに面していることもあり、日中に車が走る音が小さく聞こえて来る。一方で今度の家は通りに面しておらず、通りからも隔離された敷地内に一軒家があるので、騒音とも無縁の生活が送れそうである。


昨日、とにかく静かな環境を望んでいるということをオーナーにも話し、今住んでいる香港人の男性にも伝えた。オーナーも現在の借主も、私と同じく静かな環境を愛しているがゆえにそこに住んでいるということを述べ、確かに周りの環境の様子から察すると、非常に静かな場所だということがわかった。


快適さと静けさを求めた結果、そこが第一希望の物件であり、その物件に住むことができることになって本当に嬉しく思う。


その家は、オーナーのフレディさんが2019年に建築したばかりの新しい家である。昨日物件見学をした際に、最初の借主である香港人のチーが綺麗に使ってくれていることがわかり、有り難く思った。自分もこの家を大切にしながら住みたいと思う。


とりあえず2年の契約を結ぶことになり、そのあとはどこに住むかは決めていない。引き続きこの家に住まわせてもらうかもしれないし、フローニンゲンのもっと郊外に引っ越すかもしれない。


はたまたオランダの他の地域に引っ越すかもしれず、フィンランドに居住するかもしれない。いずれにせよ、居住空間というものもまた住む人たちの歴史が刻まれ、引き継がれていくものなのだということ改めて感じる。フローニンゲン:2021/2/5(金)15:48

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