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6483-6485: アートの国オランダからの便り 2020年12月17日(木)


No.1642 朝の笹の葉_Morning Bamboo Leaves

本日の言葉

We should remember that every opportunity to develop anger is also an opportunity to develop patience. Geshe Kelsang Gyatso


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本日生まれた4曲

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タイトル一覧

6483. 今朝方の夢

6484. 食の安全性に関する2つの優れたドキュメンタリーを見て

6485. 太陽の光の恵み/絶え間ない今を生きること


6483. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。今朝の起床はゆったりと午前5時だった。


今、書斎と寝室の喚起をしていて、新鮮な空気を取り入れている。ゆったりとした呼吸を日中絶えず行うことによって、心身が常に平穏な状態にあり、また深い呼吸によって、全身の細胞に酸素が行き渡り、体全体が活性化されていることに気づく。今日もまた深くゆったりとした呼吸と共に自分の取り組みを前に進めていこう。


今日は昼まで小雨が降りがちとのことであるが、予報では午後から太陽の姿を拝むことができるらしい。天から日差しが降り注ぐのは久しぶりのため、午後に太陽が出てきたら、書斎の窓際で天日干ししている野菜のそばで日光浴をしようと思う。


今朝方は印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、20歳ぐらいの不思議なロシア人女性と行動を共にしていた。


彼女はロシアの皇族の姫とのことであり、彼女は一生歳を取らないという変わった特徴を持っていた。だから見かけが20歳ぐらいだった。実際のところは、彼女は1800年代の後半に生まれていて、実際の歳は160歳を超えるぐらいであった。


私が彼女と行動を共にしていたのは、彼女を追っている人間たちから彼女を守るためだった。私たちがある建物の中に身を潜めた時、そこで偶然2人の日本人に遭遇した。1人は高校時代のサッカー部に所属していた友人であり、もう1人は190cmぐらいのプロレスラーのような男性だった。


友人の彼はとても優しい人物であり、決して私たちに危害を加えるような人間ではなかった。一方、プロレスラーの男性は、見るからにして柄が悪そうであり、彼は賞金が目当てなのか、私の隣にいた姫を狙っていることが目からわかった。


最初2人は私たちに優しく声をかけてきたが、プロレスラーの方の男性がゆっくりと私たちの方に近づいてきて、姫を捕らえようとし始めた。私はその男性が姫に手を出そうとしたので、その手を払い退け、彼をベランダに出るように申し出た。


彼はもうその時には私と戦う気で満ちており、私もそうだった。あまりにも体格差があり、彼は実際にプロレスか何かの格闘技を専門しているようであったから、なお一層のこと彼は余裕に満ちた笑顔だった。


いざ彼が私に襲いかかってきた時に、私はとっさに柔道の技を仕掛け、彼を地面に倒した。そこからは彼の右腕の様々な部分を複雑骨折させていった。その際に、逐一右腕の部位の名称を述べて、それらを1つ1つ骨折させていった。


彼は地面に倒された瞬間からほとんど気を失っていたようであり、私が1つ1つ骨を骨折させて行っても悲鳴を上げることはなかった。最終的には、彼の右腕は無数に折り曲げられた針金のようにぐちゃぐちゃになった。それは一風変わった現代アートのようでもあった。


それを確認した後、横にいた私の友人も申し訳ないが骨折してもらおうと思った。彼は何か悪事を働いたわけではないが、プロレスラー風の男性とつるんでいたこともあり、念のためここで足止めしておこうと思ったのである。


なぜか地面に伏していた友人の左足だけを骨折させることにした。その際に、完全骨折させることによって治りを早くし、また治った後に骨がさらに太くなるように配慮した。というのも、彼は半年後にサッカーの大事な試合が控えていたからである。


友人の足を無事に骨折させると、プロレスラー風の男は意識を取り戻し、身も体もボロボロになり、プライドをへし折られたようだった。すると彼は、ベランダから飛び降りようとし始めた。


自分は一切止める気はなかったが、ベランダにやってきた小中高時代の友人(HY)が止めに入った。しかし、プロレスラー風の男性の体はあまりに重すぎたので、結局地面に落下した。


彼は巨体だったので、地面に落下した瞬間、途轍もなく大きな音が辺りに響き渡った。彼の体がぐちゃぐちゃになり、その場が血だらけになっている光景を即座に想像した。清々しい気持ちが自分の中にやってきて、そこで夢から醒めた。フローニンゲン2020/12/17(木)06:01


6484. 食の安全性に関する2つの優れたドキュメンタリーを見て


しとしととした雨が降り始めた。時刻は午前6時を回った。


起床直後から換気のために窓を開けているが、少し足元が冷えてきたので、この日記を書き留めたら窓を閉めたい。そしてそこから絵の創作、作曲実践を経て映画鑑賞を今日もまた旺盛に進めていきたい。


昨日は、食の安全性に関して2つほど非常に優れたドキュメンタリーを見た。それらは『世界が食べられなくなる日(2012)』と『モンサントの不自然な食べもの(2008)』という作品である。


制作年については後者の方が古いが、昨日は前者から順番に見ていった。まず前者の作品であるが、これは「遺伝子組み換え」と「原子力」の共通点に着目し、その危険性を見事に描いている。


我が国は、3·11から10年が経とうとしている。日本は原発の保有数においてはアメリカとフランスに次いで第3位であり、国土あたりの原発の密度についてもベルギーと韓国に次いで第3位である。


先日見た『スペシャリスト/自覚なき殺戮者(1999)』のドキュメンタリーの中で述べていた「官僚ドイツ語」に近しい欺瞞的·傍観者的な言語体系が日本の上層部の人間たちに共有されていて、そうした言語を話す人間たちが日本という国を運営していることの悲劇を思う。彼らのような人間が遺伝子組み換え食品や原発をどのように扱うのかは目に見えており、今後「凡庸な悪」が日本社会の中で跋扈し、肥大化していくことを憂う。


日本は昔からすでに「食品添加物天国」という不名誉なレッテルが貼られるほど悲惨な食環境にあるのだが、食に関するリテラシー教育がなされていないため、多くの人は添加物漬けの生活を依然として送り続けている。


後者のドキュメンタリーで深く取り上げられたアメリカ多国籍のバイオ化学メーカーモンサント社は、遺伝子組み換えの作物を世界規模で展開していることで知られている。


今、日本は添加物だけではなく、遺伝子組み換え食品の危機にも晒されている。モンサント社は2018年にドイツのバイエル——この会社の歴史を調べてみると、20世紀の初頭には、モルヒネに代わるせき止めの薬としてヘロインを販売していたらしく、第2次世界大戦中には、ナチス·ドイツが強制収容所のガス室で使用した物質を製造していた会社の企業連合の傘下に入っていたとのことである——に買収されたが、このバイエルはすでに日本に支社を持っており、その存在がどこか遺伝子組み換え食品を日本で広げていくエージェントのように思えてしまう。


偶然にもモンサント社がバイエルに買収された年である2018年には日本で種子法が廃止された。これによって、国産の純粋な種子が外国産の種子に取って代わられ、やがて国民は遺伝子組み換えの種子によって栽培された農作物を食べざるを得なくなるのではということが囁かれている。


食の観点において、添加物を含めて見れば、日本は相当に危ない国だということを自覚している人がどれくらいいるのだろうか。これら2つのドキュメンタリーでも描かれているように、遺伝子組み換え食品がもたらす危害は計り知れない。


毎日何を食べるかを選択することは、毎日をどのように生きるのかにつながってくる。言い換えれば、食の選択は人生の選択なのだ。


私たちにできる小さなアクションとしては、食に関するリテラシーを高め、遺伝子組み換え食品や添加物の危険性を理解し、身近な人たちと食について対話をすることや情報共有することであったり、賢明な消費者としてそうした商品を購入しないという不買運動、さらには食に関して重要な政策を打ち出そうとしている政治家を応援するという投票行動に出るということなどがあるだろう。こうしたことは自分も行っていきたいことである。フローニンゲン2020/12/17(木)06:29


6485. 太陽の光の恵み/絶え間ない今を生きること


時刻は午後8時を迎えた。今日もまた平穏さと充実感に包まれる形で1日を過ごした。


午後には嬉しいことに太陽の光が天から差し込んできて、思わず書斎に駆け寄って、しばらく日光浴をしていた。この時期の太陽光は本当に貴重なので、幾分原始的であるが、全裸になって太陽の光を浴びながら映画鑑賞をしていた。


昨年からこのような形で、冬の時期に太陽が出る際には日光浴をしており、それによって心身が健康な状態かつ活力が漲る状態になっていること実感している。この習慣は今年も継続していき、冬が終わる来年の5月末まで続けていく。


午前中にふと、時間概念と自我の関係性について考えていた。過去や未来に執着するのは自我に執着することであり、逆に言えば自我に囚われることは、過去や未来に囚われることを意味する。


映画『メッセージ』や『人間の時間』の主題と照らし合わせてみれば、過去や未来を引き受けるというのは、過去や未来を何ら考慮に入れないという意味ではなく、それらを潔く引き受けながら絶え間ない今を生きるという意味であることが見えてくる。決して虚無主義的な形で過去や未来を放棄するのではなく、過去と未来を現在に折り畳み、それらを現在に内包した形で今この瞬間として過去と未来を引き受けながら生きるということの重要性を思う。


過去や未来という概念が生み出す不安や不満から解放され、過去や未来からの執着から解き放たされた清々しい生き方。囚われや執着から解放された透明感。それがここ最近少しずつ体感され始め、定着の方向に向かっている。


早いもので気がつけば明日はもう金曜日だ。明日もまた旺盛に映画鑑賞を進めていき、それに並行して創作活動に従事していこう。


現在進行中の「一瞬一生の会」の受講生の方々が、ここ最近「死」をテーマにしたジャーナルを執筆しており、本日見た『フラットライナーズ(1990)』と、先日見た『不老不死を追いかける男たち(2016)』に言及する形で死をテーマにした音声ファイルを本日作った。


前者に関して言えば、リメイク版が2017年に制作されていて、こちらについても近日中に鑑賞しておきたいと思う。「死」を扱っている映画は無数にあり、死をどのような観点からどの程度深く迫っているのかを考慮に入れながら、映画のリストアップと鑑賞を進めていこう。フローニンゲン2020/12/17(木)20:12

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