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6465-6466: アートの国オランダからの便り 2020年12月9日(水)


No.1622 夜の精霊_Sprits of Night

本日の言葉

As a bee seeks nectar from all kinds of flowers, seek teachings everywhere. Like a deer that finds a quiet place to graze, seek seclusion to digest all you have gathered. Chogyal Namkhai Norbu


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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6465. 今朝方の夢/今日の映画鑑賞に向けて

6466. 『ランダム 存在の確率(2013)』『ザ·ドア ‐交差する世界‐(2009)』『メッセージ(2016)』を見て


6465. 今朝方の夢/今日の映画鑑賞に向けて


時刻は午前7時半を迎えようとしている。今朝の起床はゆったりとしていて、午前6時半に起床した。


心身が睡眠を欲している時はそれに従う形で睡眠を取り、時にこうした遅い時間の起床もある。心身の中に宿っているリズムに応じて生きていく日々が続く。


今日は最低気温がマイナス1度まで下がるようであり、最高気温は3度までしか上がらない。ちょうど今の気温が3度あり、ここから昼に向かって気温が少し下がり、昼頃に1度になる。本来であれば一番気温が高くなるはずの午後2時においても気温は2度までしか上がらない。今日の外の世界は寒そうだ。


今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていたのだが、起床して部屋の掃除などをしていると、夢の記憶が逃げていってしまったようだ。場所の特定が難しく、よく夢で出てきがちな学校の教室でも、サッカーグラウンドでもなく、草原のような場所にいた感覚がある。草原というよりも原っぱであろうか。


最初そこで無邪気に遊んでいたのだが、途中から無邪気さが消え、何かの戦いに巻き込まれたという記憶が残っている。殺し合いとまではいかないが、激しい戦いがそこで繰り広げられていて、戦う過程の中で右腕を負傷しかけてしまった。


そこで1度目を覚ますと、右腕が痺れていた。どうやら右腕を下敷きにして寝てしまっていたらしく、それで腕が痺れてしまっているらしかった。


そこから再び夢の世界に戻ると、そこでもまた夢が展開され始めた。ただし、そこでの夢はもう覚えていない。今朝方の無意識は比較的穏やかだったと言えるだろうか。


それでは今日もまた、映画鑑賞と創作活動に多くの時間を充てていきたい。映画鑑賞においては、昨日に引き続いてテロリズムに関するテーマに基づく映画を見るだけではなく、昨夜ふと思いついた「可能世界」という切り口で映画を探してみて、何か面白そうなものがあればそれを見てみる。


以前に「時間」や「パラレルワールド」という観点で調査をしたときに、すでにいくつか映画をリストアップすることができ、可能世界もそれらのキーワードと重なる部分があるため、映画に関しても重複するものがあるかもしれない。


今日は少しばかりドキュメンタリーを主にして探究を進めたい気分がある。こうした心の動きに素直に従ってみよう。フローニンゲン2020/12/9(水)07:33


6466. 『ランダム 存在の確率(2013)』『ザ·ドア ‐交差する世界‐(2009)』

『メッセージ(2016)』を見て


時刻は午後8時を迎えようとしている。静かに1日が始まり、静かに1日が終わろうとしている。


今日は午後に仮眠を取っている時にビジョンを知覚した。ここ最近はどういうわけかビジョンを知覚することが多い。これは映画を数多く見ていることも何か影響しているのだろうか。


映画を見て、作曲をし、そこからまた映画を見るというサイクルが回っている。今日は映画を10本ほど見た。


今朝方の起床がゆっくりしたものであったにもかかわらず、これくらいの数の映画を見ることができたのは、短編映画があったことが大きな理由だろうが、1日を通して無駄な時間がなく、映画鑑賞と作曲実践に集中していたからだと思う。


映画鑑賞に関しては本当に没頭していて、食事中はもちろん、トイレに向かう最中もパソコンを開きながら映画を見て、トイレの中でも映画を見ている。


今日見た10本の映画の中で印象に残っているものとして、朝一番に見た『ランダム 存在の確率(2013)』を挙げたい。これは、彗星が接近したある夜、8人の大人たちが体験した不可思議な現象を描くSFスリラーである。


この作品を見ながら、ある選択をした自分(世界)としなかった自分(世界)は異なり、自分も世界も選択1つで変わっていくものなのだろうということを思った。まさに可能性論の話とつながるテーマである。


またこの映画を見ながら、このリアリティは、「シュレディンガーの猫」の実験が無数に連なっている世界だということを思った。この実験は、箱を開けるまでは生と死の2つの確率が共存しているというものだが、現実の世界においては無限の可能性が共存していて、私たちがそこから1つの選択をすることにより、世界が1つ確定し、またその先に無限の可能性が目の前に開かれている。そんなリアリティの特徴について考えさせてくれるものだった。


この作品と似たようなテーマとして、『ザ·ドア ‐交差する世界‐(2009)』をその次に見た。この作品は、デンマーク人のマッツ·ミケルセンを主役とし、人生を狂わせたある日に戻れるドアを見つけた男の物語だ。


この作品の主題は、実に興味深い時間論かつ人生論のように思えた。それはまさに、今日の夕方に見た傑作の『メッセージ(2016)』の主題と同様である。前者の作品においては、過去を変えようとすればするほどにうまくいかない事態が起こり、結局、過去を引き受ける形で現在を生きていくことの大切さを描いているように思える。


後者の作品においては、主人公が未来を読める能力を持っているのだが、未来を変えようとするのではなく、未来が変えられないとわかってもなおそれを引き受けて現在を生きることの尊さを描いているように思える。


どちらの作品も共に、変えられない過去や未来を引き受けるということがポイントであって、過去や未来が変えられないことに対して自暴自棄にならず、愛する者のために今を生きることの尊さを教えてくれる。先が見えず、虚無主義の漂う現代社会において、こうしたあり方というのはとりわけ重要ではないだろうか。


イギリスの哲学者のロイ·バスカーの考え方を採用すれば、実在世界(the real)は人智の及ばない世界であり、私たちはその世界を変えることはできない。私たちは、その世界から部分的な経験を投げかけられるだけであり、実在世界そのものに触れることも変えることもできない。だがそれでも、実在世界からの投げかけを引き受け、経験世界(the empirical)と実在世界(the actual)の中で生きていくことが重要なのだ。


今日見たその他の映画も多くのことを考えさせてくれた。明日も自分で設定したテーマやトピックに沿った映画を旺盛に見ていこう。フローニンゲン2020/12/9(水)20:08

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