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6104-6107: アートの国オランダからの便り 2020年8月12日(水)


No.1179 具体的特異性_Concrete Singularity

本日の言葉

The problem with certainty is that it is static; it can do little but endlessly reassert itself. Uncertainty, by contrast, is full of unknowns, possibilities, and risks. Stephen Batchelor

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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6104. オランダの家と日本の家の窓より

6105. 自己を形成し、自己を養う瞬間瞬間の具体的特異性

6106. 今朝方の夢

6107. 今年最後の夏らしい日:ルーワーデン訪問計画

6104. オランダの家と日本の家の窓より

時刻は午前6時半に近づこうとしている。今、寝室の外の方から小鳥たちが高らかな鳴き声を上げている声が聞こえてきた。その音に耳をそっと傾けている。

今朝方5時半頃に起床した時、寝室の窓の外には真っ赤な朝焼けが広がっていた。その美しさに思わず息を飲み、ベッドのへりに腰掛けて、しばらく朝焼けを眺めていた。

今、穏やかなそよ風がフローニンゲンの街を吹き抜けている。どうやら晴れの中で気温が30度を越すのは今日が最後になるようだ。

天気予報を確認すると、今日の最高気温は31度とのことだが、空にはうっすらとした雲があるようなので、それほど暑さは感じないだろう。リビング、書斎、そして寝室の窓を少しばかり開けて風を通せば何の問題もなく過ごせるだろう。

そういえば、日本では大抵窓の内側に網戸があって窓を全開にしても虫などが入ってこないようにできるが、オランダの家の窓はそうではない。網戸などないのだ。だから虫が入ってくることを心配するのならば、窓を全開にすることはできない。

昔、窓を全開にしていると、よくハチのような虫が入ってきたことを思い出す。また、窓を全開にしてしまうと、うちの場合は、窓辺にやってくる小鳥たちも間違って部屋に入ってきてしまう恐れがあるので、今は窓に隙間ができるぐらいにしか開けていない。

日本には網戸があって、オランダには網戸がないという家の作りに関して、それは機能上の問題として片付けるのではなく、文化的な差異もそこにあるのかもしれないと思った。オランダではひょっとすると、うちと外の境界線が日本より希薄なのかもしれず、外側の世界と家の世界がつながっていて、それらの間に過度に仕切りを設けないために網戸のようなものがないのかもしれないと思った。

日本では、家は家として外の世界を区切るような形で建てられるのに対して、オランダの家はあくまでも外側の世界の一部として、つまり融和関係かつ共存関係の発想を根幹に持って建てられているのかもしれないと思った。それは単なる私の仮説だが、その仮説はこの4年間オランダで生活をするという直接体験に基づいて生まれたものであり、あながちおかしな仮説ではないように思えてくる。

昨夜、かかりつけの美容師かつ友人のメルヴィンにメールを送った。髪を切ってくれたお礼に合わせて、彼が近々ファスティングをするということだったので、ファスティングに関する2冊の書籍を勧めた。

またそれだけではなく、メルヴィンとはいつも霊性を含めて、種々の思想的な話をするので、ここ最近私が探究をしているロイ·バスカーの書籍と、ケン·ウィルバーの書籍を勧めておいた。ウィルバーの書籍に関しては、もう1冊勧めたい書籍があることをメールを送った後に気づいたので、その書籍については今夜またメールで伝えておこうと思う。

その他にも、メルヴィンがエネルギーワークにも関心を持っていて、先日偶然にも霊気の実践者と知り合ったそうだった。そのオランダ人女性の実践者の名刺をメルヴィンが持っていて、それを私に見せながら、彼女は霊気以外にもいろいろなセラピー技法を学んでいると説明してくれた。

メルヴィンがエネルギーワークについて関心を持っていることがわかったので、クラニオセイクラルバイオダイナミクスの動画も2つほど紹介した。メルヴィンがファスティングを行い、さらにはバスカーやウィルバーの書籍を読むことを通じてどのように変化をしていくのか楽しみだ。

昨日のメルヴィンとの対話を受けて、私も数秘学と占星学にも関心の輪を広げてみようかと思う。フローニンゲン:2020/8/12(水)06:44

6105. 自己を形成し、自己を養う瞬間瞬間の具体的特異性

時刻は午前7時に近づきつつある。今日もとても穏やかな朝の世界が広がっている。小鳥たちの鳴き声がいつも以上に静かに聞こえる。ここから少しずつ気温が上がっていくのだろうが、どこか秋の朝の雰囲気がすでに滲み出てきている。

昨日、ふとヘルシンキの気温を確認すると、やはりフローニンゲン以上に涼しいことがわかった。ヘルシンキでは、夏の間でも30度を越すことは本当になく、20度前後が最高気温になっている——気温が高くても25度だ——。ヘルシンキの涼しさを思いながら、今後はヘルシンキ郊外に住むことを検討してみてもいいかもしれないと思った。

昨年の秋に日本に一時帰国したのは9月下旬であり、その時にヘルシンキ空港を経由したのだが、その時の気温がもうマイナスだったことに驚いたのを覚えている。そこから日本に到着し、日本ではまだ半袖を着て過ごしていたことが懐かしい。

今年は昨年よりも3週間遅く日本に行くことにし、その時は日本は随分と涼しくなっている頃だと思うが、その分オランダは寒くなっている頃だ。今年の行きはロンドン経由、帰りはヘルシンキ経由なのだが、どちらにせよ日本との気温差には注意しようと思う。

昨日、その瞬間の感覚を含めた、その瞬間の諸々の出会いの大切さについて考えていた。刹那の大切さ。

ヘラクレイトスが残した「誰も同じ川に二度入ることはできない」という言葉や、ニーチェの「永劫回帰」の思想において、私たちは2度と同じ瞬間に立ち会うことができず、2度と同じ体験をすることができないことを説いている。それらの発想と、ロイ·バスカーの「具体的特異性(concrete singularity)」という概念は通じるものがある。

私たちは、人間という普遍性を兼ね備えていながらも、1人1人は代替の聞かないほどにユニークな存在であり、そこには差異がある。バスカーは、そうした私たち1人1人の固有性に対して具体的特異性という言葉を当てている。

そうした具体的特異性を持つ私たちの瞬間瞬間の感覚や思考というのもまた具体的特異性を持っていることに気づく。どうやら一瞬一瞬は具体的特異性の現れであり、それは自分の具体的特異性を映し出すものでもあるのだということがわかる。

日々この目で見るもの、この耳で聴くもの、肌で感じられるもの、それらの全てが具体的特異性を持っていて、同時にそれらの全てが私たちを形成していく。何を見て、何を聞き、何に触れるのか。私はできる限り、自分を涵養してくれるものと交流し続けたい。

私たちを形成し、私たちを養ってくれるのは、瞬間瞬間の具体的特異性なのだ。できるだけ美しく善きものを自己形成·自己涵養のために取り入れていきたい。

そうではないものが世の中にたくさん溢れていることは一目瞭然であり、そうであればそれらを少しでも美しく善きものにしていこう。そうしたアクションもまた具体的特異性の産物であり、それもまた自己を形成し、自己を育むことにつながるだろう。フローニンゲン:2020/8/12(水)07:12

6106. 今朝方の夢

時刻は午後7時を迎えた。今、朝日が赤レンガの家々を照らしている。

アテネから戻ってきて以降、フローニンゲンは天気が良く、気温も上がっていた。ところが明日からは一気に天気が崩れ、雷が伴うような雨が1週間ほど毎日降るらしい。

その期間とそれ以降はもう気温が下がっていく一方であり、今年において夏らしさを感じられたのは1週間あるいは10日ほどだったように思う。それでも今年は、短い夏の命を十分に味わったように思う。

1つ1つの季節と深く向き合っていくこと。季節の深部に触れながら、自己の人生の季節の深部に触れて生きること。それを絶えず忘れずに日々の暮らしを営んでいく。

今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、現在サッカーのスペインリーグで活躍するある若いサッカー選手と、彼が所属するクラブチームのグラウンドで話をしていた。それはサッカーの練習に取り組む姿勢に関する事柄であり、私はその話題に対して発達科学や学習科学の観点から話をしていた。

その選手はまだ成人前なのだが、とても知性が高く、それに加えて人格形成もしっかりなされている。そのため、彼は自分の考えを物怖じすることなく私に述べ、2人の間で真の対話のようなものが形成され始めていた。

途中でお互いに考えの合わないことがあったのだが、その時には彼が突然スペイン語を交えて話し始め、それに対して私は英語で「日本語を話してくれ」と伝えたことを覚えている。

次の夢の場面では、私は幼少の頃に住んでいた社宅の寝室にいた。寝室の布団の上に横たわり、天井をぼんやりと眺めていると、誰かの両親が殺害されたという知らせが脳内に入ってきた。

その知らせは、まるで自分の両親が殺害されたかのような感覚が伴っていた。残されたのは1人息子だけであり、彼が裁判を起こせば、少なくとも1人あたり2億8千万円の損害賠償が得られ、2人合わせて5億6千万円のカネが得られるとのことだった。

それを聞いて私は、カネで解決するような話ではないと思った。そこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、見慣れないビルの屋上にいた。ビルの屋上に特設ステージが設けられていて、ステージ上に、予備校時代にお世話になっていたチューターがいた。

そのチューターの横には数名ほどの見知らぬ人たちがいた。チューターはとても楽しそうな表情を浮かべていて、これから行うパフォーマンスに向けて張り切っているのが伝わってきた。

いざパフォーマンスが始まると、チューターは会場にいるであろうある女性のアナウンサーの名前を呼び、彼女をステージ上に招こうとしていた。しかし、名前を呼ばれたアナウンサーはその場にいなかったらしく、次にチューターが名前を呼び上げたのはなんと私だった。

自分の名前が呼び上げられた時に、私は少しキョトンとしてしまったが、パフォーマンスに加わるのはとても楽しそうだったので、私は意気揚々とステージ上に上がった。その際に、フラッシュライトのようなものをたくさん浴びせられたので、私は目をつぶってステージに上がり、ステージ上でもしばらく目をつぶったままにしていた。

すると、ステージ上にいたある小柄な老婆が、私に対して突然クイズを出してきた。クイズの内容は、「チューターがここ最近休日に始めたことを2つ答えよ」というものだった。私は即座に、「料理と掃除」と答えると、それはあっけなく正解であり、ステージ上での私の役割は終わった。

すると、ステージ上で何か目には見えない2人の人間がボクシングをしていることに気づいた。その戦いがヒートアップしてきたところで、ようやく2人の姿が肉眼で見えるようになった。

見ると、2人は小中学校時代の私の友人(SI & MS)だった。彼らは冷静な表情で殴り合っているのだが、どうやらそのルールはデスマッチのようだった。相手が倒れるまで試合が続き、勝った方は負けた方が賭けたカネをもらえることになっていた。

なんと友人の一方(MS)が全財産を賭けたらしく、私はそれを心配に思いながら2人が闘う様子を眺めていた。私の心配は的中してしまい、結局全財産を賭けた友人は闘いに敗れてしまった。

そんな彼を見て、私は何か助けになることができないかと考え、とりあえず彼に話しかけた。今朝方はそのような夢を見ていた。どれも印象に残る夢だった。フローニンゲン:2020/8/12(水)07:33

6107. 今年最後の夏らしい日:ルーワーデン訪問計画

時刻は午後7時半を迎えた。今、穏やかな夕日がフローニンゲンの街を照らしている。

今日は天気予報を超える形で気温が33度まで上がった。午後に買い物に出かけた際にはさすがに暑さを感じた。木陰に入るとそよ風に涼しさを感じることはできたが、いかんせん連日の猛暑により地上に熱が残っているかのようであった。

しかしながら今日はこれから気温がどんどん下がっていき19度ほどまで下がる。そして明日は午前中から雨が降るようであり、そこからは連日の雨により、気温が下がるようだ。そのため、夏らしさを感じられたのは今日が最後となる。

自分の中では、アテネの滞在を含めて、思う存分夏の暑さを今年は満喫することができたように思う。もちろんそれによって得られた恩恵はあったが、来年からは例年通りに北欧に滞在しようと思う。

来年は、フィンランドでまだ訪れたことのない街に行ってみようかと思う。今後ひょっとしたらフィンランドで生活を営む可能性があり、それに向けてフィンランドを色々と散策してみようと思う。

ここまで日記を書き留めたところで、夕涼みのために寝室に向かった。やはり夕食を食べた後は体温が上がっていて、汗がしたたってきた。寝室の窓からは夕方の涼しい風が流れ込んできやすいので、昨日と同様に、そこで少しばかり夕涼みをした。ヴァン·ゴッホ通りの方を眺めて、遠くに見える緑を眺めたい。

今日は、一昨日に書き上げた原稿を再度確認し、加筆修正をして先方に提出した。ここからまた加筆修正の依頼があるかもしれない。それに対しては柔軟に対応しよう。

今日はその他にも、「一瞬一生の会」の補助音声教材を作っていた。今のところ合計で4つの音声ファイルを作成し、合計で1時間半弱ほどの時間になっている。ここからまたもう1つだけ音声ファイルを作成し、後は今週末に作成しようと思う。

今朝方ハーグに住む友人の日記を読んでいると、先日のアテネの件で連絡をしたことが書かれていた。その中で、「大切な人たちと話をすること、ときに楽しく、ときに真剣に向き合うことができるように予定をあまり入れないようにしている」という記述を見かけ、そのあり方はとても素晴らしいと思った。

私も日々予定をほとんど入れないようにしているのだが、その目的というのは常に自分の創作活動や探究活動に自由に時間を充てるためになっているように思え、友人のあり方に見習うところが多分にあると思った。

その友人が来月フローニンゲンにやって来る。どうやらフローニンゲンに1泊することにしたらしく、翌日は先日自分の日記でも言及したルーワーデンに足を運ぶとのことであり、私も翌日の午後からルーワーデンに行き、現地で落ち合うことにした。

ルーワーデンを調べてみると、美術館や博物館が結構いろいろなものがあり、その中でも1つ訪れてみたい美術館が見つかり、昨日そこで待ち合わせるのはどうかとメールを友人にした。

街の中心部から少し外れたところにある公園の近くに、Pier Pander (1864-1919) というフリースランド出身の著名な彫刻家の美術館がある。私はあまり彫刻に造詣が深くないが、せっかくなのでここも1つ候補地に入れておこうかと思う。フローニンゲン:2020/8/12(水)19:49

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