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5891-5892: アートの国オランダからの便り 2020年6月9日(火)


No.630 朝音の世界_The World of Morning Sounds

本日の言葉

You may well doubt, you may well be uncertain. In a doubtful matter uncertainty does arise. Pāli Canon

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5891. 今朝方の夢

5892. 本日の出会いと縁に感謝して

5891. 今朝方の夢

時刻は間も無く午前6時を迎える。今朝はうっすらとした雲が空を覆っているが、日中は晴れるとのことである。そうしたことから、今日は午後にでも近所のスーパーに買い物に出かけようと思う。切れかかっている野菜と果物を購入しよう。

今日は午前中にオンラインミーティングが一件あり、それまでの時間はいつものように創作活動に没頭したい。平穏な心を持って、集中して自分の取り組みに従事していく。

形を待つ形なきものに形を与えていくこと。よくよく考えてみれば、肉体以外の自己はそもそも形のないものであり、内的感覚を形にしていくというのは、自己を形作っていくことを意味しているのだと改めて思う。

今朝方に見た夢。それもまた形なきものであるがゆえに、やはり自己を形作っているものなのだ。

夢の中で私は、大学は異なるが、大学時代に知り合った2人の友人と話をしていた。彼らはとても聡明であり、どうやら留学を考えているらしく、 TOEFLやGREの話で盛り上がった。

1人の友人がTOEFLの試験で4つの分野でスロットを揃えたかのように見事に高得点を叩き出し、もう1人の友人と私は、彼を祝福した。彼の点数は、帰国子女でもない限りなかなか取れない110点だった。

実はその点数は私の過去最高点でもあり、彼と点数の内訳は違ったが、高い点数であることに変わりはなく、彼がどのような勉強をしたのか気になったので聞いてみた。その後、アメリカの大学院に出願するためのGRE試験についても話題となり、2人がライティングのセクションで、日本人では決して取れないであろう満点の6.0を獲得したと聞いてかなり驚いた。どのような対策をしていたのかを聞こうとしたところで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私はマンションの一階にいた。ちょうど母と買い物に行くついでにゴミ出しをしていて、マンションの脇のゴミ捨て場にゴミを持っていくところだった。

私が手に持っていたのは、1つの空き瓶であり、瓶を捨てられるゴミ箱にそれを入れた。すると、ゴミ箱の背後に自販機が見え、自販機を見上げようとしたところで、辺りの景色が変わった。自宅のマンションからオフィスビルの中に変わったのである。

私は自販機から水のペットボトルを取り出そうとしていた。ちょうど自販機の横にエレベーターがあり、前職時代のボスと上司がこれからクライアント先に向かうようだった。

2人に挨拶をしようと思ったが、どういうわけか私はそれを躊躇した。するとそこに、小中高時代の親友がやってきて、私に声を掛けてきた。

彼は開口一番に、「いつ会社を辞めるの?」と尋ねてきたのである。ボスと上司が近くにいる中で、その質問には答えづらく、私はペットボトルの水をそそくさと自販機から取り出し、友人の手を引っ張るかのようにして場所を移動し、退職についての話をした。

なるほど、先ほどボスと上司に挨拶を躊躇したのは、自分が退職を考えているからなのだと理解した。親友には近々退職をするということを伝えた。すると、彼もまた会社を辞めるつもりだと述べており、お互いの退職タイミングは近かった。フローニンゲン:2020/6/9(火)06:15

5892. 本日の出会いと縁に感謝して

縁によって生じる自己と、縁によって育まれながらにしてどこかに運ばれていく自己。そのようなことを感じる1日であった。

時刻は午後7時半を迎えようとしている。今、小鳥たちが夕日を浴びながら気持ち良さそうな鳴き声を上げている。彼らのそうした鳴き声を聞いているこちらも思わず嬉しくなってしまう。

空には優しい夕日が浮かんでいて、今はそよ風も吹いている。平穏さ。世界は本来こうしたありのまま性に基づく平穏さを本質として持っているはずなのだ。

現代はそれを喪失し、平穏さが求められる対象に成り果ててしまっている。平穏さがこの世界に取り戻され、いつか平穏さという言葉が消滅する時、人類は真の平穏さを享受すると言えるのだろうか。

今日は午前中に、とても嬉しいオンラインミーティングがあった。以前より注目をしていたある画家の方とご縁をいただき、ミーティングを行った。

1時間半ほどを予定していたミーティングは、あっという間に2時間となった。ミーティングの中で取り上げられた話題は多岐に渡っており、どれも印象に残っているのだが、あえて他愛も無い事柄を書き留めておくと、その画家の方を中華圏でサポートしておられる台湾人の方の愛犬とうちの愛犬の名前が全く同じであり、「ゆず」という名前で偶然一致していたことがとても印象に残っている。

また、さらに偶然としては、その画家の方が以前飼っていたインコの名前も「ゆず」とのことであり、3人で大いに盛り上がった。このように、今回のミーティングはとても和やかな雰囲気で進んでいった。

ミーティングの参加者の中に、高野山で住職をされておられる方がいて、実は昨年JALさんを使って日本に一時帰国する際に、機内のエンターテイメント番組で高野山特集を見ていて、今年は高野山に行こうと思っていた。

すると本当に有り難いことに、関西に拠点を置いておられる協働者の方が、今年わざわざ私のために高野山ツアーを計画してくださり、今年は高野山を訪れ、宿泊することになった。そのような縁があり、今日まさか高野山の住職の方とお話ができるとは思ってもいなかったのである。

さらに何かの縁か、その方はケン·ウィルバーの思想にも関心を持っておられ、今日のミーティングの中でも何回かウィルバーの思想の話になった。本日の出会いに感謝すると共に、本日の出会いをもたらしてくれたこれまでの縁の全てに感謝をしたい。

今朝方、作曲実践をしている時に、アレクサンデル·タンスマン(1897-1986)というポーランドの作曲家の作品に触れた。彼はショパンと同じく、母国のポーランドを歴史的必然性の中で離れ、フランスで生涯を閉じた。

祖国を離れて活動し、異国の地で客死を遂げた人物に対して、私は妙に親近感と関心を持つ。自分に待っているのもおそらく彼らと同じ生き方なのだろう。

今年の秋に日本の大地に足を踏み入れることができること、そしてそこで待っている縁の全てに感謝をしたい。フローニンゲン:2020/6/9(火)19:40

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