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5748-5751: アートの国オランダからの便り 2020年4月19日(日)


No.113 心の唐草模様_A Mind Arabesque

本日の言葉

If you want to be happy, learn to desire in joy and innocence. There is no happiness without the will for happiness. Dugpa Rimpoce

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本日生まれた15曲

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タイトル一覧

5748. 創造的回路の開発と創造的循環への関与

5749. 今朝方の夢

5750. 学校教育について

5751. 作曲言語の習得と外国語の習得

5748. 創造的回路の開発と創造的循環への関与

時刻は午前5時半を迎えた。5時を迎えたあたりから小鳥たちが少しずつ鳴き声を上げ始めた。

穏やかに始まる日曜日の朝。空もゆっくりとダークブルーに変わり始めており、朝日が昇り始めることを予感させる。

最近はめっきり日が伸びて、夜の9時半ぐらいまでまだ薄明るい。その時間帯は就寝に向けた準備を始める頃であり、今後は寝床に入る際にもまだ日が出ているかもしれない。季節がゆっくりと進行しているのを感じる。

先ほどふと、本来人は誰しも創造的なのだが、結局のところ、創造的な回路が未開発のままか、あるいはその回路が塞がれてしまっているのではないかと考えていた。子供たちの教育においては、一人一人の子供たちが持つ創造的な回路を開発していくことが重要になり、大人の教育においては、その開発も重要だが、とりわけ塞がれてしまっている回路を再度開くことが重要になるだろう。

創造的な回路は、脳内及び意識内の双方に存在しており、それらの両側面から開発を実現させていくことが重要になる。そのようなことをぼんやりと考えていた。

起床直後にヨガをしている際には、日本語で文章を書くほどの流暢さで曲を作っている自分の姿を想像していた。作曲の技術の習得は言語の習得と瓜二つであり、曲を作るというのは言語の実用的運搬と瓜二つである。

今は少しずつ語彙を増やし、使える文法構造を増やしているような最中だ。現在は、言葉を通じて日記を執筆し、音を通じて日記を執筆するかのように曲を作り、イメージを通じて日記を執筆するかのように絵を描いている。

言葉に関して、クリエイティブ·ライティングというものが存在しているのと同じように、言葉を用いて何かアート的な表現ができないかと昨夜就寝前に考えていた。小説や詩のような形ではなく、別の形式を求めている自分がいた。

自分が求める形式が何か明確にならなかったので、ひょっとすると、その形式そのものを自分で作って行こうかと思う。そのようなことを考えていた。

今朝もこれから絵を少々描く。描く絵は、自分の心象風景を見事に映し出す。絵は、内面世界がどのような形や色彩を持っているのかを如実に映し出してくれるのである。

同様に、生み出す曲は、心聴風景を描き出してくれている。心象風景及び心聴風景を絶えず絵と曲の形にしていくことを続けていく。それを人知れず毎日愚直に行っていく。

静謐な活力。それを今日も感じる。

自分の活力、すなわち湧き上がる生命エネルギーを共有していきたいという思いが静かに顔を覗かせる。絵と曲に自分の生命エネルギーを込め、創作物を通じてそうしたエネルギーを共有していく。

日々の創作活動は、エネルギーの共有活動だと言えるかも知れない。この世界との相互作用によって生み出されたエネルギーと創作物を共有することによって、創造的循環を促していく。創造的循環に関与すること。それが自分の役割の1つなのだろう。フローニンゲン:2020/4/19(日)05:50

5749. 今朝方の夢

小鳥たちの清澄な鳴き声が早朝の世界にこだましている。時刻は午前6時に迫っており、空は先ほどよりも明るくなってきた。

闇の世界から辺りが明るくなり始める推移を眺めること。それは朝の楽しみの1つである。そこに発達的な漸次的移行を見ることができる。

先ほどの日記の中で、言葉を用いて何かアート的な表現ができないかと考えていたことを書き留めていた。よくよく考えてみれば、人生そのものが芸術であり、1つの固有な芸術作品なのだから、それをこのように日記として書き留めていくことそのものがアート的な表現だと言えるのかもしれない、と考えていた。

何か特定の形式を求めたり、生み出したりする必要はなく、日々をこのように綴っていくことが、アート的な表現になりうるということを改めて思った。

今朝方も夢を見ていた。夢について振り返りを行い、その後絵を少々描いてから早朝の作曲実践に取り掛かりたい。今日もまた創作活動が充実したものになり、1日が充実感で溢れたものになるだろう。充実感の連鎖の恩恵に授かりながら、充実感そのものを深めていく毎日を継続させていく。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校にいた。どうやら今は文化祭に向けた準備期間のようであり、校舎内がいつもとは違う活気に満ちていた。何よりも、生徒たちの表情が楽しげであり、生き生きとしていた。そこに醸成されている集合的な意識の充実ぶりを私は感じていた。

校舎内をぶらぶらと歩いていると、後輩たちがちらほらと私に声をかけてきた。私は先輩後輩、男女関係なく、さらには学年で最も嫌われているような生徒とも分け隔てなく普通に会話をする特性があり、そうした特性からか、校舎の中を歩いているとよく声をかけられた。

声をかけきた後輩たちがどのような出し物を文化祭でするのかを私は尋ね、彼らの教室を少しばかり覗いてみた。そこで私はハッとして、そういえば今からバスケの大事な試合があることを思い出したのである。

私はその試合に出場することになっていて、今からすぐに試合会場に向かおうと思った。そこでまたしてもハッとして、試合会場はうちの学校の体育館であっと思い出した。

その試合に向けて、体育館は刷新され、見違えるように綺麗になっていた。また、観客席も完備され、施設として非常に充実していた。

私は自分の教室に戻り、荷物を取りに向かった。そこで、テニス部のキャプテンを務めていた友人に声をかけ、彼はバスケ部ではなかったが、試合に出場しないかと私は彼に持ちかけた。すると彼はとても乗り気であり、試合に出場したいと述べた。

その試合はうちで行われることになっていたから、観客が多くなることは見込まれていたが、生徒会長でもある彼を誘えば、観客がもっと増えることになるかもしれないという期待もあった。だが私は純粋に、彼に試合に参加してほしいという思いがあったことは確かだ。

彼と一緒に体育館に向かい、試合が始まってみると、全校生徒が応援に駆けつけてくれ、その盛り上がり方は尋常ではなかった。そうした環境の中で試合に参加できることの有り難さを思った。

その体育館はもちろん、全校生徒を収容できるような容量はなく、コートがヴァーチャル技術で抽出され、それを生徒たちが眺めるような形式になっており、観客の生徒たちもコート上からはちゃんとヴァーチャル化されて姿が見えるようになっていた。

熱狂と共に試合が始まり、私の心は高鳴っていた。そこで夢の場面が変わった。この夢を通じて、無意識の世界は幼少期の頃の影響を色濃く受けていると改めて思った。

幼少期の頃に出会った人やそこで体験したことが自分の無意識の世界を大きく形作っている。そのようなことを考えさせてくれる夢だった。

この夢に加えてもう1つ夢を見ていた。夢の中の私は、小中学校時代を過ごした社宅にいた。

ちょうど長い休みを終えた後のようであり、今から私は英語の塾に行くことになっていた。その塾は高校時代に通っていたものであり、いつも母に車で送迎してもらっていた。

その日も母に車で送ってもらうことになっていて、自宅を出発する時間ギリギリまで何かの飲み物を飲んでいた。塾ではいつも最初に英単語のテストがあり、私は過去に一度も満点が取れなかったことがなく、いつも入念な準備をしていた。ところが、その日は一切準備をしておらず、数ヶ月ぶりに単語帳を開くような感覚があった。長い休みの期間に何をしていたのか定かではないが、勉強から離れ、ずっと絵か何かを描いていたのかもしれない。

自宅を出発する直前に、父が私に話しかけてきて、明日にでも靴屋に行って新しい靴を購入しようと話し合った。普段の出発の時刻より数分遅れており、私は車の中で待っている母のところに向かった。

階段を降りている最中に、上の階に住む旦那さんがちょうど下に降りてくる最中であり、簡単に挨拶をした。1階に到着すると、突然小雨が降り始め、私は急いで車の中に駆け込んだ。

いざ車が出発すると、もう塾の開始時間に間に合いそうになかったが、私の心は落ち着いていた。車がゆっくりと社宅の道を動き始めた時、大学時代のサークルの友人が、辺りをキョロキョロ見渡しながら歩いていた。どうやら彼はうちに立ち寄ろうとしているらしかった。

残念ながら私はもう車の中にいて、塾に向かっている最中だったから、彼と話をすることができないと思ったが、私の代わりに父が彼と少し話をしてくれるのではないかと期待した。父も同じ大学を卒業しているから、彼と何かしら話が合うだろうと思ったのである。

そこからは私は単語帳を開き、その日のテストに向けた準備を今から行おうとした。以前の自分にとってみれば、その単語帳に掲載されている単語は難しく、いつも入念な準備が必要だったが、その日の私の目には掲載されている単語が全て簡単に思えた。それを知って思わず笑みがこぼれたところで夢から覚めた。

夢から覚めた瞬間に、単語テストに向けた勉強を含め、学校の勉強をもはやしなくてもいいことに心底安堵した。今の私はオランダにいて、学校教育の時期は遥か昔のことのはずであり、そのように安堵した自分がいることにまたおかしくて笑ってしまった。そうした笑いと共に、学校の勉強ではなく創作活動に打ち込めることの幸せを感じた。フローニンゲン:2020/4/19(日)06:25

5750. 学校教育について

時刻は午前6時半を迎えた。もう辺りはすっかり明るくなった。

早朝のこの美しい眺め。朝日が赤レンガの家々に優しく照っており、鳥たちが青空を飛翔している。

この眺め。この眺めを毎朝楽しみに毎日生きているかのようだ。

そよ風が新緑の木々の葉を揺らしている。新緑。「あぁ、あそこの木はもう緑色の葉っぱをつけたか」そのようなことを思った。

いつの間にあの木に色鮮やかな緑色の葉っぱが付いたのだろうか。生き物たちは、私の知らないところで絶えず生命運動をしているのだ。

生命力に溢れる緑の葉がそよ風に揺られるのをぼんやりと眺めている。ここは時間が緩やかに流れる場所。そして、永遠につながる場所でもある。そのようなことを思う。

先ほど、大麦若葉のドリンクを作っているときに、学校教育について考えていた。人は学校教育を通じてしこたま調教されるから、調教された人生しか歩めないのではないかという考えが降りてきた。

ひとたび学校教育という名の調教に絡め取られると、その調教からはもはや逃れられず、学校を卒業した後も、その調教の効果は永続する。その結果として、人々は己の人生を生きることができず、調教された人生しか生きることができない。そうした考えが芽生えた。

そこから学校教育の意義及び学校の存在意義について思いを巡らし、仮に自分に子供がいたら、学校に通わせるのかどうかについても考えていた。私は大学院まで卒業しているが、自分の子供は小学校卒業で十分か、幼稚園に通えば十分かもしれないと考えており、その代わりに一緒になって学びを深めて行こうと考えていた。

もし今自分が幼少期に戻れるのであれば、小学校までは通うかもしれないが、中学校からはもう通わないかもしれない。シュタイナー学校であればもう少し長く通ってもいいかもしれない。

憲法26条1項を見ると、すべての国民には「教育を受ける権利」があると明記されており、「義務教育」と叫ばれるものは決して義務ではなく、子供には教育を受ける権利があるのだから、仮に幼少期に戻れたら、その権利をもう少し賢く行使するような気がしている。

自分の子供には、そうした権利について話をし、朝目覚めた時に、飛び起きるぐらいに学校に行きたいと思えば学校に通えばよく、もしそうでないのであれば、学校になど行かなくていいことを伝えようと思う。自分が本当に望んでいることが何であり、情熱を傾けることができるものが何かに目を向けないまま嫌々に学校に通った成れの果てが今の多くの現代人なのだから。

子供と魚釣りを一緒にして、そこで捕まえた魚の生命が途絶えた時、死んだ魚の目を見てもらおうと思う。いやいや学校に通い続けると、こうした目になることを伝え、朝学校に通いたくてしょうがない気持ちで学校に通い続けたら生きた魚の目になることを伝えよう。あるいは、一緒に日本に一時帰国して、都心の電車の中にいる死んだ魚の目をした人々の姿を見てもらうことも一案である。

この社会には優れた学校があることは確かだが、大抵の学校は、子供たちにトラウマを作り出すための機関に成り下がってしまっているのではないかと思われる。現代の学校教育を通じて得られる知識や体験などは、もはや学校に通わなくても様々な代替手段によってそれらを獲得することができる。協調能力や人格なども、学校に通ってそれらを磨いていくよりも、他の社会的ネットワークの中での活動を通じた方がより豊かに育まれるのではないかと思えてくる。

私たちが通った学校だけが、なぜか同い年の人間が一塊にされて同じように扱われる特殊な場所であることにはもはや気づいているかもしれない。学校という画一的な箱の中で得られるものが低質な知識と体験であり、最も多く得られるものがトラウマと調教された人生であるというのはとても残念な気がする。

今から数百年後か数千年後かの資料には、「トラウマを醸成する調教機関」として学校が紹介されているかもしれない。そこに送り込まれた人間は、情熱を傾けられる対象を発見できないことはおろか、自らを見失い、トラウマを形成しながらにして何者かによって作り出された虚構の人生を歩み続けることになる。

そうした人間たちが、かつて社会的かつ大規模に製造されていた時代があったということが資料集に記述される時代がいつかやってくるかもしれない。そうした時代がやってくれば、逆にそれは教育及び社会の進歩の証しでもあるだろう。

再び幼少期に戻れた場合のことについて思いを巡らせる自分がいた。結局自分は幼少期に戻っても、今のような生活をするのではないかと思う。毎日の毎瞬において、自分が情熱を傾けられることだけを行っていく生活。そうした生活を送るに違いない。

そう考えてみると、今の生活の健全さぶりと充実さぶりが理解できる。人生の時計の針を巻き戻し、人生をやり直したとしても、結局今と同じように日々を過ごそうとしている自分がいることは本当に幸運だろう。

今の生活が本当に幸福に満ちたものなのだと知る。そのことへの感謝の念を持って、今日もまた自分の取り組みに従事していこう。フローニンゲン:2020/4/19(日)07:01

5751. 作曲言語の習得と外国語の習得

時刻は午後7時を迎え、週末の日曜日がゆっくりと終わりに向かっている。この時間帯は、まるで夕方の4時ぐらいのように西日が強い。

ここ最近は、就寝準備を始める9時半ぐらいにおいてはまだ明るさが残っているほどだ。今日も創作活動に打ち込みながら、その合間合間に雑多な事柄を考えていた。

その1つとして、ふと改めて思ったことがある。作曲能力は言語運搬能力と類似しているがゆえに、確かにモーツァルトなどの天才たちの才能は敬服に値するが、日本人として生まれ、身近に日本語があった環境下で育った人間に対して、日本語が流暢に扱えることを天才だと述べないのと同じように、モーツァルトにとってみれば、自分のことは大して天才と思っていなかったのではないかと思った。

モーツァルトにとってみれば、生まれた時から母国語と同じように音楽に触れていたがゆえに、曲を作るというのは母国語を話すのとほぼ何ら変わりなかったのではないかと思う。

言語の習得と作曲技術の習得の類似性についてここ数日間特に考えている。今の私にとってみれば、音楽を母国語のように習得することは難しいかもしれないが、あたかも外国語を学ぶのと同じような形でその修練に励みたい。

25歳で初めてアメリカに渡り、そこから欧米生活が始まったことを思い出そう。外国語として英語を真剣に習得しようと思ったあの時から今に至るプロセスとその成果を考えてみた時に、作曲言語を英語のように学び続けていけば、いつか今英語を扱っているのと同じように作曲言語を運搬できるのではないかと期待する。

実現可能性は限りなく低かったとしても、究極的な理想は母国語のように作曲言語を扱えるようになることだ。これから長く長く修練を続けていけば、それも可能かもしれない。

脳の可塑性と可能性を最大限に発揮し、身体感覚を通じて作曲言語を習得するように励んでいけば、母国語である日本語よりも流暢に自己を表現できるようになるのではないか。そんな期待を持ちながら明日からの日々を過ごしていく。

そうした観点から、作曲を成人以降に学んだ過去の偉大な作曲家たちを調べていた。すると、遅くして作曲に目覚めた作曲家として、ベルリオーズ(医学)、チャイコフスキー(法律)、ムソルグスキー(軍人)、ボロディン(化学者)、ストラヴィンスキー(法律)、シベリウス(法律)などがいる。彼らの存在は、自分にとって大変励みになる。

彼らの楽曲を参考にする時には、彼らがどのような感覚質を持つ単語や文法構造を持って作曲言語を活用しているのかをつぶさに見ていこう。彼らは成人以降に作曲始め、見事なほどに作曲言語を習得したことを忘れないようにする。

今月はまだ書籍を大量注文していない。購入した書籍は、街の中心部の古書店で購入した1冊のみだ。

来月の初旬か今月末に、作曲理論書を15冊ぐらい購入しようと思う。譜例が豊富なものをいくつか見つけ、自分が探究したいテーマに合致した書籍を見つけることができた。

こうした理論書を参照していると、時に初めて出会う作曲家がいて、彼らの曲に大いに刺激と啓発を受けることがある。楽譜だけではなく理論書を通じて学習をしていくのは、そうした作曲家に出会うためでもある。

明日から譜例を参考にするときは、別途作曲ファイルを作成し、譜例は全てそちらに一度写譜し、今後いつでもその抜粋リストから特定のパッセージを参考にできるようにしていく。

単に譜例を写譜し、それを再現するだけではなく、それら何度も参考にして曲を作ってみる際に、1つのファイルに譜例が収まっていた方が都合がいい。

明日からもまた創作活動に従事することが楽しみだ。今いるところから絶えず出発していくこと。向上の道は全てそこから始まる。フローニンゲン:2020/4/19(日)19:24

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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