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5639-5642:フローニンゲンからの便り 2020年3月21日(土)


本日の言葉

Spend some time alone every day. Tenzin Gyatso

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5639. 満天の星空を眺めながら:ギリシャ旅行の延期

5640. バッハとのつながり:今朝方の夢

5641. 穏やかな土曜日の朝に:久しぶりに和書を読んで

5642. 本日の接心を振り返って

5639. 満天の星空を眺めながら:ギリシャ旅行の延期

時刻は午前6時半を迎えようとしている。今、フローニンゲン上空の空はラベンダー色に色付いている。ほのかな紫がかった空は、とても優しくフローニンゲンの街を包んでいる。

今朝は雲一つなく、見事な快晴である。今朝の起床は5時半であり、とてもゆったりしていた。

起床してすぐに寝室と書斎の窓を開けると、そこには小鳥たちの鳴き声が響き渡る世界があった。小鳥たちの鳴き声だけがこだまする世界は、聴覚的になんとも言えない美しい世界である。

瞑想的な意識の中で、小鳥たちの鳴き声の響きを味わっていた。

昨夜就寝前に、部屋の電気を全て消して書斎から寝室に向かおうとしていた時、書斎の窓の外を見ると、そこに満天の星空が広がっていた。私は思わず寝室に向かう足を止め、星空をしばらく眺めていた。

オランダの夜は、街の明かりがそれほど多くなく、それによって星空が綺麗に見えるのかもしれない。フローニンゲンのように中規模な街であればあるほど、街の明かりは慎ましく、そのおかげで満天の星空を味わうことができる。

フローニンゲンの自宅から星空を眺めるときにいつも気になっている星がある。それはとても強い輝きを放っていて、一際存在感を放っているものがある。あの星の名前はなんというのだろうか。

天気予報を確認すると、今日から1週間は全て晴れマークが付されている。ここ最近まではほぼ毎日雨がどこかのタイミングで降っていたが、それが嘘のように、雨マークどころか曇りマークすらない日がこれから続きそうだ。

気温の面に関しては、今日の最低気温はマイナス2度、明日も同様であり、明後日はマイナス3度まで下がるため、まだまだ春のそれではないが、雨が降らず、太陽の光を拝める日々がやってきたことは喜ばしい。

ここからは日中に日光浴を楽しむことができるだろう。天日干しの椎茸と同様に、太陽の恩恵を授かれることに感謝しよう。

このところ、不穏な雰囲気が世界を覆っているような感覚がある。それは、コロナウイルスの蔓延によってもたらされたものだ。

フローニンゲンの街もどこか閑散としていて、いつも以上に人通りが少なく、静けさが増している。静けさが増すことは好ましいのかもしれないが、その原因がコロナウイルスの拡大であることは気がかりである。世界全体を覆うこの不穏な雰囲気が早期に払拭されることを願う。

今回の一件をもってして、さらに探究領域を拡大させていこうと思った。いくつか新しい探究テーマが見つかり、それらに関する書籍をまた来月の初旬に大量注文する。

今回もまた50~60冊ほどの文献リストから20~30冊ぐらいの書籍を購入することになるだろうか。あるいはそれ以上購入することになるかもしれない。

コロナウイルスの拡大を受けて、昨日ギリシャの航空会社から連絡があった。ギリシャ政府の厳格な措置により、ギリシャに入国することができなくなってしまい、フライトがキャンセルされたという旨の連絡だった。

それを受けて、ホテルにも連絡をし、今は宿泊のリスケができないかを確認中である。来週の木曜日に予定していたギリシャ旅行はとりあえず延期とし、フライトに関してはすでにリスケができるという連絡を受けているので、ホテルのリスケが可能であれば、コロナウイルスが落ち着いた頃に改めてギリシャに足を運びたい。

あと1ヶ月後の4月末では状況がまだよくわからないので、とりあえず5月末ぐらいに延期することを考えている。4月はオランダ国内の日帰り旅行でもしようかと計画中であり、その際にはピエト·モンドリアンの美術館に足を運ぼうと思う。フローニンゲン:2020/3/21(土)06:47

5640. バッハとのつながり:今朝方の夢

昨夜就寝前に、バッハの楽譜を眺めていると、バッハの生誕からちょうど300年後に自分が生まれたことを知った。誕生日の日まで考えると、旧暦におけるバッハの生誕からきっかり300年と7ヶ月後である。数字の切りがよく、3と7という素数を大切にし、今後の作曲でそれらの数字を愛用したいという思いが湧き上がってくる。

昨夜、1年間かけて参考にしてきたラモーの楽譜に収められている曲を全て参考にし終えた。これをもってラモーから一旦離れ、今日からは本格的にバッハの楽譜に取り掛かろうと思う。これまでも4声のコラールはほぼ毎日参考にしていたが、Schirmer’s Library社から出版されている650ページほどの楽譜に収められている曲は時々参考にする程度だった。

この楽譜には、バッハのピアノ曲が全て収められており、それらを参考に作曲実践を積み重ねていけば、多くの学びを得ることができるだろう。今日から少しずつこの楽譜を参考にしていきたい。

もちろんバッハのみならず、これまでと同様に、並行して何人かの作曲家の作品も参考にしていく。昨夜、楽譜の山からいくつかの楽譜を手に取って眺めていたところ、ロベルト·シューマンの楽譜も大いに参考になると思い、それも参考にしていく。

午前7時を迎えた今、朝日が赤レンガの家々を燦々と照らし始めた。空はスカイブルーで塗られていて、白いカモメが優雅に大空を舞っている。

今日は当初の予定通り、午後から数時間ほど接心を行う。今日の雰囲気から察すると、どこか清らかなエネルギーが辺りに流れているような感じがするので、接心にはうってつけの日だろう。

それでは今朝方の夢を振り返った後に、いつもと同様に早朝の作曲実践に取り掛かりたい。夢の中で私は、日本のどこかの県の旅館にいた。ひょっとすると、それは日本とは違う国の中だったかもしれないが、いずれにせよ、和を感じさせる旅館の中にいたことは確かだ。

私はその旅館に友人や知人たちと一緒に宿泊していて、今から広い座敷部屋で談笑をしようということになった。座敷部屋に到着し、そこで友人たちとくつろぎながら話を楽しんでいると、何人かの知人が笑顔で部屋に入ってきた。

私たちは思い思いに話を楽しんでいた。するとあるところで、ちょうど私がアメリカから日本に引き上げ、1年間ほど東京で過ごしていたときに知り合った知人が部屋に入ってきた。

見ると、会社の上司と一緒のようであり、彼の上司は私たちよりも数歳ほど年上の女性の方だった。時刻は昼間だったが、みんなアルコール類を飲んでいて、普段酒を飲まない私も、アルコール度数が47%ぐらいの白い酒を少々飲んでいた。厳密には、それを小さなコップに注いでいただけであり、まだ一口も飲んでいなかった。

知人の上司が場を盛り上げるためか、部屋の中央で自己紹介を始め、自己紹介の最後に一気飲みを披露すると述べた。とは言え、それは学生のノリではなく、少量の酒を乾杯程度に飲み干すというものだった。

彼女1人でそれを行わせるのは恐縮だということで、その場にいた全員が手に持っている酒を一気に飲み干そうということになった。私が手に持っている酒はアルコール度数が極めて高いものであり、それを一気に飲み干すことが難しいことは最初からわかっていた。そうしたことから私は、一気に飲み干す振りをして、実際は一口だけ飲んだところでコップから口を離した。

彼女の乾杯の音頭によって場が再び盛り上がったところで夢の場面が変わった。今朝方はその他にも夢を見ていた。それらのいずれもが平穏な内容の夢だったように思う。自分の攻撃性が発露されるようなこともなく、穏やかな海を眺めているような感覚を持つ夢がいくつかあった。フローニンゲン:2020/3/21(土)07:15

5641. 穏やかな土曜日の朝に:久しぶりに和書を読んで

時刻は午前9時半を迎えた。今日は早朝から素晴らしい青空が広がっていて、清々しい気持ちになる。微風が漂い、裸の木々の枝を揺らしている。

今日は休日ということもあり、そしてコロナウイルスの蔓延に伴い、いつも以上に外に人はいない。通りを走る車の数も人の数も非常に少ない。

今社会では、人々がコロナウイルスに対して右往左往しているが、世界そのもの、すなわち裸体としての物理的自然世界そのものは以前と何ら変わりなく、静かにそこにたたずんでいる。今回のコロナウイルスは自然の猛威というよりも、人間の狂気が猛威を振るい、それが今のような混乱を引き起こしているのではないかと思う。

先ほど、今日は久しぶりに和書を読もうと思った。そこで、森有正先生の日記を本棚から取り出し、それを読み始めた。

挟んであったしおりを取り外し、続きのページの書き込みを見たところ、前回読んでから4ヶ月ほど間が空いているようだった。そこから数ページほど食い入るように日記を読み進めた。

そこでパタリと読書が止まり、どうも日本語が内側に入ってきにくい自分がいた。これは森先生の日本語の問題ではない。

そもそも森先生の書かれる言葉は、私の内側に入ってきやすい。いやそれどこか、自分の奥深くに染み込んでいく。そうしたことから、先ほど日本語が内側に入って来づらい感覚の要因は別のところにありそうだ。

ここのところは、学術機関に所属していた時のように、大量の英文書籍と英文論文を読んでいた。そうしたことも何か影響を与えているのだろうか。

自分にとっては、英語空間に浸る方がひょっとすると日本語空間でそれを行うよりも容易なのかもしれないが、今日は英文についてもあまり読みたくない気分である。こういう日は、文字から離れ、作曲実践を楽しんだり、画集を眺めることを楽しむに限る。

ちょうど今日は午後から接心をする予定なので、文字から離れることができる。接心の前には心身をほぐし、くつろがせるために、踊りを踊ろうと思う。その際には、グスタフ·レオンハルトの演奏するバッハの音楽をかけようと思う。

接心後に曲を作るかどうかは未定だが、その時の状態を見て、俳句のような短い曲を作り、座禅を通じて得られた事柄を音化してみるのもいいだろう。夜はバッハやシューマンを参考にしながら原型モデルを作ったり、好きな画家たちの画集を眺めたりする。

それではこれから、作曲実践の続きに取り掛かりたい。ここからは理論書に掲載されている譜例を参考にしていく。理論に関する説明書きを読むというよりも、実際に音を作曲ソフト上に配置し、それを聞いていくことを通じて概念を身体的に把握していく。

言葉の世界に入り込んでいくのではなく、純粋に音の世界に入り込んでいく。そしてそこから音の世界を捉えていく。そうした意識でここから作曲実践を行いたい。フローニンゲン:2020/3/21(土)09:49

5642. 本日の接心を振り返って

時刻は午後7時半を迎えた。今、フローニンゲン上空の空はエメラルド色に輝いている。雲ひとつなく、透き通った空が1日の終わりを祝福するかのように輝いている。

この時間帯でも完全に日が暮れていない姿を見ると、随分と日が長くなったものだと思う。

今日は午後に、予定通りに数時間ほど接心を行った。合計で4時間ほど座っていただろうか。

今日は天気が良かったから、書斎の床にヨガマットを敷いて、時々身体に太陽光を当てながら座っていた。前回長時間座ったときには、魔境に入り込んでしまうような知覚体験をしたが、今回は平穏無事であった。

自分が大切に思う人たちの無意識とつながるような感覚があったり、随分と昔の幼少期の頃の記憶がいくつか思い出された。とりわけ過去の記憶に関して言えば、これまであまり思い出したことのなかったような記憶が蘇ってきたこともあり、それに囚われないようにしながらも、幾分関心を持って眺めていた。

今回の接心において、何か大きな気づきや発見が得られたかというとそうでもない。元々そうしたことは求めず、求めていたものがあるとするならば、意識の深まりに応じて、大切な人たちの治癒と変容の触媒になることぐらいだった。

それと自分自身の便益で言えば、文字空間から離れ、思考を休めることぐらいだろうか。それらの目的に関しては十分に果たせたように思う。

今朝方の日記で書き留めたように、来週の木曜日に予定していたギリシャ旅行が延期されたことにより、来週末もまた今日ぐらいの時間座ってみようかと思う。あるいは、ここからは土曜日の午後は数時間ほど何もせず座ってみようかと思う。

仮に太陽の姿が拝めれば、ゆったりと日光浴がてら座るのも悪くない。文字空間からしばらく離れたことに伴い、脳に十分な休養を与えることができた。明日からはまた読書を再開していこう。

今日はこれからもう少し時間をとって、バッハの曲を参考にしながら曲の原型モデルを作っていく。本日作成した原型モデルは、明日の作曲実践で活用していく。

バッハの手ぐせ、すなわち彼の作曲語法を感覚的に辿るように音を再現していく。そのプロセスそのものの中にも楽しさと喜びがある。

明日は今日以上に晴れのようなので、日光浴のみならず、夕方あたりに街の中心部のオーガニックスーパーに散歩がてら立ち寄ろうと思う。

本日もとても充実した1日であった。明日もまた今日と同じだけの、いや今日以上に充実した1日になるだろう。フローニンゲン:2020/3/21(土)19:36

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