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5258-5262:フローニンゲンからの便り 2019年11月28日(木)


本日生まれた12曲

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タイトル一覧

5258. 14日間の断食がもたらしてくれたこと・教えてくれたこと

5259. 今日からの回復食について

5260. 断食最終日の朝に見た夢:発達の最終形態の示唆

5261. リンゴを噛み締めて:14日振りの固形物の摂取より

5262. 断食を終えた夜に

5258. 14日間の断食がもたらしてくれたこと・教えてくれたこと

14日間にわたる断食を終える日がとうとうやってきた。今朝は3時半に起床し、現在時刻は午前4時を迎えたところである。

断食を始めて14日、つまりそれは自分の死生観を変えるような体験をもたらしたヴェネチア旅行から帰ってきてからの日数を表す。この14日間において、断食をしながらヴェネチアでのことを思い出したり、それ以外にも日々の何気ない生活や創造活動などを通じて、いろいろなことを考えさせられていたように思う。

いずれにせよ、今回の断食を終えるのは今なのだという確かな感覚がある。断食の終了を祝うかのような深い闇が目の前に広がっている。そして、断食の終了を祝う激しい静けさがここにある。

その他にも、起床した時に降っていた雨が今この瞬間は止んでいる。今日は一日中雨の予報だったはずなのに。

今回の14日間の断食がもたらしたものはやはり計り知れないものがあった。それは単に身体の内側の解毒と治癒を根本から進めたというだけでもなく、心や魂を含めた存在全体の治癒につながったことだけでもない。何かそれ以上に重要なもの、それはとても静かなものなのだが、そうしたものがもたらされたように思う。

本当にそれは恵みのようなものであった。例えばそれは形を変えて、日常のこれまで当たり前だと思っていた事柄の一つ一つから幸せの果実を摘み取ることができるようになったことなのだ。

より具体的には、一つ食事を例に取ってみよう。昨夜就寝前に、今日からの回復食について思いを巡らせていた。今日は朝からリンゴを食べる予定であり、それを想像しただけでもう涙が出そうになったのである。

リンゴという他の生命をいただくことの有り難さと幸せ。それを思うだけで目頭が熱くなった。想像の世界の中には、感動の嗚咽を吐きながらリンゴを食べている自分がいたのである。

食べ物を食べることは実は当たり前ではないのかもしれない。生命をいただくというのは、実は特殊なことであり、それはとても尊いことなのかもしれない。それが特殊であり、尊いものだと思えるようになれば、どうして毎回の食事を蔑ろにできるだろうか。

毎日を何気なく生きていくことの絶対的な幸せ。それに本当に気づく。

私の毎日は全く派手でもなんでもなく、質素極まりなく、そして淡々と進行していく。まるで墨絵のようにシンプルな生活の中に、何か幽玄さが滲んでいるかのように思い始めた生活がここにある。

今回の断食がもたらしてくれた細かな気づきや変化についてはこれまで一連の日記を通じて書き留めてきた。昨夜大まかに今回の断食のプロセスを振り返っていたので、最後にそれについて書き留めておこう。それは食欲に関する観点からの小さな振り返りだった。

一昨日に自然な食欲が沸き始めたと感じ、昨日は自然な食欲が強くなった。断食を始めた最初の1日目、2日目にも似たような食欲が湧くのだが、これはおそらくこれまでの惰性で生み出された偽りの食欲である。

その食欲を超えて、3日目以降になると、嘘のようにピタリと食欲が無くなる。そこから胃腸が休息に入り、身体の解毒と治癒に向けて働き始める。ここから何日かかるかは人によるのだと思うが、それ以降も毎日排便がなされ、体外に毒素が出される日々が続く。

ちょうど7日目か8日目に、お腹の張りと共に体外に排出された宿便があった。そこからまた安定期に入り、この間にも食欲はない。おそらくそこから解毒から治癒へのプロセスに変わったのだと思う。

宿便をほぼ全て出し切った後、数日すると、自然な食欲が湧き上がり始めた。今回で言えば、それは断食から12日目だったように思う。そこからは自然な食欲が少しずつ高まっていき、今日に至る。食欲という観点から見れば、このようなプロセスを辿っていたように思う。

今回の断食は、偽りの食欲と身体が発する本当の食欲とは何かを身をもって教えてくれた。今後はもう偽りの食欲に支配されることはないだろう。

発達心理学者のアブラハム・マズローが述べる欲求段階モデルにおいて、食欲は低次の欲求に該当するが、それを正しく把握し、それを乗り越えていくことがいかに難しいかも今回の断食は教えてくれた。フローニンゲン:2019/11/28(木)04:23

5259. 今日からの回復食について

14日間の断食を終える朝はとても静かだ。実際には起床した瞬間には雨が降っており、幾分強い風が吹いていたのだが、今はそれらが嘘のように止み、辺りは静まり返っている。まるでそれは今の自分の明鏡止水の心の有り様を映し出しているかのようである。

今日からは、14日振りに固形物を食べ始める。日記を毎日書き、毎日作曲をしているのと同じように、これまでも毎日何かしらの食べ物を食べてきたが、それが14日振りだということに改めて驚く。果たして自分は本当にものを食べられるのだろうかという思いもある。

今日をもってして今回の断食が終わりなのではなく、回復食を含め、十分な回復期を取ることによって断食を終了させていく。そして何より、今回の断食が最後のものでは決してなく、今後も定期的に短めの断食を行うことや、胃腸に無駄に食べ物を入れず、胃腸を労るということを絶えず意識していく。

成長や発達の肝である、小さなことを積み重ねていくことは断食を含めた生活習慣においても当てはまるのだ。小さな心がけ、小さなケアをこれからはより一層意識し、それを実践し、習慣化させていく。

今日からの回復食について少しばかりまとめておきたい。回復期においては、消化が良いものを食べていくことは言わずもがなであり、それだけではなく、胃腸の消化運動を元に戻すために、食事の回数を少し増やしていくことも意識する。

今時刻は午前4時半であるから、午前9時あたりにリンゴを食べたい。普段はリンゴを1個だけ食べるようにしているのだが、可能であれば今日は2個食べる。

そこから状態を見て、正午前か正午過ぎに、バナナを食べたいと思う。ここでもバナナを2本ほど食べるかもしれない。

ちょうど昨日近所のスーパーに足を運んだ時、比較的熟れているバナナが売られており、今日からでも食べれそうなものを購入することができた。そのバナナに、1本にはオーガニックのアーモンドペーストを、もう1本にはピーナッツペーストを塗って食べる。皮の裏側に付着した食物繊維群もスプーンですくってきれいに食す。

本日の夕食は、オレンジを食べようと思う。それは1個でも十分な量があるが、ここでも状態を見て2個ほど食べるかもしれない。身体がどれだけ果物を欲しているのかを見極めていこう。いずれにせよ、果物を食べる時であってもよく噛むことを忘れないようにする。

明日も同じ食事内容にし、明後日からは野菜類を摂取し始めようと思う。具体的には、まずはトマトとサツマイモがいいだろう。ここでも状態を見て、タマネギとシイタケを使った味噌汁を作るかもしれない。ジャガイモを食べ始めるのはもう少し後にしようかと思う。

明後日の状態を見て、昼には豆乳に4種類の栄養豊富な麦類のフレークを浸したものを食べ始めてもいいかもしれない。これはオーツ麦も含まれており、オートミールのような食事だ。

今日からの食事は本当に楽しみであり、その一つ一つ、いやその一口一口を本当に深く味わっていこうと思う。それはきっと、人生の一つ一つの瞬間を味わうことにつながっているのだと思う。フローニンゲン:2019/11/28(木)04:44

5260. 断食最終日の朝に見た夢:発達の最終形態の示唆

時刻は午前5時を迎えようとしている。今また少し雨が降り始めたようだ。今日は一日中雨のようなので、今日は家の中でゆっくり過ごそうと思う。何せ本日断食を終えるのであるから、それを自宅の中で静かに祝っていきたいと思う。

雨の風情を感じながら、今日という一日を過ごしていこう。一滴の雨粒にも味わいがある。そこには全ての真実と美が隠されていることを忘れてはならない。

先ほどの日記の中で、今日からの回復食としての果物の量を書き留めていたように思う。例えば朝に食べようと思っているリンゴの個数を2個と書いたが、それは小さめのリンゴであったとしても、一度には食べれなさそうである。

これまで14日間何も固形物を摂取しておらず、まずは噛むことを思い出していく必要があり、またリンゴ1個でも胃腸が満足のサインを発する可能性もある。まずは1個食べてみて様子を見る。そしてまた身体が求めたら、午前中に2個目を食べる。

これはバナナやオレンジに対しても同じようにしていく。そうすると、小分けして食事回数を増やすことができるかと思う。小さな食事を小分けして行うことによって、胃腸の消化運動を少しずつ元に戻していこう。

それでは、断食を終える朝に見た夢について書き留め、早朝の作曲実践に移っていきたい。夢の中で私は、バスケコートの上にいた。今から強豪校との試合があるらしかった。

夢の中の私は中学生ぐらいの年齢であり、すぐ近所にある強豪の中学校との試合に胸が高鳴っていた。その学校の一つ上の世代は本当に強く、県内でも屈指のチームであり、中国大会などにも出場している。

試合の開始前に、私はその強豪校の一つ上の世代のガードのポジションを務める先輩にマンツーマンでつくことを決めた。ミニバス経験者かつ、実績のある先輩と比べると、実力差は明らかであったが、私は気持ちでその差を埋めることができると考えていた。

整列を終え、ジャンプボールの開始を迎え、いざ試合が始まる時、こちらのチームのセンターを務める友人(HY)が何か私に合図を送ってきた。それは、「必ずジャンプボールで勝てるから、後ろを気にせず前めにポジションを取っていい」というものだった。

そして審判の手からジャンプボールが空中に投げられ、センターの友人は見事に私の前にボールを落としてくれた。私はそれを拾って、一気に相手のゴール前までドリブルを仕掛けていった。

すると、私についていた相手の先輩は、簡単にシュートまでもって行かせてくれなかったが、それでも自分はシュートまでもって行くという強い意思があったので、なんとかシュートまでもって行った。しかし体勢が悪く、そのシュートはリングに弾き返されてしまった。

だが私はそのリバウンドを自ら取り、ボールをもった瞬間になぜか私の体は宙に浮き、そこから強引にボールをゴールにねじり込んだ。すると夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、実際に通っていた小学校の廊下にいた。そこは中庭が見える廊下であり、外壁はなく解放的だ。

私は中庭の方を眺めながら歩いていると、突然雨が降り始めた。しかもそれは滝のように激しい雨だった。

「これはまずい」と思って、私は教室に駆け込んだ。するとそこでは、小中高時代の友人(TK)が他のクラスメートの前で何か司会をしていた。雰囲気は和気藹々としており、笑いが起こっていた。

私に気づいた友人は、一緒に司会をやろうと声を掛けてきて、私はその提案を受けた。すると、外の雨はさらに激しさを増し、他の生徒も教室に駆け込んできた。

するとその時、空の方向に、一匹の巨大なバケモノが姿を現した。それはどこか、ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』で出てきたバケモノに似ていた。

それを目撃した時、最初は面食らったが、不思議と恐怖感は全くなかった。しばらくバケモノの様子を観察していると、バケモノの体がどんどん変化していることに気づき、これから最終形態になるのだと直感的に理解した。いよいよ最終形態になるかならないかのところで目が覚めた。

目が覚めた瞬間に、私はバケモノの最終形態を見たいと思ってまた目を閉じたが、5分経っても夢の世界に戻ることはできず、起床することにした。そのような夢を断食を終える日の朝に見ていた。

このバケモノについてはやはり興味深い。それが最終形態になる前に目を覚ましたというのは、どこか今回の断食を通じて、私は自分の最終形態が見えていながらも、まだそこに至らないということを示唆しているように思えた。

人間の発達に終わりはないのだが、何か自分の発達の最終形態のようなものが見え始めている時期に差し掛かっているのかもしれない。もちろん、そこに到達するには長大な時間がかかるだろうが、そうした地点を知覚するというのは今回が初めての体験であった。フローニンゲン:2019/11/28(木)05:19

5261. リンゴを噛み締めて:14日振りの固形物の摂取より

時刻は午前9時半に近づきつつある。つい今し方、14日振りに固形物を摂取した。それは1個のリンゴだった。

そのあまりの水々しさに感動し、生命をいただく感動がそこにあった。リンゴをいただく喜びのその前に、リンゴを噛み締めるという行為の喜びがあった。

噛み締めるということそのものが喜びの対象であり、喜びを喚起することを知っていただろうか。そこには喜びがあり、そこから喜びが発露する。

そうなってくると、「喜びを噛み締める」ということはどういうことなのだろうか。もうそれを考えるだけで、喜びの中に自己が溶解していきそうである。

オーガニックのリンゴが持つ生命力。その優しさと力強さ。

自分の身体は本当に潤された。リンゴを1つ食べたあと、自分の内側に爆発的な水脈が流れ始めたような感覚があった。それは断食の終了を告げる流れであり、同時にここから始まる新たな流れであった。

猿が人間に進化した瞬間のような、躍り狂う喜びがあった。私は書斎の中で、一人原始的なダンスを踊っていた。もちろんそれは満面の笑みで、かつ変な人間がそこにいると思いながら。

今朝は3時半に起床したおかげもあってか、この時間帯までにすでに7曲ほど短い曲を作った。もしここから少し休憩が必要だと思うのであれば、適宜休憩を取り、中規模な休憩が必要であれば、10分ぐらいの仮眠を取ってもいいだろう。脳を休める際には、活字情報などからは徹底的に離れ、目をつぶって休むのが一番いい。

短い曲を作ることに関して、ふと思ったのは、トーマス·マンの長編小説『ブッデンブローク家の人々』でマンが活用した手法を採用してみようということである。

具体的には、マンのあの長編小説の一つ一つの章が実は全て小さな独立した作品としても成り立ちうる点に着目し、それと同様に、今は一つ一つの小さな独立した作品を作ることに注力し、いつかそれを統一的な力で大きくまとめ上げて行くプロセスを歩もうということである。

より厳密には、一つ一つの章のような曲を作るのも今の私にはハードルが高いため、一つの独立した場面を描くようにする。しかもそれを無限大の数描いていく修練を積む。

独立した場面、ないしは瞬間を無数に描くことを通じて、自分の技術が高まってきたら、それらの瞬間をある感動を起点としてつなぎ合わせ、一つの物語にしていく。ここでも大きな物語は全く必要なく、それこそそこで初めて一場面ができるぐらいでいいだろう。

今度は、そうした一場面を無限大作成していく鍛錬を積み、ようやく一つの章を構成していくという段階に入る。このような形で作曲と向き合おうと改めて思った次第である。

断食明けの今日からは、新たな創造エネルギーが満ち満ちてくるだろう。それは存在の内側から滲み出し、存在の外に放射されていくだろう。そのようにして生み出された創造エネルギーは、また循環して自分の内側に還って行くであろう。フローニンゲン:2019/11/28(木)09:34

5262. 断食を終えた夜に

時刻は午後6時半を迎えようとしている。今日から14日間に及んだ断食を終え、回復期に入った。

午前、昼、そしてつい先ほど食べた回復食としての果物類は、本当に感動するほどの美味さであった。先ほどはオレンジを2つほど食べ、その水々しさに思わず舌鼓を打った。

明日もまた今日と同じように果物だけを三食食べる。明後日から夜にサツマイモの茹でたものを食べられそうか確認してみたり、オートミール風の4種の麦類を温かい豆乳でふやかしたものを食べれるかを確認してみようと思う。

今日の午後に仮眠を取った時、昨日以上に美しい幾何学模様を知覚した。それは不思議な模様を持っており、相当に鮮明なものであった。

そうした幾何学模様を知覚した後、夢のような物語を見ていた。それはビジョンが緩やかに進行して行くものであり、どうやら夢というのは、仮眠中に私がよく見るビジョンがより形式化したものなのだと思わされた。

今日も旺盛に創造活動に従事し、その傍に読書を行った。その際には辻邦生先生の旅行記を読んでいた。

すると偶然ながら、辻先生も今から46年前にミラノを訪れ、ミラノ中央駅近くのホテルに宿泊したようだった。ちょうど先日、私もミラノ中央駅のほぼ真ん前にあるホテルを予約したところであり、その偶然には驚いた。

旅というのは不思議なもので、このようにして様々な人生が交差し合うものなのだろう。一人の旅は、きっとどこかで別の人の旅とつながっている。そのようなことを思わずにはいられない。

もうすぐ12月を迎える。来月の1ヶ月間もまた充実したものになるだろう。第3週目からはオンラインゼミナールの続編が始まり、受講者の皆さんとのやり取りがまた楽しみだ。新たな月は、マルタ共和国とミラノに行くことを楽しみにして、年末までの時間を日々充実した形で過ごしたいと思う。

午前中に作曲をしていると、雑多な考えの一つとして、動物のイメージで言うと、猫はシャープ系であり、犬はフラット系か?ということを思った。そこから色々な知人の顔を思い浮かべ、彼らを猫と犬に分類し、どのような音楽が彼らの背後に鳴っているかを想像してみたときに、やはり猫はシャープ系の響きであり、犬はフラット系の響きのように感じられた。もちろん、シャープ系にもフラット系にも様々な調があり、それぞれカラーが違うので、今後はより詳細にその分類を進めてみようかと思う。

それでは今から過去の日記を読み返し、過去の曲を聞き返した上で、ウェブサイトにアップロードし、その後に必要なメールに返信をしたいと思う。フローニンゲン:2019/11/28(木)18:30

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