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5072-5076:フローニンゲンからの便り 2019年10月23日(水)


本日生まれた曲

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

5072. 早寝早起きの良き習慣:音楽美学の探究と公器としての音楽

5073. 感動的な恍惚感を感じた今朝方の夢

5074. 落ち葉の絨毯と輝くイチョウ:作曲上の初めての試み

5075. 秋の夜長の楽しみ

5076. 祖先を辿る旅に出かけよう

5072. 早寝早起きの良き習慣:音楽美学の探究と公器としての音楽

時刻は午前4時を迎えた。昨夜は午後9時半頃に就寝したためか、今朝は午前3時半に起床した。それぐらいの時間に起きても特段早く起きたいう感じはせず、そうした時間帯に起床することが当たり前になっている。

早寝早起きのおかげで、午前中一杯を創造的な活動に十分充てることができるのは幸いであり、午後から夕方にかけても創造活動に従事するゆとりがある。そして夕食後からはリラックした時間を過ごし、特に就寝前はパソコンを眺めたり書籍を読んだりするのではなく、楽譜や画集を眺めるといったように、活字情報から離れることができているのも質の高い睡眠につながっていると実感している。

こうした習慣が確立されつつあるのも日本に一時帰国したおかげである。日本に一時帰国している際には、特に夕食後の時間の使い方がよりゆったりしたものとなり、就寝に向けて脳を休めていくような時間を過ごすようになった。

これからも午前と午後に存分に創造活動に従事し、夕食を摂ってからはくつろぐという時間の過ごし方をしたい。一方で、一時帰国中にあまりYoutube動画を撮影することができず、オランダに戻ってきてからも撮影に向けた意欲はあまり高まらない。

今はあまり日本語で言葉を話したくはないという気持ちがあり、話し言葉ではなく、やはり書き言葉や音楽を通じて自己の感覚を表現する方に再び意識が向かっている。再度日本語の話し言葉を通じて何かを表現したいと思った時にYoutubeを再開しようと思う。Youtubeに関しては、今はしばらく様子をみよう。

日中、作曲と日記の執筆を主に行うことに並行して、日本から持ち帰ってきた和書を読むことが多い。これも今のところかもしれないが、今はまだ日本語の書籍を読もうとする意思があるようなので、その意思を尊重する形で和書を読み進めていく。

中でも、美学者の今道友信先生の一連の書物は大変参考になり、美学思想に関して得ることが多いだけではなく、作曲上のヒントもたくさん受け取っているように思う。今後も引き続き、今道先生の幾つかの書籍を読み進めていき、音楽美学を中心に、ゆっくりと自分なりの美学思想を形成していこうと思う。

昨日読んでいた書籍『音楽のカロノロジー——哲学的思索としての音楽美学——』の中で、ショパンがとりわけ楽譜をテキストとして扱い、テキストを読むかのように楽譜を読み解くことの大切さを説いていることを知った。

端的には、テキストとしての楽譜には作曲家の思想が秘められているのである。そうした特性を持つ楽譜を読み解いていき、作曲家が込めた思想を自分のものにしていくことを心掛けていく。それはこれから行う早朝の作曲実践や、就寝前に楽譜を眺める際にも意識したいことである。

また、本書を読みながら、自分が生み出す曲は、言葉にならない——あるいは言葉を超えた——自らの生命の固有の流れを形にすることだと改めて思わされた。生命の流れを日々感じ、それを曲という形にしていく。

おそらくそれが自分の生を大切にしながら十全に生きるということをもたらしてくれるだろう。さらには、公器としての音楽をいつか作れないか、という思いも湧いた。

小さな音楽の集まりによってそれを作っていく。小さなものの集まりが持つ特殊な吸引力と拡散力を使って、公器としての開かれた音楽を作っていく。そこから魂の癒しと変容が小さくても実現されるのであれば、それに勝る喜びはない。フローニンゲン:2019/10/23(水)04:24

5073. 感動的な恍惚感を感じた今朝方の夢

全き闇と静寂さがここにある。時刻は午前4時半を迎えようとしている。

闇に次ぐ闇と、静寂に次ぐ静寂。私は、毎日そのような朝を数時間ほど過ごしている。

いや、それは外見上の事柄であって、内実は、絶えず光と闇に自己が包まれており、絶えず静寂さに自己が包まれていると見た方がいいかもしれない。

早くも早朝には暖房を入れるようになった。夜に関しては入浴をして全身を芯から温めているおかげか、まだ暖房はいらない。だがもうすでに湯たんぽを使って就寝し始めている。

今の気温は6度であり、日中は14度まで気温が上がるそうだ。明日は晴れかつ気温がもう少し上がるようなので、オランダに戻ってきてから初めてのボルダリングをしようと思う。

これからは土日にボルダリングジムに行くのではなく、平日のどこか一日を見つけて、午後から夕方にかけてボルダリングを楽しもうと思う。来週の天気をふと眺めてみると、来週からは一段と気温が下がる。

来週から11月を迎え、新たな月の到来と共に気温がより一層下がることは興味深い。来週の火曜日や水曜日の最低気温はもう0度に届きそうな勢いである。そうした環境の中、私は自分にできる自分なりの取り組みを淡々と前に進めていく。

それではいつものように今朝方の夢についてまず振り返り、その後、早朝の作曲実践に取り掛かりたい。夢の中で私は、ヨーロッパの見慣れない街にいた。

厳密にはその街は、アムステルダムと大阪の梅田が合成したような街であった。それは雰囲気と通りの合成であり、オランダ語の呼称の場所もあれば、日本語の呼称の場所もあるというように、二つの街が混在していた。

街をしばらく歩いていると、私の携帯電話が突然鳴り出し、電話に出た。すると、電話の主は小中学校時代の友人(RS)だった。何やら、今から一緒にランチを食べないかという誘いであった。

電話に出た時の周りの環境がそれほど静かではなかったため、彼の声は聞こえにくく、どのレストランで待ち合わせなのかがすぐにはわからなかった。そこからさらに彼の話を聞いてみると、彼はどうやら鬱病を患っていたらしく、ようやくそれから回復したそうだった。

それを聞いた時、彼は決して鬱病になるような精神を持っていなかったはずだと思い、少々驚いた。だが幸いにも鬱病から回復したとのことだったので、ぜひランチを一緒にしようということになった。

再度レストランの場所を聞こうとした時、私の目の前に小中学校時代の別の友人(HY)が現れ、彼が現れたのと同時に、ヨーロッパ系の見慣れない若い女性たちが数名ほど自分に近づいてきた。

その彼はビニール袋に入った弁当を手に引き下げており、今から一緒に弁当を食べようと私に持ちかけてきた。一方で、ヨーロッパ系の女性たちは、今からカレーを食べにいこうと私に持ちかけてきた。

私の中では、カレーを食べたいという思いが強かったが、しばらく三者からの誘いを天秤にかけて、誰とランチを共にするかを考えていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、全く面識のない東京芸大出身の男性が現れた。彼が誰なのか今でもわからない。

その彼が私を自宅に招待してくれ、実際に彼の自宅に行ってみた。そこは北欧かどこかの湖の近くにあり、彼の家は豪邸であった。邸宅の中には中庭があり、そこには噴水もあった。

その日はちょうど晴れであり、中庭に差し込む太陽の光はとても綺麗だった。中庭を取り囲むように廊下があり、その廊下の壁には絵画作品がびっしり飾られていた。

私は廊下をゆっくりと歩きながら、一つ一つの作品を眺めて行った。どの作品もセンスがあり、素晴らしいと思ったのだが、最初のうちは、どれか特定の作品の前で足を止めるということはなかった。

ところが、しばらくしてある一枚の絵の前に差し掛かった時、私の足は自ずから止まった。眼前に飾られていた絵は、灰色の分厚い雲の雲間から太陽が海に差し込んでいる情景を描いていた。

雲の分厚さと暗さ、それとコンテクストをなすかのように明るい太陽の光、そしてその光を反射している海面の輝き、それらが一つとなったその作品は、本当に見事であった。どこかその絵は、私が敬愛するウィリアム·ターナーの光の使い方に似ているように思えた。

そう思った瞬間に、絵画を見ている私の意識が絵の中に入り込み、目の前にその絵の光景が広がった。そして今度は、私の意識が宙に浮かび、その意識が雲から降り注ぐ太陽の光を辿るようにして雲から海面に向かっていき、海風に乗って海岸まで意識が運ばれるという体験をした。

それは本当に一瞬の出来事であったが、不思議な恍惚感を抱かせた。それは感動的な恍惚感であった。

その感覚を味わった直後、私は再び邸宅の中庭を取り囲む廊下に立っていた。私はその場でたたずみながら、たった今体験した感動的な恍惚感が何であったのかを呆然とした心持ちで振り返り、自分の背中に、太陽の穏やかな光が当たっているのを感じていた。フローニンゲン:2019/10/23(水)04:58

5074. 落ち葉の絨毯と輝くイチョウ:作曲上の初めての試み

時刻は午後3時半に近づきつつある。つい先ほど、街の中心部のオーガニックスーパーから帰ってきた。

最近は日中も冷え込んでいるが、今日は比較的暖かく、とても穏やかな雰囲気の中、軽くジョギングし、そして散歩して外の世界を楽しんだ。買い物に行く前に、協働プロジェクトに関する契約書を印刷しに近所のコピー屋に足を運んだところ、その店のオーナーのデニーがインフルエンザに罹ってしまい、店が休みだった。

事前にデニーにメールをして契約書のPDFを送っており、自宅に帰ってから彼の返信メールを読むと、どうやら思っていた以上に状態が悪く、肺に影響を与えてしまったそうだった。一刻も早くデニーの回復を願う。

そうしたわけで、契約書の印刷は明日にボルダリングジムに行く前に、別のコピー屋で行おうと思う。日本への一時帰国からオランダに戻ってきて、本当に一段とゆとりとくつろぎのある生活を送れている。

自己がゆとりとくつろぎを感じているというよりも、自己がそれらと同化しているかのようなのだ。呼吸の速度もこれまで以上に緩やかであり、心臓の脈打つ波も瀬戸内海のように穏やかである。

これまで3年間も随分と穏やかな生活を送っていたように思うが、日本から戻ってきてまた次元が異なるゆとりとくつろぎの中で日々を過ごせるようになっている。

今日は工事のため、街の中心部の市場が急遽休みのようであった。本当はそこで5日分のシイタケを購入する予定だったのだが、それは仕方ない。その代わりに、オーガニックスーパーでシイタケを購入した。

その他には、先日言及したバイオダイナミクス農法で作られた4種類の麦のフレーク、それにかけるための豆乳、豆腐、アーモンドペーストを購入した。

スーパーからの帰り道、思わず息を飲んでしまうほどの美しい光景に遭遇した。赤レンガの家々の道が紅葉した落ち葉の絨毯で覆われており、イチョウが穏やかな太陽の光で輝いたのである。

いく分冷たい風に吹かれながら、私はぼんやりと輝くイチョウと道に敷き詰められた落ち葉の絨毯を眺めていた。こうした場所で生活を過ごしていれば、精神的なゆとりがもたらされるのも必然である。そのようなことを思った。

そんな幸せなひと時を感じて自宅に戻ってきたのが先ほどである。これから夕食までの時間を使って、本日8度目の作曲実践を行う。8曲目を作ったら、一度読書をするか、あるいはその流れのままに、協働プロジェクトの一つとして作っている動画コンテンツに挿入するサンプル音を作りたい。

今日のオンラインミーティングの中で、協働者の方から有り難い提案があり、私が作曲した簡単なメロディーを動画コンテンツの中で活用してくれるとのことであった。

私が日々行っている作曲は、決して人に聴いてもらうことを意識しておらず、その瞬間の自分の感覚をあるがままに形にしているだけであり、今回の依頼のように、人に聴いてもらうような曲を作るのは初めてだ。

動画コンテンツに挿入する効果音として、またコンテンツの切り替わりの際に活用する音として活用するとのことであり、長さは3秒から15秒ほどのものでいいとのことであった。如何せん初めての試みであり、どのようなメロディーがいいのか悩むところだが、いくつかバリエーションを持たせて、楽しみながら作曲をしたい。フローニンゲン:2019/10/23(水)15:39

5075. 秋の夜長の楽しみ

時刻は午後の7時を迎えようとしている。フローニンゲンの日没時間は早くなり始めているが、この時間帯はまだ何とか真っ暗闇ではない。太陽はほぼ完全に沈んでいるが、わずかな明るさが外の世界に広がっている。

これからどんどんと夜が長くなっていく。秋の夜長には、その夜の深さを味わうようにゆったりと過ごしたいものだ。

今夜もまた就寝前は、様々な画家の画集を眺めたり、様々な作曲家の楽譜を眺めていく。画集に関しては、先日日本に一時帰国した際に購入した小松美和さんの画集や、以前ロンドンのナショナルギャラリーを訪れた時に購入したウィリアム·ターナーの画集でも眺めようかと思う。楽譜に関しては、バルトークやドビュッシーのものにしようかと考えている。

先ほど夕食を食べている時、毎日同じものを食べているのだが、毎晩の夕食が楽しみであり、毎回食べるごとに感激をしている自分がいることに気づいた。オーガニックの玉ねぎ、ニンニク、シイタケをレンジで茹で、それに玄米味噌か麦味噌を加えて味噌汁を作り、そこにクロレラを入れたものはあまりにも旨い。

味噌汁の前に食べる大きめのトマト一個と豆腐のうまさも筆舌に尽くし難いほどだ。味噌汁が食べ終わる間近になって、レンジで茹でたじゃがいもに醤油を少し垂らし、そこにパンプキンパウダーとマカパウダーを加えたものを食べているのだが、それもまた美味である。そして夕食の締めくくりとしてデザートがてら食べているサツマイモを茹でたものもまた格別の味がする。

私はこれらを毎日毎晩食べている。フローニンゲンの自宅で夕食を取る際には、夕食でそれ以外のものは一切口にしていない。

この他にも食に関して一日の楽しみは、午前中の果物と、正午過ぎに食べる豆乳をかけた4種類の麦類のフレークである。明日もまたそれらを食することができる幸福を実感しよう。

ふと、一時帰国中に実家に滞在している時の夕食を思い出した。父は退職後、母に代わって毎晩夕食を作っており、私が帰ってきた時も毎晩夕食を作ってくれた。

事前に肉類は一切食べれないと伝えたところ、滞在中の10日間、一切肉類が出てくることはなく、父には大変気を遣ってもらったように思う。そう思っていたところ、両親も肉類を食べることは滅多になくなったとのことであった。

10日間滞在している最中に食べた父の料理は本当に美味しかった。時に言葉を失い、ただ黙って味わうことしかできなかった瞬間もあり、それは芸術作品を前にして佇む感覚に似ていると言えるかもしれない。

父は食材と調理の方法に相当にこだわりがあり、同時に父は手先が器用であるという理由だけが料理の旨さを生み出しているのではなく、父にも述べたとおり、料理に心がこもっているからなのだと思う。私はそれを「魂がこもっている」と表現したが、それは大袈裟ではないように思えてくる。

来年もまた秋の季節に一時帰国をし、父の手料理が食べれることを楽しみにしている。そして、母のピアノ演奏のさらなる上達ぶりも楽しみだ。これから長く深い冬がやってくるが、楽しみの宝で溢れた日々を毎日過ごしていけば、やがて春がやってくるだろう。フローニンゲン:2019/10/23(水)19:14

5076. 祖先を辿る旅に出かけよう

究極的な至福さの中で、今日もまた終わりが近づいてきたことを感じ始めている。絶対的な至福さは、水の如く透明であり、そして柔らかい。何か仰々しいものでは決してなく、空気のように我が身を包む。そのような感覚をもたらしてくれるのが、今感じているこの究極絶対的な至福さである。

そういえば今日の午後に仮眠を取っている最中に、不思議なビジョンを知覚した。厳密には、仮眠から目覚めるか否かの時に、穏やかな海岸の風景を知覚したのである。

爽やかな海風が頬を伝い、私は海を眺める者であり、同時に海そのものであった。そこでハッとしたのだが、幼少期から自分が変わらずに自分であるということにひどく驚き、ひどく感動してしまった。そんな形で仮眠から目覚めた。

いやはやこの驚きと感動をどのように表現したらいいのか。人生のある一時点の自分は自分だというのは当たり前だと思われてしまうかもしれないが、果たしてそれが当たり前かというとそうでもなく、だが実際にそれが当たり前だというその事実に心底驚いてしまい、心底感動してしまったのである。

瀬戸内海を眺めながら小学校に通っていたあの頃の自分は今の自分であり、トンビの鳴く声に耳を傾けながら帰宅していた小学校の自分もまた今の自分なのだ。それが中学校の時の自分であろうと高校の時の自分であろうと、そして大学の時の自分であろうと勤め人の時の自分であろうと変わりがない。

全てが紛うことなき自分なのだというこの驚きと感動。あの頃の自分と今の自分との間には、非線形的な発達の溝があることは確かだが、同時に切っても切れない連続性がある。仮眠から目覚めた瞬間の私は、その連続性に心底驚き、感動したのである。

日本からオランダに戻ってきて以降、夕食を食べる時に音楽をかけることをしなくなった。食卓にある開放的な窓を通じて、外の景色をぼんやりと眺めながら夕食を食べることもまた、新しい楽しみとなった。

夕食を味わいながら食べている時、ふと先日実家で両親から聞いた興味深い話を思い出した。私の父も母も名字が加藤であり、二人は加藤同士の結婚であった。

ところが二人に話を聞いてみると、どうやら父方の加藤家の家紋は「下がり藤」であり、石川県にゆかりがあるらしい。一方で、母方の加藤家の家紋は「上り藤」であり、福井県にゆかりがあるとのことであった。

窓の外の景色をぼんやりと眺めながら夕食を食べている時に、そのような話を思い出した。そこから私は、来年の秋は北海道よりも優先して、石川県と福井県に行ってみようと思った。これは突発的な思いつきなのだが、もうそれは確信めいたものである。

二つの県に何かがあるらしい。それがもう明確にわかっている。

自分のルーツを辿ること。その大切さは、私がジョン·エフ·ケネディ大学に在籍していた時にある授業を通じて教えてもらった。

来年の秋は、祖先を辿る旅に出かけよう。石川県と福井県は広く、どこに足を運べばいいのか全くわからないが、自分の関心を引いた場所に足を運んでみよう。

今年実家に帰り、両親とゆっくりと話をしたことによって、家族の関係性と絆が一段と深くなったように感じた。来年の秋に先祖を辿る旅に出かければ、より一段と家族の関係性と絆が深まるような気がしている。

深まる関係性と絆を考えてみると、今は人生の秋なのだろうかと思ってしまう。きっとそうなのだろう。フローニンゲン:2019/10/23(水)19:31

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