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4759-4761:フローニンゲンからの便り 2019年7月28日(日)


タイトル一覧

4759. 三日間の真夏日を終えて

4760. これ以上痩せることへの懸念に関する夢:積み重ねと逸脱に関する夢

4761. 穏やかな日曜日の正午に

4759. 三日間の真夏日を終えて

時刻は午前5時を迎えた。空がダークブルーから徐々に明るくなり始めている。

街路樹のシルエットを眺めてみると、それが早朝のそよ風に揺られている姿が見える。

今日も穏やかに新たな一日が始まった。今日は日曜日ということもあってか、いつも以上に辺りは静寂さに包まれている。

昨日までは三日間連続で、最高気温が30度を超えていた。今日からは再び30度を下回り、来週は全体を通して非常に過ごしやすい日々となるだろう。

夏とはいえ、30度に達するかどうかの気温が一番理想的である。それを超えるとやはり暑さを感じてしまうし、逆に来週の水曜日からは最高気温が22度あたりなので、それはそれで肌寒さを感じさせてしまい、夏らしさはあまりないと言えるかもしれない。

ほどよく夏を感じられるという都合の良い気温はなかなかなく、気温は毎日変動している。絶えず変動に寄り添いながら日々を過ごしていくこと。天候の変化のように外面的な変動性もそうであるが、自分の内側の変動性ともうまく寄り添って日々を生きていこう。変動性は、日常に彩りを与えるものであり、進行の潤滑油である。

今日はオランダ時間の午前9時半より、オンラインゼミナールの日曜日クラスがある。全8回のうち、気がつけば今日が4回目である。来週に第5回目を行ったら、そこで一週間ほどの休憩期間を設けている。

本日のクラスの中で出てくる論点や質問事項が今から楽しみだ。第5回目のクラスに向けては、少しユニークな課題を提出したいと思う。夏季休暇の楽しみと同じように、楽しさがある課題を出すことを考えている。それについてはここでは詳しく述べないが、これまでの回でインテグラル理論に関する小難しいテーマを扱ってきたため、一息つけるような課題を提出したい。

今日のクラスに向けての準備はすでにできているため、クラスが始まるまでのここからの4時間ほどは作曲実践に打ち込む。

ここ三日間実感したが、やはり私は今後もできるだけ寒い地域で生活をしていこうと思った。確かに昨夜の日記の中に、ポルトガルのリスボンやマルタ共和國にも生活拠点を設けようと考えていると述べたが、それらの場所で生活をすることになったとしても、季節は冬の期間に限定しようと思う。あるいは、冬の全てをそうした暖かい地域で過ごすのではなく、あえて極寒のフィンランドで過ごすこともまた一興だろう。

どうして寒い地域で極力過ごそうと思っているのかというと、暑さによる不要な弛緩作用を防ぐためと寒さによる必要な緊張作用を得るためによる。前者に関して、ここ三日間相当に気温が上がっており、そうした最中において自らの取り組みに集中することが時に難しいことがあったのは確かである。

家には冷房も扇風機もないため、暑さをなんとか和らげながら自らの取り組みに従事することは少しばかり難しさがあった。物事に集中するためには、暑くてぼんやりしてしまうような環境は望ましくなく、心身を引き締めてくれるような寒さが必要に思えてくる。オランダの厳しい冬を経験すればするほどに、そうした認識が深まっていく。

「敗北」という言葉が示唆していることの一つには、南の暖かい地域でのほほんと過ごしていた南の住人は、北の厳しい地域で過ごしている人たちに負けてしまうということがある。北の寒さの厳しい地域には、自己を凝縮するような環境が広がっている。

今後もそうした環境に自己を置き、厳しさの中で自己を涵養していきたいと思う。そんなことを思わせてくれる日曜日の朝だ。フローニンゲン:2019/7/28(日)05:36

No.2384: A Thin Cloud

The blue sky has a thin cloud now. My hands can reach it. Groningen, 07:58, Sunday, 7/28/2019

No.2385: A Soft Sunday Morning

This morning is very soft. Being embraced by the softness, I have a feeling of absolute safeness. Groningen, 07:22, Sunday, 7/28/2019

4760. これ以上痩せることへの懸念に関する夢:積み重ねと逸脱に関する夢

時刻は午前6時に近づいている。この時間帯はもう辺りはすっかり明るくなっている。

起床時に気づいていた通り、今日はいつもより少し強いそよ風が吹いている。その強さはそよ風の範疇だが、普段よりも勢いよく通り過ぎていく風に自然と目が止まった。

これから早朝の作曲実践に取り掛かる前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。覚えている事柄は少ないが、できる限りのことを書き留めておく。

夢の中で私は、実家にいる愛犬が昼寝をしている姿を眺めていた。「見守っていた」という言葉を使った方が適切かもしれない。

日光が当たるポカポカした場所で、愛犬は小さくうずくまって眠りの世界の中にいた。表情はとても穏やかで、幸せそうであった。きっと穏やかな夢を見ているに違いないと思った。

しばらく愛犬の寝顔を眺めた後、愛犬が寝ている場所を移動させる必要があったため、愛犬を起こさないように一旦抱きかかえ、愛犬をそっと別の場所に移動させた。愛犬を抱きかかえた時、随分と体重が軽くなっていることに驚かされた。「少し痩せすぎなのではないか?」そんな疑問が脳裏をよぎった。

両手の手のひらの上に乗った愛犬は、相変わらずスヤスヤと眠っており、その表情は依然として幸せそうだった。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は日本の内閣総理大臣を選ぶ選挙の手伝いをしていた。総理大臣候補の一人の政治家のサポートを私は行っており、投票が無事に終わり、もう少しで開票の時間が迫っていた。

その政治家と私は、小さな会議室で開票結果を待っていた。どの候補者にどれだけ票が集まっているのかは、テレビ中継によってほぼ把握していた。

私が支援していたその政治家は、得票数で一番と二番を行き来しており、最後までどうなるかが全くわからなかった。会議室の中にあるテレビ中継を見ていた私たちは、最終的に、その方が内閣総理大臣に選出されなかったことを知って残念に思った。

内閣総理大臣の選出は国会議員によってなされるが、そもそも国会議員は国民によって選ばれている。それを踏まえて私は、支援していた政治家の方を慰めるために一声かけた。

:「今回は残念でした。ですが、内閣総理大臣になるためにはバカである必要がありますよね。大々バカの国民よって選出された大バカの国会議員に支持されなければならないから大変ですよ。つまり、綺麗にバカの度合いを積み重ねていかなければ内閣総理大臣などなれないということです。その度合いから少しでもかけ離れて、賢明な人間になろうものなら、内閣総理大臣などには到底なれないですから」

支援していた政治家:「慰めのお言葉、ありがとうございます。今回の敗因は、バカの度合いを積み増すことがうまくなかったことかもしれません」

そのようなやり取りをしたところで夢から覚めた。後入先出法的に後半の夢から振り返ると、やはり夢の中の私が政治家の方に述べた慰めの言葉が印象に残っている。

バカの度合いを建築的に慎重に積み重ねていかなければ、内閣総理大臣にはなれないということ。それが意味することは何なのだろうか。

バカから支持を受けるためには、バカに理解できる範疇を超えない言動が求められる。大々バカの国民にはない賢明さがその方に備わっているということを伝えたかったのだろうか。

そもそも、内閣総理大臣というのは夢のシンボルに過ぎず、その外形に惑わされずに本質部分だけを抜き取ってみると、こうした建築的な積み重ねとそこからの逸脱というテーマは、他の諸々の現象にも当てはめて考えることができるだろう。そのテーマと関連付ければ、今自分が置かれている状況や実践についても色々と説明がつく。

前半の夢に関して思うのは、愛犬が痩せていたことは、今の自分が痩せていることを暗示しているように思った。もちろん、今は食生活の改善による健康的な瘦せた身体になっているのだが、これ以上は体重を落としたくないと思う自分がいるのも確かである。フローニンゲン:2019/7/28(日)06:25

No.2386: A Mellow Scent of the Morning Sun

The morning sun emits a mellow scent. Groningen, 08:35, Sunday, 7/28/2019

No.2387: A Summer Palace

I perceive a vivacious summer palace. Groningen, 12:02, Sunday, 7/28/2019

4761. 穏やかな日曜日の正午に

活気があり、それでいて穏やかな雰囲気を放っている夏のある日曜日の正午。

目の前に広がる青空には、薄い雲が所々に見える。そこに手が届きそうだ。

今日は先ほど、出版記念オンラインゼミナールの第4回目のクラスを終えた。金曜日クラスに続き、今日もまたいくつも興味深い話題が取り上げられた。

来週の第5回目のクラスを終えれば、一週間ほどゼミナールの間隔が空く。来週は珍しく、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングが1件もなく、すべての時間を自分の取り組みに充てることができそうだ。

日記を執筆し、作曲実践をし、時間を見つけて作曲理論に関する書籍を少々読む。読書については先日の日記で書き留めたように、それは今の私にとっては重要度が極めて低い実践であり、読書を主たる活動にしてはならない。

何よりも実践を優先させ、何よりも自分の言葉を綴ることを行っていく。日記として、曲として自らの言葉を綴っていく。来週はそれに専念できる週となるだろう。

穏やかなそよ風がフローニンゲンの街を吹き抜けていく。そっと流れるそよ風に背中を押されてか、今日は緩やかに作曲実践をしていきたい。

具体的には、今日は一から新しい曲を作ることを少し控え、過去に作った曲を編曲していく。気がつけば、未編曲の曲がだいぶ溜まっている。

過去に曲を作った際に何を意識し、どのような観点を取り入れて曲を作ったのかを復習することを兼ねて編曲をしていく。こうのようにして、過去の自分に遡り、未来の自分を紡ぎ出す形で曲を作っていく。

遡られた自己及び紡ぎ出された自己の双方は、現在の自己そのものである点も忘れてはならない。作曲は、過去と未来の自分をつなぐものであり、同時に今この瞬間の自己に絶えずつながる実践となった。

今朝方、過去に作った曲にアレンジを加えている時に、改めて、コラールはかなり奥が深いと思わされた。確かに一般的に言われるように、コラールの旋律の多くは単純であり、歌うのが容易であるという特徴を持つ。

だが私はむしろ、そうした旋律の単純さの奥にある味わいや、人間が歌えるという点にコラールの価値を見出している。バッハのコラールの探究を継続させていき、自らもコラールを参考にして曲を作っていく。

音楽の世界には様々な形式の曲があるが、肉体の声を通じて歌えるコラールは、私の中で大切にしたい形式の曲である。

これから具なしの味噌汁を一杯飲み、仮眠を取ってから再び午後の作曲実践に取り掛かる。日曜日の穏やかな時の流れに自己を委ね、落ち着いた気持ちで曲作りに励みたい。フローニンゲン:2019/7/28(日)12:25

No.2388: A Gracious Summer Sky

I’m just seeing a gracious summer sky without thinking. Groningen, 14:24, Sunday, 7/28/2019

No.2389: Long Strides of a Summer Cloud

A summer cloud is walking with long strides. Groningen, 15:12, Sunday, 7/28/2019

No.2390: With an Easygoing Mind

Let’s have a more easygoing mind. Groningen, 15:41, Sunday, 7/28/2019

No.2391: Bemusement of the Setting Sun

The setting sun has bemusement, but it will be resolved soon or later. Groningen, 16:59, Sunday, 7/28/2019

No.2392: The Grace of the Evening

I’m having a meaningful time in the evening, enjoying its grace. Groningen, 20:49, Sunday, 7/28/2019

7月28日(日)に生まれた曲

本日の曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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