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4463-4469:フローニンゲンからの便り 2019年5月30日(木)


タイトル一覧

4463. 早朝に思うこと

4464. 創造活動に適した早朝から正午の時間帯について

4465. 夢の振り返りのタイミングと今朝方の夢について

4466. 今朝方の夢の続き

4467. 仮眠中のビジョン:フローニンゲンに来年以降も留まる可能性

4468. 食実践の大枠

4469. 長寿をもたらし、「準完全食」と呼ばれるサツマイモについて

4463. 早朝に思うこと

時刻は午前6時を迎えた。辺りはすっかり明るくなっているが、その明るさは朝日が差し込んでいるというような明るさではない。

普段においては、この時間帯はすでに太陽が昇っているのだが、今朝のフローニンゲンの上空には薄い雲がかかっており、朝日が地上に降り注いでいない。朝日が雲によって遮られながらも、その明るさの恩恵が地上に届き、闇が晴れているという状態なのである。

今日はオランダの祝日ということもあってか、いつも以上に辺りが穏やかである。通常、この時間帯であれば、多くのオランダ人が自転車をこぎながら通勤・通学を行うのだが、今日は別のようだ。

今、天気予報を確認すると、今日は午前中にシャワーのような雨が少し降るらしい。幸いにも、気温はそれほど低くなく、実際に、起床してすぐに寝室と書斎の窓を開け、換気を始めることができた。今もなお、新鮮な空気を部屋に取り入れ、気を循環させている。

一昨日まで湯たんぽを使って就寝し、昨日の午前中までヒーターをつけていたが、今日からはひょっとするとそれら二つを使わなくて済むかもしれないという期待がある。こうした状態に至るまでに5月末までかかってしまったことは改めて驚くが、6月からは湯たんぽやヒーターを使用せずとも過ごせる暖かさになるように思う。事実、明日からは軒並み最高気温が20度を越すため、湯たんぽやヒーターを使わなくても良さそうなことを示唆している。

たった今、大麦若葉とチアシードを混ぜて作った飲み物を飲んだ。これは、青汁の粉末に、水に浸したチアシードを混ぜるような飲み物であり、目覚めの一杯として欠かせないものとなった。ここからは、一日を活力を持って過ごすための味噌汁を飲みたいと思う。

昨日も、フルーツの残りくずをメインにし、そこにサツマイモとトマトの残りくずを入れてベジブロスを作った。今からそれを出汁とし、そこにスパイスを加えた味噌汁を飲みたい。

自分でもおかしくなってしまうが、ここのところ私は就寝する際に、次の日の日記の執筆や作曲実践を楽しみにしているだけではなく、次の日に飲む幾つかの飲み物、例えば、大麦若葉、味噌汁、ヘンプパウダーとカカオパウダーを混ぜた飲み物を飲むことを楽しみにしていることに気づく。

実際に、そうした創造活動と、栄養豊富かつ自分の心身を喜ばせる飲み物を飲めることを想像しただけで笑みがこぼれてくるのは面白いことである。

薄い雲で覆われた空の下、そよ風が早朝のフローニンゲンの街の頬を撫でていく。小鳥の鳴き声が、そよ風に乗ってゆっくりと散歩をしている。

その鳴き声が自分のところにやってくる。その有り難さたるや、なんと形容したらいいだろうか。

このように穏やかな生活をフローニンゲンで送りながらも、昨日はふと、おそらく私は最終的にはオランダではなく、ノルウェーかフィンランドの郊外で生活をすることに落ち着くのではないかと思った。オランダで永住権を獲得するよりも、ノルウェーやフィンランドで永住権を獲得することの方がハードルが高いらしいが、昨日に突如として浮かび上がってきたのは、北欧諸国の郊外の自然が豊かな静かな環境に居を構え、そこで畑を持って、野菜や果物を育てている自分の姿だった。

この現代社会において、複数の場所に生活拠点を持つことは、もはやおかしなことではなくなってきており、今後はオランダ以外にも生活拠点を持ち、最終的には北欧諸国で日々を過ごすことが主になってくるかもしれない。そんなことを思わせてくれる朝だ。フローニンゲン:2019/5/30(木)06:23

No.2004: The Ascending Custard-Shaped Soul

An infinite number of souls become custard-shaped, and they ascend. Groningen, 17:04, Thursday, 5/30/2019

4464. 創造活動に適した早朝から正午の時間帯について

今日は少し曇った天気だからか、小鳥の鳴き声もいつもより静かに聞こえる。より清澄さが増していると言えなくもない。

そうした声に鳴き声に耳を傾けていたが、今日はいつもより少し早く、6時半を迎えた今からピアノ曲をかけることにした。今日も内外の音楽と共に深くゆっくりと進行していく一日になるだろう。

先ほど、日記に記載する日付と曜日を確認してみたとき、ここ数日間の日記の日付と曜日が一日ずれていることに気づかされた。毎朝一応、書斎の机の上に置かれている物理的なカレンダーを眺め、一つ一つ過ぎゆく曜日を鉛筆で丸く囲って印をつけているのだが、それでも日記の日付と曜日に関してはずれてしまっていたようだ。

こうした曜日感覚の乱れというのは、とても好ましい兆候だと思う。社会的構成概念としての曜日や時間に盲目的に従うのではなく、自らの意思を持ってそれらと寄り添っていくこと。それが日々を充実して過ごす要諦だろう。

昨夜、早朝から正午までの時間は、創造活動に十分な時間を充てようという考えをさらに強めた。これまでも、起床から正午に向かう時間は、日記の執筆と作曲を中心にし、その合間に少々読書を行うということをしていた。

今は、過去数年間のように読書の比重が大きすぎるような状態ではなく、作曲実践を一年半前に始めてから、徐々に創造活動に従事する割合が増えていった。創造活動に適した午前中を他の活動に費やしてしまうのは本当にもったいない。

自分の中で最も避けているのは、メールの確認と返信であり、これに関しては夕食後に行うことが習慣となり、それによって随分と生活の質が向上したように思う。午前中にメールを確認してしまうという馬鹿げた行為をしていた自分はもはやおらず、自らの取り組みに専心できる状態が整いつつあることを実感する。

一方で、時に午前中に創造活動に従事していると、その合間に衝動的に各種の調べ物をしてしまうことがある。その多くはインターネットを用いたものなのだが、こうした調べ物に時間を奪われすぎるのも問題であり、特に午前中はそうした調べ物に時間をできるだけ使わないようにしたい。

その代わりに日記の執筆と作曲実践に時間を充てていく。そのほかにも、読書というのもその付き合い方をまた改めて考えて見る必要がある。

自分のライフサイクルや置かれている状況に応じて、本との向き合い方も変化していることに気づく。今は読書をしたとしても、一日に2、3時間程度であり、多くて3時間程度の読書でちょうど良いのではないかと思う。

今日はその2、3時間の読書の時間を、スクリャービンの音楽について解説した“The Music of Alexander Scriabin (1986)”を読むことに充てたいと思う。今のところ、6月末から7月の上旬にかけてロシアへ旅をする予定であり、モスクワのスクリャービン博物館を訪問するに際して、本書を通じてスクリャービンの音楽をさらに深く理解しておきたいと思う。今日も一曲ほど、スクリャービンの音楽に範を求めて曲を作りたい。

今日の午前中は、普段以上に創造活動に集中する意識を持ってみよう。自分にとって生きることは創造活動であり、創造活動は生きることなのだから、それを妨げてしまうような行為や活動は極限まで削ぎ落としていく。

そのようなことを考えていると、フローニンゲンの街に小雨が降り始めた。遠くの方から汽笛の音が聞こえて来る。

雨の音と汽笛の音が、静かに、そして深く生きよと語りかけてくる。フローニンゲン:2019/5/30(木)06:55

4465. 夢の振り返りのタイミングと今朝方の夢について

早朝の作曲実践を始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。実は、本日起床した直後に、「夢の振り返りを真っ先に行った方がいいのだろうか?」という問いが立ち上がっていた。

ここ最近は、夢の振り返りよりも先に、別の事柄についての日記を綴り、そこから夢について振り返りを行っていた。もちろん、その瞬間の自分を捉えて離さない事柄を言葉にすることを最優先にしたいと思っているが、夢の振り返りを少し後に持ってきている自分について考えていた。

それはひょっとすると、夢に体現されているシャドーと向き合うことへの防衛反応ないしはためらいの現れの可能性もあると考えていたのである。自己のシャドーと向き合うこともまた、何かしらのエネルギーを使うであろうから、シャドーと向き合う準備が整ってから夢の振り返りを行えばいいといえばそうなのだが、夢の振り返りを少し先延ばしにしている自分の内側についてより深く知りたいと思ったのである。

今のところは、夢を見たときには必ずそれを書き留めるようにしているため、シャドーから目を背けているわけではないことに気づく。しかし、目を背けていないことと、目を向けるタイミングの差異についてはまた話が別であろう、と思ったのが、今朝の起床直後の自分の考えであった。

現時点においては、とりあえず夢の振り返りを行うタイミングは今のままで良い気がするが、引き続きこの論点を自分の中で温めておこうと思う。

今朝方の夢の中で私は、大阪のあるカフェの中にいた。私が社会人時代に大阪で勤務した時に知り合った友人と一緒に、そのカフェで平べったい皿に盛られたスイーツを食べていた。

彼は数歳ほど私より若いが、お互いにいい歳であることは確かであり、いい歳をした男性二人がカフェでスイーツを食べているという光景はとても微笑ましかった。しかし、私たちはなぜだか互いに一切口をきかず、別に喧嘩をしていたわけではないのだが、目の前のスイーツを食べることにお互い集中していた。

確かに、そのスイーツの味は美味しかったが、二人の間には幾分気まずい雰囲気が流れていた。一切言葉を交わさない時間がしばらく続いた。すると、突然その友人が、ボソッと一言述べた。

友人:「あっ、あれ、この店じゃない?」

友人が指差す方を見ると、その店の天井にぶら下げられているモニター型のテレビで流れていたある番組で、私たちが今いる店が特集として取り上げられているようだった。

:「そうみたいだね。もしかして、今、撮影中?」

私たち二人は、意識をスイーツからテレビの番組に向け、しばらく番組に釘付けになっていた。するとどうやら、まさに今この瞬間にその番組の撮影が行なわれているようだった。

それに気づいた時、レポーターの女性が私たちのところにやってきて、スイーツの味について尋ねてきた。それに対して私は何と答えたのかわからないが、答え終わると、若い女性の店員の方がまるでご褒美をくれるかのように、また新しいスイーツを持ってきてくれた。

ただし、その店員の女性は、笑顔を振りまきながらも、少々ぶっきらぼうな言葉でスイーツを差し出してくれた。今朝方の最初の夢はそのような内容だった。

上記の夢で出てきた友人とは、今はもう直接的な付き合いはほとんどないのだが、今でも彼のことをふと考えると、自分のシャドーが刺激されるようなことが起こる。とりわけ、自分の攻撃性というシャドーが活性化されるようであり、彼の一体何が、そして自分の内側の何が、そうしたシャドーを刺激しているのかは、まだまだ探求の余地がある。フローニンゲン:2019/5/30(木)07:24

4466. 今朝方の夢の続き

先ほど今朝方の最初の夢について振り返っていた。今朝方はもう一つ夢を見ていたので、それについても振り返っておきたい。

夢の中で私は、高校一年生の時に同じクラスだった友人(TN)と大学一年生の時に同じクラスだった友人(I君)と一緒に、校庭のテントの下にいた。そこは中学校の校庭のようであり、運動会か何かが開催されており、私たちは保護者が待機するテントの下にいた。

私たちは、校庭で行なわれている運動会の様子を眺めながら、雑談を楽しんでいた。そこで突然、私は二人に、「今からボールを蹴らないか?」と持ちかけた。

とはいえ、私たちはサッカーボールをその時持っていなかったので、「ボールは?」と二人から尋ねられてしまった。すると不思議なことに、大学時代の友人の足元に一つのサッカーボールが転がっており、それを使って遊ぶことにした。

ボールの頭を撫でるようにして足で転がし、テントの外に出て、これから三人でボールを蹴って遊ぼうと思った瞬間に、夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は母方の祖母のマンションにいた。実はこの夢の場面は、先ほど振り返っていた二つ前の夢とも繋がっており、大阪に住んでいた時の友人も祖母のマンションのリビングにいた。

私たちは、そこでコーヒーを飲んでくつろいでいた。友人が二杯目のコーヒーを取りに行った時、コーヒーマシーンからうまくコーヒーが出てこないと述べた。

見ると、コーヒーマシーンがどうやら故障しているようであった。コーヒーカップを注ぎ口の下にセットしたはいいものの、コーヒーが全く出てこないことを友人は残念がっていたが、コーヒーをもう一杯飲むことを諦めたようであり、カップを注ぎ口から外した。

すると突然、注ぎ口からコーヒーが溢れ出してきた。それはおよそ、カップ二、三杯分ぐらいの量であった。

友人はそれに驚いたようであり、私もそれに驚き、コーヒーマシーンに近づくと、今度は突然、コーヒーマシーンが置かれている天井あたりに通っている排水管が破裂し、水がシャワーのように溢れてきた。私はそれを見て、すぐに修理をしなければならないと思った。

そこで修理用の道具を取りに行こうとすると、突然排水管からの水漏れが止まった。すると、祖母がやってきて、一つの部屋に案内をしてくれた。

そこは母方の叔父が使っている部屋であり、そこでそのマンションの契約書を見せてくれた。祖母がマンションを購入したのは昭和の終わり頃であり、購入してから随分と時間が経つ。

その契約書には、購入価格のみならず、周辺地域の地図、そして周りにあるお勧めの施設などに関する情報が記載されていた。私は、「面白い契約書だな」と思った。

すると祖母が口を開き、このマンションの当時の購入価格は3,300万円であり、今もその資産価値は維持されているという話をしてくれた。私はその契約書の内容をさらに詳しく読みたいと思い、さらには叔父の部屋にあった本棚の中には興味深い書籍が幾つかあったため、しばらくこの部屋で時間を過ごしてもいいかと祖母に尋ねた。

すると、祖母は快諾し、部屋から出て行こうとした。そこで祖母が一言、「そうそう、部屋の壁をリフォームしたいんだけど、どうしたらいい?」と私に尋ねてきた。

それに対して私は、「よかったら自分がやるよ」と答えた。笑顔でうなづいた祖母が部屋から去っていくと、私は一人、叔父の部屋に残り、マンションの購入契約書と何冊かの書籍に目を通していた。

契約書に記載されている地図を見ると、最寄り駅まで6個分の交差点を通過する必要があるらしく、それを見たとき、自分はこれからその駅に行って、どこかに向かう必要があることを思い出した。そのため、私は叔父の部屋を後にし、祖母のマンションも後にしようと思った。

叔父の部屋を出て、廊下を歩いていると、ちょうど叔父に遭遇した。立ち話もなんなので、リビングに行き、そこで飲み物でも飲みながら少し話をしようということになった。

叔父:「来年日本に帰ってきてからは、その後どうするの?」

:「来年?あぁ、それは単なる一時帰国だよ。2週間ぐらい日本に滞在するだけ」

叔父:「そうかぁ。で、日本に完全に戻って来るのはいつ?」

:「おそらくその日がやって来ることはないか、本当に後何年も先のことになるかと思う。今のところ、オランダで永住権を取得することを考えてる」

叔父:「オランダで永住権?そんなもの取得できるの?」

:「できるよ。いろんな取得方法があるけど、今すぐにでも取得したければ、日本円にして1億5千万円ぐらいを、オランダ国内の雇用創出につながるような事業に投資すればいいんだ」

叔父:「はは、そんな大金あるのか?笑」

:「はは、あるよ笑 20代後半の時に投資で得た資金がある。それを永住権の取得に活用するという手があるんだ」

叔父とそのようなやり取りをしていると、駅に向かう時刻が迫ってきていることに気づいた。私は叔父に別れを告げ、祖母にも挨拶をしようと思ったが、祖母の姿が見えなかかったので、私は祖母に挨拶ができぬまま、マンションを後にした。

マンションの外に出てみると、以前この辺りを歩いた時よりも随分と開発が進んでいるように思われた。確かに、祖母のマンションは江東区という東京の中心にあり、以前から周りも都市化されていたが、以前よりも商業的な匂いが漂っていた。

実際に、以前にはなかったような銀行や保険会社のビルが立ち並んでいた。随分と変化した景色を眺めながら、駅に向かっていると、途中で小学校三年生の時に同じクラスになり、その後転校してしまった友人と遭遇した。

私たちは久しぶりかつ偶然の再会に驚き、そこで少し立ち話をしてから別れた。駅まであと少しというところまでやってくると、ある有名な投資銀行が入っている立派なビルの前にやってきた。

すると、ビルの下に、宝くじ売り場のようなものがあり、その前を通ってみると、なんとそこには、アメリカ人の株式のブローカーが立派なスーツを着て、その小さな宝くじ売り場のようなブースの中にいた。

すると、私の背後に見知らぬ男性がすっと現れ、その男性はブースの方に向かって行き、「XXの株を買いたいのですが、こちらで買えますか?」と尋ねた。それに対して、アメリカ人のブローカーはとても気さくに、「あぁ、その株ですね。えぇ、うちで買えますよ。でも、正直なところ、うちで買うよりも、お隣の投資銀行で買われた方がいいですね。あるいは、その株式に回す資金は、XXかXXという投資ファンドに投資をされた方がいいですよ」と述べた。

他社で株式を購入すること、あるいは幾つかの投資ファンドを勧める親切なブローカーを傍目に、その男性が購入しようと思っていた会社の株価と企業価値を頭の中で計算している自分がいた。自分ならその株を購入することはないという結論に至った頃には、駅の目前であった。

すると、そこにはバス停があり、そのバス停はとても近代的な作りをしていて、電光掲示板を活用して様々な情報を提供していた。ちょうどそのバス停にバスがやってきて、目的の駅に到着する「08」のバスだったため、バスに乗ろうか迷ったが、駅まで歩いてほんの少しであったため、バスに乗ることをしなかった。

出発したバスの背中を眺めながら歩いていると、夢から覚めた。フローニンゲン:2019/5/30(木)08:25

4467. 仮眠中のビジョン:フローニンゲンに来年以降も留まる可能性

時刻は午後の2時にゆっくりと近づいている。つい今しがた仮眠から目覚め、これから午後の活動に取り掛かっていく。

早朝に数分間ほど小雨が降っていたが、今はもうすっかり雨が止んでいる。とはいえ、早朝と同様に、うっすらとした雲が空を覆っており、今日は引き続き曇りのようだ。

ここ最近は継続して起きる時間が比較的早いためか、仮眠を取る時間が少し長くなっている。夜に目覚ましをかけることはないが、仮眠に関してだけは携帯のタイマーを活用し、バッハのゴルトベルク変奏曲が鳴るよう形で目覚めるようにしている。

先ほどの仮眠もいつもより長いものだった。仮眠中のビジョンに関しては二つあり、一つは投資に関するものがあった。具体的には、投資先の事業が順調に進んでいるという朗報を得ているという内容のものだった。

もう一つのビジョンは、私の右足のハムストリングの部分になぜだか幾筋ものかさぶたができていて、それを慎重に剥がしていくという内容のものだった。そんな二つのビジョンを見ていた。

今日は午前中にふと、このままフローニンゲンでしばらく生活を続けていく方がいいかもしれないと思った。確かに、今年一年は間違いなくフローニンゲンで生活を続けていくことになるのだが、午前中に考えていたのはその先の話である。

これまでの予定では、来年の夏にはデン・ハーグに引っ越すことを考えていた。あるいは、スキポール空港により近く、そして落ち着きのある町としてライデンも引っ越し先の候補になっていた。

だが、今日改めて諸々のことを考えてみると、無理にオランダ国内の他の都市に引っ越す必要はないかもしれないと思ったのである。確かに、それら二つの都市はスキポール空港に近く、欧州内を飛行機で移動する際には便利な場所なのだが、仮に毎月旅行することになったとしても、フローニンゲンからでも行けないことはなく、何よりも、フローニンゲンの今の住宅と同じぐらいに落ち着ける環境を同じような家賃で見つることは極めて難しいのではないかと思ったのである。

そうしたことから、ひょっとすると、来年の夏に引っ越しをすることさえないかもしれない。落ち着ける環境や家賃などの点を考慮に入れながら、本当に外側の環境を変えるような必然性が生じた場合にのみ、オランダ国内の引っ越しをしようと思う。

そうした必然性がなければ、引っ越しの手間を考えると、引っ越しをする意味などなく、無理に生活環境を変えるのではなく、現在の諸々の取り組みを引き続き落ち着いて深めていきたいと思う。

午後の2時を迎えてもまだ鳴き続けている小鳥たちが、フローニンゲンに留まることをそっと促してくれているかのようだ。小鳥の鳴き声が主人公となり、そよ風の音が主人公になれる場所は、この世界にそう多くはあるまい。フローニンゲン:2019/5/30(木)14:04

4468. 食実践の大枠

時刻は午後3時を迎えようとしている。これから一曲ほど曲を作り、それが完成してからか、あるいはきりのいいところで作曲の手を止め、ジョギング兼ウォーキングを兼ねて近所の河川敷に出かけていく。

今、午後の休憩の一杯として、ヘンプパウダー、カカオパウダー、カカオニブ、はちみちで作った飲み物を飲んでいる。味は完全にココアであり、これを飲んでいると大変リラックし、それでいて集中力が高まる感覚がする。それはおそらく、カカオに含まれている成分によるものだと思う。

この飲み物を飲みながら、人間の赤ちゃんは母親の母乳だけで生後しばらくの間を過ごし、その間にすくすくと育っていくが、そこから離乳食に移り、なぜ私たちは固形物を摂取するようになるのかを考えていた。端的には、果たして固形物を摂取する必要などあるのだろうか、赤ちゃんにとっての完全食的液体である母乳と同様の働きを持つような液体はこの世に存在しないのだろうか?ということについて考えていた。

おそらく赤ちゃんは、まだ固形物を消化できるような胃腸器官を持っておらず、各種食べ物に含まれる細菌に慣れていくために、最初は母乳だけから食実践を開始するのだろうが、仮に固形物を消化できるような胃腸器官を獲得した後においても、母乳に代わるような栄養豊富な液体を摂取していれば、生命活動の維持というのは問題ないのではないかという考えが芽生える。

もちろん、食事というのは何も生命活動だけを維持するためだけにあるわけではないが、とりわけ現代社会のように欲望的なマーケティングに毒された世界であれば、洗脳的に固形物を摂取する方向に仕向けられ、それによって特殊な快楽が得られるように私たちが飼いならされてしまっているという問題もある。

ここのところは、7大栄養素がしっかり摂れるような液体を幾つか自ら作って飲むことを続けており、今のところそれに問題はなく、むしろ心身の状態は良い。厳密には、それらの液体は炭水化物だけ不足しがちなので、それを補うために、夜には茹でたサツマイモを食べるようにしている。

とにかく最近は、量より質を重視し、豊富な栄養が含まれるものを適切な量摂取するように心がけている。思うに、これまでの私は、無駄なものを口にしすぎていたように思うし、自分の身体に取り入れるものに対して何の知識も持たず、何の検証もしない多くの現代人と変わらない食生活を送っていたように思う。

だが今は、食に関する真実を探るべく——理想は食に真善美を見出すことだと思うが——、自分が口にするものに関してはとにかく調べ、そして実際にそれを身体に取り入れることによっていかなる反応が起こるのかを検証するようにしている。

こうしたことをこの3ヶ月弱集中的に続けることによって、ようやく自分の食実践の大きな枠組みが見出されつつあることは喜ばしい。今はその大きな枠組みに沿って何を身体に取り入れるのかを選択し、季節の変動や心身の状態の変化に応じて、何を取り入れるのかを大枠から外れない範囲で微調整していく。

今日も運動の帰りに近所のスーパーに立ち寄るが、そこではまた良質な食材を必要な分だけ購入したい。フローニンゲン:2019/5/30(木)15:10

4469. 長寿をもたらし、「準完全食」と呼ばれるサツマイモについて

時刻は午後の7時に近づきつつある。今、穏やかな夕暮れ時の空が広がっている。

今週の平日は早いもので明日で終わりであり、明日も今日と同じぐらいの気温のようだ。驚くのは、日曜日に異常に気温が上がることである。

その日だけ突発的に最高気温が29度ぐらいになるらしく、来週の月曜日になると再び今日と同じような肌寒さを感じさせる日々がまた続いていく。29度というのは真夏日の気温であるから、それがどのようなものであったかを思い出す意味で、日曜日が楽しみだ。

今日は夕方あたりに、近所の河川敷にジョギングに出かけ、帰り際に近所のスーパーに立ち寄った。ベジブロスをより味わい深いものにするために、サツマイモだけではなく、タマネギも継続して摂取していこうと思った。

ここ数日間は具なしの味噌汁を夕食に飲んでいたのだが、やはりタマネギを入れたほうが美味しく、ベジブロスの風味も格段に増すことから、今後もサツマイモとタマネギは固形物の野菜として摂取していこうと思う。

改めてサツマイモについて調べていると、大変興味深いことをいくつか発見した。一つは、1940年代の沖縄においては、100歳を越える人たちがたくさんいて、沖縄は世界有数の長寿地域であり、その当時の彼らの主食は、サツマイモだったということだ。なんと、総摂取カロリーのうちの85%が、サツマイモを含めた根菜類から摂取された炭水化物だったとのことである。

サツマイモにはやはり豊富な栄養があるらしいと思い、さらに調べてみると、サツマイモは、各種ビタミンやミネラルなどがバランス良く含まれており、穀物と野菜の栄養を併せ持つ「準完全食」とも呼ばれているらしいことを知った。

さらには、「野菜をひとつに凝縮するとサツマイモになる」と言われるほど栄養価が高いとのことである。ただし、さつまいもにはタンパク質質と脂質が少ないため、それらについては他の食材で補っていく必要がある。

ここからさらに私は、サツマイモに含まれるビタミンについて調べていた。調べてみると、さつまいもにはビタミンA・C・Eが豊富に含まれており、1本で1日分の必要量が補えるらしい。

実はビタミンAに関しては、引き続きニンジンから摂取したほうがいいのか、それともニンジンの栄養素が詰まったパウダーを購入するか迷っていたのだが、ビタミンAを摂取するという観点においては、サツマイモで十分に補えるように思う。

目の健康、骨の発達、さらには免疫力を維持促進するビタミンAは、脂溶性ビタミンであるから、脂質と組み合わせると吸収が高まることを知り、今日から茹でたサツマイモにオリーブオイルを少々垂らして食べることにした。

また、サツマイモには、ビタミンCも豊富に含まれており、サツマイモ1本あたり、リンゴ3個分、レモン半分のビタミンCが含まれているとのことである。

最後に特筆すべきは、野菜類の中でも、さつまいもにはビタミンEが多く含まれているということである。ビタミンEは、老化現象の原因になる物質が体内に発生するのを抑制する働きがあり、細胞の老化を遅らせる働きがある。

これまではアーモンドを摂取することによってビタミンEを摂ろうとしていたが、消化の観点から、今はもうナッツ類を摂ることをやめたので、引き続きサツマイモには毎日お世話になろうと思う。まさかサツマイモが、昔の沖縄の長寿を支える一つの食材であり、準完全食と呼ばれる食材だとは知らなかった。フローニンゲン:2019/5/30(木)19:10

5月30日(木)に生まれた曲たち

Op.1195 早朝のダイナミックな流れ

Op.1196 幕開け

Op.1197 カスタード状の昇天する魂

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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