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4055-4058:フローニンゲンからの便り 2019年3月29日(金)


タイトル一覧

4055. 教会コンサートへの期待

4056. 高校に関する夢

4057. 今朝方の夢の続き

4058. 排水管の詰まりと体内の詰まり

4055. 教会コンサートへの期待​

昨日と同様に、今朝も五時半に目が覚めた。昨日の日記で述べていたように、そこから二度寝をすることなく、五時半に起床した。

起床してみると、辺りはまだ薄暗く、日が昇る前であった。現在の時刻は六時半であり、もうすっかりと明るくなっており、完全に朝を迎えるまであと少しだ。

いつものように何羽かの小鳥が美しい鳴き声を奏でている。小鳥たちも早起きであるが、それと同じぐらいに早起きなのは、通りを隔てたところで作業をしている作業員たちである。

赤レンがの家々の方を眺めていたら、クレーンが動く姿が見えたので、そちらの方に目をやると、なんと早朝の六時半を迎える前から彼らは仕事を始めていたのである。オランダ人の働き方は大変興味深く、おそらくそれだけ早く作業を始めた彼らは、昼過ぎには仕事を終えて帰宅するだろう。

九時あたりからオフィスに勤務する人たちも、遅くても五時ぐらいには帰宅するのが一般的ではないかと思う。この国においては、仕事というものが生活の一部とみなされており、決して日本の多くの人のように、仕事が生活の全てなのではない。しかも仕事というのは、家庭よりも重要性が劣るものとみなされているように思う。

以前フローニンゲン大学のイノベーションセンターに研究インターンをしていた時には、オランダ人たちの働き方を目の当たりにし、上述の事柄を強く実感した。少なくとも私は、ゆったりとした時間の流れの中で自らのペースで仕事を進めていきたいと思っているため、オランダの文化に浸透した働き方に対する考え方には共感が持てる。

早いもので今日は三月最後の金曜日だ。今日は20時から、上の階に住むピアニストの友人のコンサートがある。

会場は、街の中心部にあるルター教会である。以前この教会には何度か足を運んだことがあり、小さいながらも歴史を感じさせる教会だ。

今日のコンサートは、友人が探究している古楽器の演奏が主であり、ハープシコードやピアノフォルテの演奏を聴けるプログラムになっている。友人ともう一人、オランダ人の若い男性がオルガンを演奏してくれるようなので、それもとても楽しみだ。

会場までは歩いて20分の距離であり、それほど早く自宅を出発する必要はないが、余裕を持って七時半前に自宅を出ようと思う。明日には街のシンボルであるマルティーニ教会でバッハのコンサートがあるのだが、改めて調べてみると、それはオルガンではなくコラールのものだった。

もちろん、コラールにも関心はあるが、オルガンの方により関心が寄っているため、二日連続でコンサートに行くことはやめ、明日の夜は家でゆっくりしようと思う。

フローニンゲンの街には歴史ある教会がいくつもあり、先ほど教会で開催されているコンサートを調べてみたところ、随分と興味深いコンサートが数日に一回どこかの教会で行われていることに気づいた。それら全てに参加することはできないため、当面はパイプオルガンのコンサートに絞って参加したいと思う。

特に六月以降は季節が夏になるためか、マルティーニ教会ではランチコンサートとしてパイプオルガンの演奏機会が増えるようだ。昨年も一度これに参加し、間近で立派なパイプオルガンの音色を聴いた時には鳥肌が立った。

今年の夏は、特にマルティーニ教会で行われるランチコンサートに積極的に参加し、毎週一回夜に行われる、プロとして長く演奏をしている演奏家のオルガンコンサートにも参加したいと思う。前者のコンサートは、基本的にはフローニンゲンにあるプリンス・クラウス音楽院の学生か若手の演奏者が行うものであり、入場料はわずか1ユーロである。

一方後者のコンサートは、プロのオルガニストとして活躍している演奏家のもので、入場料は10ユーロである。後者のコンサートにしても、価格は随分と良心的だ。どちらのコンサートにもできるだけ多く参加してみて、若手と経験者の演奏の比較、とりわけ音色の比較をしてみたいと思う。フローニンゲン:2019/3/29(金)07:08

No.1806: Vitality in the Morning

Probably because the concert yesterday gave me energy, I can feel my vitality more than usual. Groningen, 11:06, Saturday, 3/30/2019

4056. 高校に関する夢

今朝方の夢の振り返りをしていなかったので、一日の活動を始める前にそれを行っておきたい。夢の中で私は、実際に通っていた高校に向かうために自転車を漕いでいた。

自分の格好を見ると、高校時代の制服を着ており、自転車のカゴの中に入っているのは高校指定のカバンだった。私が通っていた高校は、小高い山の上にあり、学校に到着する直前の坂を登っていくのがなかなかハードである。

坂の手前までやってくる頃には随分と疲弊しており、自転車がなかなか前に進まない状況になっていた。時刻を確認すると、学校が始まる午前八時半まであと数分しかなく、私は遅刻を覚悟した。

同時に、これまでは当たり前のように八時半までに学校に到着していたが、現代の学校教育においては、なぜこのように学校の開始時間が早いのか、その愚かさについて考えていた。教育哲学者のザカリー・スタインは、学校の開始時間の異常な早さは子供たちの脳の特性と合致しておらず、そのような早い時間から学習することは脳にとって好ましくないことを指摘していることを思い出していた。

そもそもそうした調査結果が出ているし、スタインの発想に私も賛成である。日米の学校の開始時間は異常に早く、しかも多くの学校においては、時間ごとに画一的に区切られたカリキュラムに沿って毎日勉強をしなければならないのだから、それは多くの子供たちにとってかなりの苦痛だろう。

それとも、そうした苦痛に麻痺してしまっているのだろうか。そのようなことを考えながら最初のうちは必死に自転車を漕いでいたものの、途中からもう開き直って遅刻をしようと思った。

しかも、早朝のクラスルームに数分程度遅刻することにしたのではなく、一時限目の授業にも参加せず、二限目から参加しようと思った。すると、私の目の前に、高校時代とても影が薄かった一人の男子生徒がいた。

彼はいつも目の下にクマがあり、とても根暗な印象を発していたことを覚えている。彼は坂道をなんとか懸命に登っており、彼はギリギリ遅刻せずに済むのではないかと思った。

彼の背中がどんどんと離れていく姿を眺めながら、私は自転車から降りて、自転車をゆっくりと押していくことにした。そこから無事に駐輪場に到着し、教室に向かった。

靴箱の辺りで、偶然にも小中学校時代の友人数人と出くわし、彼らも同じ教室に向かっているとのことだったので、一緒に教室に行くことにした。私は二限目から授業に参加しようと思っていたが、結局クラスルームに途中から参加することにした。

教室のドアを開けてみると、そこには担任の先生ではなく、初老の数学の先生が教壇に立っていた。私は自転車を漕ぐことによってとにかく汗だくになっていたので、まずはシャワーを浴びようと思った。

だが、先生はそれを許そうとせず、まずはクラスルームに参加することを要求した。私はもちろんその指示に従うことをせず、自分のカバンを机の上に置いたらすぐに教室を出て、シャワー室に向かった。

先生が追いかけてくる様子は特になかったので、私はゆったりとした足取りでシャワー室に行き、そこでシャワーを浴びた。シャワーを浴びている最中に、そこがどこか懐かしい場所のように思えた。それは以前私が住んでいた社宅の風呂場のようだった。

シャワーを浴びている最中に、高校に通うことは時間の無駄なのではないかという思いが脳裏をよぎり始めていた。体育の授業とスポーツフェスティバルを除き、楽しみがほとんどない高校に通うことはとても空虚なことのように思えてきた。

今すぐにでも高校を辞めたいという思いを持ちながら、私はシャワー室から出た。フローニンゲン:2019/3/29(金)07:35

No.1807: A Shadow of Pomposity

A shadow exists behind pomposity. Groningen, 16:56, Saturday, 3/30/2019

4057. 今朝方の夢の続き

時刻は七時半を迎え、辺りはすっかりと明るくなった。早朝の穏やかな朝日が地上に降り注いでおり、引き続き小鳥の鳴き声が聞こえてくる。

今日は金曜日のはずなのだが、辺りに漂う雰囲気は週末のそれである。街路樹を眺めてみると、今はどうやら無風のようだ。枝が一切揺れることなくピタリと静止している。

静かな時の流れに身を委ねながら、今朝方の夢の続きについて書き留めておきたい。先ほど書き留めていた夢には続きがあり、高校のシャワー室でシャワーを浴びた後、私はクラスルームが行なわれている教室ではなく、別の教室に向かっていた。

その教室で何が行われているのかはわからなかったが、そこに向かわせる力のようなものが自分に働いており、私の足は自然とその教室に向かった。教室に到着し、ドアを開けると、そこには大学時代のサッカーサークルの友人が数名と、小中学校時代の友人が数名いた。

彼らに声を掛けてみると、何やらサッカーのテレビゲームをしているようだった。これからちょうど次の試合を始めようとしていたところらしく、私もゲームに入れてもらうことにした。

私のチームには小中学校時代の友人がいて、大学時代の友人は相手チームを務めることになった。いざ試合を始めてみると、和気藹々とゲームを楽しみながらも、途中からはお互い真剣にゲームに取り組みだした。

両者なかなか得点を奪うことができず、後半の最後の最後で私はパワープレーに出ることにし、それが功を奏して一点を得ることができた。しかし、この最後のプレーは実に奇妙であった。

というのも、画面上のプレイヤーが全員焼き豆腐に変わり、それがゆったりとした動作で動いていたからだ。私は焼き豆腐になった二人の選手を重ね合わせ、その上にもう一人の焼き豆腐の選手を乗せ、それをパタンと地面に倒す形で通路を作り、ボールをゴールに入れた。

相手チームの大学時代の友人たちは、このプレーに驚いており、それは止めようがないと諦めの表情を浮かべていた。試合を終えた後、少しばかり今の試合について感想を述べあったところで夢から覚めた。

今日はこれから“Prof. Arnold Ehret's Mucusless Diet Healing System: Annotated, Revised, and Edited by Prof. Spira (2014)”の続きを読もうと思う。後20ページほどしか残っていないので、まずはそれを読み、その後早朝の作曲実践に取り掛かりたい。

このところ、一日一食生活を送る中で、午前中と午後は自分の取り組みに集中することができているというのは大変喜ばしい。特に、メールを開くのは夕食後だけとなったことはとても良い習慣だと思う。

メールというのは確かに便利なツールだが、それに意識が持って行かれ、精神エネルギーが無駄に流れ出すという問題を持っている。日本との時差の都合上、仮に仕事関係のメールであっても、午前と午後にメールを開く必要は全くなく、一日の取り組みを十分に進めた後の夕食後にメールを開き、そこから返信をしていくというのは私にとってとても良いリズムだ。

今日もまた、起床から夕食後の時間までは全て、自分の探究活動と創造活動に充てたいと思う。フローニンゲン:2019/3/29(金)08:05

4058. 排水管の詰まりと体内の詰まり

時刻は午前11時に近づきつつある。早朝より穏やかな雰囲気が辺りに漂っている。

空には雲がなく、気温は低いが早春を思わせる太陽光が地上に降り注いでいる。早朝に引き続き、小鳥の鳴き声が聞こえてくることは嬉しい限りである。

今朝、一つの問題に遭遇した。先日、便利屋に来てもらい、台所の電気を取り替えてもらったことは先週の日記に書き留めていたと思う。今度は、洗面所の排水管が詰まってしまうという問題が生じた。

数日前に、排水管の流れがあまり良くないと思い、それを掃除しようと思って今朝掃除しようと試みた。まずはブラシで排水管の汚れを落とし、その後、排水管の汚れを除去する強力な液体を注ぎ、30分後、水を流した。

すると、いつもであればこれで排水管が綺麗になるはずなのだが、今回は全く逆に、むしろ排水管が詰まってしまった。おそらく、強力な洗剤によって汚れが浮かび上がり、それが逆に排水管を詰めてしまったのだと思う。

色々試したが詰まりが治らず、インターネットを通じて検索してみたところ、ラバーカップが効果的とのことであったが、それは手元になく、若干手詰まりになった。そうしたこともあり、先週不動産屋に連絡をしたばかりなのだが、早朝にすぐに不動産屋に連絡をした。

すると、午前中の早い時間に、すぐに便利屋が駆けつけてくれた。便利屋は毎回同じ人であり、彼は一瞬、「またですか・・・」というような表情を浮かべたが、私がお礼を述べたところ、彼の表情は明るくなった。

彼の手元を見ると、やはりラバーカップがあった。排水管の詰まりを直す最初の手段としてそれはやはり有効なのだろう。作業の風景を見ておこうと思い、私は便利屋の近くでその様子を見ていた。

すると、ラバーカップを使うことによって、溜まっていた汚れが空気圧によって浮かび上がり、それによって少しばかり水が流れた。だが、問題の根はより深いようであり、ラバーカップだけでは直らず、三年前と同様に、排水管を一度取り外すことにした。

私は三年前のことを思い出し、今日は便利屋が来る前に、使わないポットを用意しており、それを便利屋に手渡した。そして、便利が排水管を取り外した瞬間、ヘドロが一気に流れ出てきて、そのポットに勢いよく落ちた。それによって、完全に問題が解決した。

便利屋は「どうだ見たか」というような得意顔を浮かべており、とても満足そうな表情だった。そんな得意顔を浮かべている便利屋に対し、「あなたは本物のプロフェッショナルですね」と述べると、彼はさらに得意顔になっていた。

とにかくすぐに自宅に駆けつけてくれ、問題をすぐに解決してくれた便利屋に大変感謝した。今後は、排水管が詰まる前に、予防をこまめにしておこうと思う。

もう少し定期的に排水管を掃除する液体を活用したり、普段は熱湯を流すことによって、汚れの付着を防ぎたいと思う。この問題に直面した時、私は自分の身体の毒素の詰まりと排水管の詰まりは何か相関関係があるのではないかと思った。

どちらも、日常何気ない生活をしていると、自然と詰まりが起きてしまう。そうした詰まりが起きないような意識を持って生活をしていく必要がある。

偶然にも、断食に関する書籍を読んでいた時に、その著者が人間の消化器官を排水管のように喩えており、その詰まりが万病の元であると述べている。これは大変うなづけることであり、予防としては、とにもかくにも何を食べるのか、そしてその量が重要になる。

今回の一件からも、体内環境と住環境の関係について学ばされ、何よりもそれらを絶えず良好な状態に保つこと、そして汚れをうまく排出するようにしていくことの大切さを学ばされた。フローニンゲン:2019/3/29(金)11:13

3月29日(金)の曲一覧

Op.995 早朝の小躍り

Op.996 午後の気分

Op.997 午後の陽だまり

Op.998 大地の声

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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