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3930-3934:フローニンゲンからの便り 2019年3月8日(金)


タイトル一覧

3930. 今朝方の夢

3931. 夢の振り返り:絶え間ない変化の中で

3932. 欧州での四年目の生活に向けて

3933. 永井荷風の日記:欧州生活四年目のあり方

3934. 音楽宇宙の長期的拡張に向けて:これからの協働について

3930. 今朝方の夢

最近は随分と日が昇るのが早くなった。今朝、六時半頃に目覚めた時には、すでに外が明るくなっていた。

日照時間においては、ようやく暗い冬が終わりに向かっていることがわかる。あとは気温に関しても、これから少しずつ春に向かっていってくれればと思う。

今朝方の夢についてまずは振り返っておきたい。夢の中で私は、欧州の見知らぬ街にいた。そこは都市と自然が調和しているような街であり、私は街の中心近くにある建物の中にいた。

建物の中で、一人の見知らぬ日本人女性と出会い、その場で少し立ち話をしていた。すると、その女性の背後に人の気配がした。

見ると、彼女には外国人のボディーガードが付いているようだった。彼女は小さな声で、ボディーガードの存在が鬱陶しいということを私に伝えた。

「それでは、ボディーガードを振り切って逃げましょう」と私が提案すると、彼女は笑みを浮かべながら頷いた。私たちはボディガードを振り切るようにして、すっと走り出した。

目の前の階段を上り、次々と上の階に駆け上がっていき、随分と上の階のフロアに到着した。後ろを振り返ると、ボディガードはどうやらまだ階段を上がっている最中のようだった。

そのため、私たちは、一旦どこかの部屋に身をひそめることにした。その階にはいくつか会議室のような部屋があり、そのうちの一つに入った。

しばらく経ってもボディガードがやってこなかったため、安心していると、ボディガードが部屋のドアを開けた。ボディガードは相変わらず無表情であり、何一つとして言葉を発しない。

それは幾分気味が悪く、私は魔法を使って、そのボディガードを小さな箱に閉じ込めた。小さなダンボールのような箱に入ったボディガードは、激しくはないが、小さく抵抗しており、箱の中で動いている。

私は箱を持ったまま窓際に行き、窓から箱を投げ捨てた。すると、その箱は急激に地面に落下するのではなく、ひらひらと舞う紙吹雪のように、ゆらゆらしながら地面に落ちていった。その姿を眺めていると、夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は高校時代の友人(TS)と寮のような場所で話をしていた。彼はサッカー部に所属しており、ちょうど練習を終えた後のようだった。

部屋でくつろいでいる彼に、私は自分の足の裏を見てもらうことにした。ちょうど土踏まずの部分の皮膚が白く硬くなってしまっており、それはおかしなことではないかをその友人に確認したかったのである。

早速彼に自分の足を見せると、彼は、「自分の足の裏の方がもっとひどい」と述べ、足の裏を見せてくれた。すると、土踏まずの部分だけではなく、足の裏全体に、皮膚が固まった白い跡が見えた。

正直なところ、それを見たときには私はちょっとギョッとしてしまった。少しばかり気持ち悪さを覚えたため、私は彼にお礼を述べて、その場から去り、別の友人のところに向かった。

次に向かったのは、小中高時代の親友(NK)のところである。先ほどの友人の寮の部屋とは違い、そこはその親友の自宅の一室のようだった。

ちょうど親友は目覚めたところだったようだが、私は起床早々に、彼に足の裏を見せてもらうことにした。すると、彼もサッカー部に所属していたのだが、先ほどの友人とは異なり、足の裏がとても綺麗だった。

血の巡りが良い印なのか、足の裏全体の色もとても良かった。足の裏の話はそこで終わりにすると、彼の方から、今度何か街で出し物をしようと計画していると話を持ちかけてきた。

その計画について話を聞いてみると、何やら街の大きな公園の芝生の上で、ロックコンサートを行うとのことであった。今からちょうどコンサートに向けた練習があるとのことなので、私たちは彼の自宅を後にし、スタジオに向かった。

そのスタジオは、私が大学時代に住んでいた街の駅前と雰囲気が似た場所にあり、銀行の横の一つのビルの中に入っていた。私たちがスタジオに到着すると、演奏者の数名が続々とやってきた。

私は彼を手伝うために、スタジオの使用料や演奏者への出演料の計算をすることにした。今回は市民の方々に演奏を楽しんでもらうことを一番としており、こちら側で収益を得ることを目的にしていないとのことだったので、とりあえず演奏者への出演料を手厚くし、スタジオの使用料などの費用分さえ確保できていればいいとのことであった。

そこで夢の場面が変わり、コンサートの当日を迎えた。コンサートの開始は、昼食後とのことであった。

コンサート会場の公園に到着してみると、会場設定はすでに完了しており、あとはコンサートを始めるだけとなった。すると、先ほどまでは晴天だったのだが、突然天気雨が降り始めた。

すでに会場で待っていた人々の多くは、雨を避けるためにその場を離れ、雨宿りできる場所に移動していった。私たちは、そのまま観客が去ってしまうのではないかと懸念し、会場アナウンスで雨はすぐに止むということを伝えた。

すると幸いにも、すぐに雨は止み、いよいよコンサートが始まる瞬間を迎えようとしたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/3/8(金)08:19

3931. 夢の振り返り:絶え間ない変化の中で

時刻は午前八時半を迎えた。今日は幸いにも晴れとのことであるが、今この瞬間は、薄い雲が空全体を覆っている。太陽の姿を拝むのは、もう少し後になってからになるだろうか。

昨日は幾分風が強かったが、今日はそうではない。確かに少し風はあるが、それほどの強さではないため、午後の散歩の最中に何か困ることはないだろう。

先ほど、今朝方の夢について振り返っていた。一連の夢の途中で、高校時代の別の友人が現れ、彼の名字の最後の文字を間違えてしまい、違う名前で呼んでしまったことが記憶に残っている。彼は嫌な顔をしておらず、私が冗談でそれを述べていると思っているようだった。

その他に覚えていることとしては、小中学校時代の女性の友人(AS)と中学校の靴箱で会い、そこで話をしていたのを覚えている。彼女は、私よりも走り幅跳びの記録が良く、ちょうど数日後に陸上大会に出場するとのことであった。彼女に激励の言葉を述べた場面があったことを覚えている。

今朝方の夢について改めて振り返ってみると、最初の夢の中で出てきた、どこまでも後をつけてくるボディガードは何を象徴しているものだったのだろうか。確かに、あのボディガードは、私のボディガードではなく、見知らぬ女性のボディガードであったが、自分の何かしらのシャドーの表れであると言えなくもない。

もちろん、見知らぬ女性そのものも、おそらく自分の何かしらのシャドーの表れだと思うのだが、直感的に、重要なシャドーはボディガードの方にありそうだ。先ほど夢について描写している中で、ボディガードは常に無表情であったと述べていたが、実際にはどのような顔をしていたかを覚えていないのみならず、姿もどのようなものであったかも覚えていない。

というよりも、人間の輪郭だけを見ていたような感覚がするのである。そして、そのボディガードを小さなダンボールのような箱に詰め、窓の外に投げ捨てた行為は何を意味しているのだろうか。

それはシャドーとの決別を表しているのだろうか。だがそれが仮に、シャドーを自分から切り離すことになってしまっていたのであれば問題だろう。

シャドーを客体化するところまではうまくいき、あの時に私に求められていたのは、シャドーとの対話だったのかもしれない。それを通じて、シャドーを健全な形で自己に再所有することが大切だったように思えてくる。

この日記を書き始めてまだ数分ほどしか経っていないが、その間に、空が晴れてきた。ここ最近は、本当に激しく変動する天候が続いている。気温の変動もそうであるし、晴れと雨の変動もそうだ。

昨日にふと、日々は移り変わる天気のようであり、私たちの内面世界も人生もまたそうである、ということを考えていた。そこから、このリアリティの移り変わりやすい性質について思いを馳せていた。

日々刻一刻と様々なものが変化していく。自分の内側においても、外側においても、その変化は激しく、絶え間ない。

そんな絶え間ない変化の中に身を置いているのが自己であるし、自己そのものが絶えず変化しているのを実感する。

この夏から、私はオランダでの四年目の生活を始める。四年目の生活においても、絶え間ない変化の中で、絶え間ない変化を経験することになるだろう。フローニンゲン:2019/3/8(金)08:43

3932. 欧州での四年目の生活に向けて

早朝の作曲実践を始める前に、もう一つだけ日記を書き留めておこうと思う。明日の昼に、現在デン・ハーグに住んでいる友人とランチを共にする予定が入っており、その際にはデン・ハーグの話や起業家ビザの申請などについて色々と話を伺おうと思う。

今日は、協働プロジェクト関係のオンラインミーティングなどが特にないため、探究活動と創造活動に多くの時間を充てていこうと思う。ちょうど昨日から、永井荷風の日記(『荷風全集第四巻』)を読み始めており、今日中に一冊分の日記を読み終えることができるだろう。

欧州での四年目の生活が今年の夏から始まる。欧州の地で、引き続き自己を異質の世界の中に投げ入れていくことになりそうだ。

そうした経験が増せば増すほどに、自己は異質な世界との接触を通じて磨かれ、結晶化されていくだろう。自己が開かれながらにして深まっていく様子を見て取ることができる。

おそらく、私が欧州の地に残ることになったのは、落ち着きのある環境でありながらにして異質な環境の中で生活をすることによって、自己を深めていくためなのだろう。こうしたことも一つの宿命的なものとして受け止めたい。

つい先日までは、アメリカかスイスで生活を始めることになれば、この夏は北海道で一、二ヶ月過ごすことを考えていたことが懐かしく思える。そうしたことを考えていた時からそれほど時間が経っていないことを考えると、そこからの変化は実に大きなものであることがわかる。

日本の大都市で生活をすることには抵抗があったが、札幌であればそうした抵抗感はそれほどなく、むしろそこでの生活を楽しみにしている自分がいたように思う。一方で、数ヶ月前までの私は、アメリカやスイスでの生活に向けて諸々の準備をしていたが、最近になって、果たして自分は再びアメリカに行く必要があるのか、スイスに行く必要があるのか、ということを自問するようになっていた。

確かに国を変える引っ越しそのものが面倒であり、仮にビザを申請するために日本に戻るのであれば、日本に半分の荷物を送り、もう半分を新たな生活地に送る必要があり、かなり手間がかかる作業だと思っていた。

スイスのドルナッハにある、精神自由科学大学にて、シュタイナーの思想を一年かけてゆっくりと学ぶプログラムの費用は、わずか35万円ほどであり、ドルナッハでの生活費を含めても、300万円あれば十分であった。一方、仮にHGSEの芸術教育プログラムに所属することになった場合には年間の授業料が500万円ほどであり、そこに生活費や保険料などを含めると、900万円ぐらいの資金を投じる必要があった。

この八年間において、気がつかないうちに、私は自分の教育に対してかなりの資金を投じており、もはや自分の教育に対して熱を上げるようなところにはいないのではないかと思い始めていた。そのようなことを考えていると、結果としてアメリカとスイスへ行く話は流れた。

四つ目の修士号を取得するようなことはもはやないだろうが——少なくともここから数年の間においてはない——、いつかドルナッハでは学びを得たいと思う。それは今から5年後、10年後、あるいはさらに先のことかもしれない。

いずれにせよ、この夏からは、オランダでの三年目と同じように、あるいはそれ以上に落ち着いた生活環境の中で、自分のライフワークを前に進めていこうと思う。ただし、三年目と四年目で違うことがあるとすれば、仮にデン・ハーグに引っ越したのであれば、コミュニティーを大切にし、外で人と会って話をする機会が増えるだろうということだ。フローニンゲン:2019/3/8(金)09:23

No.1742: On a Serene Morning

Although this morning is serene, I have something to think about. Groningen, 09:27, Saturday, 3/9/2019

3933. 永井荷風の日記:欧州生活四年目のあり方

今日も緩やかに時間が流れ、気がづけば午後の五時を迎えた。先ほどまで近所の河川敷のサイクリングロードを散歩していた。

雨の日以外は、毎日散歩兼軽いランニングに出かけることが習慣となった。こうした全身運動は身体の血流を良くし、それが心身のエネルギー循環にも肯定的な作用を及ぼしていることを実感する。

今日は、午前と午後の時間を使って、永井荷風の日記を読んだ。主には、永井がアメリカとフランスで生活をしている時に書かれたものである。

1900年の前半に書かれたものであるため、現代の日本語とは異なる文体で書かれており、最初は読みにくさを感じていたが、途中からそうした感覚は無くなっていった。

実は、この日記は随分と前に初読を始めていたのだが、途中で読むのをやめてしまったという背景がある。その時には、永井の日記はどこか淡々とした情景描写の類が多く、永井本人の実存的な事柄が文章から感じられなかったように記憶している。

しかし、改めて先日日記を紐解いてみると、確かに外的現象に対する記述は多いが、その中にも永井の実存性が込められていることが見えてきたのである。ひとたびそれに気づくと、永井の日記の中に面白さを見出し、今日の午後に初読を終えた。

この読書体験から改めて、著者の実存性が滲み出さないような文章を読むことは、必要に迫られていない限り極力控えていこうと思った。一般的に科学的な専門書は、「客観的」という名の下に、著者の実存性を隠蔽するようなものが多いが、そうしたものは確かに表面的な知識を私たちに授けてくれるが、私たちを真に深めてくれることには繋がらない。

哲学的な書物に関しても同じであり、基本的に哲学書には著者の実存性から滲み出る思想を期待するのだが、そうではなく、単に他の哲学者の思想を表面的に辿るだけの書籍が多いことは残念だ。

明日以降は、『荷風全集第五巻』を読み進めていきたい。

今日は、早朝に見えていた雲が午前中には消え、青空が広がり始めた。そこで見た穏やかな景色が忘れられない。先ほどの散歩の最中は、優しい夕日が辺りを包んでいた。

この一、二週間の間に、この夏からの生活に関して二転三転あったが、オランダで継続して生活できることをとても肯定的に受け止めている。そもそもこの地で永住権を取得しようと思っていたほどなのだから、そのように受け止めるのも当然といえば当然だ。

直近の欧州での三年間を振り返ってみると、特にフローニンゲン大学に在籍していた二年間は、科学研究に関するインプットとアウトプットに多くの時間とエネルギーを充てていたように思う。それはそれで、非常に良い経験になったことは間違いないが、欧州で継続して生活をするこれからは、これまでの学びをさらに深めていくことに時間とエネルギーを充てていきたい。

確かに、これからも新たな書物や論文に目を通していくだろうが、基本的なスタンスとしては、過去数年に読んだ専門書と論文を繰り返し読み返すことを行っていきたい。また、この三年間の生活スタイルの都合上、小説などを含め、未読の書籍や一読しかしていない書籍が本棚に数多くあるため、今年から時間をかけて、それらをゆっくりと読み進めていきたい。

端的には、欧州での四年目の生活以降しばらくは、これまでの学びを深化させていく時間としたい。実践領域に関しては少し拡張する必要性を感じているため、探究とのバランスで言えばちょうど良いだろう。

これまでの探究活動を通じて得られた知見を新しい領域に活用していく実務を始めるとともに、学びに関してはこれまで学んだものをさらに一段深くしていくことを意識していきたいと思う。フローニンゲン:2019/3/8(金)17:13

No.1743: The Frozen Reality

I perceive this reality to be dynamic and frozen. Groningen, 11:08, Saturday, 3/9/2019

3934. 音楽宇宙の長期的拡張に向けて:これからの協働について

時刻は午後の八時に向かいつつある。本日最後の日記を書き留めた後に、協働プロジェクト関係の資料に目を通し、その後、作曲実践を行いたい。

夕方に散歩をしている最中に、作曲に関しては本当に長期的な展望を持って取り組んでいきたいという気持ちを新たにした。継続的かつ長期的に作曲技術を発達させていくためには、毎回の作曲実践において絶えず新たなことを試し、新たな発見をしていくという意識が求められる。

毎回の日記に必ず新たな気づきと発見があるように、作曲実践を通じてそうした気づきと発見を絶えず得ていくようにする。そのためには作曲における観点を獲得していくことが重要であり、毎回の実践ではそうした観点を用いて曲を作っていくことが大切になるだろう。

毎回新たな気持ちを持って新しいことを試すのであるから、その瞬間の創造活動の質は低くなってしまうかもしれないが、そうであっても何ら問題は無い。ピカソが、「毎回の絵画制作は新たな実験であり、生涯実験を続けていく」と述べていたように、絶え間ない実験を毎回の作曲実践で行っていく。そうしたことを継続していけば、徐々に自分の中の音楽宇宙が開拓されていくだろう。

夕食を摂っている最中に、オランダでの四年目の生活においては、多様な領域での協働を実現させていきたいと考えていた。これまでの私は、どうしても企業社会における協働が中心になっていたが、人間発達に関する科学的な知見と哲学的な枠組みは、何も企業社会に寄与していくためだけにあるのではないことに気づかされる。

これまでの自分の関与領域を押し広げることを、欧州での四年目の生活から始めていく。もちろん、引き続き企業社会における協働に従事しながらも、スポーツの領域における協働、芸術の領域における協働、教育の領域における協働など、様々な領域の関係者の方々と協働をしながら、ある領域で得られた知見を他の領域に還元し、複数の領域を横断していくような円環的な関与をしていく。

おそらくそれが今の自分に託されていることであり、そうした役割を積極的に引き受けようという気持ちになっている。

欧州の最初の三年間においては、あえて自己を少数の領域に閉じる形で仕事を進めてきた。だが今は、そうしたフェーズが終わりを迎え、自己を多用な領域に開いていくフェーズに差し掛かっていると強く実感する。

既存のフェーズが終わりを迎えるに伴って、そこにいた自己もまた一つの役割としての発達段階から脱却し、次の段階に向かっていく。先日まで自分の内側で知覚されていた自我の抵抗は、まさに自我の死に対するものだったのだろう。

自我の最後の抵抗が落ち着き、新たな自我が誕生しようとしている。そしてその自我は、これまでの自我よりも一段透明なものになっているように知覚される。

欧州での四年目の生活では、この新たに誕生した自我を持って日々を生きていくことになるだろう。そしてそれは、多様な領域の関係者の方たちとの協働を通じて、ますます透明になっていき、唯一固有の自己としての純度を高めていくことになるだろう。私は欧州でそのようにこれからも生きていく。フローニンゲン:2019/3/8(金)20:04

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