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3889-3892:フローニンゲン滞在記 2019年2月27日(水)


タイトル一覧

3889. 今朝方の夢

3890. 夢と精神エネルギー

3891. 未知性と創造活動:学びに対するあり方の変容

3892. 映画観賞の再開に向けて

3889. 今朝方の夢

夜中に一度も目覚めることもなく、今朝は大変良い睡眠を取ることができた。

時刻は午前六時半を迎えた。辺りはまだ闇に包まれているが、小鳥の鳴き声が近くから聞こえてくる。

明日からはいよいよ二年半ぶりのパリ旅行が始まる。自宅を午前十時ごろ出発し、フローニンゲン駅からスキポール空港駅まで行き、そこで一度乗り換える。そしてそこからパリまで列車で移動する。パリ市内に到着するのは午後四時半ごろになるだろう。

フローニンゲンもパリも、ここ最近は春の陽気を感じさせてくれるような日々が続いていた。しかし明日からは、どうやら曇りや小雨が降る日が続くようである。

春が訪れたかと思いきや、来週からは気温も下がり、幾分冬に後戻りしたかのようである。このように、行きつ戻りつを繰り返しながら進んで行く季節を見ていると、それはまさに人間発達の本質を示していることが分かる。

私たち人間も、直線的には発達していかない。行きつ戻りつを繰り返しながら、非線形的に徐々に発達の足取りを前に進めていくのは、人間も季節も同じようだ。

いつもと同じように、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、現在協働中のある企業の方と教室のような場所で話をしていた。何か具体的に仕事の話をしていたわけではなく、今後の協働プロジェクトのメンバー構成についてざっくばらんに話をしていた。

私の方で二人ほど紹介したい若い研究者がいることをその方に伝えると、ぜひ一度会ってみたいとのことであった。それを聞いて、私はすぐに二人に連絡をした。

すると、二人はすぐに教室に姿を現した。まさかこれほど早くその方と二人を引き合わせることになるとは思ってもいなかったため、話の進展に私自身も驚いた。

とりあえず、二人は過去の経歴について話をし、どのような理由から次の協働プロジェクトに参画したいのかを述べた。二人のうち、より若い研究者がその理由を述べたとき、表現が幾分拙い印象があり、それは協働者の方に不信感を抱かせかねないと思った私は、彼の言葉を少し補足した。

協働者の方は、私の補足を聞いて納得したようであったが、まだそれほど彼らに興味を持っていないようだった。そのようなことを教室で行っていると、何人かの人たちが教室に入ってきた。

その中には、高校時代の女性友達(KY)がいて、その中のまた別の人が、進化論に関するディスカッションのファシリテーター役を務め始めた。先ほどまでは、協働者の方と雑談をしていたので、突然進化論をテーマにした話が始まったことには驚いたが、面白そうなので私もディスカッションに参加した。

ファシリテーターの方がまずお題を出し、それについてみんなで意見交換をしていった。高校時代の友人は、普段はクラスの中で発言することなどほとんどなかったのだが、この日は進化論について自説を力強く展開していた。

私はそれを聞きながら、ディスカッションの最後に何か総括的なコメントをしようと考えていた。そこで夢の場面が変わった。

今朝方の夢について覚えているのはそのぐらいである。いやその他にもそういえば、一軒家の中の畳部屋にいて、二つの背の低い机が置かれており、そのうちの片方の机で勉強しようとしている自分がいた夢も覚えている。

電気をつけて勉強をしたかったのだが、電気の位置が微妙であり、片方の机には全く電気が当たらないようになっていた。もう一方の机には電気スタンドがあったのはいいが、それが繋がれている電源に不具合があるようであり、電気スタンドが灯らなかった。

電気をどうするかを考えていると、一階から母が私を呼ぶ声が聞こえ、母の話によると、どうやらこの部屋は電気に問題があることがわかった。とはいえ私はそこで勉強をしたかったので、机を移動させ、なんとか明かりが机に当たるようにして勉強を始めようとした。そのような夢も覚えている。フローニンゲン:2019/2/27(水)06:57

No.1722: Wriggling

It is very foggy today.

Seeing the dense fog, I’m feeling something wriggling in the world. Groningen, 08:03, Thursday, 2/28/2019

3890. 夢と精神エネルギー

時刻は午前七時を迎えた。二月もいよいよ終わりに近づいている。パリに行く明日がちょうど二月最後の日となる。

明日以降からは快晴の日は少なくなるが、今日のフローニンゲンは申し分ない天気のようであるため、夕方に散歩に出かけたいと思う。今日は昨日よりも1度ほど最高気温が高く、昨日は、散歩の途中で半袖になっていたことを考えると、今日も途中からは半袖で散歩をすることになるだろう。今日の散歩の途中でも、木々に付いているつぼみの脈動を確かに感じたいと思う。

先ほど、今朝方の夢について振り返っていた。夢日記をつけることは、もう毎日の習慣と化した。

どれほど断片的な記憶であったとしても、それを辿ることによって、そこから記憶が蘇ることがよくある。今朝もまたそのような現象に遭遇した。

夢について書き留め、分析的な観点でそれを読み返すことは、自らに精神分析を施し、自己理解を深めることにつながっているのかもしれないと改めて思う。とりわけ、夢というものが自分の深層意識から生まれ、時にその根源が抑圧された何かであることを考えると、夢を書き留めることによって、抑圧されたものが解放に向かっていく姿を見て取ることができる。

おそらく私の内側には、まだ無数の抑圧されたものがあり、それは精神エネルギーの滞りとなっているはずだ。夢日記を綴ることは、そうした滞りを解消し、精神エネルギーの流れを改善していくことに寄与しているように思う。

この習慣を続けることによって、精神エネルギーの充足がもたらされていることを確かに感じている。今後は、夢の内容を言葉として書き留めるだけではなく、音楽の形にしていくことも行なっていきたいと思う。

夢の記憶から曲を直接作っていくことが難しければ、一度言葉の形にし、その言葉から喚起される感覚を曲にしていけばいい。言葉のみならず、音楽という方向性からも夢を取り上げていくことによって、夢から得られる洞察は増していくだろうと思われる。

時刻は午前七時を過ぎ、この時間帯になると、辺りはすっかり明るくなった。白いカモメと黒い鳥が、互いに別々の方向に飛び去っていく姿を見た。

今日はこれから早朝の作曲実践を行う。午前十時から、協働者の方とのミーティングが入っており、今週はそのミーティングが最初で最後のものとなる。

この夏からどこで生活をするのかはまだ決まっていないが、どうも何かが動きそうであるという感覚があり、新たな生活環境ではあまり日本語を読む時間がないように予感している。そうしたこともあり、書斎の本棚にある未読の和書、特に永井荷風氏の日記や、福永武彦氏の小説作品を時間を見つけて読み進めていきたいと思う。

作曲実践と読書を行いながらも、夜には、明日からのパリ旅行に向けた身支度をしようと思う。今回の旅は数日間ほどのものであるため、身支度に関しては30分ぐらいで終わるだろうと予想する。

いずれにせよ、今日も一日が充実感と共に始まり、そして充実感と共に終わっていくだろう。そして明日からは、新たな充実感を持ってパリに向かうことになるだろうと確信する。フローニンゲン:2019/2/27(水)07:23

No.1723: A Song of Fresh Spring

I’ll leave for Paris shortly.

I look forward to findings about myself through this trip. Groningen, 08:54, Thursday, 2/28/2019

3891. 未知性と創造活動:学びに対するあり方の変容

時刻は午後の四時に近づきつつある。この日記を書き留めたら散歩に出かけたいと思う。そして散歩から戻ってきたら、一曲ほど曲を作る予定だ。

作曲においては、何が生み出されるのだろうかという楽しみが常にある。それは今の自分が何を生み出すことができるのかという楽しみでもあり、どのような未知なるものが目の前に生み出されるのかという楽しみでもある。

創造活動には、こうした未知との出会いが必ずある。それは人間の発達においても同様だろう。

いつも作曲を通じて実感することは、自分が未知なるものを生み出している感覚であり、それと同時に、これまで未知であった自らの側面に関する気付きを得たという感覚である。言い換えると、そこで表現されている曲は、自分に関する何らかの未知なるものの表れであり、それが曲という形になることによって、初めてそれに気づくことができるという実感がある。

結局、創造活動とは、自分の内側の何かを開くことなのだと思う。私たちは、自己を開きながらでしか発達をなしえない。

そのように考えてみると、創造活動と発達運動は不可分の関係にあり、創造活動を営むことは、発達現象を探究することとも不可分であることが見えてくる。

今日もまた、本当に恵まれた天気だ。明日からは少し天気が崩れるようなので、今日の天気の良さを存分に味わいたいと思う。

季節は巡り、人生も巡る。このリアリティは、巡るもので構成されているのではないだろうか。

巡りゆく季節と人生において、日々の小さな変化に気付き、それに対する驚きの感情から探究と実践を出発させていく。それが出発点になければならない。

これから散歩に出かける際には、可能であれば、昨日と比較してどのような変化が外界において見られるかを意識してみようと思う。外界は、自分の内面を映し出す鏡なのだ。

外界を見て、そこに変化を見て取った時、自分の内面で何か変化があったことを悟るのはそうした理由によるのだろう。外の変化を通じて、自分の内側の変化を見つめていく。そうしたことを絶えず実践していこう。

今日の午前中に協働者の方とオンラインミーティングを行っている際に、学びに対する自らのあり方が変化していることに気づいた。以前の日記でも書き留めているように、衝動的な学びを行うことはもはや無くなっている。

欧米で過ごしてきた七年間において、おそらく最初の五年間、ないしは六年目を迎える直前までは、何かに駆り立てられているかのような形で探究を行っていたように思う。今は一変して、どこか平穏さとくつろぎの中で探究を進めているような自分がいる。

言い換えると、探究への囚われから解放され、探究という言葉を用いる必要がない次元で探究活動に営むことができていると言えるだろう。そうした変化を促したのは、学びを委託されているという確かな感覚と、それを受託している自己に対する気づきだった。今は、学びを委託され、受託しているという意識の中で自らの学びが静かに進行している。

また、以前の私であれば、衝動的な探究を通じて、何か巨大な構築物を一生涯を掛けて作っていくことに意識が強く当てられていた。確かに、現在の学びのあり方を通じて探究を継続させていった結果として、巨大な構築物が出来上がったとしても、そうした構築物を遮二無二に建築していこうという衝動はもはやない。

こうした変化を冷静に見てみる時、これから生涯をかけて継続していく自分の真の学びがようやく始まったのだということに気づかされる。フローニンゲン:2019/2/27(水)16:01

3892. 映画観賞の再開に向けて

時刻は午後五時を迎えた。つい先ほど散歩から戻ってきた。

今日は、フローニンゲンの二月末とは思えないほどの暖かさであり、半袖で散歩に出かけても全く問題がなかった。昨日と同じような柔らかな夕日を浴びながら散歩を堪能していた。

道中、毎回観察している木のつぼみを見たとき、昨日よりも気持ち変化があるように思えた。ただし、私がこうも毎日観察を続けているものだから、つぼみの方が恥ずかしがって、花を開くことに躊躇してはいけないと思い、今後は少しばかり観察を控えようと思う。

その代わりに、遠くからその様子をそっと見守るということを行いたい。どこまで観察をし、関与をしていくかというのは、人の発達に寄り添う際にも大切なポイントだろう。

ここ数日間の中で、ふと、ここ最近は映画をあまり見ていないことに気づいた。アメリカで生活していた四年間のうち、最初の二年半においては比較的よく映画を見に行っていた。

また、数年前に日本で一年ほど生活をしていた時にも、時折映画館に足を運んでいたことを思い出す。一方、フローニンゲンに来てからは、まだ一度も映画館に足を運んでいないことに気づいたのである。

確かに、自宅から映画館までは少し距離があるが、そうした物理的な距離以上に、何か心理的な距離があったように思う。あるいはそもそも、映画を見る時間的なゆとりを日々の生活に持たせることができなかったり、映画観賞に対する自分なりの意義が見い出せていなかったような状況にあったのだと思う。

だが、ここ数日間の中で、改めて映画の意義を考えてみたときに、新たな意味がそこに見い出せるように思えたのである。映画を鑑賞することは、旅をすることと同じような作用があるのではないか。そのような考えが生まれてくる。

ジョン・エフ・ケネディ大学に在籍していた頃は、映画観賞を通じて意識の治癒と変容を促す実践である、“Moview Yoga”を友人と時折行っていたことが懐かしい。映画が持つ治癒と変容作用は、どこか旅が持つそれと似ている。

映画を鑑賞することによって、リアリティの新たな側面を見ることを促されたり、そもそも映画の中のリアリティ世界に自己を置くことを促される点において、それは旅が持つ特性と非常に似ている。

近い将来に、映画館に頻繁に足を運ぶような生活を始めるかもしれない。仮に近くに映画館がない場合であっても、最近はネットTVなどが普及しているおかげもあり、映画視聴に特化したサービスを活用するなどして、映画を通じて自己及びこの世界を知るということも再び始めてみてもいいだろうという気持ちが起こっている。

今日はこれから作曲実践をし、夕食後には、明日から始まるパリ旅行に向けた準備をしたい。それは非常にシンプルなものであり、小さなスーツケースに衣服を詰め、ラヴェルの楽譜を入れたらほぼ終わりである。年末に日本語で作成した作曲ノートを今回は持参しようと思っており、それはリュックサックの中に入れることにしたい。

明日は、午前10:48にフローニンゲン駅を出発する列車に乗る。駅構内でコーヒーと昼食を購入する時間的ゆとりを持たせるために、10時をめどに自宅を出発し、ゆっくりと歩きながら駅に向かいたいと思う。

二年半ぶりのパリとの再会まであと少しだ。フローニンゲン:2019/2/27(水)17:21

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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