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3866. 心が動かされることと治癒


今朝は五時半過ぎに起床し、六時を迎えてしばらく経ってから、一日の活動をゆっくりと始めた。

小鳥たちの歌声が闇の世界にこだましている。小鳥たちの澄み渡る声に耳を傾けていると、意識が深まっていくのみならず、意識が大いにくつろぎ、何か治癒的な作用を実感する。意識の深まり、そして意識をくつろがせることには治癒的な作用があるようだ。

今日は晴れのようであるから、午後には行きつけのチーズ家に行き、街の中心部の化粧品屋で洗顔類などを購入しようと思う。今日は、近所の河川敷のサイクリングロードに行くのではなく、その代わりに、街の中心部に行く散歩を楽しみたいと思う。

本日の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。今朝方は、いくつかの夢を見ており、幾分記憶は断片的だが、できるだけ夢の内容を思い出してみたい。

夢の中で私は、現在進められているプロジェクトの協働者の男性と話をしていた。話の内容は、その方が作ってくださった資料に関するものだった。

その方はまだ若く、これから実務経験を積んでいこうとされておられるが、いただいた資料の出来が非常に良く、私は感銘を受けていた。それを本人に直接伝えていたところ、その仕事ぶりに改めて感激し、話しながら私は涙を流していた。

私自身もなぜ涙が流れてきたのか不思議ではあったが、その方はもっと驚いたことだろう。私が話し終えると、その方はこれからの仕事をさらに意欲的に取り組んでいきたいということを述べていた。

そこで一度目を覚ました。目を開けてみると、夢の中の自分のみならず、夢を見ていた現実世界の自分自身もうっすらと涙を流しているようだった。

夢の世界で涙を流すという現象は時々経験する。現実世界において、涙を流す理由というのは色々なものが考えられるが、夢の中の世界では基本的に、感動の涙を流すことが多い。

上記の夢もまさにそうだ。他者が懸命に行った仕事に対して感動の涙を流すこと。その背景には、一人一人の人間が行う仕事の尊さに対する敬意や、そうした仕事を生み出している各人の固有の魂に対する畏敬の念があるのかもしれない。

今回の件で改めて、涙を流すことには浄化作用、あるいは治癒的な作用があることを実感した。冒頭で小鳥の鳴き声に癒されるということを書き留めたが、それとも関係がありそうだ。

今この瞬間にもまだ聞こえてくる小鳥たちの鳴き声に耳を傾けてみると、まず心にゆとりという空間が生まれる。そこに自己の芯が休まり、それと同時に、芯が心地よく動かされる。

心が動かされるというのは、こうした状態のことを言うのかもしれない。そのようなことを考えてみると、自分の心を動かされるということには、治癒的な作用が内包されている可能性があるのではないかということが見えてくる。

心が心地よく動かされ、適度な揺らぎがもたらされることによって、私たちの心は癒されていくものなのかもしれない。やはり、日々心の中にゆとりを持たせ、日常の何気ない出来事に対して心を動かされることは、自らの心を癒しながら育んでいくという点において大切なことなのだろう。フローニンゲン:2019/2/22(金)06:45

No.1709: An Arising Flow

Various feelings arise inside of me, which generate a flow. Groningen, 09:57, Saturday, 2/23/2019

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