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3475. 今朝方の夢の続き


つい今しがた、一日分のコーヒーを入れ始めた。コーヒーメーカーが今音を上げながら、せっせとコーヒーを作っている。

午前六時を過ぎたばかりのこの時間帯は、とても静かであり、外の世界の音は何も聞こえてこない。強いてあげるとするならば、通りを走り去っていく車の音がかすかに聞こえてくるぐらいだろうか。

これまでの私は、ある作曲家の一つのアルバムを毎日何度も繰り返して聴き続け、それが数日続いた後に他の作曲家のアルバムに移るような形で音楽を聴いていた。一方、ここ最近は、毎日違う作曲家の曲を聴くのみならず、アルバムが最初から最後まで終わったら、そこで別のアルバムに移っていくような形で曲を聴いている。

自分がSpotifyにダウンロードしている全ての曲を、ここでもう一度全部聴いてみようという意思が働いているのだろう。今日は、八時間に及ぶ、シューベルトのピアノソナタを聴こうと思う。

偶然にも先日、昨年の春にウィーンのシューベルト記念館を訪れた時の記憶を思い出していたため、本日シューベルトの曲を聴くというのは何かしらの意味があるのかもしれない。

一日の活動を本格的に始めようとしたところ、今朝方の夢の続きについて思い出していた。すると、早朝に書き留めておいた夢の中では、観察者としての自分がそこにいたのに対し、続きの夢の中では、夢の登場人物として自分がいたことに気づいた。

夢の中で私は、ある総合病院のロビーにいた。そこには、最初の夢の中で舞台となっていた学校の生徒が数名ほど入院しているようだった。

だが、その日は偶然にも、彼らが退院できるかどうかを看護婦が発表することになっていた。入院中の四、五名の生徒がロビーに降りてきて、そこで各人が椅子に腰掛けて談笑している。

私は彼らに挨拶をして、怪我や病気の具合はどうかと尋ねた。彼らの顔色を見ると、全員が健康そうに見えた。

彼らとしばらく談笑していると、病院の入り口の自動ドアが開き、外から看護婦がロビーにやってきた。私はてっきり、担当の看護婦は病院内にいるものだと思っていたため、彼女が外からやってきたことは不意打ちのようであった。

ロビーに集まっている生徒たちは、誰が今日退院できるのかが気になっているようであり、自分が退院できることを楽しみにしているようであった。

看護婦が私たちの元にやってくると、少し間を置いて、一人の男子生徒の名前を呼び上げた。その名前を聞いた時、そこにいた全員が少し驚いた。

というのも、そこに集まっている生徒の中では、彼の足の状態は良くなっているとはいえ、完治しているようには思えなかったからである。その生徒も自分の名前が呼ばれた時、「えっ、自分ですか?」という表情を浮かべていた。

その場にいた全員が一瞬唖然としたが、私たちは「おめでとう!」と述べ、彼を病院から送り出した。彼は照れ笑いを浮かべながらも、退院することはやはり嬉しいようであった。

少々足を引きずりながら、彼は看護婦が入ってきた自動ドアから外に出て行った。彼が外に出て行ったのを見届けると、そこにはまたひとり人がいなくなったというもの哀しさと、彼を送り出した喜びのようなものが混じった雰囲気が漂っていた。

するとそこで夢の場面が変わった。次の夢の場面では、私は友人四人と組んで、合唱を行っていた。

その合唱はビデオ撮影がされており、合唱後にそのビデオを見た。自分が歌っている姿を再度自分の目で見ることは気恥ずかしさがあったが、面白くもあった。

四人の友人たちとビデオを見ながら、面白おかしく気づきを述べて行った。すると、私は浴槽が少し汚れた大きなジャグジーの中にいることに気づいた。

先ほどまで話をしていた友人たちはそこにおらず、私は一人でジャグジーに浸っているようだった。少々泳げるのではないかと思うぐらいにこのジャグジーは広い。

しかし私は泳ぐ気もあまりなかったので、早々とジャグジーから上がることにした。ジャグジーを上がったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2018/12/3(月)06:42

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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