top of page

3329. 瞬間性を尊重した作曲実践


今朝方の夢の中で不老不死の薬を浴びる事態に遭遇したためか、起床した時に自分の内側に流れるエネルギーがいつも以上に若々しく、それでいて力強いことに気づいた。自分のライフワークに邁進するにふさわしい活動エネルギーが自分の全身に満ち満ちていることに気づく。

今日も読みたいと思う文献を旺盛に読み、何か形を生み出したいと思う時に日記を執筆したり作曲をしたりしようと思う。そこには強制感が挟まれる余地はなく、その瞬間に自分の内側が望む活動に従事している自分がいるだけである。

本日も、読みたい文献を読みたいだけ読み、作りたいものを作りたいだけ作っていくようにする。それらを行うタイミングに関しても、全て自分の内側が望む時間帯にしようと思う。

それに逆らうことなく、純粋な探究欲求と創造欲求に自己を任せようと思う。一切の強制はなく、そこには自発性があるだけである。こうした自発性こそが創造性の源なのかもしれない。

今日はこれから過去に作った曲を編集する。その過程の中で、曲を聴きながら内的感覚をデッサンしていく。

デッサンの実践を続けていると、それは夢を言語化するのと同様の治癒的・変容的効果があるような気がしている。形を生み出していくことの力を改めて思う。

過去の曲を編集し終えたら、バッハの四声のコラールに範を求めて一曲作る。371曲ほどあるコーラルのうち、ようやく50曲目に到達した。

すでに69個の二声のコラール全てを一度参考にしていたこともあり、確かに四声のコラールに関してはまだ多くの曲が残っているが、それでもこれまで随分とバッハのコラールを参考にしてきたことがわかる。早朝の作曲実践では、バッハが創出したメロディーラインを辿ることを行い、メロディーを創出する感覚を養っていく。

バッハのコラールに範を求める早朝の作曲実践は、詰将棋を一つ解くような実践となった。確かにそれは地味な実践かもしれないが、そこには曲を生み出す大きな喜びが存在しており、作曲に伴う、問題を作り出す楽しみ、問題を解決する楽しみなども感じることができる。

今朝方ふと考えていたのは、今後も短い曲を作り続けていく中で、一曲を作曲する最大の時間は一時間をめどにしようということだった。バッハやベートーヴェンのように曲を構築していくという感覚を用いながらも、数日間かけて一曲作るというようなことはしない。

理想は無駄な作為性をどんどん排除していき、いかなる曲も一時間以内に作り上げていくという境地に辿り着きたいと思う。私にとって作曲は、日記を執筆することと同じ感覚と意義を持つ営みであるから、日記の一つの記事に一時間をかけることがないように、一つの曲についても最大で一時間の時間軸の中で曲を作っていく。

自分の人生の中のある瞬間に生起する感覚を、それが望む形として音楽的に表現することが自分にとっての作曲の意味であるから、瞬間性を損ねるような長い時間をかけて曲を作らないようにしていく。そのようなことを先ほど考えていた。フローニンゲン:2018/10/29(月)06:29

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page