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3256. 非民主主義的なアセスメント


優しい朝日がフローニンゲンの町に降り注ぎ始め、これから一日の活動を本格的に始めようと思う。ここ数日間はシベリウスのピアノ曲を聴くことが多かったが、今日からはテレマンのピアノ曲を聴くことにした。

テレマンは私がよく作曲の参考にする作曲家であり、今日から聴き始めたピアノ曲集はテレマンの曲の持つ特徴をよく伝えてくれているように思う。今日はこれからバッハに範を求めて作曲していく。

昨日モーツァルトに範を求めて作曲をしている最中に、作曲は音楽空間上のパズル的側面を持つと改めて感じた。もちろん、パズルを超えた側面を持っていることが私を作曲にのめり込ませているのだが、そうしたパズル的な側面も面白さの大切な要因であることは間違いない。

以前の日記で紹介したように、部分と全体の話になるが、一つの全体を想起して曲を作っていくことと、部分を積み重ねながら全体を作っていくことの双方の道があるように思う。特に後者の場合は、パズル的な性格をより強く持つと言えるのではないかと思う。今日これから作っていく曲はどちらの方向性を持つものなのかはわからず、それもまた一つの楽しみである。

作曲実践を終えたら、昨日から読み始めている“A History of Art Education: Intellectual and Social Currents in Teaching the Visual Arts (1990)”の続きを読み進めていこうと思う。この書籍から得られるものは非常に多く、芸術教育の価値が歴史的にどのように変遷してきたのかを探究するヒントが詰まっている。

昨日本書を読みながら、おそらく私が採用するであろうアプローチは、発達理論を用いながら、歴史の様々な地点において存在していた世界観がいかような段階のものであり、それがどのような政治経済的な仕組みによって芸術教育の変遷を産んで行ったのかを探究していこうと思う。昨日と同様に、積極的にメモを取りながら読み進めていくことになるだろう。

昨夜改めて、IQによる知性の測定の問題について考えていた。私たちの発達は、必ず時間に組み込まれた形で実現されていくが、IQにはそもそも時間の概念が組み込まれていないのではないかということに気づいた。

IQを一度測定したらそこで終わりであり、IQというものの中には、そもそもそれは発達することを所与にしていないのではないかと思われた。ここからさらに考えていたのは、IQというのはやはり人を分類することに活用するためのツールに陥る危険性が高く、そこに発達の概念を認めないのであれば、なおさらそうした分類は危険なように思えた。

端的には、それは決して公平なアセスメントではないのだと思う。IQはスコアとして算出されるが、それは結局のところ、IQが測定しようとする知性の特質——これが極めて曖昧なため、IQの妥当性は非常に低いのだが——をどれだけ持っているかを開示するに留まり、ほぼほぼ性格類型テスト程度のものでしかないのではないかと思う。

一番の問題は、そこに時間の概念が組み込まれておらず、発達という概念がないがしろにされていることであり、ひとたびIQの値が算出された途端に、それがIQという単一の指標に基づいた人間の序列化につながってしまうことだろう。

そしてもう一つ大きな問題としては、それが対話の生まれない一方向的なアセスメントだということである。そもそも、何かしらのアセスメントを受けるというのは、そのアセスメントが対象とする能力領域の現在地を確認し、これからそれを育んでいこうという意識が大切なはずである。

IQのアセスメントのみならず、多くのアセスメントではこの意識が極めて希薄であり、アセスメントを受けて、人をボックス化しておしまいにしてしまうものが数多いことは気掛かりである。IQを含め、多くのアセスメントでは、アセスメントを提供する側とアセスメントを受ける側との対話が皆無であり、アセスメントを受けた後に一体何をすればいいのかに戸惑ってしまった経験がある方も多いのではないかと思う。

先日、ある友人の方と話をしていた時、「昔、外資系の人事コンサルティング会社が持ってきたアセスメントを受け、その結果を見て“So what?”になったのを覚えています」とその方が述べていたことを思い出す。

アセスメント結果がアセスメントを受ける者にとって“So what?(だから何?)”になることは問題であり、それよりも問題なのは、「だから何なのか」をアセスメント提供者に問う対話の機会がないことなのではないかと思う。

つまり、現在世の中に多く広まっているアセスメントは、対話型ではなく、一方向的に人を何かしらの評価軸に当てはめて終わりにしてしまうような、非民主主義的な道具にすぎないのだということである。

私たちのさらなる成長につながる有益なアセスメントは少なくとも、アセスメントを受けた者が現在どのような段階にいて、これからどのようなアプローチで次の段階に向かっていくのかを対話できるような公平性(民主主義性)を持っているものだと思う。

私自身もこれまで随分と理不尽なアセスメントを受けてきたように思う。いや厳密には、真に自分の成長を促してくれるようなアセスメントは皆無であったようにすら思う。

アセスメントに関する社会的な発想の枠組みが現状のままであることをひどく危惧するのは私だけではないだろう。フローニンゲン:2018/10/12(金)08:52

No.1347: Shimmer of a Rainy Afternoon

It started to drizzle just a couple of minutes ago.

A shimmering rhythm arose from the inside of myself. Groningen, 16:02, Thursday, 10/25/2018

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