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3243. 変化の美しさ


昨日から少しばかり起床時間が早くなったが、結局今日も起床したのは七時過ぎだった。やはりまだボストン旅行から戻ってきた心身の調整が完全に終わったわけではないことを知る。

こういう時は、心身の調整の流れに逆らうことなく日々を過ごしていくことが肝要だろう。昨日の夕方、フローニンゲンの空を照らす夕焼けがとても美しかったのを覚えている。

ふと仕事の手を止めて窓の外を眺めると、印象派の絵画作品のような自然美がそこに顕現していた。フローニンゲンの夕日が美しいのは、その輝きが時間の経過と共に刻一刻と変化することである。

つまり、夕日そのものの美しさに加え、変化が内在的にもつ美がそこに存在しているということだ。昨日の夕日は、変化そのものに潜む美を教えてくれたように思う。

もしかするとこれは、昨日サスキア・クネン教授から受けとったメールの中のエピソードにも感じていたことかもしれない。昨日の日記で書き留めていたように、クネン教授のお孫さんは言葉を随分と話せるようになったそうだ。

“Oma(おばあちゃん)”という言葉を孫が初めて口にした時のクネン教授の喜びを察することができる。ここにも、子供の発達そのものが持つ美しさのようなものが見て取れる。

お孫さんの話をクネン教授のオフィスでしてから早いもので一年半以上の月日が流れた。その期間において、自分はどのような変化を辿ってきたのだろうか。

自分自身の変化が持つ美を見出すのはなかなか難しい。それを見出せた時、自分の内側に存在する光を見出したと言えるのかもしれない。

内在する自己の輝きと、それが変化する輝き。それらの双方を見出す道をゆっくりと歩いていることを期待する。

今朝方起床してみると、七時半を迎える前ぐらいから目の前の通りの工事が始まった。夏から始まっていたこの工事も佳境に差し掛かっている。その証拠に、今日からは道にアスファルトを流し込む最後の仕上げに入っていることがわかる。

二台のブルドーザーが、通りにゆっくりとアスファルトを流し、道を固めていく。何かをゆっくりと流し込み、それをゆっくりと固めていくこと。それは私たちの人生の歩み方に相通じるものがあるように思える。

内側に何かを急激に流し込むのではなく、緩やかにそれを流し込み、ゆっくりとそれを固めていくこと。道端の工事の進行過程は、発達の過程そのものではないかと思う。

それにしても、作業員の方たちの朝は早いことに改めて驚く。今日は私が起床してすぐに工事が始まったので、なおさら彼らの仕事へ取り組む時間の早さには驚かされる。

今日はこれから過去に作った曲を編集し、その後バッハに範を求めて一曲作る。おそらくそのタイミングで、現在進めている協働プロジェクトのオンラインミーティングの時間を迎えるのではないかと思う。

今日も自分の取り組みに着実に従事していきたい。フローニンゲン:2018/10/10(水)08:05

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