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3146. 博士論文のアイデアに関する備忘録


時刻は午後八時に近づきつつある。遠くの空を眺めてみると、昨日よりも幾分日が沈むのが早くなっている気がする。あと三十分もすれば完全に日が沈んでしまいそうである。

今日もとても充実した形で一日が過ぎていった。旺盛な探究活動と創造活動に従事することができ、明日も今日と同じような日になればと思う。

ちょうど明日は、フローニンゲン大学で取得した二つ目の修士号の卒業証書を受け取りにキャンパスに行く。私が在籍していた頃と少しばかり大学の様子が変わり、学生課が社会科学キャンパスの中に移転となったようだ。

明日は昼食を食べたから、散歩がてら大学キャンパスに歩いていきたいと思う。この二年間通い続けてきた通学路を通ることはもうこれからあまり無いであろうことを思うと、どこか感慨深い気持ちになる。

この二年間は本当にフローニンゲン大学にお世話になった。この大学で学びを得なければ、今の自分はなかったであろう。本当に貴重な学びの場を与えてもらったことに改めて大きな感謝の念を持つ。

昨日か一昨日に、博士論文のアイデアについて書き留めておいたように思う。今はまだ博士課程に進むかさえ分かっていないのだが、論文のアイデアは膨らむ一方だ。

今日も少しばかり考えたことがあったので、追加で書き留めておきたい。先日言及したように、仮に博士論文を執筆するのであれば、芸術教育の意義をまずは歴史的な展望をもとに探究していこうと思う。

その際には、私がこの八年間にわたって注目し続けている教育哲学者のザカリー・スタインの博士論文の書き方を参考にし、芸術教育のカリキュラムとその背後にある教育思想を歴史的に振り返りながら、それらを発達理論の観点から説明を加えていく。

最近のスタインの論文にあるように、プレモダン、モダン、ポストモダン、メタモダンの分類を参考しながら芸術教育の変遷を分析していく。そうした分析に合わせて、それらの各段階に根ざされたカリキュラムが芸術性や霊性の発達に及ぼしうる影響について考察をしていく。

とりわけ霊性に関する言及をしていく際には、シュタイナーの教育思想に強く立脚することになるかもしれない。これからは、博士論文のテーマを支える重要な教育哲学者を選別していき、彼らの思想を深く学び、それをうまく持論の展開と深化につなげていくように活用していく。

芸術教育の意義について考察する際には、上述のように芸術教育を取り巻く大きな思想について言及していくことになるため、社会哲学的な観点から批判理論(critical theory)を用いることも一考に価する。

そして、そもそも芸術教育の意義に関する論を進めていく前に、そもそも芸術教育の価値をいかに認識するのか、その認識の度合いをいかに担保するかに関して、認識論の観点を採用するのも面白いかもしれない。

その際には、キャサリン・エルギン教授やネルソン・グッドマンの思想が非常に参考になるだろう。徐々にではあるが、芸術教育と霊性教育について備忘録を書き進めていくごとに、自分のテーマの輪郭が見え始め、そのテーマに対するアプローチも見えてきている。

少なくとも今年と来年にかけては、博士論文のテーマを練る期間としたい。博士課程への進学を焦る必要は全くなく、自分を捉えて離さないテーマが四、五年にわたる探究に資するものなのかどうか、そして博士論文としてまとめ上げるに資するものだと分かってから、納得した形で博士課程に進もうと思う。フローニンゲン:2018/9/19(水)20:07

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