top of page

3078. 発達や学習の一般性と個別性


時刻は午前八時を迎え、書斎の窓の外に広がる懐かしい光景を眺めている。北欧に旅行している間に九月を迎え、目の前の通りの街路樹が紅葉を始めている。

夏のような青々とした色はそこにはなく、街路樹の後ろ側に佇む赤レンガの家々のような赤みを帯び始めている。北欧旅行の間に通りの工事が完了するかと思いきや、工事は相変わらず続いている。

本当にゆっくりと工事が進められている。しかし今朝も作業員の仕事の開始時間は早く、七時半頃からブルドーザーの動く音がかすかに聞こえ始めた。

家の窓ガラスが分厚いおかげか、窓を閉めていれば工事の音は気にならない。ゆっくりと進行していく工事のように、今日からまた自分のライフワークにゆっくりと取り組んでいこうと思う。

もう一つ私の心を和ませた光景として、道行く人たちの姿がある。通りを自転車で走る人たちの姿を見ると、フローニンゲンに帰ってきたという思いをいっそう強くする。

フローニンゲンは何を隠そう自転車の町であり、自転車に乗っている人たちはこの町のシンボルだと言っても過言ではないだろう。今日からは、北欧旅行の余韻を味わいながらも、同時にフローニンゲンに戻ってきたという感覚を大切にしながら新たな日々を緩やかに進行させていく。

昨日ふと、発達科学と教育科学の知見を継続的に学んでいきながらも、自分の知性の固有性を自ら学んでいくことの大切さについて考えていた。多くの人はそのどちらも行わない。

発達とはいかような特性を持っており、どのようにそれが成し遂げられていくのか。学習はどのようなプロセスで進んでいくのかについて、多くの人は驚くほど無知である。

さらには、自分自身の知性がどのような特性を持っており、その特性に合致した学習方法はどのようなものなのかに関する探究を行っている人もほとんどいないように思える。結局のところ、発達科学にせよ、教育科学にせよ、それらは科学領域であるために、そこで開示される知識は一般化されたものである。

そうした一般化された知識は確かに自分の発達や学習に大きな洞察をもたらすが、実はそれだけでは不十分である。科学研究の俎上に載らない自分固有の発達特性と学習特性を自ら探究していくことが必要になる。

なぜなら、私たちの知性は必ず固有な側面を持っており、そうした固有性は科学研究で扱うことは極めて難しく、また、そうした固有性に着目した実践こそが私たちの発達や学習を前に進めてくれるからだ。科学的な知を積極的に学んでいくことに合わせて、自分自身の知性の特性をより深く理解していく姿勢が大切になる。

後者に関しては、兎にも角にも自己観察をし、観察からもたらさせる仮説を検証し、そこからまた観察を行うことによって新たな仮説を練っていくというサイクルを回すことが重要になるだろう。発達や学習をより深めていくためには、とにかく一般性と個別性の双方をないがしろにしてはならない。フローニンゲン:2018/9/4(火)08:16

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page