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2673. 物語り、物語られる人生


早朝に窓ガラスを叩く雨音が聞こえてきた。それは静かな形で鳴る自然の目覚まし時計のようであった。

今朝私は、窓ガラスにしたたる雨音によって目覚めた。昨日の就寝前に少しばかり雨が降り、それが止んだ後に昨夜は寝ることになったのだが、ちょうど目覚めの時間帯と重なってまた雨が降り出した。

今日は五時前に起床し、五時半を迎える前に一日の活動を開始した。雨によって起こされ、雨音を聞きながら一日を開始させたという点において、今朝はいつもとは少しばかり異なる。そんな土曜日の朝である。

雨が降っているため、薄い雨雲が空全体を覆っている。それは嫌な雨雲には見えず、雲それ自体は薄い。

天空からしたたる雨と共に、時折微風が吹いている。こんな天気であるが、昨日と変わらずに小鳥たちのさえずりが聞こえて来る。

早朝にゆっくりと日記を書き留めていると、雨がほとんど止んだ。こんな時間帯であるが、早速一台の車が目の前の通りを走って行った。乾いた道路ではなく、雨で湿った道路を走る固有の音が聞こえて来た。

天気予報を確認すると、今日は夜にまた雨が降るらしい。そして今日から来週の土曜日にかけては涼しい気温になるようだ。

今朝方、久しぶりに夢を見ていた。大学時代から付き合いのあるドイツ人の友人の自宅を訪れ、彼の妻と子供たちと和やかに過ごす夢。

夢の中で私は、友人の子供が英語を話せるのかをまずドイツ語で確認した。子供たちは少し当惑した表情を浮かべたが、英語が話せると笑顔で述べた。

そこからは友人の家族と一緒になって英語で談笑するような内容を持つ夢であった。夢を見たのは久しぶりであり、記憶に残っているのはごくわずかだが、それを書き留めておくことにも意味があるだろう。

旅で得られたどんな些細な印象や感覚でもそれを書き留めことによって、後々思わぬところで役に立つ。そして何より、そうした印象や感覚を書き留めておくことが自らの肥やしになっていく。

雨の目覚まし時計が鳴る音が聞こえて来る直前、私は最後の夢を見ていた。それは無意識の世界で見た夢というよりも、ほぼほぼ覚醒意識の状態で知覚されたものであったかもしれない。

私はそのような半覚醒の状態で、「ラスキン」という国籍不明の見知らぬ人間について物語を紡ぎ出していた。彼の生涯を辿るような形で、私は彼にまつわる物語を読み上げていた。

言葉だけが夢の中でこだまし、こだました言葉がイメージとなって喚起されるような夢だった。窓ガラスを打ち付ける雨の音が聞こえてきたのはその夢が終わりに差し掛かる頃だった。

雨音によって目覚めてから、起床直前に見たこの夢について少しばかり考えていた。ラスキンとは一体誰だったのだろうか。

私は彼の生涯にまつわる物語を読み上げる中で、ある重要なことに気づいた。それは物語ることの意義である。

一人の人間の一生は、物語るものであると同時に、物語られるものなのだ。物語に潜む力が自分の背中を押している。

時刻が六時に近づいてくると、小鳥たちのさえずりが一層はっきりと聞こえてくるようになった。雨はどうやら完全に止んだようであり、雨が屋根からしたたる音が聞こえなくなった。

今日を生きるということ。今日を物語るということ。そして今日が物語られるということ。

私は日々、ある一つの壮大な物語の中に生きていて、同時にその物語を紡ぎ出している。物語り、物語られるこの人生はどこまで続いていくのだろうか。そのようなことを考えさせられる土曜日の朝だ。フローニンゲン:2018/6/9(土)05:47 

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