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2587. ゲオルク・フィリップ・テレマンについて


早朝の七時を過ぎた頃、ようやく太陽の光がフローニンゲンの街に注ぎ始めた。空を覆っていた薄い雲はどこかに消え、今日は一日を通して良い天気に恵まれるそうだ。

今は部屋の気温が少し低いが、これから徐々に暖かくなっていくだろうと思われる。昨夜、偶然にもゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)というドイツの作曲家を知るに至った。

バッハとも親交があったテレマンは、人類史上最もクラシック音楽の楽曲を残した人物と言われており、その数は4000とも6000とも言われる。テレマンがそれほどまでに膨大な数の曲を残していることを知り、私はテレマンの人となりや彼の作品に関心を持った。

私は普段から、何かに取り憑かれ、膨大な数の表現物を世に残した人に関心を持っている。テレマンはまさに何かに取り憑かれ、その結果としてそれほど膨大な数の曲を生涯にわたって書き続けたのだと思う。

私はテレマンという人物の名前を昨日初めて知ったが、これだけの数の作品を残しておきながら、これまで私がこの作曲家を知らなかったのかはなぜなのかを考えていた。テレマンは、バッハと親密な友人関係を築いており、頻繁に手紙をやり取りするような間柄だったそうだ。

また、テレマンはバッハに劣らないような作品を世に出していたと知る。86歳まで生きたことは、当時においては長寿であろう。

晩年まで創作意欲が衰えることなく、常に新たな音楽世界を切り開くように探究を続けていったテレマンの名前があまり知られていないのは不思議に思った。さらに少しばかり調べてみると、当時においては、テレマンはバッハよりも格上の作曲家として社会から認められていたようだった。

そうした史実を見るにつけ、テレマンの人となりや作品に対する関心が高まった。昨夜は早速、キーボード用にアレンジされた幾つかの曲が収められたテレマンの楽譜をイギリスの書店に注文することにした。

先ほどもまたテレマンについて少しばかり調べ、そこからヘンデルとバッハについても調べていた。1700年代において、当時のドイツの中で最も人気があった作曲家はテレマンであり、その次にヘンデルが続き、バッハはそこからだいぶ下に位置しているようだった。

テレマンやヘンデルの人気が高かった背景と、そこから時代が現代に向かうにつれてバッハの評価がテレマンを超えた背景についても調べていこうと思う。一つの関心事項から次の関心事項へと興味の連鎖は絶えない。

今日は午前中に、昨夜に引き続いてシュリ・オーロビンドの書籍を読み進めていく。感覚的に午前中の早い段階で一読目が終わるであろう。

そこからは、辻邦生先生が執筆した『小説への序章』という小説論に関する書籍を読む。本書を読む目的は明確であり、小説を書くためにこの本を読むのではなく、自分なりの作曲論を構築するために本書を読む。

本書で書かれている記述を全て作曲の文脈の中で読み解いていく。そうすることによって、自分なりの作曲論の構築に向けた一歩を歩めるような気がしている。

今日も旺盛な読書をしていき、その合間に作曲実践と論文の執筆を行っていく。今日もまた充実した日曜日になるだろう。フローニンゲン:2018/5/20(日)07:55

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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